*37 顕現する悪意
トランセンデンターを気絶させるためには、どうすればいい?
翔子はこれまでの経験から、推測した。
翔子が気絶した経験といえば……謎の超音波だ。今は効かないが、当時は本当に苦しかった。
思えば、二回目から効かなくなったのはトランセンデンターの適応能力あってのことなのかもしれない。
あの超音波を再現することは難しいので、同系統の攻撃を考える。
頭が痛くなったのなら、それは恐らく脳へのダメージだ。脳へのダメージで、トランセンデンターは意識を失う。人間をベースにしているだけあってか、この辺りはあまり人間と変わらないのだろう。
なら、脳へダメージを与える方法も人間のものを参考にできるかもしれない。
脳へ刺激を与えて気絶させる技としてよく聞くのは、脳震盪だ。原理はよく知らないのだが、かなりの技能を要するらしい。付け焼き刃でどうにかなるようなものではないだろう。
だとして、残る手段は……これはもう、酸欠になってもらうしか無いだろう。
以前、響子が翔子の首が切れた時のことを考察していた。首が切れた時の記憶が翔子に無いのは、酸素を節約するための措置なのではないか、と。
つまり、酸素不足はトランセンデンターにとっても無視できない重大な問題だということだ。
問題は、トランセンデンターの酸素燃費は明らかに人間より優れている点である。
人間のように短時間首を絞めただけで意識を失う――ということはないだろう。それまでは抵抗されるだろうし、かなり厳しい条件だ。
だが、やるしかあるまい。
……思考終了。ここまでで二秒。
「弥月ちゃん、八重子ちゃんの首を絞めるよ」
「えっ」
言葉が足りなかったらしく、弥月は困惑した。よく考えれば当たり前のことである。なんの前置きもなくこんなことを言えば、それはただの殺害予告だ。
「気絶させるんでしょ!」
「え、あ、まあ」
まだ弥月は困惑していたが、じきにわかるだろう。翔子はキャサリンにアイコンタクトを送り、援護に回ってもらった。
この場合における援護とは、八重子の後ろに回って気を引いてもらうことだ。弥月の件で翔子以外の相手にも敏感になっている今の八重子になら、十分通じる。
「広がって!」
「は、はい!」
その間に、翔子と弥月は散開。三人で八重子を囲む形になる。これで準備は整った。
「キャサリン!」
「オーケイ!」
まさに阿吽の呼吸。キャサリンと翔子は、一直線に八重子に近づく。ほぼ同じタイミングで、その身体を押さえつけた。
三本の腕で、頭と両手を押さえる翔子。二本の腕で、両足を押さえるキャサリン。二人がかりで、ようやくトランセンデンターを押さえることができる。
「弥月ちゃん!」
「は、は、はいぃ!」
弥月も多少戸惑いながらも、定位置に移動した。八重子の首に腕を回し、背後から締め上げる。
「八重子、ごめん!」
ギチギチと音を立てながら、ヴィディスの腕が八重子の気管を圧迫した。
ヴィディスの人工筋肉は、バイナリードライブという方式が使われている。響子曰く、人間のように伸縮するタイプと曲がるタイプの二種類で構成されていて、それで素早さと力強さを両立している……らしい。
その上ヴィディスⅣには手ブレ補正用に関節のロック機能が備わっているので、首絞めには向いているのだ。
八重子の抵抗は翔子とキャサリンの手で無力化され、弥月を邪魔する者は居ない。
ヴィディスⅢ改の腕から、ギチギチと悲鳴が響く。翔子の後腕も、変な方向に曲がりつつあった。痛みを誤魔化しているが、これは折れている。あまり長引くようだと、押さえきれないかもしれない。
ヴィディスⅢ改の装甲の隙間から、ちぎれた人工筋肉が覗く。見たところ、一番酷いところで全体の五パーセント以下……まだ大丈夫だが、いつ悪化するかはわからない状態だ。それは恐らく、キャサリン自身も把握しているのだろう。力の加え方を試行錯誤しているようだ。
三分経ったが、動きが衰える様子はない。八重子は高周波ネイル (翔子が今考えた) を展開して振り回すも、それを見越した押さえ方をしている翔子に刃は届かなかった。
まだ、行ける。
五分が経過したところで、急に八重子が腕の動かし方を変えた。いきなり起きた変化に、翔子は対応できない。一瞬だが、腕を放してしまう。
――まずい。
迫る高周波ネイル。間一髪で避け、振り切った隙にまた押さえ込んだ。
危うく、切り裂かれるところだった。
