*35 狂気の足音
「待て、出るのはまだ早い」
地下の研究室から出るなり 「仇を討ちに行く」 などと言い出した八重子を、冴月は引き止めた。
一度冴月が止めてからの数日間、八重子は行方不明だった。単独でトランセンデンター一号と戦いに行った可能性も疑ったがそのような報告はなく、聞きこみ調査をしたところ地下の研究室に入ったきり出てこないらしい。何をしているのか責任者の爽香に訊ねても、彼女はヘラヘラ笑うだけなので、殴ろうかとも思ったが、まだその時ではない。八重子が自分から出てくるまで、待つことにした。
研究室で一体何をしていたのかは知らないが、出てきた八重子は雰囲気が違っていた。
シャワーを浴びたらしく体が火照っている……のはともかくとして、一皮ニ皮向けたようにみえる。まるでコウノトリやキャベツ畑を信じていた少女が経産婦になったような、強引に理想と現実の折り合いをつけたような顔つき。
子供から大人に成長する過程をスキップして、結果だけを手に入れたような、そんな雰囲気。
まあ、そんなことはどうでもいい。
彼女がどんな思いだろうと、まだ動かすわけにはいかなかった。
「君は一度、トランセンデンター一号に負けているだろう。何も対策せずにまた戦っても、同じ結果になるのは見えている」
内心は隠して悟らせないよう、冴月は慎重に語る。
「いい方法がある。だから、まだ待つんだ」
※
見たこともない形のハンドガンらしき銃を両手に構え、弥月は的を狙った。
弓道で使われるような、丸い的。狙うは、中央。
二丁拳銃は一発の命中率を犠牲に全弾の命中率を上げるための構えであり、精密射撃とは最も相性の悪い構えである。だが、弥月にはそれができた。
左手を前に突き出し、右手を顔の横に構える。利き手である右手は、見なくても中央を狙えた。目と左手と的の間に直線を引き、弾の落下や風の影響などを加味して修正。――完了。
左右の人差し指は、寸分違わぬタイミングで引き金を引く。
ハンマーが弾丸の尻を叩く。
銃口から弾丸が射出される反動が、腕全体を通して身体に伝わる。
(ああ、これが本物の感触か――)
これまでエアガンぐらいしかまともに触ったことがなかった弥月にとって、この感触は新鮮だった。その一瞬だけは、八重子のことも全て忘れてしまうほどに。
だが、喜びだけではない。
「あっ」
反動でわかった。火薬の量が思ったよりも多い。
そのせいで、弾丸は的の中心から少し逸れてしまった。試し撃ちもせずにいきなり精密射撃をするというのは、流石に無茶だったかもしれない。
次の的目掛けて、もう一度。
火薬の増量分を勘案。弾丸の総運動エネルギーの変化に伴い、初速が増す。風の影響を受けにくくなり、落下も減る。その他、諸々。
修正完了。
引き金を引くとともに、同時に放たれる二つの弾丸。お互いの距離は時間差となり、同じ場所を狙った二つの弾丸が衝突するのを避けている。
先行する弾丸――左の銃から撃たれたもの――が予想通りの軌跡で、的を射抜く。間髪入れず、次の瞬間には、遅れた弾丸――右の銃から撃たれたもの――が違う軌跡を描いてその穴を通り抜ける。
計算し尽くされた、必然の弾道。それは、我ながら芸術的だった。
「ふぅー」
集中を切り、弥月は大きく深呼吸する。大変な集中力を要するこの精密射撃は、完全に自分一人の世界に浸る必要があった。
だから、外の会話もシャットアウトしていた。
『えっ!? なにあれ!?』
『なんだ、何が起こっている!?』
『ガンマーン、ハヤウーチ』
初めて気づいた、外野の喧騒。どうやら弥月の目覚ましいスコアに、ギャラリーは困惑しているらしい。
確かに、自分でも上手く行ったほうだと思う。ヴィディスの手ブレ補正は、思ったよりも優秀だ。生身であれだけの火薬が詰まった銃を撃てば、反動であらぬ方向に飛ばしていただろう。
風速や気温湿度などを表示してくれるのもありがたい。見たところ適当な公式に数字を入れただけの、いかにも素人が作ったような弾道予測――アレは邪魔なので切っている。だが、データの表示は非常に参考になるのでもっと増えてもいいぐらいだ。
狙撃の場合、コリオリ力 (詳しいことは知らない) なんかも結構影響するらしいので、とりえあえず表示してくれると助かる。詳細は後で勉強する。他にも、弥月は案外多くの要素を勘で処理しているところがあるので、データを出してくれると射撃精度はもっと向上すると思われる。
精密射撃は自慢できるが、狙撃については自信がない。
そもそも、弥月は本格的な狙撃をしたことがなかった。狙撃銃タイプのエアガンでは、大して飛ばないのだ。
いつもより距離をとってアルミ缶を狙う "狙撃ごっこ" ならやったこともあるが、エアガンの弾は軽いため風のある屋外ではまず当たらない。室内だと距離がとれないので、結局狙撃どころではなかった。
