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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

パラソルレイン

パラソルレイン

作者: 京元緋呂

「降ってきちゃったな……」


 上履きを履きかえ玄関を出て、鉛色の空を眺めた。それからリュックの中に手を突っこんで、朝に母から無理やり持たされた折りたたみ傘を出した。

 中だるみする水曜日の放課後、雨降りに黒い傘なんて、ますます気分が沈んで行く。それでなくても普段からクラスメイトに暗いとか、大人しくって存在感ゼロなんて、陰で言われてる僕だ。多分、他の人達から見たら、景色の一部に溶け込んじゃったみたいに目立たないんだろう。

 でも、僕にはそれがお似合いだ。なんの取り柄もない、本当の自分を隠しながら生きてるこんな僕なんて、居なくなっても、きっと誰も気にしない、

 グレーのカメレオンになった気分で、既に雨に濡れたアスファルトをたどりバスターミナルへ向かう。傘を叩く雨音が、少しずつ強くなる。行きかう人々が濡れるのを嫌って足早に過ぎるなか、ぼんやり歩いていると、後ろからやって来た足音に背中をドツかれた。


「いたっ!」

「ちょ、俺も入れてっ!」

「あ、秋山っ?」


 体育会系っぽい元気なノリの、ちょっとハスキーな声。どうして秋山がここに、と焦りながら振り向くと、彼は強引に傘の中へ入って来て、更に僕の手から傘を奪い、左手に握った。


「良かったあ、ミチルが傘持ってて」

「や、ちょっと、返せよっ!」

「良いだろ、持ってやるって。つうかミチル、俺と帰るの、そんなにイヤかよ?」

「別に……ただ」

「なに?」

「その、男同士で傘に入るのって、ちょっと……」


 うっ、コレ言わなきゃ良かった。口に出した方が、却って意識しちゃう。熱っぽくなる頬をごまかしたくて顔をしかめると、秋山も眉を寄せた。


「はぁ? 仕方ないじゃん、雨だし傘一本しかないし。あー、ナニお前、まさか俺に、一人でザブザブ濡れて帰れって言う訳?」


 そう口を尖らせて、それからふいとそっぽを向いた。

 彼は僕と正反対の、いつもクラスの中心にいるような人気者だ。明るくて爽やかで、クラスの皆をいきなり名前で呼ぶくらい人懐っこくて、おまけにサッカー部ではレギュラーで、しかもイケメンで、ムカツくくらい女にモテる。

 僕だって本当は秋山と仲良くしたい。でも判ってるんだ。僕は、彼の横にいて許されるような人間じゃない。だけど、こんな風に話せるチャンスなんて、もう来ないかも知れない。いや、多分もうない。

 秋山が、ほら行くぞ、と促してくる。一つの傘に寄り添う距離が近すぎて辛い。無言で歩くのに耐えられなくて、必死に会話のネタを探した。


「あ……っていうか、部活は?」

「パース。雨だしダルいしめんどいし」

「試合、週末だろ。マズいんじゃない?」

「試合前だからこそ、リフレッシュが必要なの。つうかミチルさあ、帰宅部のクセに、何でウチの試合までチェックしてんの?」


 秋山が疑いの目を向けてる。う、マズい。何とか言わなきゃ。


「それはほら、行事予定のプリントに書いてあったし」

「ふーん、そんなプリントあったっけ?」

「あったよ。四月の頭に貰ったじゃん」

「そうだったか? 覚えてねー。そこまでちゃんと見てるなんて、お前、結構しっかりしてんのな」


 目が合った。本当に感心してるみたいに、焦げ茶の瞳が僕を真っ直ぐ見つめてくる。心の中まで見透かされそうで、僕は慌ててそっぽを向いた。

 誤解、されてる。本当は見に行けないジレンマを、予定を追うことでやり過ごしてるだけ。試合で活躍する姿を想像して、仲良くなりたい願望を抑え込んでるだけ。しっかりじゃない、むしろ不純。

 会話が続かなくて、少し気まずい。雨は相変わらず降り続いていて、目的地のバスターミナルはもう少し先だ。角をまがり少し歩くと、大きな交差点の信号は赤になったばかり。ここを渡ると、秋山との相合い傘は終わる。

 信号の赤が、雨で褪せたように見える風景の中でひときわ目立つ。ただ並んで立つほんの数十秒が、とても長く感じた。早く離れたい気持ちと、このまま居たい思いが、僕の中でせめぎ合う。一人でじりじりしてるうちに、信号は青に変わった。

 躊躇なく歩き出した秋山に引っ張られるみたいに、少し遅れて横断歩道を渡った。バスターミナルの入口には屋根が付いていて、傘を持つ人達はここで立ち止まり、畳んで中へ入っていく。秋山も同じように立ち止まると、傘を畳んで軽く水気を切ってから、中へ入った。


