*38 不都合
最悪だ。
弥月を帰らせたその日の夜、大量のベクターズが研究施設を襲撃した。
キャサリンは出動させて、現在は翔子に連絡を入れたところだ。すぐ行くと言っていたので、少し経ったら来るだろう。
だが、この数を相手に翔子とキャサリンだけでは不利だ。
しかし、この危険な状態で弥月を呼ぶとなると、また翔子に怒られそうな気がする。それに三人に増えたところで不利なことに変わりはない。響子としても、あまり彼女を危険に晒すのは躊躇われた。
しかも夜中だ。両親は心配するだろうし、こんな時間に高校生を出歩かせるのも良くない。
そもそも相手の目的がわからない。最初はこの規模なので破壊が目的なのかと思ったが、どうにもベクターズは何かを探しているように見えた。
ベクターズが手に入れたいものとは、一体なんなのか?
次元干渉技術か? 否。久雄側は、こちらよりも高度な技術を持っている。トランセンデンターを量産できるなら、ヴィディスも蚊帳の外だろう。
なら――八重子か?
トランセンデンターは、単体でもかなりの影響力がある。その存在だけで、相手に威圧をかけることができる。
奪われたとなれば、取り返しに来る可能性は十二分にあった。
なら、弥月を呼ぶべきだろうか?
八重子が絡むのなら、弥月は間違いなく戦うというだろう。
だが……まだ、確証はない。飽くまでこれは、消去法で導き出した響子の予想だ。
それで弥月を呼んで、もし響子の予想が間違っていたら?
ベクターズの目的がこの施設の殲滅で、戦闘員が皆殺しにされたら?
無論、危なくなったら "そのための処置" をしてここを放棄する用意はできている。データは渡さないし、襲撃してきたベクターズぐらいなら皆殺しにできる。
だが、万が一、万が一の可能性を考えると、弥月を呼ぶのは躊躇われた。
彼女の支援型スタイルは今の状況と相性が悪いし、まだ場数を踏んでいないので乱戦は危険だ。
やはりここは、翔子とキャサリンだけで抑えるしかないだろう。
遠隔操作のガードロボット (弱い) などを駆使し、響子もキャサリンの援護に回る。
弱くとも、動くならば弱いなりの使い方があるのだ。幸い、ガードロボットは数だけは揃っていた。
私物のパソコンを制御装置と接続し、二十四機同時制御を実現。気を抜くことは一切許されない、脳のキャパシティを全てつぎ込んだ制御だ。
※
ガードロボットによる援護を受けつつ、キャサリンは射撃中心でベクターズに対抗していた。
両手にサブマシンガンを構え、制圧射撃を繰り返す。翔子が来るまでは、撃破よりも防衛が優先だ。
施設は大きな外壁に包まれているが、門が突破されているので続々とベクターズが流れこむ。既に殲滅は不可能と判断し、防衛が優先されているのだ。
すぐ横を、大破炎上したガードロボットが転がっていく。そのまま壁に激突し、爆発四散した。殉職。
ガードロボットは、まともにベクターズの攻撃を喰らえば一撃で壊れる。それを響子は上手いこと操り、囮や壁役などに使っていた。
キャサリンも負けじと、ヴィディスの性能に任せてゴリゴリと面制圧を行う。
門は狭い。そこまで押し返すことができれば、防衛から殲滅に移行することもできるだろう。
が、その前に翔子が到着したらしい。入り口付近で、大量のベクターズが弾け飛んだ。
「お待たせ!」
言いながら、翔子はキャサリンの隣まで、ひとっ飛びでやって来た。
「ショーコ!」
キャサリンが一際ベクターズが密集している区域を指し示すと、翔子は頷く。
「わかってる」
翔子は、まるで手でシャボン玉を作るように、一度手を組んでからそれを引き剥がす。彼女の手と手の間には、夜のわずかな光を反射し、虹色に輝く――シャボン玉と見紛えるような空間の歪みが生じていた。
