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アラサー戦士中田翔子  作者: あざらし
正義の味方、中田翔子!
11/46

*10 鋼の女子高生-下

「女子高生にベクターズを生身で始末するところハッキリと見られました……」

 家に帰ってから、翔子は響子に電話をかけた。

『生身だと!? 君も無茶をするなぁ……』

「生身でも何とかなりそうだったので……。融装を見られるのも、都合が悪そうですし」

『そうか……。まあ、見られるのはある程度想定していたことだ』

 電話の向こう、響子は最初こそ驚いていたものの、すぐに平静に切り替わって言う。

『そもそも今までロクに目撃されなかったことが奇跡的なんだ。出現するたび町中で戦ってりゃ、いつか見られるのはわかってた。これまでは噂程度で済んでいたが……近いうちにバレるだろうな』

 それは確かに、そうだ。今まで翔子の戦う姿があまり人々に見られていなかったのは被害者をとりあえず追い払っていたからで、それができなければ見られるのは当然だろう。

『バレたらバレたでどうするか……。敵の正体が掴めていない今、未知の侵略者から街を護るヒーロー……とでもするのがいいのかなぁ』

「対策は立ってなかったんですか?」

 翔子が訊ねると、響子は申し訳無さそうな、それでいて開き直ったような声で答える。

『考えてはいたが、八方塞がりだよ。私らだけじゃどうにもならないから、ベクターズの情報を引っさげて国に打診してみたが、情報が少なすぎて国でもどうにもできないと来た。ある程度は協力してくれるらしいが、アテにはならないだろうな』

「どうしてです?」

 国が助けてくれるなら、大分楽になるのではないだろうか。情報面もそうだが、戦力的にも警察や自衛隊は頼りになりそうなものだ。

 疑問の内容を詳しく言ったわけではなかったのだが、響子は翔子の考えを見透かしたかのように言う。

『一企業だけでやるよりは大分マシになるだろうが、国家機関でもやはり限界はあってな。もし相手が更に大きな権力だったら、手も足も出ない。戦力だって、警察のピストルじゃ弱いし、かと言って町中で重火器を気軽に扱えるわけじゃない。戦車なんか使ってみろよ、家が何軒あっても足りないぞ』

「ヴィディスとか、国の力で沢山作れないんですか?」

 確かに戦車は問題だが、ヴィディスは有効なはずだ。しかし響子はごくごく当然のことのように言う。

『ヴィディスの技術提供もある程度は視野に入れてはいるが、アレは結構ウチ――というか私の独自技術が盛り込まれててなぁ。それに、規模が膨れれば予算が下りるまでにかかる時間も変わってくる』

 それを聞いて、前者はともかく後者はなんとなく理解できた。人は集まれば集まる程、動くまでに時間がかかるようになるのだ。わかりやすい例えで言えば、キャサリンと共闘して亀のベクターズを倒した時の翔子とインセクサイドだろう。翔子は単身で完結しているのでベクターズに素早く対応できたが、インセクサイドはメンテナンスなどが一人で完結しておらず、出撃までに時間がかかってしまった。ただ、動きが遅くなる分出来ることは増す。

『普通の軍事技術とかとは少し違った経路でやるつもりだから、相当な時間短縮はできるはずだが……理想的に進んでも、制式採用までに半年でこぎつけられればいいほうかな。そこから配備まで、更に時間がかかる』

 そこで一度言葉を切り、今度は自嘲するような声色になる。

『尤も、これは素人の私が概算した数字だから、実際はもっと掛かるだろう』

 そこでまた更に声色を一転させて、真剣な声になった。

『だが、現在我々にそんな時間は残されていない。近頃のベクターズは、どうにも強くなっているように思えてな……。これから、この前の亀みたいな奴が複数出てくる可能性も否めない』

 亀――初めて、最初から超音波強化を施されていた個体だ。複数出現はカマキリのベクターズが既にこなしていたが、カマキリは出現してから超音波強化が行われていた。

 それに、仮に最初は超音波強化を施されていなくとも、三体以上出られると辛いだろう。

 真剣な声色で、響子は続ける。

『だから、動けるうちにもう一体だけ試作品を作っておこうと思うんだ。今度は射撃型。で、相談なんだが……』

「なんです?」

 翔子が訊ねると、響子は言いづらそうに言う。

『射撃が得意で、運動神経もそこそこ良い人間に心当たりがあったら、紹介してくれ。テストオペレーターになってもらう』

「は、はぁ……」

 彼女の言わんとする所は、なんとなく察せた。

 人材の確保に、協力してもらいたいのだろう。協力するだけなら、翔子側も特に問題はない。

 ただ、一つ疑問が残った。

「人材なら、それこそ自衛隊なり警察なりから募集すればいいのでは? 射撃が得意で運動神経もそこそこ良い人なら、うってつけだと思いますけど」

 訓練を受けている彼らは、一般人よりも明らかに射撃が得意で、運動神経も良いし、おまけに自衛隊は士気も高い。なら、翔子の知り合いに頼るよりも、優秀な人材が手に入るだろう。

