四日目……思いがけない言葉
「うーん、今日は曇りかぁ。ま、爽やかとは正反対の奴を相手にするには丁度いい天気かもね」
「きゅきゅ」
宿を出てエルとの待ち合わせ場所に向かいながら、私は灰色の空を見上げ、首をこきりと鳴らした。
今日は孤児院に男爵が来る。あの九一男がデカい顔をしていられるのも今日が最後かと思うと、嬉しくて鼻歌を歌いそうになる。
私は一度会っただけで軽く殺意を抱いた。イリエラやザンたちが一体どれほどの精神的苦痛を受けていたのか、想像するだけで殺意が深くなる。
許されるなら一、二発殴ってやりたい。……まあ、その権利は私なんかよりもイリエラたちにあるのだが。
「えっと……あ、もう来てる」
待ち合わせ場所は孤児院近くの広場にある大きな木の下だったのだが、広場に入るとすでにエルが立っており、私は慌てて駆けだした。
「エルさんすみません、お待たせしました!」
昨日エルから、エルクローレン様は止めて欲しいと言われたのでエルさんと遠慮なく呼ぶ。
「ああヒュリさん、おはようございます。私が早く来ただけですから気にしないで下さい。待ち合わせの昼一の鐘は……ほら、今ですから」
頭を下げる私の耳にカラーン、と刻を知らせる鐘の音が届く。顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべるエルと眼が合った。
「孤児院へ行きましょうか」
「はい」
目立たないよう騎士服の上から外套を羽織ったエルに促され、並んで歩き出す。
「昨日ヒュリさんが帰られてからリーグエ家のことを少し調べてみました。財政状況はあまり芳しくありません。それを表に出さないよう努力しているようですが。それと先代の男爵が亡くなられた後、理由もなく解雇された使用人が数人、逆に用心棒として新たに雇われた人間が何人もいるようです」
「解雇された人は多分孤児院出身の人でしょうけど用心棒って……まさか強硬手段にでも出るつもり?」
「可能性は否定できません。サキューズは会員制の賭場を作りたがっていたらしく、先代が亡くなる直前にもうすぐ場所が確保できそうだと友人に話していたという証言が取れています」
「ということは、あの男がイリエラさんに言った、愛人になれば手を引くというのも嘘ね。どちらにせよ追い出すつもりだったんだわ。にしても、孤児院を賭場に変える!? 屑野郎もいいところだわ」
屑の中の屑、キングオブ屑と言っても言い過ぎではないだろう。
冗談は髪型だけにしろと声を大にして言いたい。お前のような性根の腐った奴に払う金などないと。
私が怒りで拳をプルプルさせていると、隣からくすりと笑い声が漏れ聞こえた。ぱっとエルを見ると、彼は咳ばらいをして笑っていたのをごまかした。
私そんなに変な顔していたのかしら。
「すみません、ヒュリさんとナナがそっくりな顔をしていたもので」
「え?」
言われて腕に抱いているナナを見ると、確かに彼女も前足を握りしめヒゲをピンとさせて怒った表情をしていた。
「彼女も怒っているんですね」
「え、ええ、多分何となく言葉が理解できるんだと思います」
本当は完全に理解しているのだが、信じてはもらえないだろうし信じてもらっても困るので、曖昧に笑ってごまかす。
「なるほど、きっとヒュリさんの感情が伝わっているのでしょう。ヴィシュリにもそういったことがたまにありますよ」
「そうなんですか」
しかしこの人はヴィシュリのことになると嬉しそうに話すな。翼竜好きなのがよく伝わってくる。
角を曲がりあと少しでリーグエ孤児院というところまで来たところで、エルが立ち止まって私を見た。
「一つお訊きしたいのですが、どうしてそんなに気に掛けるのですか? 孤児院の方々とは二日前に初めて会ったのですよね? ひどい言い方をすれば、たとえ孤児院が潰れてしまったとしても、貴女には何の関係もないと思うのですが」
碧色の眼が何故と問いかけてくる。
困っている人を助けたいと思うのはそんなに不思議なことなのだろうか。……いや、言われてみれば確かにそうかもしれない。
元の世界で似たようなことがあったとして、果たして手を差し伸べるだろうか? きっと、同情だけして終わったに違いない。所詮、他人事だと。
だが、ここではそんな風に思えなかった。何とかしなければという思いしかなかった。
「逆にお訊きしますけど、エルさんが私の立場だったら見て見ぬ振りをしましたか?」
「それは……」
言い淀むエルに、私はにっこり笑って言った。
「何とかしようと思いますよね? 私も同じです。助けてあげたいと思った、ただそれだけです」
「……似ていますね」
「誰にです?」
「ああ、いえ、先日知り合ったばかりの方にどことなく雰囲気が似ていると思ったのです。そういえばあの方も動物を連れての一人旅をされていましたね。あ、すみません、知らない人に似ていると言われても不快なだけですよね。ヒュリさんの思いはよく分かりました。貴女のような方と知り合えて嬉しく思います。さあ、行きましょうか」
満足げに頷いて歩き出すエル。
彼の言う先日知り合ったばかりの方とは、もしかして雷華のことではないだろうか。
だとすればこの上なく嬉しい。彼女は私の理想そのものだったから。
視線を感じてナナを見ると、顔がにやける私を彼女は心配そうに見上げていた。