『つ、次は、速射のテストだ』
響子が、震える声で告げる。スピーカーの向こうでは、腰を抜かしているかもしれない。
ヴィディスⅣのオペレータ候補となった弥月は、能力が足りているかのテストを行うことになった。主に射撃方面のテストで、身体能力はあまり重視されていない。
このテストに合格して初めて、弥月はヴィディスⅣの正規オペレータとなるのだ。
失敗は許されない。どんな手を使ってでもオペレータの座を手に入れ、八重子を止めなければ。
「速射は――」
先程の精密射撃は特に得意なので、二丁拳銃という不向きなスタイルで行い、実力をアピールした。
速射は……特に魅せ技が思いつかない。ここはオーソドックスに二丁拳銃で行こう。
『準備はいいか? 狙う的は、アレだ』
響子が言うと、新たな的が現れる。それは刑事ドラマでよく見るような、人の上半身を簡略化したものだった。
『弾倉が空になるまで撃ち尽くせ』
言われなくてもそうするつもりだ。
弥月は拳銃の弾倉を取り替える。片側七発、合計十四発の弾の重みを確かめ、銃を下ろす。準備はできた。始めよう。
「――行きます」
深呼吸してから、銃を構える。
狙うは二つある円の中心。人で言う胸の辺り――それと、頭の中心だ。心臓とヘッドショット。どちらも急所と言える。
右手で頭、左手で体……いや、これでは芸がない。
そうだ、ならば――。
弥月は連続で引き金を引いた。数多の弾丸が、狙い澄まして的を射抜く。
右、頭。左、胸。ターン。右、胸。左、胸。右、頭。ステップ。同時にヘッドショット……。
指定されたのは、速射だけ。だが弥月は、まるで弾丸の雨をすり抜けるように動き回りながら撃ち続ける。
放たれた弾丸は、当然のように命中。
小さな円の中に、無数の弾痕が穿たれる。
最後に拳銃を投擲。ヴィディスの筋力で強引に投げ飛ばされた鉄の塊は放物線を描き、的の頚椎を破壊した。
「……いよっし」
思ったよりも上手く行ったので、弥月は思わずガッツポーズをした。今日の自分は、冴えている。
投げていない方の拳銃を指でクルクル回しながら、反応を待つ。
……が、しばらく待っても反応がない。
「あのー、響子さんー?」
声をかけると、スピーカーの向こうで彼女はようやく我に返ったとばかりに声を荒らげた。
『あ、ああ!? ああ、うん。次は――』
その後も、動く的や、突然現れる的、モグラ叩きや極小の的など、いくつかのテストを行った。
結果は、合格。
楽勝だった。
※
そこそこいいものができた。
元気よく回し車を回すハムスターを見て、爽香は満足気に笑む。
八重子にデータ取りを丸投げしたおかげで、まとまった時間ができた。その時間を使って、前から考えてはいたことを実行に移したのだ。
これはまだ、誰にも言っていない。一般的には、禁忌だとか、神の領域だとか、そういった類の、下手に話すと止められてしまうような実験だからだ。
だが。爽香は気にしない。
久雄が、どんなにトランセンデンターの形が人を離れようとそれが人間だと言いはるように。爽香にも、譲れないものがある。
禁忌。タブー。そんなものは、人の叡智の前には存在しない。実現できたのなら、それは人間の手の届く範囲なのだ。
神だかなんだか知らないが、人間の技術発展の足枷になるぐらいなら、居ない方がマシである。そういった邪魔を、爽香は何度も受けてきた。
ある時はバカバカしいと言われ、ある時は責められる。それは禁忌だ。触れてはいけない領域だと、何度も何度も言われてきた。
だから、爽香は学習した。そんな奴は相手にしない。手の内を明かさない、と。
だが、ここまで来て人手が必要になってしまった。大きな実験を行うとなると、一人だけではままならないことが多い。
人間のコントロールの時は都合よく八重子を懐柔することができたが、今回はそうも行かないだろう。ことの重大さは、これまでとは比べ物にならない。
……だが、一人だけ心当たりがあった。
それは爽香にとって、とても近しい人物。
爽香がどんなことを語っても、彼は否定しなかったし、邪魔もしてこなかった。
それに、彼の目的達成能力は凄まじい。必ずや、必要な物を手に入れてくれるだろう。
※
久雄の記憶から、トランセンデンター一号の新たな姿が映像化された。
その際使った記憶映像化装置……これは、爽香の持っていた脳波に関する技術を久雄が応用して作ったものだ。資料映像の作成が、格段に楽になる。
早速、このトランセンデンター一号の新たな姿――人類の新たなる可能性を、同志に見せることにした。
施設の一角、講義堂。そこに、勧華製薬から連れてきた久雄の同志を集合させる。
「これから見せるのは、人類の新たなる可能性だ。トランセンデンター一号の誕生は完全な事故だったが、彼女は我々に人類のまた違った側面を見せてくれることになった」