『まあ、そうなんだが……それはできないんだ。ヴィディスⅣの計画は会社で進めてるから、国に支援は頼めない』

「よくわからないんですけど」

『わからなくてもいいさ。できないということだけ把握してくれればいい』

 いいのかそれで。……いいんだろうなぁ。

『さてと……で、話を戻そう。女子高生に見られたんだったな? それで、今後どうするか……』

「あ、はい」

 突然話を戻されて、翔子は少し戸惑った。が、すぐに立て直す。

『一介の女子高生なんだろう? なら、あまり深いことは話さないほうがいいような……かと言って、君が何の変哲もない人間と名乗れば、ベクターズは生身で始末できるという間違った風評が広がりかねない……』

 響子は、今後の対応を決めかねているようだった。

『そもそも我々が持っている情報が少なすぎるのがいけない。相手の正体が掴めない内は、下手に動くと危険だ。これがどこかのバカの仕業なら、一致団結して排斥してしまうという手もあるが……異星人やらの手に負えない勢力に出てこられると、シャレにならないからなぁ』

 電話越しに、響子の溜息が聞こえてくる。彼女の頭脳を以ってしても、迂闊に動けないらしい。

 少し間を置いてから、響子は重く口を開く。いつになく真剣かつ、暗い声音だ。

『……そろそろ我々も敵の調査に本腰を入れる必要があるようだな。危険な手探りだが、致し方あるまい』

 未だに全くわかっていない、敵の全貌。遂に、そこに踏み込む時が来たようだ。翔子も身構える。

「何か、私にできることはありますか?」

『君はベクターズが出現した時、奴らがどこから来るかを確かめることに注力してくれ。どこかから現れるのなら、空間の繋がりがあるはずだ』

「よくわからないんですけど」

『……出口があれば、入口があるだろう、ということだ』

「なるほど」

 なんとなくわかった。

 翔子に与えられた役目は、ベクターズの移動経路の調査だ。これは今のところ、翔子にしかできない。そして、ストレートな手段であるが故に最も重要で効果的な役割になる。のだと思う。

 今まで考えてもみなかったが、確かにその方法は有効かもしれない。

 むしろ他にどんな方法で調べるのかが全くわからなかった。

「インセクサイドはどんな方法で調べるんです?」

 翔子が訊ねると、響子は少しの間うーんと唸ってから、答える。

『語って聞かせるような面白い方法ではないが……、まあ、聞き込みだな。企業や個人としての伝手を使うなり、関連が疑われる技術の関係者に色々訊ねるなり、だ』

「地味ですね……」

 翔子が少し白けた声でそう言うと、響子はフッと苦笑した。

『そんなものだよ。それに、我々は他にもヴィディスやらで忙しいんだ。もしかすると、君に任せっきりになってしまうかもしれない。その時は、頼むよ』

「はい」

『とりあえず、ヴィディスの方は後一週間以内でモノにするから、それまでに何か情報を掴んだら適宜教えてくれ。一人で乗り込むんじゃないぞ』

 流石の翔子でも、単身で敵の本拠地に乗り込むのは危険だろう。実際、亀のベクターズが相手だと一人では勝てない。翔子は頷き、心に刻む。

「わかりました」

『じゃ、健闘を祈――っと、忘れていた。例の女子高生は、とりあえず適当に誤魔化しておいてくれ。対策はこちらで練っておく』

「わかりました……。適当って、大丈夫かなぁ」

 若干無茶な要求に翔子は思わず不安を漏らしたが、響子が意に介することはなかった。

『それじゃあ、また今度』

 そう言い残して、電話が切れる。翔子は一息吐き、携帯電話をパタンと閉じた。

 いよいよ、こちらから攻めることになる。いままで翔子が受け身だったのは、敵の正体がよくわからないからと打って出る方法がわからなかったからだ。決して、攻め手に回ることに躊躇いを感じていたからではない。最近になってやっと自身の戦力不足を感じては来たが、それもヴィディス――キャサリンと協力することによって解消できる。