「特大を一発、お見舞いしてあげる!」
ラグビーボール程度のサイズになったそれを、翔子は投げる。グニャグニャと形を歪ませながら飛ぶそれは、正にシャボン玉そのものだった。違いあがあるとすれば――常人の目では追い切れない速度で飛翔していたことだろう。
群れるベクターズの中心部に飛び込んだそれが、半球状に膨張する。
そして、膨らみすぎて耐えられなくなったシャボン玉のように、あっけなく破裂した。バツンと弾けるような音が、夜闇に響き渡る。
ベクターズの群れは、まるで最初から存在しなかったかのように消滅していた。
「Cool……」
キャサリンは思わずそう漏らしたが、翔子は気を抜いていない。
「でもまだまだ居る……」
翔子の一撃でかなりの数が消滅したが、それでもまだまだベクターズは居る。
その上、まだまだ増えているようだ。
「ドウシヨウ……」
「そりゃ、地道にやってくしかないでしょ……」
敵の多さにうんざりしつつも、二人はベクターズの大群へと立ち向かった。
※
ガードロボットの稼働率が五十パーセントを切った。まあ、翔子が到着したようなので、なんとかなるだろう。
単純に動かす数が減ったので、思考に余裕ができる。
そこで、ふと思った。
ベクターズは、施設の外壁の外で発生している。最初は外部と隔離されているからだと考えていた。外壁に屋根はないが、高さがそこそこあるので、そう簡単には乗り越えられない。
だが、今は門が壊れている。どういう理屈で発生しているかは不明だが、門が壊れているのに門の外でしか発生しないというのは不自然だ。
まず、ワープ的な手段を用いていると仮定する。
この施設には、ワープ妨害装置のようなものは搭載されていない。以前に襲撃したベクターズの本拠地に仕掛けられていたような "次元の壁" も、よくわかっていないので使っていなかった。
それに、次元干渉は感知されていない。
ということはつまり、ワープ的な手段以外でベクターズが出現している……ということだろう。
他に、ベクターズを出現させる手段として考えられるのは――超光速航法だろうか。
(いやこれは違うな)
多分、地球上でそんなことをしたら地球が壊れる。
他には、その場で生み出しているとか、光学迷彩や電磁迷彩の類でも使って接近しているか……。
(いや……)
不意に、また違う可能性に思い至った。
これはフェイクだ。
相手は直接施設内を襲撃できない。そう思わせて外に戦力を集中させるための罠だ。
その思惑通りに外に戦力を集中させた今、相手が取る行動は――。
次元干渉レーダーが、反応を捉えた。場所は――施設内部。八重子を寝かせている部屋だ。
やられた。
ガードロボットにタスクを割かれていたせいで、そこまで考えが至らなかった。
ガードロボットを回そうとした時は、既に二度目の次元干渉が起きている。恐らく、逃げられたのだろう。
それとほぼ同時に、ベクターズの増加が止んだ。もう陽動は必要ない、ということだろう。完全にしてやられた形となった。
一応、ガードロボット搭載のカメラで確認する。やはり、八重子は居なかった。
※
翌日、施設に弥月を呼んだ理由は言うまでもない。
「私のミスだ……すまない」
こうして頭を下げたのは、何年ぶりだろうか。……と思ったが、少し前に翔子の家で土下座をしていた。理由は――言うようなことではないだろう。
まあ、とにかくだ。響子がこうして頭を下げることが少ないのは、自分が一番よくわかっている。だからこうして今頭を下げているのは、それだけ、彼女に対して申し訳なく思っている……ということだ。