背後の大型スクリーンに、プロジェクターで映像を映す。
背中に翼と腕を生やし、刺々しい鎧で身を包んだ、トランセンデンター一号。その姿が、大画面にでかでかと映される。
「これが、これこそが、我々が予想だにしなかった人類の新たなる進化。人の形を乗り越え、人類はどこまでも進んでいける!」
大仰に手を振り上げ、久雄は高らかに宣言する。
いつもなら、ここで大きな賛同と共に決意を新たにするところだ。
だが。
「…………」
集まった同志たちは、皆青ざめていた。
「……どうした」
しんと静まり返る中、久雄は戸惑う。
ふと、どこかの誰かが、ぽつりと呟いた。
「あ、あんなの、人間じゃない……」
それは水面に落ちた雫のように、周囲に伝播していく。
「化け物だ……」
「嘘だ、あんなの……」
「俺達は化け物を作っていたのか……!?」
その反応は、久雄が最も嫌っている――いや、恐れていたものだった。
「何を言っている……? アレは、人間の新しい可能性で――」
「ち、違う! あんなの人間じゃない!」
「私は手が増えた辺りで既に――」
「トランセンデンター自体が、かなり怪しいような……」
口々に発せられる、非難の声。
我慢の限界だった。
「……今更何を言っているんだ!!」
思い切り長机を叩くと、鈍い音とともに木製の机が割れた。ノートパソコンが落下し、プロジェクターへの信号が途切れる。映像の停止と共に、場に沈黙が走った。
本当に、人間ではないと思っているのだろうか。
だとしたら。
そんな意見を認めるわけには、いかなかった。
「トランセンデント……」
口の中で呟き、漆黒の鎧を纏う。
最低限に留められた照明の中で、その姿に気付いた者は一体何人居たのだろうか。
それを知る術は、もう残されていなかった。
むせ返るような血の臭い。
積み重なった人間の山を見て、久雄は考える。
トランセンデンターは人間だが、 "こうなった" 相手も人間として扱うべきなのだろうか。
まあ、元が人間なのだから、これも人間として扱うべきだろう。
人間なら、自分で片付くはずだ。
鎧を解いた久雄は、講義堂を去った。
※
凄いものを見てしまった。
流石の冴月も、これには驚く。
爽香の頼み事を請け負ったついでに近く講義堂の様子を見に行った冴月は、そこで見てしまった。築かれる死体の山と、それを築く漆黒の鎧を。
あの姿は、トランセンデンター久雄。死体の山は、ここの要職に就いている人間だ。
一体、何が起きた? 反乱か? それとも久雄の乱心か?
なんにせよ、乱れていることは確実だ。
悟られないように入り口の影に隠れ、改めて中の様子を窺う。
見たところ、久雄は妙に冷静だった。激情に身を任せて行動した後、急に冷静になる時に似ている。だが、これだけではまだ状況は分からない。
と、久雄が鎧を消してこちらに向かってきた。慌てて隠れようかとも思ったが、トランセンデンターなら既に気づいている可能性が高い。取り乱すのは逆効果だろう。
なるたけ平静を装い、講義堂から遠ざかるように歩く。
「……会津」
背後から久雄に声をかけられた。立ち止まり、振り返る。ノートパソコンを小脇に抱えた久雄の表情から読み取れるものは、ない。
内心ではかなり焦っていたが、冴月は努めて平坦な声で応じる。
「なんでしょう」
予想される台詞は、 『見ていたのか?』 などといったもの。
だが、次の久雄の言葉は全くもって予想外だった。
「勢い余って長机を折ってしまったから、取り替えておいてくれ」
拍子抜けだった。
「わかりました」
何かの罠かとも思ったが、そんな様子は微塵も感じられない。電池が切れたから取り替えておいてくれ、ぐらいの調子だ。
そのまま立ち去る久雄の背中を追っていたが、結局何もなかった。
他に急用があるわけでもないので、とりあえず久雄の言うとおりに机を取り替えることにした。近くの備品室から長机を台車に載せて運ぶ。
確かに、長机は折れていた。だが、そんなことは些細な問題にすぎない。本題は、この死体の山だ。
長机を取り替えにこの部屋を訪れれば誰だって分かる位置に、それはある。隠されているわけでも偽装されているわけでもない。長机を取り替えろと言った時点で、久雄がこれを隠す意思を――少なくとも冴月に対しては――持っていないということになる。
どう解釈すればいいのか、よくわからない。
死体の山を確認する。
死因は人によってまちまちだ。腹部を貫かれていたり、首を絞められていたり、頭が無かったり。
だからその中には、 "綺麗な死体" がいくつかあった。
これは、好都合だ。
久雄がこれについて何も言及していないのは、要するにこの死体の山に対する関心が薄いということだ。なら、恐らく片付けておいても何も言われないだろう。
その片付け方に関しても、特に問われないはずだ。
爽香に頼まれたことが、簡単に終わりそうだった。




