四十八日目……老婆とお茶 Side:リマーラ
「なんと……」
言葉が出てこなかった。十代半ばの少女の口から語られるにはあまりに重い過去。人は誰でも大なり小なり哀しい過去があるものだが、それにしても酷い。いや、酷いなどという言葉では軽すぎる。
「先ほどお前は、自分と母親が手配依頼所の男に助けられたと言ったな。ということは、今はここで母親と暮らしているのか?」
「……ううん、お母さんはもう、いないよ」
レヴァイアの問いに、ピィニは俯いて答えた。そして、パンッ、と両手で頬を叩くと顔を上げ、にこりと笑った。
「さっ、案内再開! といっても、もうすぐそこだけどね」
そう言って歩き出したピィニの背中に、私たちは何と声を掛ければ良かったのだろうか……。
ピィニの言ったとおり、歴史研究家の家は近かった。
薄暗い路地の奥に佇む古ぼけた小さな家。正面に見えるのは玄関扉とカーテンがひかれた窓。
力いっぱい叩けば壊れて崩れるのではないかと思うような年季の入った扉をピィニが叩くと、中からしわがれた、しかし威厳のある声が返ってきた。
「誰だい」
「手配依頼所のピィニです。メイダさんに会いたいと言っている人たちを連れてきました」
「…………入りな」
ピィニが扉を押し開く。予想通り、ひどく軋んだ音がした。
家の中に入った私たちを出迎えたのは、暖かい空気と灯りだった。至るところに置かれたランプが室内を照らしている。
「こんな婆に用とはね。しかも余所者が。珍しいこともあるもんだ」
メイダは白髪の小柄な老婆だった。顔に刻まれた皺から察するに結構な年齢を重ねていると思われるが、ぴんと伸びた背筋、鋭い眼光、力のある声が、彼女を若々しく見せている。
「そこに座って待ってな。茶くらい入れてやろう」
メイダは奥の部屋――台所だろう――に消えていった。ぶっきらぼうだが、一応は歓迎されているのだろう。
顎で示された壁際の長椅子。座面にいくつもの修繕の痕がある。長年愛用しているのか、買い替える費用がないのか。
ついそんなことを考えてしまい、頭を振って長椅子に腰を下ろす。向かいの壁の暖炉で、薪が勢いよく燃えている。
「大事な話なんでしょ? 私は外で待ってるね」
キョロキョロと室内を見回していたピィニが、玄関扉を開けて出ていこうとする。
それに、玄関脇に立っていたレヴァイア殿が待ったをかけた。
「ここにいろ」
「でも……」
本当にいいのかと、ピィニはレヴァイア殿と私を交互に見る。
大事な話なのは間違いないが、誰かに聞かれて困るような内容ではない。
私は頷いて自分が座る長椅子を指し示した。
「レヴァイア殿の言うとおりだ。外は寒い。ほら、私の隣に座るといい」
構わないかとレヴァイア殿に眼で問うと、小さな頷きが返ってきた。もとより立ったまま話を聞くつもりだったのだろう。
「……うん」
長椅子に座ったピィニは照れくさそうに、嬉しそうに笑った。
しばらくして、湯気の立つカップを盆に載せたメイダが台所から戻ってきた。
「私が煎じた薬草茶だ。身体が温まるよ。味の保証はしないけどね」
「……いただきます」
最後の一言が気になりつつ、カップを受け取り口に運ぶ。一口飲むと口の中に何とも言えない味が広がった。
あえて表現するならば、香ばしくて苦くてほんのり甘い、だろうか。飲めないほど不味くもないが、美味しくはない。
しかし、メイダの言うとおり、腹の辺りが温かくなってきた。
「うえっ」
顔をしかめたピィニに視線を向けたメイダだったが、何も言うことなく視線を私に移した。
「さて、それじゃさっさと用件を聞こうかね」
メイダは暖炉の前にある揺り椅子を、私たちと向き合うように動かす。彼女が座るのを待って私は口を開いた。
「はい。私たちは、ある名が指す場所を探しております。しかし、失われた名なのか、どこかの別名なのか、地図上では見つけること叶いませんでした」
「なるほどね。それで大陸の歴史を研究をしていた私のところに来たってわけかい」
「どうかお知恵をお貸し願えないでしょうか」
ずず、と薬草茶をすするメイダをじっと見つめる。私もレヴァイア殿も他国の人間だ。それを理由に断られるかと思ったが、彼女はあっさりと頷いた。
「いいだろう。何て名だい?」
「ゴクサイの森、です」
言ってから自分が緊張していることに気付いた。
ここで答えを得られなければ、ヒュリがまた遠のいてしまう。その不安が緊張として表れているのだ。
薬草茶を口に含む。不味さで心が落ち着いた。
「ふむ、聞いたことあるね」
「本当ですか!」
「どこだ!?」
「まあ、待ちな。婆を急かすもんじゃないよ。頭も大分錆びついちまっているからね……ええと、あれは、そう、確か……」
立ち上がって台所の奥に消えていくメイダ。おそらく台所から書斎か寝室か、書籍の置いてある部屋に繋がっているのであろう。
私もレヴァイア殿も、老婆が戻ってくるのを今か今かと待ちわびた。