嘘ではない。本当に申し訳ないと思っている。
弥月は、なんだかんだで頑固なところがある翔子を黙らせて、かつ理性を失った友人を連れ帰ったのだ。それは生半可な気持ちでできることではないし、相当な労力を要する。
が、それを響子は采配ミスでフイにしてしまったのだ。
正直なところ、あの場ではああする以外に道は残されていなかった。彼我の戦力差を考えると、仮に弥月を呼んだところで八重子の護衛には割けない。
普段から襲撃に備えて戦力を増強しておけば良かったと言えばそれまでだが、そこまで行くと響子の一存でどうにか出来ることではなかった。
だが、だからこそ、申し訳ないのかもしれない。
頭は優位に立った時にどうのこうのという話もあるが、悪いと思ったら素直に下げた方がいいだろう。コミュニケーションは、戦いではないのだから。
弥月は、最初こそ機嫌を悪くしていたものの、響子が頭を下げると、少し戸惑ったように、遠慮がちに口を開く。
「あ、いえ……また捕まえればいいだけですから……」
しまった。頭を下げたことで、かえって萎縮させてしまったようだ。確かに、大人に頭を下げられたら高校生は困るだろう。
こう、そのつもりはないのにも関わらず相手に遠慮をさせてしまった時の罪悪感というのは、何度味わっても慣れない。
だがこのまま謝り続けても仕方がないので、話を先に進めることにした。
「捕まえる前に、まずは彼女の現状について考察しようと思う」
何があっても、現状確認を怠ってはいけない。彼を知り己を知れば百戦殆うからず、である。
「翔子君の話を聞く限り、彼女は何らかの外的要因によって強化されている可能性が高い。純粋なトランセンデンターでは無さそうだ」
翔子がここまで次元干渉や意図的な進化を上手く扱えるのは、長らくトランセンデンターをやってきたからだ。長いトランセンデンター経験で脳がトランセンデンターの身体に適応したから、パワーアップを促しかつそれに対応できる。
しかし新米トランセンデンターである八重子は、まだ脳の適応が終わっていない。
だから外的要因で強引にパワーアップを行い、かつそれに脳などが追い付いていないのだ。
これはとても危険な状態である。
「このまま無理なパワーアップを続けていると、精神か、肉体か、あるいは両方が崩壊する可能性がある」
エネルギー切れは翔子ですらしばらく倒れるほど負担のかかるものだ。八重子がこの先何度もエネルギー切れを起こすようであれば、彼女は耐えられないかもしれない。
「そ、それじゃあ……」
弥月の顔色が悪くなる。
「まあ、腐ってもトランセンデンターだから、そう簡単に死んだりはしないだろうが……」
爆破した施設から脱出したり、斬られた首を付け直したりと、トランセンデンターの生命力は尋常ではない。それもまた、意図的な進化の形なのだろう。
だから、生きる気力がある限り、なんとかして生存への道を探っていくと考えられる。
だが、それにも限界があった。斬首からの復帰が頭部の再発生でなかったことが、何よりの証左だ。
あるいは、エネルギー切れからの気絶という現象は、自身を限界から保護するための手段なのかもしれない。内燃機関の稼働と生命維持に必要なエネルギーを残して活動を停止することで、復帰を可能にする。……そう考えれば、急に意識を失うことにも合点が行く。
「ただ、放置しておくわけにも行かないな」
良くない状況であることに間違いはない。
あんな不安定な状態でトランセンデンターを運用している相手が、八重子の健康状態に気を遣うはずなどないだろう。
いずれは使い潰される。
では、どうすればいいか?
