*40 戦略的敗北
弥月の言葉を聞いて、少しだけ、父の仇討ちをやめてもいいかなと思った。
大変なリスクを支払って、この先彼女に会えなくなったら……少しは、後悔するだろうから。
父の仇を許したわけではない。
大切なモノは、他にもあった。そう気付かされただけだ。
だが、もう遅かったらしい。
二番目に渡されたあの薬を摂取してから、父の仇以外の憎しみが、恨みが、トランセンデンター一号に向けられている。
劣等感に似た感覚。
八重子を八重子たらしめている感情が、徐々にではあるが、増悪に塗りつぶされている。
溢れるパワーの制御に一杯一杯で、気づけないでいた。
身体が勝手に動く。
もうじき、何も考えられなくなるだろう。
仇討ちどころではないのだ。
意識が八重子でなくなったら、それは八重坂八重子が死んだことと同じだ。父の――弥十郎の身体だけがまだ生きているのと同じように。抜け殻となってしまったら、それはもう死んだことと同じだ。
だから……。
※
「私……どうせ死ぬなら、弥月に殺されたい……かも」
八重子が急にそんなことを言い出した。
「……なに、言ってるの?」
「ちょっと遅かったみたい。私、もう駄目」
「どういうこと!? ねえ、わかんないんだけど!」
八重子の右手から、刃が伸びる。それは――肥大化した爪だった。
「私が私じゃなくなってく……。そうなる前に、早く……」
左手で肥大化した詰めを掴み、握りしめて破壊する。だが、すぐに爪は再生した。
自分で自分を破壊する、自傷行為。世の中にはそのようなことを常習的に行う人間も居るようだが、八重子はそんなタイプではない。
現実感のない光景だ。
呆然とする弥月に、八重子は叫ぶ。
「早く!」
左手の爪を肥大化させ、自らの右腕を切断する。
蠢く切断面。流れる血液。
普通はこのようなグロテスクな場面を見ると現実感を失ってしまいそうだが、今は違った。生の証明か無知への恐怖かは知らないが、とにかく、今この瞬間が現実であることを、強く自覚した。
八重子の身体は、八重子の意思だけで動いていない。
八重子ではないナニモノカが、八重子の半身を奪っている。そして、八重子の意識はもう長くは保たない。
だから。
全部奪われる前に、殺して欲しい。
彼女は、そう言っているのだ。
……ふざけるな。
何のためにここまで来たと思っている。
八重子を生かすためにここまで頑張ってきたのに、ここで彼女を殺してどうするというのだ。
「嫌だ……嫌だよ! なんとかして戻る方法を探そうよ!」
必死に拒絶をするも、八重子は弥月の話を受け入れない。
「無理だよ……もう」
「どうして――」
弥月が詰め寄ると、八重子の右腕が再生した。
「う、あ、ううぅうううううっ!」
彼女の悲鳴が木霊する。
「あ、ががが、う、ぐぅぅ……」
右腕が再び爪の刃を生やし、弥月に襲いかかる。弥月はすんでのところで回避し、八重子の手首を掴んだ。抵抗する力は強く、今にも振りほどかれてしまいそうだ。
それを見た八重子は、鬼気迫る表情――仮面に隠れて表情は見えないはずだが、確かにそう見えた――で、絞り出すように言う。
「あ、が……だ……だから……早くしてって……、言ってる……でしょ!?」
「そ、そんな……」
「仇討ちも……できない……死に方も……酷い……こんなの、嫌だよ……。せめて、死に方ぐらい、選ばせ……て……」
「やめてよ……」
「頭……潰すか……首切って……くれれば……今なら……死ねると、思う……から……。攻撃、に……いっぱいいっぱい……で……蘇生……できない、と……思、う……」
折角ここまで頑張ったのに。
「嫌だよ……」
「……お願い、弥月」
八重子が諦めてしまったら、終わりではないか。
※
ヴィディスの各種センサーが捉えた情報は、こちらにも回ってくる。
ヘッドホンから聞こえる二人の会話に耳を傾けながら、響子は考えていた。
(どうしてこう都合悪いことになるかなあ……)
まあ、八重子については、予想はできていたことだ。弥月の件がなければ、そもそも彼女は切り捨てるつもりだった。
だが、弥月の身体に起きた "何らかの変化" は想定外だった。
ヴィディスの各所に、神経接続が行われている。そんな機能、ヴィディスには搭載されていない。なら、弥月の身体に変化が起きたと考えるのが自然だ。
それも、あまり歓迎できる変化ではない。
弥月の身に何かが起こったとして、それで責任を負うのはこちらだ。特に、ヴィディスを貸し与えた響子の立場は、面倒なことになるだろう。これまでの件全てひっくるめて彼女の親にいろいろ言われるだろうし、場合によっては訴訟の可能性すらある。相手の立場に立って考えれば、それぐらいしたくなるのもわかる。
どうしよう。
弥月の両親にバレないように隠し通せるだろうか。
こんな時に保身のことを考えるのは本当は良くないのだが、この先迎えるであろう陰鬱とした展開を考えると、こうでもして気を紛らわせないとやっていられない。
