*15 進撃準備
「あー、なんだ。見苦しいところを見せてしまったね……」
午後の八時頃、響子は目を覚ました。響子の起床に気づいたキャサリンの手によって、翔子も叩き起こされた。
翔子としてはもう少し大人しくしていてもらいたいのだが、彼女はそれをよしとしなかった。
「いつまでも待たせているわけには行かないから、急いでいてね……少し無理をしてしまったようだ」
あれが少しというのなら、本気で無理をしたらどうなってしまうのだろうか。翔子の予想では、死ぬ。
彼女に死なれるのは困るというか嫌なので、これからは極力無理をさせないようにしよう。
しかし、なんだ。
彼女はこんなに献身的な人間だっただろうか?
悪い言い方になるが、響子はあまり他人のために動くような人間ではない。そもそもの根本に、私利私欲がある……というのが、しばらく付き合った感想だ。
だから今回の響子の行動には、少し違和感があった。
彼女がこんなことをしてたのしいとは、とても思えない。ならば、なぜこんなことをしたのだろうか?
確かにこれは、彼女に与えられた仕事である。だが、それだけでは理由が薄い。
「なんで、こんな無理を……?」
口をついて出た疑問は、しかし正しくは伝わらなかった。
「だから、早く終わらせるためだと言っているだろう」
なので、改めて問い直す。
「いえ……ただ、あなたが自分の利益が少ない仕事に打ち込むのは……少し、意外だったというか……」
拙い言い方になってしまったが、今度は彼女に伝わったらしい。あっけらかんとした表情で、響子は言う。
「いや、利益ならあるさ。極上の利益が、ね」
「えっ……」
言われて、翔子はもう一度考える。この仕事によって生じる彼女の利益とは――。
……しかし何度考えても、給料やベクターズの早期討伐以外の利益が思いつかなかった。これでは、理由としてあまりにも薄すぎる。
考える翔子を見て、響子はおかしそうに笑った。翔子は少し拗ねたような声で訊ねる。
「……それ、一体なんなんですか?」
問の答えを、響子は勿体ぶることなく、堂々と口にした。
「君の笑顔だよ」
「……へ?」
理解できていない翔子に、響子はもう一度言う。
「君の笑顔は、私の利益だよ」
そんなセリフを、恥ずかしげもなく吐いてみせるのだ。翔子の目をしっかりと見据え、柔らかい笑顔で、ハッキリとした発音で。
言われたこちらのほうが恥ずかしくなってきてしまった。
「わ、私が……りえ、き……」
「誤解を招くような表現を……いや、それも悪くないような……」
響子は苦笑しながら言う。後半は声が小さかったのでハッキリとは聞こえなかったが、まあいい。
「まあ、なんだ」
翔子が固まっていると、付け足すように響子は言った。
「どうでもいい奴に身を切れるリソースなんて、私は持ち合わせていないさ」
その言葉が真に何を意味するのか、翔子には見極められなかった。響子にとって、翔子がどうでもよくない人間というところまでは確定なのだが……。
その先を訊ねるべきか迷ったが、結局何も言えなかった。
※
「本題に移ろうか。今日私が君を呼び出した理由だが……おっと」
響子は背後の時計に目をやる。
「長くなるかもしれないんだよなあ……。君は、今夜暇かい?」
「ええ、まあ」
響子の問いを翔子が肯定すると、彼女は 「そうか」 と言って立ち上がった。
「なら今のうちに、選んでおいてくれ。攻めこむ時に使う武装をいろいろ用意しておいた」
主述の関係がわかりにくいのは、未だ回復しきっていないせいなのだろうか。とにかく、もう少し休ませたい。
「じゃあ選んできますから、あなたはもう少し休んでいてください」
「いや、私も――」
「休んで」
強めに言い放つと、響子は一瞬ビクリとしたが、すぐに素直になった。
「……わかった。もう少し寝ているよ」
「それでいいんです。……キャサリン、ちゃんと見ててね」
念のため、キャサリンにも言っておく。
「ワカッタヨー」
「じゃ、お願いね」
キャサリンになら、任せても大丈夫だろう。一安心したところで、翔子は部屋を出て武器庫と化した倉庫へと向かった。
※
改めて見回しても、本当に武器庫である。
これを全て響子が管理していたことに、翔子は驚愕した。
