四十八日目……掴んだ道 Side:レヴァイア
「あったよ、これだ」
老婆は一冊の本を携えて戻ってきた。手の隙間から見えた表題は『ヴィトニル国史』。
つまりゴクサイの森はヴィトニルにあるということか。船が必要だが、すぐに出る定期船があれば良いが……。
俺は苛立ちを隠して寄りかかっていた壁から身体を離した。
揺り椅子に座り本を開くメイダの後ろに移動する。
「ええと、どこだったかね…………ああ、ここだ。“いにしえの時代より変わらぬ姿形を保っていると言われているが、現状確たる証拠はない。しかし、この森の動植物が極めて異質なのは誰の眼にも明らかである。本来の名は極彩の森だが、近年では始まりの意味を込めて原初の森と呼ばれるのが一般的になりつつある。”分かっただろう? 極彩の森は原初の森のことだよ」
こんなことを思い出せないなんて歳は取りたくないもんだねえ、とぼやくメイダを尻目に俺はリマーラに声を掛ける。
「ヴィトニルの地図は?」
「ここに……あっ!」
腰に縛った皮袋に手を入れたリマーラが慌てた声を上げた。
彼女にしては珍しい。財布でも落としたか?
「……ここにナナを入れているのを忘れていた」
ある意味財布よりも重大なことだった。
「息はしているのか?」
顔以外を布でぐるぐる巻きにされたナナが、リマーラの皮袋から姿を現す。
「……ああ、問題ない。変わらず寝ているようだ」
ナナの顔に耳を近づけ呼吸音を確認したリマーラが、ホッとした様子で頷いた。
「ねえ、それナニ?」
ピィニが瞬きして驚いている。
「ああ、ええと、彼女はナナと言って、私たちの友人の友人……いや、私たちの仲間だ」
仲間、か。
安っぽくて薄っぺらい言葉だと嫌っていたが、悪くないと思ってしまった。
ああヒュリ、お前のせいでこんなに考えが変わってしまったのだと、文句が言いたくて仕方ない。お前のせいで大事なものが出来てしまったと、文句が言いたくて仕方ない。
……お前は、今どこにいる?
「レヴァイア殿、地図を」
「ああ」
手渡されたヴィトニルの地図を机に広げ、原初の森を探す。すぐに見つかった。
「ここだな。原初の森、確かにヴィトニルにある」
「港に行こう、レヴァイア殿。メイダ殿、ありがとうございます」
「感謝する」
地図を折り畳み、立ち上がって外套を羽織るリマーラに返す。
「構わんよ。時間だけはあるからね。いい暇つぶしになったさ」
老婆に軽く頭を下げ、軋む扉を開ける。外に出ると、途端に冷たい空気が身体にぶつかってきた。
だが、寒さはあまり感じなかった。暖炉の温もりがまだ残っているからか、場所が分かって興奮しているからか。
「ピィニ、一番早く港に出る道を教えてくれないか」
「うーん、いいけど、それよりもヘルウェルさんのところに戻った方がいいかも」
「何故だ?」
「ヘルウェルさん、港の人何人かと知り合いなんだよね。だから頼めば、ヴィトニル行きの船を紹介してくれるかなって」
どうする? とリマーラと視線で会話する。一瞬考える素振りを見せた後、彼女は小さく頷いた。
「頼んで損はないと思う」
「ピィニ、手配依頼所だ」
「はーい! 走るからちゃんとついて来てね」
駆け出すピィニの後をリマーラと追う。
狭くて薄暗い道の行き止まりあった古ぼけた家。本当に行き止まりだったらと不安だった。だが、道は開けた。この路地のように細くて頼りないかもしれないが、俺は信じる。
この道の先にお前がいると。
「そういえば、結局アレが何だったのか聞いてない気がする……」
手配依頼所に戻った俺とリマーラは、ピィニの帰りを心配そうに待っていたヘルウェルに簡単に事情を説明し、協力を求めた。
賞金首を追わない賞金稼ぎを嫌っている奴のことだから、断られるのも覚悟の上だったが、意外にもヘルウェルはあっさりと承諾してくれた。敵意剥き出しにして追い返そうとした詫びらしい。
ピィニに留守番を頼んで港に行こうとするヘルウェルに同行しようとした俺たちだったが、朝以外に出港はしないと言われ、奴の勧めた宿で待機することになった。
「結局、ヴィトニルだな」
部屋で荷の整理をしていると、リマーラがぽつりと零し。同時に息が漏れる音も聞こえて、俺は手を止めて顔を上げた。
彼女は微かに笑っていた。
「どういうことだ?」
「私たちはヴィトニルに向かっていただろう? 彼女が、ヒュリが行きたいと言ったから」
「……そうだったな。たった数日前のことなのに、遠い昔の話のようだ」
言われるまで忘れていた。俺たちが何処に行こうとしていたかなど。
「ヒュリは誰かを追っていると言っていた。その彼女を私たちが追うことになるとは。数奇とはこういうことを言うのかと思って、少し可笑しくなった」
すまんと謝るリマーラを見ながら思った。
俺は、運命など信じない。