増す緊張感の中、翔子は八重子を押さえ続ける。
右手の指が痛い。
感覚が麻痺している。痛む指がどの指か、どの関節かもわからない。
いつまでこんなことをしていればいいのか、全く予想がつかない。
やはり無茶だったか。
愚策だったか。
マラソンの時のような継続的な痛みと共に、後悔の念が湧き上がってくる。
後悔は精神を疲弊させ、更なる後悔を呼びこむ。
もう駄目かもしれない。何度もそう思った。
十分程でようやく抵抗が止み、鎧が消える。
途中、久雄が来るのではないかと少し心配になったが、その心配も杞憂に終わった。
途端、肩の力が抜ける。
すんなりと終わったが、神経はすり減った。もうこんな持久戦はしたくない。
八重子の身柄は、インセクサイドへと運ばれることとなった。翔子に対する憎悪が強いので、翔子はこのままトイレ掃除の続きだ。
……とは言うものの、この壊れた入り口はどうしたものか。
勧華製薬に賠償請求でもできればいいのだが。
※
八重子の意識が戻るまでに、丸一日かかった。
「ん……」
「八重子!」
泊まりこみで――両親には、八重子の家に泊まると言った――彼女の要素を見ていた弥月は、それを見て安堵する。嬉しさや興奮と共に、大きな疲れが湧いてきた。
「ここ、は……」
「インセクサイドの施設だ」
八重子が上半身を起こしてあたりを見回していると、響子が部屋にやってきた。
「君の話を聞こう」
「私の、話……」
八重子は意識が朦朧としているようで、言葉もたどたどしかった。混乱もしているようだ。
「まあ、時間が必要ならそれでも構わないが……」
一応響子は待ってくれるようだった。
「ああ、でも、私は忙しいから、時間がかかるなら弥月君に話しておいてくれ。それじゃあ」
待ってくれなかった。
響子が出て行ったので、医務室のような部屋に、二人取り残される。
「うーん……」
八重子は頭を押さえて、何やら考えているようだ。それが終わるまで、弥月は待つことにした。
「私……お父さんと……お父さん……抱かれて……」
こんなの日本語じゃない。
その後も、八重子はしばらくブツブツと呟いていた。
まだ意識が安定していないのだろうか。八重子はところどころで、ぼんやりと虚空を眺める。
「それで……」
そこまで言ったところで、彼女に変化が訪れる。
「……!? 私……泣いて……」
八重子の頬を伝う涙。驚いた顔の八重子は、その瞳から涙を流していた。
「……そうだ、仇……討たなきゃ……トランセンデンター……」
急に立ち上がる八重子。何事かと、弥月は引き止める。
「え、ちょっと、どうしたの!?」
「お父さんの仇……トランセンデンター……」
トランセンデンター――確か、翔子や八重子が変身するあの鎧の事だったか。それが、どうしたのだろうか。
「トランセンデンターが、どうしたの……?」
訊ねると、八重子は憎しみを露わに答える。
「トランセンデンターは……お父さんの仇……私が、殺さないと……」
トランセンデンターが、お父さんの仇。
つまり、翔子のことだろう。
翔子が、八重子の父を、殺した……?
弥月の知る翔子は、そのようなことをする人間ではない。
……いや、違うかもしれない。翔子は、八重子を見捨てるよう弥月に言った。
もし似たような状況になった時、八重子の父が翔子の前に立ちはだかった時、翔子が取る行動は……?
それはもう、明らかだった。
「翔子さんが……八重子のお父さんを……」
弥月は、八重子の父をよく知らない。だが、八重子がお父さんっ子であったことは知っている。
どういった経緯で翔子の情報が流れてきたのかは不明だが、もし、最愛の父を誰かに殺されたとして、八重子は……。
八重子は弥月を振り切り、立ち上がる。
「トランセンデンター……殺さないと……あっあがうっ――っ」
と、不意に苦しみだした。
「八重子!? どうしたの!?」
「殺す……トランセンデンター……殺す……」
頭を抱えながら、立ち上がる。すると、彼女の身体が変化を始めた。
その姿は、まさに、昨日戦った鎧。融装した、八重子の姿。
「だ、駄目!」
八重子にしがみついて止めようとするも、振り払われてしまう。
弥月の目の前で、八重子は次元を裂き、謎の空間を――開けなかった。
次元を裂いた瞬間、八重子はふらつく。鎧は消え、そのまま倒れこんだ。
一体何が起きたのだろうか?
もしかすると、八重子の身に危険が迫っているのだろうか?