見たことのないような武器が床一面に並び、それぞれに性能を記した紙が貼り付けてある。
部屋の中央――響子が作業していた場所には、 『武器一覧』 というリストが置かれていた。恐らく、この部屋の武器の一覧表だろう。
紙には重量や最大稼働時間、弾道など、それぞれの武器に応じた様々な情報が記載されている。見る人が見れば、とてもありがたい情報なのだろう。
しかし翔子には、どのような基準で選んでいいのかすらわからない。
普通なら、直感で選ぶところだ。
だが、今回の情報は、響子が無理をしてまで用意してくれたものである。無駄にするのには、抵抗があった。
自分なりに状況を予測し、必要になりそうなものを選ぼう。
まずは多対一への対策だ。前回の戦いで浮き彫りになった、翔子の弱点。大群相手に格闘では、どうしても分が悪い。
レヴァンテインでは、連射力に難がある。キャサリンが使ったような、連射できる銃器が欲しいところだ。
リストをざっと眺め、連射力の高そうなものを探す。銃に関しては詳しくないのだが、フルオートと書いてあるものはいかにも連射しそうな雰囲気だ。
マシンレールガン……マシンガンとレールガンが合体したような名前のこれは、絶対に連射できるだろう。貫通力もコンクリート十二枚分と、かなりのものだ。携行弾数は二百発。これが多いのか少ないのかは、わからない。
と、その隣に "発射速度" なる項目を見つけた。このマシンレールガンの発射速度は――毎秒百五十発。つまり、一秒間に百五十発の弾丸を発射できるということだろう。
携行弾数二百発では、二秒と保たない。
これではむしろ必殺武器だ。一秒と少しで全てを出し切る類の武器である。露払いには使えない。
威力は多少弱くてもよかった。翔子一人でも大群相手に対応できるなら、それでいい。優先条件を連射していられる時間にして、改めて探しなおす。
エレクトロンライフル、携行弾数無限――これはいいかもしれない。
と、備考欄に最大連続稼働時間が書かれていた。どうやら、連続では百二十秒しか動かないらしい。
百二十秒――二分は、短いのだろうか。それとも、長いのだろうか。
数字にすると足りないように感じるが、実際に二分間時計を眺めていると、とても長く感じた。
それに、これは飽くまで最大連続稼働時間だ。備考欄に再チャージ時間も明記されていることを考えると、チャージすればまた撃てるようになるのだろう。
再チャージ時間は、三十秒だった。
二分撃って、三十秒待機……他の武装で間を繋げば、行ける気がする。
これで決まりだ。近くにあったボールペンで、エレクトロンライフルの欄にチェックを入れる。後は副兵装と……その他、とりあえず一通り見て決めよう。
マイクロガン。セミオートで、装弾数は三発だ。一見、役に立たないただの欠陥品である。
しかしその貫通力は、コンクリート二百六十八枚分。ぶっちぎりでとてつもない数値だった。
気になったので、実物を見てみる。これまでのものはどれもそれなりの大きさがあったが、これは握り拳と同じぐらいのサイズだった。手首に巻きつけて使うらしい。トリガーは手動でも引けるが、脳波でもコントロールできるようだ。
使うところは想像できないが、記された威力には目を見張るものがある。
感覚だけで選ぶなら、持っていかないところだが。
「……まあ、念のため、ね」
大きさも手頃なので、持って行って損はないだろう。何があるかはわからないので、準備しすぎるということもない。
翔子はリストにチェックを入れた。
※
チェックを入れたリストを、響子の枕元に置く。
「ヘンなユメ見たりして」
キャサリンが、冗談めかしてそう言った。枕元に置いておくと夢に出るとか言う、アレだろう。
翔子も中学生ぐらいまでは何度か試していたが、一度も上手く行ったことがなかった。いや、一度だけあったのだが、イチゴ狩りがあった日にイチゴの絵を枕元に置いたらイチゴを食べる夢を見ただけなので、因果関係は疑わしい。おやつの時間に大量のイチゴを食べたことのほうが、よほど関係性が深い気がする。
だから翔子は、キャサリンの冗談に軽く笑いながら返す。
「まっさか~」
キャサリンも口元に手をやり、苦笑した。
「ダヨネ~」
そして、寝ている響子に目をやる。
