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第八話 後輩

 十代の少女にとって高校時代の先輩というものは特別な存在であった。

 ましてそれが女子校で憧れの存在だったらなおさらである。


 本庄(ほんじょう) 紗耶香(さやか)は自分の事をつまらない人間だと思っていた。

 親の言う事を聞き、教師の言う事を聞き、求められるまま優等生を演じている。

 言われるがままに習い事をして、言われるがままに勉強をして、言われるがままに進学校に進んだ。

 将来は言われるがままに会社に勤めるか、言われるがままに結婚することになるだろう、そう思っていた。

 

 一方、紗耶香に対する周囲の評価は違った。

 日本人形のような整った容姿は、異性はもちろん同性からも強い憧れの対象であった。

 その礼節を重んじた立ち振る舞いは年配の人間も好感を持ち、教師達からの信頼も厚い。


 そういった雰囲気のためか、紗耶香はいつしか孤独になっていた。

 高校に入学した当初は親しげに話しかけてくれた友人も次の学年に上がる頃には一歩距離を置くようになっていた。

 『紗耶香さんは特別だから……』

 勉強は学年で一番を取り続け、それでいてスポーツもできる少女を憧れの対象として扱うようになるのは女子校では珍しい事ではなかった。

 新入生が入ると、いつしか憧れのお姉さまにまで祭り上げられてしまった。


 紗耶香はそんな存在になりたくはなかった。

 もっと、普通にクラスメイトと話したかった。

 年相応に恋愛の話をしたり、話題の少女マンガの話をしたり、こっそり好きだったゲームの話をしたかった。

 

 紗耶香の一つ上の学年に雪村(ゆきむら) (あい)という生徒がいた。

 紗耶香と同じように勉強が出来て、スポーツが出来ておまけに生徒会長まで務める優等生だ。

 教師の受けもよく、下級生にも慕われる紗耶香と似たような存在、それが雪村愛だった。


 ただ一つ違いがあるとすれば、愛の周りには常に人が集まっていたということだ。

 紗耶香のように遠巻きに人が集まるのではなく、手にとる距離で笑顔が溢れていた。

 それは紗耶香が憧れた学校生活であり、羨ましくもあり、妬ましくもあった。

 ──彼女にあって、私にないもの

 いつしか紗耶香はそれを探して愛の姿を追い求めるようになっていた。






 それは朝の昇降口の出来事だった。

 始業時間まであと少しという時間帯で、多くの生徒たちが教室に向け足を急がせてる中、ある一角に人垣が出来ていた。

 ──なにかあったのかな?

 いつもなら少し気になりつつも、素通りするであろう紗耶香が足を止めたのは、騒ぎの中心に雪村愛という少女を見つけたからだ。


「待ちなさい! 雪村さん!」


 眼鏡を掛けた教育熱心な女教師が女生徒をつかまえ、声を荒げる。


「待てません!」


 愛の血相を変えた様子はいつもの穏やかな彼女を知る他の生徒達──紗耶香を含む、を驚かせた。

 元々、生徒同士ですら騒ぎのおきない学校でもっとも騒動と程遠い生徒が騒ぎを起こしているのだ。

 人が集まるのも当然と言える。


「あなたが帰っても仕方ないでしょう? ご両親だってご在宅なんでしょ」


「両親はきっと仕事でいません。ああ、こんなことしている間に弟が苦しんでるかもしれない」


 二人はなにやら言い合いを始めていた。

 どうやら、雪村愛は学校に登校したものの家にいる病気の弟が心配で早退を申し出たらしい。

 それに対して女教師は、そんな心配しなくても大丈夫だから学校で授業を受けなさいと主張している。

 帰りたいという愛に対し、残りなさいという女教師は双方主張を譲らず話しあいは平行線を辿っていた。


 そんな中、紗耶香は気づいてしまった。

 愛の右手が力強く握られ、微かに震えていたのを。

 そしてその目に決意を秘めた意思がある事を。


 このままではマズイ。

 そう思った紗耶香は二人の間に割って入った。


「先生、待ってください!」


 突然、乱入してきた第三者に戸惑う二人。


「いつまでもここで争っても仕方がないのではありませんか。もう授業も始まりますし」


 そう言うと、女教師は腕時計に目を落とし時間を確認する。


「それに、こんな場所で大騒ぎするのは問題あるのではありませんか?」


 辺りに人垣が出来ている事に今さらのように気付く女教師。


「だからと言って……」


 集まった生徒達は女教師に注目する。

 生徒は皆、人気のある愛の味方だ。


「ふぅ、わかりました。雪村さん今回だけですよ」


「はい! 先生!」


 その右手と目には不穏な気配が無くなったのを確認した紗耶香はホッとした。


「あなたは……?」


 愛は紗耶香を見て問う。


「本庄です。雪村先輩」


「そう、本庄さんね。ありがとう」


「いえ、お気になさらずに」


 そういうと愛は足早にその場を離れて行った。

 おそろく病気の弟の元に急いだのだろう。

 

