*29 黒鉄の女子高生-上
「じゃあね、八重子」
「うん、またね」
カラオケの帰り。弥月と別れた八重子は、無心で自転車をこぐ。
今日は、開店時間の十時から十七時まで、フリータイムで歌いまくった。どれぐらい歌ったかというと、あまりにも張り切りすぎてしまったため、帰るときには二人共喉が痛くなってしまったぐらいだ。
ベクターズと呼ばれる怪物がニュースで報じられてから間もないが、世間はともかく、学生個人の行動がそこまで阻害されることはなかった。特に八重子の家庭は放任主義なので、外出を咎める存在は居ない。しかし弥月の両親は心配していたので、普通は十六時まで歌えるところが、十七時になってしまった。まあ、仕方ないだろう。
しばらくこいで、家に到着。父と二人で暮らす家は、決して広いとはいえないが、二人だけで暮らすには十分すぎる大きさだ。
この時間帯、父はまだ仕事をしている。父は八重子が起きるよりも早く出勤し、帰ってくるのは夜中。昨日は仕事の都合で帰ってくることができなかったので、丸二日近く顔を合わせていないことになる。
仕事で疲れているであろう父のために、今日の夕食は父の好きなグラタンにしよう――そんなことを考えていると、ふと違和感を覚えた。
庭に車が停められているのだ。それも客人ではなく、父の車。
スマートフォンを確認するが、父から連絡は着ていない。早帰りの時は、いつも連絡が入るのだが。
家を出る時は間違いなくかけていたはずの鍵も開いていた。
父の車があるので、泥棒……というのは考えられない。多分、父が連絡を忘れただけだろう。
そう思い、玄関で靴を脱ごうとすると、父の靴の他にもう一足別の靴があった。この靴は、前にどこかで見たことがある。
「ただいま……」
わずかにかすれる声でそう言うが、返事はなかった。小さな声だったので、聞こえなかったのだろうか。
まあいい。
そんなに長くない廊下を抜け、ダイニングのドアを開く。
目に入ったのは、ダイニングテーブルの、いつも父が座っている椅子に腰掛ける、一人の男。
そこに居たのは――父ではなかった。
「……八重子ちゃん。久し振りだね」
彼は、父の務める企業の社長――勧華久雄だ。
なぜ、彼がここに?
久雄と父――弥十郎は、長い付き合いがあるらしい。だが、お互いの家に訪れるような間柄ではなかった。
八重子が久雄のことを知っていたのは、会社――勧華製薬のイベントで、父の手伝いをしていた時に会ったことがあるからだ。
そんな久雄がこの家に訪れる理由に、心当たりはない。
八重子の困惑を察したのか、訊ねるまでもなく、久雄は語りだす。
「君のお父さんが、不幸な事故に遭ってしまってね……今日は、それを君に伝えに来たんだ」
「……不幸な、事故?」
その不穏な単語を、八重子は思わず復唱した。
"事故" 、というだけでも十分不穏だというのに、そこに "不幸な" までついている。一体、父の身に何が起こったのだろうか。
「お父さんが、どうなったんですか!?」
半ば詰め寄るように、八重子は訊いた。久雄は焦ること無く、ゆっくりと、床を指さす。
床には、寝袋のようなものが転がっていた。
「君のお父さんは……危険な仕事をしている途中、事故に巻き込まれて……命を落としてしまったんだ」
それは、最悪の答えだった。
「お父さんが……死んだ?」
いきなりそんなことを言われても、受け入れられるわけがない。
これまで男手一つで自分を育ててくれた父が。
一昨日の夜、八重子の作ったカレーライスを食べて 「美味しい」 と言った父が。
唯一の肉親であり、初恋の相手でもある父が。
死ぬわけがない。
「お父さん!?」
寝袋を開けると、その中にはやはり弥十郎の姿があった。
「お父さん!? お父さん!?」
しかしいくら叫んでも、いくら揺すっても、弥十郎は目を覚まさない。見たところ、呼吸もしていないようだった。首に手を当てても、脈が感じられない。
八重子の医療知識では死亡確認などできないが、それでも、弥十郎が無事ではないことはわかった。
八重子が死体に触れたのを見て、久雄は立ち上がる。少しだけ焦りの色が見えたのは、気のせいだろうか。
「諸々については現在調整中だ。決まり次第話そう。突然の出来事で辛いだろうが、受け入れるしか無い」
そう言って、久雄は寝袋を軽々と持ち上げる。弥十郎は、決して軽くはないのだが。
「俺はもう帰る。今日は、早く寝るといい。一応、車は置いていくよ」
そのまま、久雄は帰ってしまった。
再び叫んだことで悪化した喉の痛みを、しかし八重子は忘れてしまう。
一連の流れに、違和感を覚えた。
八重子は、別に医療知識に長けているわけではない。この違和感は、一般的な知識からくるものだ。
弥十郎が無事ではないのは、確かなのだろう。
だが、しかし。
死体は、あんなにも温かいものなのだろうか?