本当に疲れていたのだろう。ぐっすりと眠っていて、起きる様子はない。寝かせて良かった。
「さて、そろそろ私は帰るね」
要件も済んだし時間もいい感じなので、帰ることにする。ミケにも餌をあげねばならない。
「うん、マタネ」
キャサリンに別れを告げ、翔子は部屋を出た。
※
午後の十時が近づけば、夏でも外は真っ暗だ。
この辺りには星空を遮る光源が無いので、星の光がよく映える。夜目が利く翔子には、特に格別に感じられた。
星の光と、夜の静寂。こんなところでバイクのエンジンを轟かせるのは、少し野暮な気もした。
幸いなことに、ここは車通りが皆無だ。誰の邪魔にもならないし、轢かれる心配もない。しばらく、押して帰ろう。
家で餌を待つミケには……少しだけ、我慢してもらうことにした。翔子もまだ夕食をとっていないのだから、まあ、いいだろう。
施設を出て、しばらくバイクを押す。すると、あの違和感が翔子を襲った。
「……来る?」
久しぶりの、ベクターズの襲来だ。気配は一体。すぐ近くに来ている。
キャサリンを呼ぶかどうかで迷ったが、結局呼ばなかった。こんな時間だし、そもそも彼女には響子のことを頼んである。ここは自分一人でなんとかするべきだろう。
翔子はバイクを停め、叫んだ。
「融装!!」
融合装着を終えた翔子は、ベクターズの元へと走る。悠長にしていては、インセクサイドの施設に何かされるかもしれない。
「居た!」
見つけた影に、翔子は飛び蹴りを放つ。高く飛び上がり、重力と勢いに任せた重い一撃をお見舞いする。――クリーンヒット。
翔子の足は、ベクターズの脇腹に深くめり込んだ。
と、ベクターズの手から、何かがこぼれ落ちる。こんなことは初めてだ。同時に可愛らしい声も聞こえてきた気がするのだが、こぼれ落ちた何かのほうが気になった。
暗い中でも、翔子の目はよく見える。それがビデオカメラのような何かであることも、はっきりとわかった。一体何を撮影していたのだろうか?
しかしそんな疑問も束の間。着地した瞬間、間違えて踏み潰してしまった。
「あっ」
気づいた時にはもう遅い。鎧の強靭さ故に破片で怪我をするという間抜けな状況にこそ陥らなかったものの、貴重な情報源を破壊してしまった。
パッと見ただけでも、フレームが歪んでいるのがわかる。内部機器の損傷も、素人でもわかるほどに著しい。この場での復元は、まず無理だ。
これ以上壊すわけには行かない。とりあえず、ベクターズを渾身の力で蹴り飛ばし、ビデオカメラの残骸から離れさせる。近くで戦えば、どんな事故が起きるかは容易に想像できた。
蹴り飛ばしたベクターズに駆け寄る。容姿から察するに、ウサギだ。ボディビルダーと見紛うような筋肉モリモリの下半身に、逞しい成人男性クラスの上半身が繋がり、そこにやけに可愛らしい頭がくっついている。なぜか頭部以外は無毛で、パンツを履いていた。正直、変な鍛え方をした男がうさぎのマスクを被っているような感じだ。
しかしそれが人でないことは、翔子の第六感が感じ取っていた。手足の骨格が、明らかに人間のそれとは違う。それにあの長い耳は、本物だ。
とんでもない化け物に出くわしてしまった。あの馬のベクターズもいけない容姿をしていたが、これは違う意味でアウトだろう。上半身と下半身の筋肉の付き方の違いも、絶妙な気持ち悪さを醸し出していた。
だが、気持ち悪いからといって手を抜く訳にはいかない。それに、グロテスクな方面で気持ち悪い相手なら今まで何種類も見てきた。醜悪な外見など、今更だ。
先手必勝。翔子は拳を構え、みぞおちに打ち込む。ウサギも人間も哺乳類なので、弱点は似通っているはずだ。因みに、翔子はなぜ人間がみぞおちへの衝撃に弱いのかは知らなかった。
ムキムキウサギさんは翔子のパンチを食らうと、 「キュゥ」 と可愛らしい声を漏らす。最初に飛び蹴りをお見舞いした時と同じ声。翔子の聞き間違いかとも思ったが、音の波を見る限り間違いなくあのベクターズから発せられた声だ。妙な罪悪感に苛まれてしまった。
罪悪感で、翔子の動きが鈍る。
その一瞬で、翔子の身体は宙へと投げ出された。遅れて、股間に走る激痛。女でしかも防御力の上がっている自分でこの痛みなのだから、生身の男が食らったら多分痛みで死ぬだろう。因みに、翔子はなぜ男性が股間への衝撃に弱いのかは知らなかった。