 問題の根本を絶つことは、問題の解決において最も効果的な方法だ。ちまちまと怪物を街に送り込んでくるような悪党は、さっさと始末してしまおう。

 打って出ることが決まって、そのための手段も手に入れた今、当面の問題は女子高生――月極弥月である。

 適当に誤魔化せと言われればもう適当に誤魔化すしかないのだが、果たしてあまり口の上手くない翔子にできるのだろうか。敵の本拠地に攻めこむことよりも、こちらのほうが不安だ。

 ふとした会話中、どうでもいいところで重大なことを口走ってしまう可能性がある。誘導尋問じみたことをされれば翔子は対応できないので、弥月のことは警戒しなければならない。

 ただ、だからといって邪険に扱うのは可哀想だ。 『格好良い』 と言ってくれたし、慕ってくれているのは嘘ではなさそうなので、できれば良好な関係を築きたいものである。

 ああ、まずい。思い出しただけで頬が緩む。顔がにやけて気持ち悪い引き攣り方をしてしまう。誰にも見られていないはずなので問題はないのだが、精神的にあまりよろしくなかった。

 両の頬をパンと叩き、にやけ顔を直す。今は部屋の中だからいいが、外で思い出してしまったら大変だ。女子高生のことを思い出してニヤけるのも、いきなり頬を叩くのも、はたから見ればただの変質者である。社会的にあまりいい身分ではないし、事情聴衆はされたくない。

(ああ、明日はバイトがあるんだった……)

 一日中引きこもれるのならニヤけ顔を見られること無く済むのだが、外に出ると危険だ。幸いなのは、バイト先が寂れた公衆トイレであるところだろうか。ただし見られた際の不審者度は増す。

 いっそのこと、マスクでもしたほうがいいのだろうか。

 季節外れだが風邪予防や、トイレなのでニオイ対策などという立派な名目がある。顔が隠れることで、ニヤけた際の不審者度も低くなるだろう。昔はマスクを着けているだけで不審者度が増したものだが、最近はめっきりそんなこともなくなった。良い世の中になったものである。とは言え、今でもサングラスやニット帽と合わせてコーディネイトすれば立派な不審者なのだが。

 だが、一つ問題があった。この家には、恐らくマスクが存在しないのだ。

 翔子は風邪を引かないので、風邪予防の必要がない。体内に風邪菌を保有していないので、外部に風邪菌をばら撒く心配も当然のごとくなかった。

 翔子は、使う見込みの無いマスクをわざわざ買い溜めておくような人間ではない。利益を増やすための一番の近道がコストの削減であるということは、高校時代の担任に嫌というほど叩きこまれた。

 今から買いに行くべきだろうか?

 答えは否だ。どうせ買ってきた内の四分の一も使わないのだから、買うだけ無駄である。明日の対策は別に立てた方がいい。

 その対策も、よく考えればニヤけてきたら壁の方へ向くだけで十分だ。客 (トイレ利用者) に笑顔で接する必要はないので、別に尻を向けていても構わない。個室に逃げるのもアリだろう。

 一件落着。今後の憂いが一つ絶てた。残りは弥月にどう対応するかだ。しかし――

(考えるだけ無駄だよねー)

 ……これはいくら対策を練っても、なるようにしかならないだろう。

 他人との接し方に、あまり策を巡らせるものではない。簡単な会話に頭を使うと、むしろ空回りしてしまう。言葉を発する際に一度フィルターにかけるぐらいで、日常会話にはそこまで頭を使わないのが常だ。メールなどの文章のやりとりではまた違ってくるのだが、それでもそこまでよく考えているわけではない。

 なぜそうなのかというといろいろあるが、翔子の持論ではまず 『日常会話は先読みがしにくいから』 だ。重要な会議などでは、会話の内容が限られてくる。そんな場面だからこそ、しっかり言いたいことを整理して組み立て、更に相手の発言も先読みして対応できるのだ。だが日常会話では勝手が違う。相手が急に話を変えてくるかもしれないし、突拍子もない反応が返ってくるかもしれない。そんな何が起こるかわからない内容を先読みすることは、大変困難だ。