※
実のところ、弥十郎は死んでいない。厳密に言うならば、弥十郎の "肉体は" 死んでいない。彼の記憶、人格――その他彼を構成する要素が、爽香の脳波によって壊されてしまったのだ。
今の弥十郎は、抜け殻と表現するのが適切だろう。
それでも、彼の人格をバックアップから復元すれば、元の弥十郎に戻ったはずだ。
しかしそれも、トランセンデンター一号――ショーコの手によって、破壊されてしまった。
※
昨夜、弥十郎と爽香の状況を確認した久雄は、仰天した。
トランセンデンター一号との戦闘から劇的に知能が進化した久雄だが、流石にこの状況は理解できない。
一体、どのような過程からこのような結果が導き出されるというのだろうか?
まあいい。ここまであからさまなら、罠を張ってある可能性も無いだろう。
弥十郎と爽香を回収。彼らにはまだやってもらわねばならないことがある。
それと、爽香の私物らしきノートパソコンやハードディスクなども回収することにした。次元干渉があったので、トランセンデンター一号もここに来る可能性があるからだ。
もうすぐ勧華製薬は潮時だろう。社長である久雄が行方不明で、かつこれまでの行動が明るみに出るとなれば、もう存続の道は断たれたと言ってもいい。
人類の進化のためとはいえ、隠れてこのような技術を研究していたとなれば、問題になるのは必至だ。
幸いにもCODE-T3の技術は久雄が専有しており、外部に漏れることはない。あるとすれば、ニュースに出ていたあの企業――インセクサイドが、引き入れたトランセンデンターを研究するぐらいだ。
インセクサイドは今後マークしておく必要があるだろう。どんな手段を使ったのかは不明だが、トランセンデンター一号がCODE-T3-Aを打ち破ったという可能性も浮上している。
と、何かの生体組織らしきものが、床に落ちていた。
拾い上げて観察してみると、何やら脳組織のように見える。少し無理をしてその中身を解析してみると――弥十郎の人格や記憶を確認することができた。
恐らくこれは、弥十郎の体の一部。トランセンデンターが体の一部を切り離したということは、そうしなければならない事情があると考えるのが自然だ。
ならばこれは、重要な品として保存しなければならない。
他に何か無いかともう一度辺りを見回してみたが、特に気になるものはなかった。長居は危険なので、速やかに撤退しよう。
小屋に火を放ってから、確保した二人と、記憶媒体、そして弥十郎の脳組織を車に入れようとした。――その時だった。
先程から遠くで聞こえていたバイクの音――気にも留めていなかった――が、明らかにこちらに近づいてきている。
もう、視界に入った。大きな真紅のバイク。それに跨るのは、赤いライダースーツを身に纏った――トランセンデンター一号だ。
「融装!」
トランセンデンターは、バイクに跨ったまま真紅の鎧に身を包む。
撤退が間に合わなかった。
今から逃げれば、追跡されて研究施設が特定される恐れがある。
無力化するなり何なりして、とにかく足を止めなければならない。
因みに、バイクを破壊するのはあまり意味が無かった。久雄が今回乗ってきた車は加速が悪いので、よじ登ってしがみつかれる可能性があるからだ。それを防ぐためには、トランセンデンター自体の足を止めるしか無い。
さて、どうするか。
トランセンデンターに同じ攻撃が二度通じることはない。
もうCODE-T3-Aは通用しないだろう。
綺麗なテールスライドで、久雄の目の前までバイクが迫った。
素早く降りたトランセンデンターは、有無を言わさずこちらに向かってくる。久雄は、咄嗟に爽香を前に出した。
「……なんのつもり?」
立ち止まったトランセンデンターは、苛立ちを抑えたような声で言う。久雄の狙いを、一応把握しているのだろう。
