*27 Unlimited Life. . . ?
それは確かに、姉だったはずだ。
今怪物と戦っている、真紅の――怪物。あれは、つい先程まで、姉の姿をしていた。いや、姉だった。
あの怪物は、姉なのだ。
同じ血を分けあった清香には、なんとなくわかる。あれは間違いなく姉――翔子本人だ。
怪物から人々を守っていた、噂のヒーロー。清香も助けられたことのある、あのヒーロー。
彼女はそれが翔子自身であることを、否定しなかった。
間違いない。あれはこれまで怪物を倒してきた、ヒーローだ。
――そして。
これまでの経緯から、察してしまった。
翔子は、自ら望んで怪物と戦っているのだ。
※
カブトムシの硬い外骨格も、トランセンデンターと化した翔子の前では無力だった。
強靭であろう外骨格は、手刀でいともたやすく切り裂かれる。自慢の角も、その愚鈍な動きが祟って活用すること無く葬り去られた。
さあ、次の相手は――翔子が見渡すと同時に、群衆の中で悲鳴が響く。
何事かと振り返れば、なんと蛾のベクターズが杉村氏を拘束し、カマキリのベクターズが鎌を首の近くに構えていた。
杉村氏は、パニックからか動けないでいる。下手に動くと危ないので、それは結果的に杉村氏の命を永らえさせていた。
あの鎌がどれほど危険か、翔子はよく知っている。人間の首を切る程度、造作も無いことだ。
ベクターズがこんなことをしたのは、初めてだった。
これまでのベクターズは、まさに野獣のように、本能のままに暴れていた。だが、この行動は、とても本能からくるものとは思えない。何らかの知性が、後ろで動いているような感じだ。
一体何事なのだろうか。そもそも、最初から超音波強化個体が現れたのも不自然だ。
沈黙していた間に、ベクターズ側で何事かあったのだろうか。大幅な技術革新による、ベクターズの進化。あるいは、また別の何かがあるのか。
この場でそれを知る術はない。
今やらねばならないことは、この状況を打開し、杉村氏を助けること。そして、ベクターズを倒し、キャサリンの加勢に行くことだ。
他のことを考えている余裕は、ない。
しかし、どうやって助ける?
ベクターズは、杉村氏を未だに生かしている。要するに人質だ。翔子が下手な行動をすれば、杉村氏の首は飛び、周囲の人間もどうなるかわからない。
群衆の一部は、既に蜘蛛の子を散らしたように逃げていた。しかし一部は、怯えか、あるいは野次馬根性か、はたまた杉村氏を心配してか、この場に留まっている。杉村氏の家族や、翔子の家族も、この場に留まっていた。明らかに公園に居た人数よりも多いので、後から見に来た連中もいるのだろう。逃げろ。
ロクな武器を持ってきていないらしいので、響子に加勢を頼むのは不可能だ。現時点でキャサリンがこの場に居ないことを考えると、彼女も苦戦しているのだろう。増援に期待するのは、現実的な判断ではなかった。
なら、どうする。
あのベクターズに知能があると仮定して、その場合相手からの要求は、恐らく翔子の無抵抗。ここから器用にベクターズだけを攻撃する技能はないし、ベクターズの反応速度を超えて攻撃することもできない。
他に方法があるとするならば……降参しやられたふりをして、油断させてから不意打ちする。ぐらいのものだろう。いろいろとリスキーな手段ではあるが、こんな状況ではそれぐらいしか打つ手が無い。
潔く三本の手を挙げ、降参の素振りを見せる。
さあ来い。
翔子の思惑通り、カマキリのベクターズは杉村氏から離れる。だが、蛾のベクターズは彼を拘束したままだった。
(あと、少し……)
カマキリは、翔子を探るように一歩ずつ歩いてくる。蛾は未だに杉村氏を拘束していて、開放する素振りすら見せない。
(まだか……)
この状態では、杉村氏にも被害が及ぶ可能性が高かった。そんなことになったら、本末転倒だ。ほんの一瞬でも、蛾に隙ができれば――。
カマキリが、その鋭い鎌を振り上げた。蛾のベクターズは、ピクリとも動かない。
一か八か、今すぐ飛び出すか? その後の結果を脳内で予測するも、どうあがいても杉村氏が助からない。これでは、駄目だ。
どうやらこの作戦は、あまりにも無謀だったらしい。だが、これ以外に策はない。もう、詰みだったのだろう。
振り下ろされる鎌。翔子は動けない。
鎌が、翔子の首に刺さる。その驚異的な切れ味を以ってして、じわじわと、その切断面を広げていった。
最後の瞬間、翔子は、自分の体が無残に倒れるのを、ハッキリと目撃した。
※
人質作戦は我ながら妙案だったが、ここまで上手くいくとむしろ驚きさえ生じる。