 それが、紗耶香と愛の初めての会話だった。






 次の日、紗耶香の元に愛は手作りのクッキーを持ってやってきた。


「本庄さん、あなたは弟の命の恩人だわ」


 そう言ってやってきた愛に、


「弟さんはもう大丈夫なんですか?」


 と紗耶香が尋ねる。


「ええ、昨日まで三十七度もあったのに今日の朝はすっかり元気になってたわ。これも本庄さんのおかげだわ」


 ──え?

 

 三十七度って平熱と変わらないんじゃないだろうか。

 それで昨日あんな大騒ぎを……


 あとから知った話ではあるのだが、愛は早退の常習犯だったらしい。

 その理由はすべて弟がらみ。

 どうりで昨日の女教師も執拗に食い下がるはずだった……

 ちなみにクッキーはおいしかった。






 その出来事を切っ掛けに紗耶香はたびたび愛と話をするようになった。

 どこまでも完璧な生徒会長、それでいて紗耶香とは違い、皆に親しまれる理想の先輩。

 そんな幻想は、すぐに打ち砕かれる。


 確かに、誰にでもやさしくて、頭もよく、運動もできる。

 友人に勉強を教える事はあっても教えてもらうことがなかった紗耶香は、勉強を教えてもらうだけで嬉しかった。

 でも、この完璧な人物はどこかおかしかった。

 弟が絡むとどこか常識が狂うのである。


「ねえ、サヤちゃん聞いてくれる」


「なんですか、先輩」


「ユウちゃんがね、最近おやすみのキスを嫌がるようになったの」


 ブゥと吹き出しそうになるのを懸命に堪える紗耶香。

 ”ユウちゃん”というのは、先輩の弟で確かもう中学には上がっているはずだ。

 紗耶香に兄弟はいなかったが、この年頃でおやすみのキスはありえないと思った。


「それがね、なんだかお友達にお姉ちゃんとキスするのはおかしいって笑われたらしいの。全然おかしくないわよね、欧米では普通だし」


 欧米がなんの関係があるのかわからなかったが、紗耶香は否定してはいけないと経験で知っていた。


「そうですね、そんなことを言うお友達がおかしいのかもしれません」


「そうよね! なんて言ったかしら。たしか”ヒロカズ”って名前だった気がする。もしかして良くないお友達かしら? そうだったら”教育(おはなし)”しないといけないかも……」


 愛の目があやしく光る。

 さすがに”ヒロカズ”くんの命が危険だ。


「でも、ユウト君も年頃だから反抗期なのかもしれませんね! もう少ししたら落ちついて素直な良い子に戻りますよ!」


「そうかしら? そういえば最近一緒にお風呂に入るのも嫌がるのよね……」


 突っ込みたくても突っ込めない紗耶香であった。






 愛が卒業し大学に進むと、一年後には追いかけるように紗耶香も同じ大学に進学した。

 大学になってからより一層、紗耶香はこのちょっとおかしな先輩が好きになっていた。

 そして、紗耶香はいろんな事を愛に相談するようになる。


 少女漫画が好きな事。

 周りから、お姉さまと持ち上げられるのが苦手だった事。

 実は、ゲームが大好きな事。 


 愛はすべて真剣に聞いてくれた。

 それが紗耶香が望んでいた事だった。

 両親や教師が望んでいる”いい子”の自分ではなく、ありのままの自分を見せれる相手。

 そこには、優等生を演じていたつまらない存在はもういなくなっていた。






 愛が卒業し、紗耶香が大学4年生になった頃ひとつの転機が訪れる。

 将来の道を決めあぐねていた紗耶香に両親が見合いを勧めてきたのである。

 紗耶香は結婚なんてまだ考えられないし、できるなら好きな人と恋愛した上で結婚したかった。

 相手はまだいないけど……。


 しかし両親は見合いを断る事を許さなかった。

 これはという人を両親が見つけてきたらしい。

 両親も見合い結婚だったことから、これが娘の幸せにつながると信じていた。

 相手も、容姿に優れた紗耶香の写真を一目見て気に入ったらしい。

 もし見合いを断らなかったら、そのまま結婚する事になるのは目に見えていた。


 紗耶香は結局、自分は両親の言う事を聞く操り人形に過ぎない事に絶望した。

 そして思い出す。

 かつて、自分がお人形さんではなくひとりの人間としていられた相手を。


 