「一番手っ取り早そうなのは翔子君を囮にする方法だが……一回こちらで捕まえたから、今度は警戒してくる可能性が高い。そう簡単に誘いに乗ってはくれないだろう」
それに、どういった理屈かは不明だが、八重子は翔子が融装していなくともどこに居るかがわかるらしい。翔子を囮にして誘い出せるのなら、今この場に出現していてもおかしくなかった。
なら、どうするか。
これがわりとどうしようもない。
相手の拠点はわからないし、そう簡単には誘い出せない。
八重子の次元干渉をサーチして居場所を探るという手もあるが、相手が融装していないとわからない。八重子が翔子の居場所を特定できた理由は、不明だ。
政府の力を借りて敵勢力と思しき組織を片っ端からガサ入れする……という方法も、ないではない。だが、時間がかかりすぎた。
他には……やはり誘い出すしかないだろう。
簡単に現れないなら、挑発すればいい。
これみよがしに融装して八重子本人を挑発してもいいし、メディアを利用して敵勢力を煽るのもアリだ。
とにかくこちらから攻められない以上、おびき出すしかなかった。
※
とりあえず、八重子は奪還した。
現在、八重子は弥十郎からエネルギー――タンパク質を摂取している。どうやら、タンパク質をエネルギーに変換するように肉体が最適化されているらしい。
ここまでは順調だ。今回も、勝利したと言っていいだろう。
勝利の決め手は、物量だ。
このような物量作戦が展開できたのは、新しい薬のおかげである。
CODE-T2C――CODE-T2の派生品で、T2Mとは違って対象の思考を塗り潰す効果を持つ。塗り潰した後は単純な命令しかできないが、個別の洗脳装置がなくとも命令を聞くベクターズが量産できる。今回の作戦にはうってつけの品だった。
さて、これからどう動くか。
恐らく向こうは八重子を取り返そうと動くはずだ。だがこちらの情報はバレていないはずなので、攻めてくることはないだろう。
となれば、こちら――と言うよりも、八重子一人だが――をおびき出そうとするはずだ。
八重子を拘束し、挑発に乗らないようにするのは簡単だ。
だが、それは面白いだろうか?
むしろ、八重子には増悪にかられて暴走してもらったほうが面白いことになるのではないか?
頭の中で状況を整理し、どう動くべきかを思案する。
できれば、八重子と弥月のタイマンが見たい。そのためには、トランセンデンター一号ともう一体のヴィディスが邪魔だ。
アレをどう引き剥がすか。
ベクターズを投入しても、トランセンデンター一号は簡単に突破してしまう。
それに、八重子が狙うのはトランセンデンター一号だ。
この際、ヴィディスは無視しても構わない。トランセンデンター一号をどう動かすかで、この余興の成否が決まると言っていいだろう。
どうにかして、引き剥がしたい。
トランセンデンター一号を引き剥がすには、どうすればいいか。
八重子よりも優先順位の高いものを用意すれば、八重子については弥月に任されるだろう。
なら、八重子よりも優先順位の高いものとは一体何か?
それは――一般市民だろう。
ベクターズに一般市民を襲わせ、トランセンデンター一号とヴィディスをそちらに向かわせる。同時に八重子を送り込めば、弥月が八重子の相手をすることになるだろう。
次の問題は、弥月のヴィディス程度ではトランセンデンターに太刀打ち出来ないということだ。
まあ、これについては考えがある。
八重子が動けないうちに、下準備をしておこう。
※
八重子を誘き出す作戦を聞いた帰り道。
人通りの少ない道に差し掛かったところで、弥月は自分を引き止める声を聞いた。
「月極弥月君だね?」
知らない男の声だ。
知らない人に付いて行ってはいけない。弥月はそれを無視して、再び自転車のペダルに足をかける。
だが、次の言葉は無視できなかった。
「八重坂八重子……君の友人だったか」
「――!?」
彼は一体どこまで知っている?
最近の誘拐犯は、ターゲットの周辺事情を調べあげてから犯行に及ぶ――そんな話をされたことがある。男がこちらの込み入った事情とは一切関係ないただの変質者である可能性は、十二分にあった。
無視するか、話を聞くか。
今の弥月にはヴィディスがある。ただの変質者なら、赤子の手を捻るようにねじ伏せることができるだろう。一般人相手に使うのは憚られるが、場合が場合だ。
触らぬ神に祟りなし。だが、祈らなければ御利益はない。
弥月は自転車を停め、男に近づく。
「なんの用ですか?」
最大限の警戒をしつつ、訊ねた。
男は、何の導入も無しに語り始める。
「今の君では、八重子を抑えることはできない」
一体どこまで知っている。
「そんな君にも、彼女に対抗出来るだけの力を手に入れる方法がある。これだ」
男は小さな注射器の入った袋を取り出し、弥月の手に握らせた。
知らない人から怪しい物を受け取ってはいけない――そんなことを考える間もなく、男は去る。
取り残された弥月は、男の言葉の意味を考えていた。




