孤独の中の味方
「驚いたでしょう?」
木立の中を歩き、バス停に向かいながら、クラウスがぽつりと言った。
「まあな」
俺はコートのポケットを探って煙草の箱を取り出した。中から一本取り出し口にくわえる。ライターで火をつけかけたが、クラウスのことを思い出してそのまま箱に戻した。
「いつもは穏やかなんですけど、時々ああなるんです。子供の姿をした神様が、情け容赦なく責めに来るらしくって」
「亡者ではなく神なのか」
地獄からやってきた死者のような、野蛮な姿を想像していた。
間の悪さを感じることもなく、バスはすぐにやって来た。
バスの客は俺たち以外誰もいなかった。
がらんとした車内を歩き、一番後ろの席に座った。
ゆっくりと、バスは走りだす。
「悪かったな」
ガタンと音をたて、バス全体が大きく揺れた。一瞬体が浮きあがり、座席に着地する。
「あんなつもりじゃなかったんだ」
あれ以上、クラウスが傷つかなければいいと思った。
フリードリッヒがクラウスのことを、さっさと弟だと認めてやればいいのにと。
しかし、よけい苦しめる結果になってしまった。
あれほど言ってもフリードリッヒは、かたくなにクラウスを拒否した。
自分は不器用だからたった一人のためにしか生きられないと、フリードリッヒは言っていた。
俺のために、クラウスへの気持ちを断ち切ったというのだろうか。
俺のために、何かをするまでは? それとも一生?
自分だけが幸せになるわけにはいかないと背を向けたのだろうか。
十年間も。神に罰されながら。
フリードリッヒは自分の信念とは真逆な願いを突きつけられ、さぞかし戸惑っただろう。
思わず気がおかしくなるほど。
胸の奥底に一度封じてしまったものを認めなければ、俺の願いを叶えられないのだから。
「ヴァルター。あなたはどうしてあんなことを言ったんです?」
静かにクラウスが問いかけてきた。
「あんなこと?」
「僕を弟だと認めることが、あなたの願いだって」
俺は深く息を吐き出した。
「だから悪かったよ」
悪気はなかったんだ。
「責めているわけではないんです。ただ、不思議で。あなたがどうしてそんなことを言い出したのかが。僕はあなたにとって、敵側の人間でしょう? それなのに救いの手をさしのべるようなことをして。そんなに僕は、哀れに見えましたか?」
あの時俺は、クラウスを憐れんでいたのだろうか。
確かに淋しそうなクラウスの横顔が、頭に思い浮かびはした。
でも、それだけじゃない。
「あの時俺は、お前の中にいる俺自身を見ていたんだ。俺たちはよく似ている。見た目や性格ではなく、フリードリッヒに対して、同じような鬱屈を抱えている所が。自分は、フリードリッヒに愛されていない。ただの身代わりなんだと、そう思っている。でも、それは仕方がないんだ。フリードリッヒには、俺たちの半身しか見えていないんだから。俺たちの残り半分は、お互いの身代わりの姿でできている。別々の二人の人間が、フリードリッヒの中では混ざり合い、一人の人間となってしまっているんだ。どんなにあがいても、一人分の愛は得られないんだ」
だから淋しい。
だからむなしい。
フリードリッヒは俺に未来を、クラウスに過去を見ている。
今の自分が認識されているのか、されていないのかの差は、それだけのことなんだ。
愛の深さではない。
俺の中に未来を見ようとするのは、俺の父を殺すきっかけを作った過去から逃れるため、全てをささげてクラウスを助けておきながら、不器用な人間だからと記憶から消し去り、未来を断ち切る。
いつも、何かが欠けているんだ。
「俺の中では認識できていない、クラウスの中で息をひそめている俺がそこにいるような気がして、ああせずにはいられなかったんだ」
目を覚ませと。
「お前が癒されれば、俺自身も癒される。フリードリッヒの中で欠けていた自分を見てもらえる。そんな気がしたんだ」
クラウスは、膝の上でこわばった俺の手の上に、そっと自分の手を重ねた。
いたわりに満ちた、優しい手だ。
「誤解すなよ。俺は俺のためにああ言ったんだ。お前のためなんかじゃない」
クラウスの慰めなど受ける資格もない。ただ俺は、自分のエゴのために動いたんだ。
「それでも僕はうれしかったんです。たとえ散々な結果でも。誰もいないあの白い廊下にたった一人追い出され、どうすればいいのだろうと途方にくれていた。自分だけが人の世からはじき出され、このままずっとここに佇んでいなければならないのかという気さえしていた。ドアの向こう側には別の世界があって、誰かが息をして存在しているというのに、僕のために開いてくれるドアは一つもない。背中を向けられたまま、僕の存在さえ気づいてくれない。そう一人で考えていた時、あなたがドアを開け、姿を現した。あの冷たい場所から僕を連れ出してくれた。そしてあなたの言葉が、ここで戦っているのは僕だけではないのだと教えてくれた。僕は、あなたに救われた気がした。でもあの言葉が、ただ兄を苦しめるために発せられたものだとしたら、僕はあなたを許しません」
「俺がそうして何が悪い。まっとうな反応だろう。実にシンプルだ。ややこしいところは何もない。父を殺した相手に対する言動そのものだ。なのに、何がどうなってこんなことになったんだ。いつこんなややこしいことに」
両手で髪の毛を掴んでぐちゃぐちゃにかき回したくなる。
俺が冷徹で頭のまわる奴ならば、そもそもクラウスの話に耳を傾けやしなかっただろうし、こんなところでバスに揺られていることもなかったはずだ。
クラウスは本当に始末が悪い(笑)
おまけにヴァルターは根が馬鹿なので、思いっきり罠にはまっている。
ご愁傷様ですと、思わず言わずにいられません。