あるいは、自分が首を絞めたせいで――。
弥月焦っていると、また響子が部屋にやってくる。
「センサー仕掛けといてよかったよ。まあ、事件にはなっていないようだが」
八重子の融装をセンサーが感知し、響子に伝えたらしい。響子は、八重子に近づいて様子を見る。
しばし観察してから、腕を組んで私見を述べた。
「エネルギー切れかなあ」
「エネルギー切れ?」
「ああ、そうだ。翔子君も一度起こしたんだが……まあ、休んでれば治る」
「そうですか……」
それを聞いて、少しだけ安心した。もしも八重子の身に何かあったらと考えると、気が気でならない。
弥月が落ち着いたのを見て取ったのか、響子はこちらに問いを向けてくる。
「それにしても、どうしてエネルギーが切れたのか……。見ていたのだろう? 教えてくれ」
「それはですね……」
「次元の裂け目……昨日翔子君から聞いた話もあるし、彼女が何らかのドーピングを行っている可能性は高いなあ」
突然、不穏な単語が飛び出してきた。
「ド、ドーピングですか!?」
響子は涼しい顔で言う。
「ああ、ドーピングだ。トランセンデンター自体薬物投与の結果らしいし、パワーアップ用の薬ぐらい作られててもおかしくない」
「薬一本で、そんなに強くなるんですか?」
にわかには信じがたい話だった。薬物に詳しいわけではないが、トランセンデンターのような頭のおかしい力が急に手に入るのは想像しにくい。
「翔子君が実際そうだから……そうとしか言えないなあ……」
少し困ったような顔で、響子は続ける。
「私も、次元干渉技術に手を出してから、これまでの常識では考えられないような現象を何度も目の当たりにしている。これは、そういうものなのだろう」
響子は、凄腕の技術者らしい。そんな響子でも把握できていないのだから、きっと弥月に理解できる世界ではないのだろう。
「……わかりました」
深いことは、訊かないでおこう。それに、きっと説明されても理解できない。
それでこの話は終わったのか、響子は新たな話題を繰り出す。
「どうする? 気がついたら連絡するから、帰っても構わないぞ」
特に予定はないのでこのままずっとつきっきりでも構わないのだが、あまり長居していると両親に心配されてしまう。今日は一旦帰ったほうがいいだろう。
「じゃあ、帰ります」
「そうか。気をつけて帰れよ」
その言葉に、 『この人はこんな普通の気遣いもできるのか』 ……と、失礼な感想を抱いた。
※
弥月の言葉もロクに聞かず、融装した。
それを聞いて、響子はある疑惑を抱いた。
――八重子の意識は、理性以外のものに支配されているのではないか? と。
翔子の話でも、とにかく、八重子は憎悪に突き動かされていたという。
父の仇という話の真偽は不明だが、彼女がその件で翔子を恨んでいることは明確だ。
その憎悪を、何者かの手によって増幅されている可能性も、あるのではないか……?
翔子のことを邪魔だと思っている人間は、居るだろう。
そんな人間にとって、翔子に恨みを向ける八重子の存在は、とても使い勝手のいいものなのではないか。
八重子がトランセンデンターになった事を考えても、裏に久雄かそれに近しい人間が居ることは間違いない。
彼らは人格が破綻している。そんな人間に利用された八重子は、果たして、助かるのだろうか。
※
八重子が捕獲された。
これでは、享楽に利用できない。なんとかして、彼女を取り戻す必要がある。
だが、収穫もある。
面白いことがわかったのだ。
弥月と呼ばれる少女。彼女は、恐らく八重子と親しいのだろう。それも、かなり。八重子のスマートフォンにも "月極 弥月" という名前があったので、間違いない。
そして弥月は、八重子と戦う力を持っている。
この二つが意味することは、何か?
それは明白だ。
二人が殺し合えば、最高のショーになる。
……問題があるとすれば、弥月の持つ力――ニュースではヴィディスと報じられていたか――では、トランセンデンターと戦うには力不足だということだ。
簡単に決着がついてしまったのでは、つまらないだろう。
なら、冴月はどうするべきか?
これまた、答えは明白だ。
弥月に、テコ入れしてやればいいのだ。
爽香が居るので、薬はいくらでも手に入る。
今の久雄なら、大した障害にはならないだろう。トランセンデンター一号を利用して、始末されるよう仕向けてやってもいい。
全てが思い通りに動きそうだ。
本当に愉快だ。気分がいいので、爽香に土産を買ってやってもいいかもしれない。