トランセンデンター (今回初めて素顔を見た) が話していた中から適当な一人を選んだのは、どうやら正解だったようだ。
爽香はほくそ笑み、計画を次の段階へと移す。
未だ倒せていない、謎の企業の戦士。そちらに戦力を集中させ、一気に倒してしまおう。
五体ものベクターズで集中攻撃すれば、どんな相手でもひとたまりもないはずだ。
※
これまでの人生で、一番まずい状況かもしれない。
五体のベクターズに囲まれ、キャサリンは息を呑んだ。
翔子の側へ行ったはずの蛾のベクターズが、戻ってきた。他にも、見慣れぬ個体が一体。奴らの目的は不明瞭だが、戻ってきたということは――。
「キョーコ!? ナニカあったの!?」
向こうには、翔子の他に響子も居た。無線で呼びかけ、返答を待つ――しかし。
「キョーコ!? キョーコ!?」
スピーカーから聞こえてくるのは雑音ばかり。更に安否が心配に成る。ヴィディス自体何度もダメージを食らっているので、こちらの装置が壊れている可能性も、あるのだが――。
今すぐ様子を見に行きたいところだが、周囲がそれを許さなかった。
完全に周囲を囲まれている。八方塞がり――いや、五方塞がりといったところか。どちらにせよ、動けない。
大火力で薙ぎ払おうにも、下手に動けば他方から攻撃が来る。一撃重いのを受けてしまえば、そこから一気に体勢を崩されるのは明白だった。
しかしこちらが全方位を警戒し、適度にステップでフェイントをかけている限り、相手も動けない。
戦局に動きはなく、ただただ精神を摩耗する。不毛にも思える睨み合いが続いた。
一か八か、ひ弱に見える蛾のベクターズに突っ込み、隙を作って打開するべきだろうか?
いや、しかし、その手はあまりにもリスキーだ。成功する見込みが全くない。それならば、相手が自分から隙を作るのを待っていたほうがまだマシだ。
全方位に同時攻撃できる武器は、生憎用意されていない。
これが、アリのベクターズの時のように、超音波強化されていない相手だったら話は別だった。未強化個体の攻撃では、ヴィディスの装甲はビクともしない。だが、超音波強化後は――既に何箇所か破損していることが示すように――本気の一撃を喰らえば普通にダメージが入る。
(なら上は? いや――)
ヴィディスのジャンプ力では、ここからひとっ飛びに逃げ出すことはできない。それに蛾のベクターズも居る。これで六方塞がり。
残るは下だが……ヴィディスに掘削機能はないし、地道に掘るのは隙が大きすぎる。七方塞がり。
八方塞がりまでまだ一方向ある……わけがなく。手詰まりだ。どうしようもない。
隙ができるまで、キャサリンは相手の様子を窺い続けた。
※
首と胴体が切断されてから、三百秒――五分が経過した。
既に切断部の血管は収縮し、代わりにバイパスの弁を開放して血流を確保している。
脳からの電気信号が途切れて久しい。翔子の脊髄に位置する "それ" は、本来脳の役割を果たすべき器官との接続が切れたと判断。蘇生活動に移行した。
酸素を送り、擬似脳を蘇生。
心臓は動いているか? 酸素は残っているか? 頭部以外の欠損はないか? ――胴体に、異常なし。
この状態で呼吸はできない。現在の酸素残量では、安静状態で七十二時間、激しい運動をするなら十八時間しか活動できない。それまでに頭部を発見し、接合する必要があった。
心臓からの血流が途絶えた頭部は休眠状態に移行し、特殊な電磁波を放つだけの置物になっている。頭部に残された時間は、最後の酸素残量から三十八時間と推測。
擬似脳で処理できる情報は、最低限の触覚と、頭部が放つ特殊な電磁波、それと平衡感覚の一部だ。周囲に敵が居ても、抵抗らしい抵抗ができない。ただひたすらに、頭部だけを求める。
幸いなことに、電磁波は近くから発信されていた。
立ち上がった翔子の身体は、おぼつかない足取りで頭部を求める。平衡感覚が一部だけあっても、歩くことは難しい。第六感がないので、ちょうど視覚を封じた人間と同じような状態だ。
ふらふらと、頭を求めて歩く。
すぐ手前まで来るも、距離感が掴めないので何度も腕を地面にぶつける。掴むのに、三十秒はかかった。
掴んだ頭部を、首の先に載せる。向きに関しては、触覚で判断した。
大動脈、気管――数々の重要器官がそれぞれの機能を取り戻す。切断面が再び接合され、バイパス血管の弁が閉じる。
頭部の血流が回復。気管に空気が通り、肺が再び空気中の酸素を取り込む。
擬似脳への酸素供給が絶たれ、仮死状態へと戻る。
身体が本来の機能を取り戻したことを確認。脊髄は、蘇生活動を終了。脳に主導権を明け渡した。
