五十一日目……己を映す刃 Side:リマーラ
ぐさり。
男の剣が深々と突き刺さる。
「…………」
「…………」
「…………」
時が止まったかのようだった。瞬きするほどの短い時が、永遠より長く感じた。
男の攻撃を受け損ねた瞬間、死が眼前に迫った。
だが……私は死ななかった。
何故、生きているのだろう? いや、私は本当に生きているのか? 剣が突き刺さる音を聞いたのに?
動くことを拒否する身体を無理矢理動かし、ゆっくりと視線を動かす。
剣は、私の身体すれすれを通って床板に刺さっていた。
ピリッとした痛みを腕に感じ視線を移すと、服が裂けて二の腕から血が滲んでいた。
どさっ。
音がした方を見れば、ライカが床にへたり込んでいた。
「はあぁぁぁぁっ、生きてるうぅぅぅっ!」
「きゅうぅぅぅ!」
ライカとナナの声を聞いて、どくん、と心臓が動くのを感じた。ようやく自分が生きているという実感が湧いてきた。
「貴様ぁっ!」
怒声とともにレヴァイアが男に斬りかかる。はっ、として私も床から跳ね起きた。
一瞬でも戦いを忘れた自分が恥ずかしい。死ななかったからには、槍を振るい続けなくてはならないのに。
しかし――
男は、レヴァイアと私の攻撃を驚くべき速さでかわし、床板に深く刺さっている剣を易々と引き抜くと、一際大きく後ろに跳躍し、甲板の手摺りに音もなく着地した。
「欠片は未だ泡沫に非ず。僅かなれど結末に揺らぎあり」
誰にでもなくそう言うと、男は再び、今度は真上に跳躍し……戻ってくることはなかった。
その代わり、大きな鳥が羽ばたくような音が、暗い空のどこかから聞こえてきた気がした。
「……ど、どういうこと? 諦めてくれたの?」
「きゅ。きゅきゅきゅっきゅきゅ。きゅきゅきゅきゅっ」
「ほんとに? 私の声が? ……は、ははは、震えてきた」
座り込んだまま声を震わせるライカ。
危険が去ったということは彼女の様子から分かったが、理由が全く分からない。私とレヴァイアを殺すために来て、それが可能だったにもかかわらず、なぜ実行寸前で去って行った?
「説明してもらおう」
剣を鞘に収めたレヴァイアが、ライカに近づきながら彼女を睨む。苛ついているように見えるのは、状況を理解できずにいるのと、あの男に勝てなかったからだろう。
悔しい……か。
当然の感情だが、今の私にはなかった。死にかけた恐怖のせいか、勝てない相手だと本能が拒否してしまったからか。
認めたくはないが。
「え、ええ、もちろん。でもその前に――」
「おおい、あんたら。そんなところで何してるんだ? 危ねえぞ」
頭上からガラガラ声が降ってきた。顔を上に向ける。暗くてよく見えないが、どうやら見張り台に船員がいるらしい。
「何をしているって、私たちは今ここで……気付かなかったのか?」
「何の話だ? 海はずっと穏やかだぜ?」
「海のことを言っているのではない。そうではなくて――」
「きゅ」
「あー、えっとリマーラさん」
ライカが途中で遮ったので振り向くと、彼女は小声で「ナナが話を止めろと言ってるみたいです」と言った。
「…………すまない、何でもない。星を見ていただけだ。もう戻るよ」
「そうした方がいい。もし海に落ちたら大変だからな。俺たちが」
船員は大きな笑い声を上げて、見張りに戻った。
少しの沈黙をおいて、私たちも船内に入る。沈黙は部屋に戻り、ライカが水を飲み終わるまで続いた。
「ふぅ……すみません、勝手に部屋の水飲んじゃって。緊張で喉がカラカラもいいところだったので」
「構わない。それより、聞かせてくれないか」
「はい、そうですよね。まだほとんど何も話せてないですもんね」
「先に教えろ。奴は何者だ? 何故去った?」
椅子に座るライカにレヴァイアが詰め寄る。彼の右手は、爪で皮膚が切れそうなほど固く握りしめられていた。
「あの人はマーレ=ボルジエ国の騎士……より正確に言えば特務騎士の一人です」
「なっ……」
「馬鹿な……」
言葉がない、と同時に納得した。
マーレ=ボルジエの特務騎士と言えば、一人で軍隊を相手に出来るとか、一人で盗賊の町を壊滅させたとか、一人で巨大な獣の群れを殲滅したとか、真偽が定かでない噂も多々あるが……間違いのない事実が一つだけある。
世界最強に限りなく近い人間、ということだ。
定員数はなく、時代によってゼロのときもあれば、十人いたときもあったと母から聞いた記憶がある。確か、今は四人だったはず。しかも、うち一人は王子だとか。
「勝てないわけだ」
そんな人間と戦っていたなんて。声にならない何かが口から零れた。笑いたかったのか、溜息を吐きたかったのか。自分でもよく分からない。
「いや、でもですね、確かに彼は特務騎士の方なんですが、違うんですよ」
「違うとは?」
「特務騎士であって特務騎士でないというか。あ、いやいや謎かけじゃないですよ、これ。とにかく、ちゃんと説明しますから聞いてください。最後まで聞いて分からないことがあったら、質問を受け付けますから。いいですか?」
長くなるので座って下さい、と前置きをしてからライカは話し始めた。
長い、長い、話だった。