 他にも、日常でも肩肘張っていたら疲れてしまうだとか、会話の重要度の違いだとか、いろいろある。

 とにかく、考えるのはよそう。不安ではあるが、考えたって仕方がない。

 翔子は布団に寝転がり、目を閉じた。生身での戦闘で疲れたのか、なんとなく眠くなってきたのだ。実際に戦っている時はあまり気にならなかったが、改めて考えなおすとなかなかハードな行動である。生身なのに貫手で心臓を破壊しようとしていただなんて、とても信じられない。

 他にも無茶はしていなかったか、今回の戦いを思い返す。と、一つ気になることを思い出した。

 あの馬のベクターズは、状況から察するに弥月を強姦しようとしていた。こんなことは初めてだ。そもそもベクターズに生殖器らしきものがついていること自体、今日初めて知った。意外な発見である。(嬉しくない)

 違いを整理しよう。

 これまでのベクターズは、 『人を襲うこと』 を目的としているように感じた。だが今回は、 『弥月を強姦すること』 が目的だと思われる。この目的の差は、一体どこから生まれたものなのだろうか?

 詳しいことは分からないが、これは追加で連絡しておくべきだろう。

 翔子は再び上半身を起こし、携帯電話を手にとって開く。履歴の一番上にある響子の名前を選択し、再び電話をかけた。



 翔子から二度目の報告を受けた響子は、後で手を付ける内容にチョイチョイと加筆していた。

「ベクターズに生殖器がついていた……これでよし」

 ファイルを閉じて、一息つく。

 ベクターズに、生殖器がついていた。――そもそもベクターズの生態は、謎だらけどころか謎しか無い。一体何を目的としているのかや、ルーツはどこにあるのかなど、とにかく何もわかっていない。

 わかっていることといえば、特定の超音波で強化されることと、死ぬと蒸発することぐらいだ。この蒸発さえなければ、もう少し踏み込んだ調査ができる。そして最近は、それが狙いなのではないかと思い始めた。

 遺体を蒸発させることで、敵に情報を渡さない。それが、ベクターズを送り込んでくる何者かの目的なのではないか。

 だとすれば、現状は相手の思い通りに進んでいることになる。こちらはベクターズの情報を得られず、相手は一方的にこちらにベクターズを送り込む。相手だけがアドバンテージを得る、一方的な展開だ。非常に気に入らない。

 その意味でも、相手の情報を得るのは急務だ。

 相手の情報さえわかってしまえば、手の打ちようはある。翔子には手に負えない相手である可能性も示唆したが、実際の所その可能性は低い。仮に手に負えない相手だった場合、数年もの間をこんなちまちまとしたよくわからないことに費やさないだろう。だとすると、相手はそこまで大きくない存在で、今のところ何かしらの "実験" を行っている可能性が高い。数年間行っているのは、その実験が難航していると考えれば辻褄が合う。実験が難航している今なら、翔子とキャサリンでなんとか叩き潰せるはずだ。

 相手が全力を出してなおこの程度という可能性もあるが、それでも見つけさえすれば叩き潰せることには変わりない。むしろ楽である。

 手に負えない可能性があるとすれば、相手がこちらの油断を誘うためにわざと手を抜いている場合だ。仮にこの状況だった場合、迂闊に攻めればこちらの戦力が大幅に――いや、全滅しかねない。翔子やキャサリンという貴重な戦力を失い、深い痛手を負うことになるだろう。だが、それ程の戦力があるなら最初からこちらに攻めてきた方が効率がいいのでこの可能性は低い。

 どちらにせよ、あまりに時間が経つとこちらが不利になる。敵の戦力が整う前に叩き潰したい。

 そのためにも、翔子の働きは重要である。

 インセクサイドでも情報は集めるが、それだけでは恐らく直接的な解決に至らないだろう。

 ベクターズの特性を見るに、生物学や遺伝子工学辺りの知識を持った相手である可能性が高い。インセクサイドは殺虫剤メーカーなのでその手の伝手は多いのだが――怪しい人物を突き止めても、企業の体をとっている以上深くは踏み込めないのだ。せいぜい、翔子に情報を提供し、そちらから攻めるぐらいしかできないだろう。

 ヴィディスの仕上げも進めなくてはならないので、使える時間も限られてくる。例えば、キャサリンに頼まれた変身機能だ。響子の視点で見てもなかなか魅力的なので、是非採用したい。しかしこれまでとはまた違う技術を用いることになるので、一日二日で完成できる代物ではなかった。リファインも進めなければならないので、また厳しい一週間を強いられるだろう。つらい。