「いいサヤちゃん? サヤちゃんにとって一番大事な物は何? 物事には優先順位があるわ、それを忘れないで。もしサヤちゃんにとって一番大事な物がご両親の意思に従うことなら、お見合いを受けた方がいいのかもしれない。でも、もしサヤちゃんの一番が他にあるのなら絶対に後悔するわ」


 紗耶香にとっての一番はなんだろうか。

 確かに両親の事を大切に思う気持ちはある。

 ただ両親のいいなりになる事を望んでいるとは思えなかった。

 紗耶香は愛のようになりたかったのだ。

 勉強ができて、運動もできて、人望が厚い。

 それにも関わらず”大切な事(おとうと)”に関係すると全てを投げ捨てる行動力。

 全てが憧れだった。


 結局、紗耶香は見合いを断る事にした。

 これに激怒した両親は、一切の資金援助を止めた。

 言う事の聞かない娘に対する罰のつもりだった。

 すぐに根を上げると思われた紗耶香は両親の予想を裏切る事になる。


 急きょ学費が払えなくなった紗耶香は、大学をやめた。

 慌てた両親が説得しようとするも、いつの間にか紗耶香は家を出てしまった。


 紗耶香はひとつ当てがあったのだ。

 VRMMO『アルカディア』

 ゲーム好きがこうじて大学時代、趣味でやっていたゲーム。

 しかし職業として金を稼いでいるプレイヤーも一定数いる事を知っていた。

 紗耶香はプロ冒険者の道を選んだのだった。


 幸いにも大学時代の伝手(つて)で、同じ女子大の卒業生による攻略グループに入れてもらう事が出来た。

 そのグループは家を一軒借り切り、シェアハウスとして活用していたため住む場所にも困らない。

 とはいっても、『アルカディア』内に永住しているような人も多いのであくまで仮の家であった。

 

 紗耶香は事の顛末(てんまつ)を愛に伝えると、愛は『困った事があったらいつでもうちにいらっしゃい、うちはユウちゃんと二人きりだから部屋だけはたくさん余ってるのよ』と言ってくれた。

 嬉しく思いつつも、年頃の男の子がいる家に居候するのもどうだろうか。

 ただ愛にとって弟は”男の子”という(くく)りではないのだろうなと苦笑いを浮かべた。






 紗耶香が冒険者になって二年も過ぎようかという頃、久しぶりに愛から連絡があった。

 いつもは紗耶香から連絡を入れるのに愛からなんて珍しい。

 なんでも相談事があるらしい。

 これも、珍しいなんてものじゃない。

 あの完璧な人間に悩み事なんてあるのだろうか、あったとしても弟のことくらいだろう。

 

 話を聞くと案の定、弟のことだった。

 やっぱりというか、なんというか、いつもどうりの愛に紗耶香はホッとした。

 

 つまりはこういうことだった。

 弟が『アルカディア』で冒険者として生きて行く道を選んだので、手助けをしてやって欲しい。

 紗耶香はいろいろと驚いた。

 

 まず、愛の弟は有名な進学校に通っていたはずで、わざわざ冒険者になるとは思えなかった事。

 次に、弟が冒険者になる事を愛が許した事。

 冒険者といえばゲームの世界とはいえ一歩誤れば命の危険だってあるのだ。

 これは世界中で知られているので愛が知らないとは思えなかった。

 最後に、愛が弟の事を他の人に任せようとした事。

 弟の看病のためなら例え両親でも邪魔もの扱いするような愛が弟の事を頼むなんてよっぽどのことだった。


 もちろん紗耶香が断る事なんてできなかった。

 愛には返しきれないほど借りがあるし、噂の弟にも会ってみたかったのだ。

 姉のように慕う存在の弟は、紗耶香にとっても弟のような存在であると勝手に思い込んでいた事もある。


 そして次の休日に待ち合わせする事に決まったのだ。

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