手遅れだ。もう防ぎようがないのだ。
八重子を助けるのは現状ほぼ不可能だし、弥月の身体は変化してしまった。好転しているのは、翔子とキャサリンの活躍でベクターズの始末があらかた終わったことぐらいだ。
まあ、原因がわかれば、弥月の身体だけは戻せるかもしれない。時間が迫る八重子と違い、弥月にはまだまだ時間がある (と思われる) 。時間さえあれば、後は人海戦術なりゴリ押しなりで、解決策を見つけることも、できなくはない。
しかしそれまでにかかるであろう数年単位の研究期間中、果たして弥月の両親に彼女の変化を隠し通せるだろうか。
翔子はつい最近まで親にトランセンデンターの件を隠していたので、一概に出来ないとは言えないが……弥月の性格的に、どこかでヘマをしてバレそうな気がする。
そう、例えば親に尾行されるとか――。
不意に、独特のくぐもった音が耳に届いた。車の窓ガラスを叩いた時、ちょうどこんな音が鳴る。向きは響子のすぐ右隣。そう、この車のドアガラスだ。
何事だ。今は考え事で忙しいのに――。内心文句を垂れながら、窓を開けつつ振り向く。
そこには、弥月が経産婦になったような顔をした女性が立っていた。自宅に侵入した不審者を警戒――というかむしろ非難するような顔で、こちらをじっと見つめている。
「なんです?」
機嫌の悪い響子は、自らのご機嫌斜めっぷりを隠すことなく訊ねる。その露骨に嫌そうな声を聞いても、女性は全く怯まなかった。
それどころか、更に非難の色を強めて言った。
「あなた……ウチの娘に何があったか知りませんか?」
※
「お願い弥月、早く殺して……!」
「嫌……嫌……」
嫌がる弥月の腕を、八重子が掴んで自らの首へと近づける。
「弥月がやらないなら、私が――」
「やめて……!」
弥月は渾身の力でそれを拒否する――と、耳をつんざく音と共に、腕の人工筋肉が一気に断裂した。
「――!!」
人工筋肉がなければ、弥月の腕力は少女のそれだ。トランセンデンター相手に、太刀打ちできるわけがない。
弥月の手に、折れた八重子の爪が握らされる。手放そうと必死にもがくが、八重子の力には敵わなかった。
鋭く尖った八重子の爪は、トランセンデンターの皮膚であっても容易く切り裂くだろう――そう、彼女が自分の腕を切断した時のように。
八重子は、弥月に握らせた自らの爪を、躊躇いなく首に当てた。その間にも、彼女の右腕は獲物を探し暴れもがいている。
皮膚を切り裂く感触が、ヴィディスの装甲越しに伝わった。
「やめて……!」
「――さよなら、弥月」
そのまま一気に最後まで――とは行かず、八重子の爪は、彼女の首の半分を切断したところで止まる。
それだけで十分だったのだろう。
切断面からドクドクと血を流し、八重子は倒れた。
もう、動くことはない。
「そんな……うそ、嘘だよね……」
八重子の手から開放された弥月は、八重子の身体を力いっぱい揺する。
だが、それが自ら動き出すことはない。
それはまるで、生きるための何かを全て失ってしまったような。
生命力を全く感じられない、本当に先程まで生きていたのかすら怪しい、物言わぬ屍。
外見が鎧であることも、その印象を加速させた。
あれだけ苦労したのに。
最後は本当にあっけなかった。
「八重子……そんな……」
失意のどん底で、弥月はへたり込む。気力が萎えるのと同時に、ヴィディスが解除された。
※
頭が割れそうだ。
弥月の母親を名乗る女性――月極 睦月は、激しい剣幕で響子を責め立てる。
「子供にこんな危ないことさせて、恥ずかしくないんですか!?」
ここのところ踏んだり蹴ったりな響子は、どうにも素直に頭を下げる気になれなかった。
「本人の意思を尊重したまでです」
だが、それが却って睦月の火に油を注ぐことは――まあ、わかっていた。頭では理解していても、口が勝手に喋ってしまうのだ。
「本人の意志を尊重……ですか。それ、子供を騙す大人の常套句なのわかってます? 明らかに危ないことに足を突っ込もうとしていたら、大人は止めるべきですよね?」
まあ、睦月の気持ちもわかる。我が子が危険なことに巻き込まれていたら、普通は何故止めなかったと怒るだろう。彼女は弥月がどれだけしつこかったかも知らないはずなので、尚更だ。
だからここは平謝りか、あるいは弥月に説得してもらうかのどちらかが好ましいのだが……生憎弥月はそれどころではないし、響子も頭を下げる気分ではない。
故に、ついつい余計なことを口にしてしまう。
「そうは言いますが、あなたが娘さんの考えを理解していない――いや、それどころか、把握すらして居なかったことにも問題があると思いますよ。自分の責任を放り出して他人に責任を求めるようでは、人の親なんて務まりません」
痛いところを突かれたのか、睦月は一瞬言葉に詰まる。が、すぐにまた弁舌を繰り出した。