痛みは、超人的な回復力ですぐに引く。これはとても有り難い能力だ。そのおかげで、追撃に飛び上がったマッスルウサギのベクターズはチョップで迎撃することができた。
またしても可愛らしい声が聞こえてきたが、あの痛みを思い出すことで罪悪感を振り払う。騙されてはいけない。あの筋肉ウサギは、可愛らしい声でこちらを惑わす化け物なのだ。
こんなものを野放しにしていたら、被害者が続出するに決まっている。と言うよりも、普通の人は見ただけで気分を悪くするだろう。
「あんたは生かしておけない!」
地面に背中を打ち付けたマッスルウサギの上に、翔子はのしかかった。
またしても可愛らしい悲鳴が漏れるのだが、心を鬼にして殴りつける。騙されてはいけないのだ。
殴っているうちに、徐々に楽しくなって――くることはなく、むしろ罪悪感ばかりが募る。まさか、相手の反応一つで怪物退治がここまで精神に負担をかけるとは思わなかった。
よく考えれば、当然の話だ。普段からベクターズを殺害している翔子でも、人を殺したことはない。殺人は犯罪であり、そもそも殺すような理由がないといえばそれまでなのだが……しかし、合法で理由があっても、躊躇うだろう。
そういうものだ。相手が変われば殴るだけでも躊躇する。甘いと言われれば、言い返せない。
気分が悪かった。
早くこの時間を終わらせたい。そのためには、このボディビルウサギをどうにかする必要がある。
なら、もう、とどめを刺してしまおう。ウサギのベクターズは、既に可愛い声を漏らすだけの筋肉の塊と化していた。
その声を漏らす喉を、両手で掴む。
散々悲鳴を漏らして苦しかっただろうから、最後ぐらいは一思いに終わらせてやろう。
勝手な想像で言い分を通し、首を掴む手に力を込める。握力だけで、首の骨を砕くのだ。
いつぞやの馬のベクターズに対しては、余裕がなかったので折るだけで済ませた。しかし今回は、砕くだけの余裕がある。念には念を入れて、確実に殺すのがいいだろう。
声帯を握り潰しているからか、悲鳴はもう漏れていない。好都合だ。断末魔の悲鳴まで浴びせられるのは、本当に気分が悪い。
手の中で、何かが砕ける感覚がした。
一瞬の間を置いて、ベクターズの動きも止まる。体の節々は、既に蒸発を始めていた。
「……疲れた」
融装を解除し、翔子は溜息を吐く。身体的な疲労は、大したものではない。しかし精神的に、大分参ってしまった。
早く家に帰って、ミケと一緒にごはんを食べよう。
翔子はバイクに跨り、走りだす。
夜空を眺める余裕もない。押して帰ろうなどという気は、もう起きなかった。
※
センサーに反応があったのだが、オタオタしているうちに反応が消えてしまった。
場所がこの近くだったので、翔子が倒したのだろう。キャサリンが出るまでもなく倒せたのは、いいことだ。翔子の危険が減る。
ただ、相打ちの可能性がないわけではない。念のため、翔子に電話してみる。
『はいもしもし』
「アア、ヨカッタ……」
無事に出たのでホッとしていると、こんなことを言われた。
『さっきベクターズ倒したんだけど、なんかビデオカメラ落としたから、響子さん復活したら解析頼みたいんだけどいいかな?』
ベクターズの落としたビデオカメラ。それは確かに、気になる。
「ワカッタ。持ってきてくれる?」
『うん、今向かってる。でも、踏んで壊しちゃったから、破片とか取りこぼしあるかもしれない』
「オーケーイ、じゃあ後で頼――エ?」
――踏んで、壊した?
「壊したの?」
訊ねると、彼女は気まずそうに言う。
『ああ、うん……ちょっと、ね』
ちょっと、とは――。まあ、曖昧な言葉でも、何があったのかはなんとなく察せた。わざと踏む理由がないし、間違って踏み潰したというのが正解だろう。
ただ、悪気がなかったからと言って悪影響が出ないわけではない。動機がどうあれ結果は同じ。どの程度かは実際に見てみないとわからないが、ビデオカメラが壊れたという事実に変わりはない。
響子は凄腕の技術者だが、全能ではなかった。壊れ方によっては、響子でもお手上げだ。
響子に直せるレベルの破損なら、いいのだが。