※
これが最期になるかと思っていたが、そうでもないらしい。
「うん……生きて……る……?」
意識の戻った翔子は、まず自分の体が首の下にあることに驚愕した。
人質を取られて動けなくなった自分は、カマキリのベクターズに首を切られたはずだ。
それが戻っているということは……まさか、白昼夢でも見ていたのだろうか? しかし、記憶はやけに明瞭だ。
首元を触っても、特に切れたような痕はない。
一体何が起こったのか――混乱している翔子の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「ば、化け物だ……」
これは確か、杉村氏の父親の声だ。
声のした方向に目をやると、杉村氏の両親が、お互いに抱き合って震えていた。その顔は、恐怖で青ざめている。足元では、怯えきった杉村氏と彼の弟がへたり込んでいた。どうやら、蛾のベクターズからは開放されたようだ。よかった。
「あ、あなた……」
「だ、大丈夫だ……」
杉村夫妻は、震える足で後退る。
イマイチ状況は飲み込めないが、彼らが自分に怯えているのは、なんとなくわかった。
すぐにこの場を離れるのがいいだろう。
そう思い、とりあえず公園の中へと戻ろうとした際に――視界の端に、家族の姿が見えた。
彼らもまた、怯えている。
よく見れば、その場に居る見知らぬ人々までもが、翔子を見て怯えていた。
その中で、例外は――いつの間にか車を降りていた響子だけだ。そんな彼女も、怯えてはいないものの、かなり驚いているようだった。まるで、目の前で死人が生き返ったかのように。
「……響子、何があったの?」
翔子は訊ねる。しかし響子は、少し取り乱しつつもはぐらかした。
「あ!? いや、別に、何かあったわけでは――いや、あったのだが――んー、なんだ、後で、話す」
そして公園の方を指し示し、言う。
「今は、キャシーを助けに行ってくれ。ベクターズが全部向こうへ行ってしまったんだ」
どうやらキャサリンがピンチらしい。超音波強化されたベクターズが少なくとも五体――まずい。翔子は方向転換し、一目散に公園へと駆け込んだ。さっきは助けてもらった。今度はこちらが助ける番だ。
全力で走れば、大した距離でもない。しかし一秒でも惜しい今、その距離は果てしなく長く感じられた。
結局、辿り着くまでに十秒もかかってしまった。
五体のベクターズに囲まれた、キャサリンの姿。装甲の傷はそこまで酷くないが、心労が激しいようだ。
翔子は全力疾走の勢いのままに、一番厄介そうなカマキリのベクターズに拳を打ち込む。踏み込んだ地面が、ひび割れる――。拳は細い胴体をバッキリと折り、一撃で仕留めた。
「ショーコ!?」
「助けに来たよ!」
これで形勢は四対ニ。これでも辛いが、五対一に比べれば何倍もマシだ。
「行くよ、キャサリン!」
「ウン!」
キャサリンを励ましつつ、翔子は次の相手に狙いを定める。狙い目は、今ちょうど飛び立とうとしている蛾のベクターズだ。
踏み込みの一歩で距離を詰め、手が届かなくなるよりも早く足を掴んだ。左右の手でしっかりと掴み、振り回す。カミキリムシに叩きつけ、ハチの攻撃は背中の腕で受け止めた。残るセミとは、キャサリンが睨み合っている。
蛾とカミキリムシは、細い手足が祟ってか絡み合ってもがいていた。その隙に、ハチの方へと振り返る。
こいつとは以前戦ったことがあった。素早い動きが手強い相手だ。しかし、何度も遅れを取るほど翔子も愚かではない。
思い切って懐まで飛び込み、殴られるのを我慢してガッシリとホールドする。こうすれば、その素早い動きを活かすことはできない。我ながらいい作戦だ。
両手が塞がっていても、今の翔子なら戦える。背中から伸びた上で、ガシガシと頭を殴った。掴んだり引っ張ったりも交え、地面をゴロゴロ転がりながら、殴りあった。
しかし、背中の腕は陽動だ。
本命は、相手を掴んで離さない両腕。締め上げるように力を入れ、胴体に負担をかける。狙いは、サバ折り――いや、それ以上だ。
貧弱な腰関節は、翔子のホールドに耐えられずに砕け散った。上半身と下半身を分離させたハチのベクターズは、無残にも地面に転がる。
残り三体。
ようやく解けた蛾とカミキリムシは、二手に分かれて翔子に飛びかかってくる。避けるか、受け止めるか――一瞬の思考の後、翔子は受け止める方を選択した。
空中から接近する二体を、それぞれ片手で掴もうとして――掴めたのは、カミキリムシだけだった。予想通り、蛾は直前で軌道を変えて上空へと飛び上がる。そこまで読んでいた翔子は、カミキリムシを空中へぶん投げた。