「確かに私も娘の考えを把握できていませんでした。その点ではこちらにも非があると思います。しかしだからといって、あなたが大人の責任を放棄する理由にはなりません。せめてこちらにひと声かけていただければ、このような事態にはならなかったのでは?」
「娘さんは、両親の承諾を得たと言っていました。こちらは彼女のその言葉を信用したまでです」
「子供の言葉を鵜呑みにしたんですか?」
「子供の言葉を信じることも大人に必要なことだと思いますが。……それとも、あなたは娘さんの言葉が信用できないんですか?」
「ぐ……」
こう言ってやれば、親というものは反論できなくなる。
が、実際は契約書なり誓約書なりを書かせなかった時点でこちらの負けだ。個人との契約はサインと印鑑のみで保証され、それがなければどんな言葉も公に認められることはない。それが大人のやり方であり、それを子供に教えることが大人の責任だ。
そのルールに則って言えば、録音すらされていない弥月の発言は無いも同然。証言者となる翔子もキャサリンも共犯者なので、証拠として採用されることはない。
なので訴訟されればこちらがボロ負けする。
しかし、ここは法廷ではない。
勝敗を決める裁判官は居ないし、法に基づいたルールもない。
黙らせればいいのだ。
後はこのままお引き取り願って、後日書面上だけ謝罪するのが一番楽だろう。弥月の変化に関しては、まあ、努力するとしか言えない。
(いや……)
響子の冷静な部分が、火照った思考に水をかける。
今この場では、とりあえず黙らせておけばいい。だが、法廷に舞台が移れば、どうだ? そうなれば、こちらに勝ち目はない。
後で冷静になった睦月が法的措置に出る可能性は、否定できなかった。
できる限り禍根を残さないよう、この場で穏便に済ませる必要がある。
敵の狙いだとか陰謀だとか、そんなものを考えている余裕はなかった。
「事情を説明したいと思いますが……立ち話もなんですし、見せないといけないものもあるので、こちらの施設に来て頂いてもよろしいでしょうか?」
もういい。母親も巻き込んでしまえ。
半ばヤケクソ状態で響子は言ったが、そこで思わぬ伏兵が出てくるとは考えても居なかった。
「わかりました……。ですが、主人が帰宅するまで待たせて頂いてもよろしいですか?」
主人……そうだ、弥月が母子家庭だったという話は聞いていないんだから、父親が居てもおかしくはないのだ。
待たせてください……ということは、要するに父親を頼りにしているということだろう。多分。
で、こんな女性に頼りにされる相手ということは……多分手強い。
嫌な予感がする。
※
「チョークスリーパー!」
最後のベクターズの首を千切れるまで締め上げ、翔子は叫ぶ。因みにチョークスリーパーについては首を絞める程度の知識しかない。
「……おし、終わった」
死体が蒸発するのを確認し、一息つく。量が多かったので、思ったよりも時間がかかってしまった。
さて、弥月や響子はどうなったか――確認するべく首を巡らせると……そこに広がっていた光景は地獄と見紛うほどのものだった。
弥月も響子も、まるで世界の終わりのような顔をしている。今にも、なにもかも投げ出して逃げ出してしまいそうだ。
一体何がどうしたのか。すぐ隣でヴィディスを解除したキャサリンに視線で訊ねるが、彼女も知らないと首を左右に振った。
帰る前に、彼女らのケアをしておくべきだろう。
見たところ、響子はストレス、弥月は悲哀で気分を悪くしているらしい。――弥月の横に転がっている八重子の姿を見て、翔子は察した。
(やっぱり駄目だったか……)
いろいろと手をつくしたが、いかんせん状況が悪すぎた。せめてドーピング的なことをする前だったら、なんとかなったかもしれない。
友人の死――翔子は経験したこと無いが、それが辛いことだというのは流石にわかる。励ますべきか一人にしておくべきかを考え、今は一人にしておくべきだと結論づけた。
次、響子。
話を聞くべく近寄ると、もう一人の女性の存在に気づいた。
弥月が年をとったような見た目。シワの数やら纏う雰囲気からして、姉――ではなく母っぽい人だ。四十前後といったところか。
その女性が、何やら響子と口論しているようだ。
彼女が翔子の予想通り弥月の母親だとしたら、その内容は……ハッキリ言ってうんざりするほど容易に想像できた。
とは言え、元はといえば翔子が弥月に引っ掛けられたのが原因だ。責任の一端は、間違いなく翔子にある。
なら響子だけがどやされている今の状況は、あまり好ましくないだろう。
「あのー……」
声をかけると、二人は同時にこちらを見る。
「あ、翔子君……」
「あなたは……」
翔子は何か気の利いたことを言おうとして、そういえば実際にどうなっているのかは全くわかっていないことを思い出した。
「響子……今どうなってるのか詳しく」
響子に耳打ちし、状況説明を仰ぐ。響子は思わぬ助け舟に一瞬表情を崩したが、またすぐ疲れたような顔に戻る。
「まあ、簡単に話すと――」
響子から説明を聞き終えた頃には、キャサリンも隣に立っていた。