 この先の道程は、険しいものとなる。翔子にはヴィディスを一週間以内にモノにすると言ったが、正直なところ二週間は欲しかった。敵の特定も、どれだけかかるかわからない。それでも、出来る限りの力を注ぎ込み早急な解決を目指す必要があった。のんびりとしてはいられない。

「……よし、休憩終わり」

 響子は再びパソコンに向き直り、先程閉じたファイルとは別のファイルを開く。ヴィディスの変身――遠隔装着システム開発のために集めた資料だ。

 今回は、ヴィディス本体を四次元空間に格納し、必要に応じて三次元空間に呼び出すという手法を使う。ただし他次元干渉技術の研究は世界レベルでもロクに進んでおらず、インセクサイドが世界トップを名乗っても怒る人間が出ないほどだ。

 なので資料のほとんどは、目を通したところで 「そんなものとっくに知ってるわ」 となるレベルの代物である。ハッキリ言って役に立たない。

 集めた資料をゴミ箱に移動させながら、改めて自分達の技術力に感心する。ただの善良な殺虫剤メーカーだったはずなのだが、いつからこんなトンデモ企業になってしまったのだろうか。

 数年前、ベクターズ――当時はまだ呼称すら決まっていなかった――の対策に乗り出した頃は、まだ "普通" の大企業だった。強力かつ人体に優しい殺虫剤を目指し、日夜虫の研究に明け暮れていたのを覚えている。

 対策に進出してから数カ月後、響子は対策チームのチーフに抜擢された。もともと生物学より機械工学の方が得意――というより、機械工学なら世界でも戦えるレベルの技術者だったからだ。因みにそんな響子がインセクサイドに就職した理由は、当時は虫が大嫌いだったからである。更に言うと、今は虫などどうでもいい。これまで自分の携わってきた殺虫剤が大量の虫を殺しているし、実験でもかなりの桁を殺してきた。それに、対策チームでの研究が虫のことなど忘れるぐらい楽しかったからだ。

 そんなこんなで響子が対策チームに配属されてからは、少しだけ普通から逸脱した企業となった。

 介護施設や建設会社に売りつけたほうが有効活用できるパワードスーツに、馬鹿げた火力を持つ歩兵携行用の重火器。明らかに虫以外のものを殺そうとしている。

 それから更に、翔子と出会ってからは他次元干渉技術の研究が飛躍的に進んだ。今では、殺虫剤よりも売れそうな技術を持つまでに至る。

「私のせいだった……っ!」

 響子は頭を抱え、机に突っ伏した。この会社をビックリドッキリ企業にしたのは、他ならぬ自分だったのだ。適当な理由をつけて予算と人員を貰って、好き勝手していただけなのだが……それがどういう因果か、こんな結果になってしまった。どうすんだよこれ……。

 一番質が悪いのは、この超高度な技術が企業利益に一切貢献していないという件だ。とんだ金食い技術でありながら、ベクターズの討伐や響子の自己満足にしか役立っていない。

 一応、ここに配属される前は響子の携わった殺虫剤で多大な利益が上がっているのだが、それとこれとは話が別だろう。まだ響子が上げた利益の半分も浪費していないが、そもそも企業にとって浪費は痛い。インセクサイドが潰れてしまっては、響子も困る。

 そろそろ、他次元干渉技術を応用した殺虫剤でも作るべきだろうか。

 例えば、擬似異空間フィールドを創りだして対象を三次元から隔離する殺虫剤。擬似異空間は不安定なので、三分ぐらいで虫ごと消滅するだろう。……間違いなく悪用される。

 一番無難なのは、缶内を四次元空間にすることでこれまでとは比較にならない容量を実現した殺虫剤だろうか。従来のスプレー缶を四×四×四と仮定するなら、四次元スプレーは四×四×四×四になる。……長持ちしすぎて売れなくなるから却下。

 むしろ、ヴィディスを小型無人化して全自動虫捕りマシーンでも作ったほうが有意義だ。射程圏の虫を抹殺するのである。AIが徒党を組んで人類に反旗を翻すのは時間の問題だろう。駄目じゃん。

(思った以上に穀潰しだった……)

 インセクサイドがベクターズ討伐に力を入れているからいいものの、この前提が崩壊したら今の響子はただの役立たずである。

 もう少し真面目に生きたほうがいいのかもしれない。

 翔子にもヴィディスⅣについては建前を述べてしまった。いくら協力的な彼女でも、 「実は私の自己満足でした」 などと言ったら怒るだろう。個人的な欲を述べると、彼女とは仲良くしていたい。