クリーンヒット。落下する二体。すかさず翔子は蛾に接近し、その羽を鷲掴み、根本から引き千切る。翼を失った蛾など、ただの変な芋虫だ。かかと落としで仕留めて、カミキリムシに襲いかかる。
落下したばかりで体勢を整えている途中のカミキリムシに、正拳突きを食らわせた。
外骨格が意外と固かったが、それでも翔子の拳には敵わない。
やすやすと貫通。心臓から外れていたので、もう一突き。今度はしっかりと潰した。
次は――と思ったが、セミは既にキャサリンが始末していた。
※
ヘトヘトのキャサリンに肩を貸しつつ、公園の出入口に戻る。
先程と比べて、半分程度まで減った群衆。怯えて動けない者、翔子達に好奇の視線を向ける者など……あまり、良い反応はではない。
と、融装を解除していなかったことを思い出す。一度堂々と融装してしまったため、今更正体を隠すのは難しいだろう。仕方がないので融装を解除する。キャサリンもヴィディスを収納していた。
おおぅと、群衆の一部が沸き立つ。飽くまで一部。好奇の視線を向けてきていた連中だけだ。
そんな中、怯えていた者の中から、勇気を振り絞ったようにこちらに歩いて来る者がある。杉村氏の、父だ。
「……翔子さん、あなたは何者なんですか?」
訊かれて、なかなか厄介な状況になったことに気づいた。
今まで正体を隠していたのは、やましい思いがあったからではない。自分やベクターズの存在を公にして、無闇に民衆へ不安を与えないためだ。
しかしこうして白日の下に晒されてしまった以上、隠しきれるものでもない。以前から噂にはなっていたし、もう限界だろう。
だが……、こうして改めて訊ねられると、どう答えていいのかわからない。
自分が何者なのか、翔子自身もイマイチ把握していないからだ。
トランセンデンターと言っても、彼らには通じない。人間と言ってお茶を濁すことができる立場でもない。
翔子が考えていると、杉村父が怯えながらも続ける。
「く、首が切れたのにこんなに平然としていられるなんて……ふ、普通じゃない」
……首が、切れた?
非常に引っかかる言葉だったのだが、杉村父はもう会話できるような状態ではない。
「こ、こんな化け物と親戚になんてなれるか! 見合いはなしだ!」
そう言って、杉村父は家族を引き連れて帰ってしまう。杉村氏は少し名残惜しそうにしていたものの、怯える家族を見て、彼もまた去っていった。
そのことについては、まあ、仕方ないだろうな、程度にしか思わなかった。杉村氏はいい人だったが、普通、こんな相手と半生を共にしようとは思えない。これを受け入れろというのは、あまりにも酷だ。力を取り戻してしまったので、もう結婚絡みの話は受けられないだろう。
だが、しかし。
首が切れたというのは、一体どういうことだろうか?
確かに、カマキリのベクターズに首を切られた記憶はある。しかし、今こうして居る以上、それは夢か幻覚だったと考えるのが妥当だ。首を切られれば、トランセンデンターといえどもひとたまりもないだろう。
……本当にそうだろうか?
久雄は、生きてあの施設から脱出していた。首を切ったわけではないが、それと同等かそれ以上のダメージを与えたはずだ。それでも奴は、生きていた。
なら、首が切られても――方法は不明だが――生き延びることは、可能なのではないか?
そうだ。響子が、後で話すと言っていた。今がその時だ。
「……響子」
すぐそこで居辛そうにしていた響子に、翔子は訊ねる。
「あ、ああ……まあ、事実だよ。君は一度、首が切れた」
響子は片手で頭を抱えながら、ヤケ気味に言う。
「人質を取られて動けないところを、カマキリにスパーンとね。私が油断していたよ。まさかあんなに現れるとは思っていなかった。武器を持ってくればよかったんだが……まあ、どのみち私には使えないがね」
愚痴をぶちまけるかのように言い切った。しかしまだ言いたいことがあるのだろう。今度は両手を広げ、訴えるように捲し立てる。
「だが、それがどうしたっていうんだ! 別に首が取れたっていいじゃないか! 結果的にこうして生還したんだ。むしろ喜ぶべきだろう!」
そのさまは、まるで自分を必死に正当化する思春期の子供のようだった。なぜそこまで必死になるのか、翔子にはよくわからない。いや、わからなかった。
その一言を聞くまでは。
「だから、君が悩む必要はない!」
(ああ、なるほど……)
そういうことだったのか。
彼女がムキになる理由がわかって、少しだけ、救われたような気がした。