「それ以上動けばどうなるか、わかるな?」
これではまんま悪の組織なのだが、今はなりふり構っている余裕など無い。
実は、爽香が死んで実際に困るのは久雄なのだが、相手はそれを知らないので別に問題はなかった。
じわじわと後退し、距離をとる。こちらには弥十郎や爽香などのハンデがあるので、それを車に移すまでは安心できない。
全神経をトランセンデンターに向け、一歩、また一歩と後退する。トランセンデンターは、一歩を踏みだそうとして、踏み出せないでいた。そうだ、それでいい。
車までは、後五メートル。もう少しだ。四メートル、三メートル――。
不意に、背中に円筒形の何かが押し当てられた。
「ザーンネン」
久雄が振り返るのと同時に、円筒形の物体が火を噴く。至近距離で放たれたマグナム弾は、しかしトランセンデンターの頑強な装甲に阻まれる。
だが、致命的な隙が生まれてしまった。
一瞬で至近距離まで迫ったトランセンデンター一号。その突進を食らい、集めたものを落としてしまった。まずい。
「ショーコ! パソコン拾って!」
背後から迫っていた、トランセンデンターとはまた違う装甲――その正体はニュースで発表された、ヴィディスという対ベクターズ用強化外骨格だった。ショーコとは、トランセンデンター一号のことだろう。
「ぐっ、貴様ら!」
HDDやノートパソコンが盗られるのは、なんとしてでも避けなければならない。急いで拾い集める中で、奪われたノートパソコンを、やむを得ず破壊した。
HDDを抱え、強引に車まで走る。窓を割って、社内へと乱暴に放り込んだ。
次のHDDは……駄目そうだった。トランセンデンター一号――ショーコが、背中の腕でしっかりと握りしめている。久雄は相手の懐に潜り込んでから、アッパーの動作で破壊した。
地面に転がった最後のHDDは、素早く拾って車に投げ入れた。
そうこうしている間に、ヴィディスが爽香を抱えて離脱しようとしている。これもまずい。背後から乱暴に足払いを食らわせ、バランスを崩させたところで爽香を奪い取る。弥十郎を抱え上げようとするショーコを蹴って妨害しつつ、車内に爽香を放り込んだ。
反対側のドアを開こうとするヴィディスを、右ストレートで吹き飛ばす。久雄の一撃は、咄嗟に防ごうと胸の前で組まれた腕の装甲を、いともたやすく破壊した。
その間に、ショーコは弥十郎をしっかりと抱えていた。だが、吹き飛ばされたヴィディスを気にして動きが鈍っている。これはチャンスだ。その隙に急いでその背中の腕を掴み、強引に引き止める。そのまま引き倒し、無理矢理奪い取った。走って、車内へ。
――いや、まだだ。まだ、弥十郎の脳組織を確保していない。
だが、気づいた時には既に手遅れだった。
辺りに飛び散る肉片。
それは乱戦によって飛び散った、弥十郎の脳組織。もう復元不可能なレベルにまで成り果てている。
アレは、壊れた時点でアウトだ。
「クソッ!」
悪態を吐いた久雄は、やむを得ず車に乗り込む。
足止めはできている。
ショーコは走りだす久雄の車とヴィディスを交互に見て、結局ヴィディスの方へと向かった。彼女が甘い相手で助かった。
※
その後、爽香から、弥十郎に強い脳波を浴びせたことを聞き出した。
あの時失われた脳組織は、恐らくかき消された記憶や人格のバックアップだったのだろう。トランセンデンターである弥十郎が、生き残るために遺したもの。
それが失われた以上、もう弥十郎が元に戻ることはない。
肉体の状態も、今は不安定だ。呼吸や脈拍は無いが、体温低下は起きていなかった。体内のエネルギーを使い果たそうとしているのかもしれない。灯油の残りを使い切るためにストーブを炊き続けるのと同じ理由だ。予想では、いつかエネルギーを使い果たし、体温も低下する。
肉体が生きているなら、弥十郎は生きていると言えるだろうか?