 ……翔子やキャサリンのためにも、もう少し真面目に生きよう。

 響子はパソコンを睨み据え、ヴィディス遠隔装着システムの設計ファイルを開く。

 理論は完成している。後はシミュレーションを繰り返して、形にするだけだ。こんなもの、四日で終わらせてやる。

 響子はキーボードをカタカタと叩く。シミュレーション用のサーバに接続して、様々な条件で問題がないかテストを行う。他次元干渉の塊である翔子が近くにいても問題はないか。ベクターズが現れるときの時空の歪みと干渉しないか。Etc. . .。

 同時進行で、リファインも行う。自前のノートパソコン――性能は既成品の八倍だ――を開き、こちらはヴィディス本体の設計ファイルを開いた。装甲を換装した際のシミュレーションが、まだ不完全だ。

 やることはいくらでもある。

 今日は日曜日だが、休んでいる暇はない。

 響子の長い一日が、また始まろうとしていた。



 家に帰った弥月は、ベッドでゴロゴロしながら、翔子に送る文面を考えていた。

 頭に浮かんだ要素を適当に纏めて、打ち込んでみる。

『今日はありがとうございました! それで、お礼なんですが……来週の休日、お暇があれば食事に行きませんか? いい店を知っているんです』

 文にしてから、見直すこと数分。

(……高校生に食事に誘われて、大人は嬉しいのかなぁ……? そもそも、いきなり食事に誘うのもなんかなぁ……)

 それ以前にいい店を知らない。

 駄目だ、やり直し。

(やっぱり最初は雑談から……!)

 今日あったことを踏まえて、相手の話に移行してみよう。

『今日はありがとうございました! 戦う姿、とても格好良かったです! ところで、翔子さんは何か格闘技を嗜んでいらっしゃるのでしょうか?』

 書いてから、思い返す。素人目に見ても、翔子の戦い方は格闘技とはかけ離れているように見えた。首を絞めるならともかく、首の骨を折る格闘技なんて嫌だ。

 仮にあれが弥月の知らない格闘技だとして、その話題を振られても困る。そもそも格闘技になんて興味が無いし、話題に繋げられるとは思えなかった。

 やり直し。

 もう二十回目だ。そろそろ疲れてきた。いっその事、今日は挨拶だけで済ましておいたほうがいいのかもしれない。

『今日はありがとうございました! おかげさまで、今日も何事も無く過ごすことができそうです。また今度、お話しましょう』

 これなら、今後の交流へ無難に繋げられるのではないだろうか? 『また今度』 とすることで、明日でも明後日でも通じる気がする。

 よし、これで行こう。

 弥月は期待を胸に、送信ボタンを押した。



 メールが返ってきたのは、一時間後だった。

 タイトルはなし。本文は、とても短い。

『どういたしまして。また今度ね』

(これだけの本文、一時間かかる……?)

 一時間待ってからメールを受信した時は、一体どんな長文が送られてくるのかとドキドキした。が、結果がこれである。拍子抜けだ。

 だが、これだけの文章に一時間もかけたとは考えにくい。

 アドレスを交換した時の様子から鑑みるに、翔子は極度の機械音痴というわけでは無さそうだ。ごくごく平均的な能力は持っているだろう。

 ならば何らかの電波障害だろうか? しかし、これも翔子のメールが来るまでインターネットでゲームをしていたことを考えると不自然である。メールアドレスを見る限り、弥月と翔子の携帯電話は同じメーカーのものだ。

 となると一番有力なのは、翔子が何らかの事情で携帯電話を使えなかったという可能性だろう。

 まだ午後の三時なので、昼寝かトイレが妥当だろうか。なんにせよ、いきなりプライベートに踏み込むものではない。

 弥月は、再びインターネットに戻った。



 あれだけの短いメールに、とても長い時間を要してしまった。

 怪しまれていないか、翔子はドキドキと返信を待つ。――が、しばらく待っても返信は来なかった。どうやら、あからさまに怪しんではいないらしい。翔子はほっと胸を撫で下ろす。

 メールが来たのは、響子に二度目の報告を終えて眠ろうと思った矢先のことだ。それから、どういった内容で返すか、ずっと考えていた。結局は無難な短文に落ち着いたのだが、それまでに合計で原稿用紙二枚分ぐらいの文章を考えたのだ。我ながら、よく頑張った。

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