「サンキュ。んでお前、真っ直ぐ帰んの?」

「え? あ、ああ。そうだけど」

「ふーん……そっか」


 傘を手渡して来る秋山の様子を見て、僕はすぐに後悔した。

 彼は、真っ直ぐ帰る気はなかったんだ。もし僕がどこか寄り道するって答えてたら、まだ一緒に居られたかも知れなかったんだ。

 失敗した、どうしよう。いや、今なら用事思い出したって、本屋寄って帰るって言えば、何とかなるかも。でもそれってワザとらしい。まるで、まだ一緒に居ようって誘ってるみたいだ。

 上手い方法がみつからなくて、ついふらふら目を泳がせてしまう。構内に表示されている大きな時刻表をうわの空でなぞっていると、秋山が小さく笑った。


「何だ、実は急いでたんだ。それなら早く言ってくれって」

「え?」

「俺が傘ないから、気使ってたんだろ。悪かったな、入れて貰って」


 軽い調子で、しかもニコッと笑って、秋山が詫びてくる。違う、そうじゃないんだ。その簡単な言葉が言えない僕の前で、秋山はじゃ、と踵を返した。

 遠ざかる背にぶら下がったアディダスのスポーツバッグが、べちゃべちゃに濡れている。よく見ると背中も右半分濡れていて、紺のブレザーが黒ずんでいた。対して僕は、左袖が湿った程度で済んでいる。気を使ってるのは、キミの方だろ――そう思ったら、咄嗟に呼んでいた。


「あ、秋山!」


 思ったより大きな声で、横を歩いていくオバサンがびっくりしてコッチを見る。でもそんなことになんて構っていられなかった。

 秋山は既に十メートル近く離れていたけど、あっさり振り向いた。


「ん?」

「あ、あの……」


 呼び止めたのは良いけど、なんて繋げたら良いのか分からない。どうしよう、どうしたらいい――テンパって言葉が出なくて、唾を飲み込む音がやたら大きく感じる。

 秋山はそんな僕を見て、少しの間の後に笑った。


「なあ、腹減らない?」

「は?」

「俺、すっげー腹ペコでさ。何か食ってかないと、ウチまでたどり着けねーかも。ミチルは牛丼とラーメン、どっちが好き?」

「牛丼、と、ラーメン……?」


 止まるな僕、止まるな、答えろっ!


「う……うどん!」

「はぁ?」

「うどんが良い! ほら、天かすとネギたっぷり入れたやつ!」

「……」


 秋山が固まってる。ヤバい、いきなりうどんとか言って、絶対ヘンな奴だと思われてる。ああ、終わりだ。しっかりしてるっていう良さげなイメージ崩壊だ。

 やっぱり帰ると言われるのを覚悟していると、秋山が近づいて来た。


「俺、天玉食いたい」

「……え?」

「替え玉していい?」

「う、うん。僕も、しよっかな」

「じゃあ、JRのとこのうどん屋でいいよな」


 秋山はさっさと場所を決めると、また僕の手から傘を取り上げた。そして入ってきた入口へ向かった。


「しっかし雨止まねえな……っておい、ミチル!」

「は?」

「早く来いよ! じゃないとお前のオゴリだかんなっ」

「え、ええっ?」

「替え玉二つにすんぞ?」

「ちょ、ヒドっ!」


 既に傘を開いて外へ出た秋山を、慌てて追い掛ける。彼は笑いながら、さっきみたいに傘を掲げた。


「あーマジ腹減ったわー」

「良く食べるよね、秋山って。休み時間とか、大体パンかじってるし」

「運動するから腹減んの。つうかミチルって、何かスポーツやんの?」

「僕は、見る専門かな。野球とかバスケとか」

「ふーん、サッカーは?」

「好きだよ。特にマンチェスとか」

「マジか! 俺も好きなんだ。つうかミチルがマンチェス好きって意外」

「そう、かなあ?」

「うん、大人しく見えっから、もっとインドアかと思ってた。一昨日の試合、見た?」

「ダイジェストだけど。すごい接戦だったよね」

「あんなの、滅多にないよな。二点目入った時、見た? 俺すっげーコーフンした!」


 秋山は目を輝かせて、その瞬間を思い出したようにはしゃぐ。揺れた肩が軽く触れて、ライムみたいな爽やかな香りがした。

 肩が触れるほど近くに居る。それだけで、どうしてこんなに嬉しいんだろう。

 うどん屋は、ここから更に五分歩いた場所にある。少し弱くなった雨音を感じながら、僕はあと五分だけ、雨が止まないように祈った。



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