答えは、ノーだ。
個人を形成するのは、目に見える肉体だけではない。記憶や、人格など、個人が所有する全てが、個人を形成している。
つまり今の弥十郎は、弥十郎であって弥十郎でない。永遠に蘇らない、ただの抜け殻だ。
しかるべき電気信号を与えれば、きっと肉体はその活動を再開するだろう。今からそれをやるつもりだ。だがそれはただの肉体であり、弥十郎ではない。
弥十郎は、この世から居なくなってしまったのだ。
それは、死んだと言っても遜色が無いだろう。
脳死――とはまた違うのだが、似たようなものである。脳死が人の死であるかどうかは、あえて持論を言わないでおく。
問題は、この抜け殻をどうするかだ。
久雄は弥十郎の身体を、トランセンデンターの生態を知るための実験に使おうと考えている。
彼は、久雄の考えに心から同意してくれていた。死後もその身体を人類の進化のために使われるのなら、本望だろう。
彼の娘である八重子のことを考えると……火葬して、墓を建て弔ってやるのが一番なのだろうが。
一応、墓は建てるし葬式も行う。だが、燃やすのは棺桶だけだ。
貴重なサンプルを、無駄にするわけにはいかない。
※
翌日、父が勤めていた勧華製薬が、スキャンダルの嵐に飲まれた。
先日発表されたベクターズについて、深く関わっていたらしい。その上、久雄が失踪した。
いろいろとすっぱ抜かれているらしいので、恐らく黒だろう。
弥十郎の死と、スキャンダル。しかも久雄は失踪。
これは絶対に裏がある。
八重子の疑念が、確信に変わった瞬間であった。
一介の少女に、何ができるのか。
危険ではないのか。
そんなことは全く考えず、無謀にも八重子は動き出す。
弥十郎のノートパソコン。彼はこれを仕事にも使っていたので、何かしらの情報は入っているはずだ。
早速パソコンを立ち上げる。パスワードは、彼の誕生日。八重子は天才ハッカーなどではないただの女子高生だが、これぐらいはわかった。なぜなら、ペアレンタルコントロールのパスワードと同じだったからだ。
八重子は立ち上げたパソコンのデスクトップを確認する。よくわからないので手当たり次第に開いた結果、特にめぼしい情報は見つからなかった。
恐らく、探し方が悪いのだろう。そう思った八重子は、ウェブブラウザを起動した。検索エンジンで、効率のいいファイルの探し方を探す。
『お母さん必見、エロ画像フォルダの探し方』 ……これを参考にしよう。
隠しフォルダの可視化や、履歴の確認などなど……ニ時間近い格闘の末、遂に手がかりとなりそうなものを見つけた。
『トランセンデンターの生態記録』 という、あまり仕事には関係なさそうだが仕事用のフォルダーに入っていたファイル。トランセンデンターという聞きなれない単語など、怪しさ満点だ。
形式はテキストファイル。斜め読みしてみると、それは日記だった。
なぜ、日記が生態記録なのか。
今度は、ガッツリ読んでみる。一字一句逃さず、文章を深読みし、時間をかけてゆっくりと。
……それは確かに、生態記録だった。
トランセンデンターと呼ばれる存在になった弥十郎の生活が、これまでとどのように変化したか。人間と比較した場合のトランセンデンターの生態記録。
トランセンデンターとは、何か。
勧華製薬は、ベクターズ以外にも、秘密を持っている。
他にもいくつか調べてみたが、トランセンデンターの重要な手掛かりは見つからなかった。重要人物と思われる名前は数人出てきたが、顔がわからないのであまり意味は無い。
こうなったら、自分の足で調べに行くしか無いだろう。
決行は、通夜。入った連絡では、準備が間に合わないので通常よりも遅れて行うらしい。
通夜や葬式などの準備については久雄が行うというような話を聞いている。失踪中の、久雄が、だ。恐らく当日も現れるだろう。恐らく、これが八重子が久雄と接触する唯一のチャンス。
なら、その時に直接訊けばいい。
父の死が本当に事故ならば、ただ嘆き悲しむだけだ。
だが、もしも、万が一。
誰かの手によるものだったならば。
その時は、いかなる手段を用いても、仇敵を討つべきである。
女子高生に何ができるかはわからない。
だが、行動しないことには何も始まらないのだ。
それに何より。
そうでもしていないと、八重子は父の居ない生活に耐えることができなかった。




