第三話 姉
タオルを頭に巻いた強面の男が調理をするラーメン屋は夕御飯の時間帯をとうに過ぎても人で賑わっていた。
繁華街の一角に位置するその店は、さまざまな人種であふれている。
仕事帰りのサラリーマンから、どうみても夜の人間にしか見えない明るい髪に派手なアクセサリーをした男女。
そんな中、二人の学生風な若い男はテーブルに向かい合いながら座っていた。
「おつかれ」
「おつかれさーん」
二人は軽くグラスを合わせると一気に飲み干し、ラーメンをすすり始める。
黒髪の背の高い青年は、茶色でウェーブのかかった長髪の青年に向け話しかける。
「でもヒロカズ、こんな遅くなって明日大丈夫なの?」
「明日ってなんの事だよ?」
「学校だよ、大学あるんだろう?」
思わず吹き出しそうになるヒロカズ。
「なに言ってるんだよ、明日は日曜だぜ。休みだよ」
「マジでか……。最近はどうも曜日感覚がなくてさ」
「まあ毎日、朝から晩まで『アルカディア』に行ってるんだろ? 向こうじゃ曜日なんて関係ないもんな」
「まあね、だんだんとリアルの世界から遠ざかってる気がするよ」
「そりゃプロ冒険者なんて選んじまえば、あっちの世界の住民みたいなもんだろ。中には一週間や二週間は行ったきり戻ってこない奴らもいるんだろ?」
「さすがに一週間に一度はこっちに戻る事を推奨してるけどね。でも廃人連中は一カ月は戻ってこない事もあるらしいよ」
「そいつはすげえな、でもユートは毎日きっちりこっちに戻ってるんだろ?」
「……んん、まあね」
どこか答えずらそうなユウト。
「やっぱなんか理由あったりすんのか? お前の事だから効率とか考えての事なんだろう?」
「…………ったから」
「え?」
ユウトの声は小さく喧騒に包まれた店内ではヒロカズの耳には届かない。
「愛ちゃんに毎日戻ってくるって約束したからだよっ!」
今度こそ笑いを堪えられなかったヒロカズは爆笑した。
「ハッハッハッ。さすがのユートもお姉ちゃんのお願いには逆らえないってか。それにしてもなあ……クックッ」
さすがにユウトも恥ずかしくなったのか顔を赤らめる。
「笑うなよぉ、この道に進むためにいろいろと説得するのが大変だったんだから」
「それでも最終的に許してくれたんだろ? うちの両親だったら絶対ありえないぞ」
「まあね、『ユウちゃんがそれで幸せになれるんだったら』って許してくれたよ。まあそこまでにはえらい苦労したけどね」
「いい姉ちゃんじゃねーか」
少しだけしんみりとした空気が流れる。
「ところで知ってるか? うちらの学年で進学選らばなかったのユートを含めてたった二人だけだったらしいぜ」
「へー僕以外にも酔狂な奴がいたもんだね、そもそも進学するための学校だろうに」
「ハハッ、お前が言うなよ。三組の松原って奴が役者目指して劇団に入ったらしいぞ。一部の人間の間じゃお前と一緒に有名人だよ」
「一部の人間って誰だよ。でも懐かしいな、もう高校卒業して一か月は経つのか……」
ヒロカズは息を吐き出し、どこか目に真剣さを宿しユウトに問いかける。
「なあ、真面目な話なんで進学しなかったんだ? ユートだったらどこでも行けただろ? 少なくとも俺と同じとこには入れたはずだ」
ヒロカズの通う大学は私立大学では一、二を争う名門校である。
「前にも話したよね。手っとり早くお金を稼ぎたかったのと、僕に合ってると思ったからだよ」
「金なんていくらでも奨学金借りる事くらいできるだろう。プロ冒険者なんて大学卒業後でもいいじゃねえか。やっぱご両親の事が原因か?」
ユウトの表情に影が差すのを見ると、ヒロカズはしまったとばかりに顔をゆがめる。
「わ、悪い……」
「いや、気にするなよ。ヒロカズの言ってる事はもっともだしね。それに僕の事を心配してくれてるんだろ」
ユウトは努めて明るくふるまう。
「確かに親が死んじゃって、愛ちゃんに負担を掛けたくないのはあるけどね。」
「でもお前の姉ちゃんはそんなこと気にしないだろ。むしろお前のために喜んで金出しそうな気がするけどな」
「フフッ、確かにね。でも金が問題じゃないんだよ。僕はさあ、子供の頃サッカー選手になりたかったんだ」
「急に何の話だよ」
「まあ聞けって、それでね、ヒロカズも知っている通り中学時代の僕は県の代表にも選ばれるほどだった。いずれはユースか強豪高校にでも入ってプロになるもんだと思ってたさ」
ユウトは一息つくと話を続ける。
「でも僕は勉強ができた。もし頭が悪くて勉強ができなかったら簡単だったんだろうね。スポーツ推薦を貰っていた学校に進んでサッカー漬けの日々だったろうに。でも僕は下手に勉強ができたから推薦なんかに頼らずとも好きな学校を選ぶ事が出来た。だから将来の事も考えて進学校を選んだんだよ。別にサッカーは進学校でもできるしね。でもね……その時は気付かなかったんだよ」
「何にさ?」
「進学校を選んだってことはサッカーを選ばなかったってことにさ。確かに学校にはサッカー部はあったけどあれはサッカーじゃなくて玉蹴りだね。いつしか僕はサッカーをしないのが当たり前になって、気付かないうちにサッカー選手になる夢が消えちまった事に気づいたんだ」
「なるほどな、それで大学に進学をしない理由とどういう関係があるんだよ」
「わからない? 確かに大学に行きながら『アルカディア』をする事は可能だし、卒業後にプロ冒険者になる事は可能だろうね。でもな、僕は怖いんだよ。またサッカーみたいにいつの間にか僕の中から消えちまう事がね。僕は今度こそ選びたいんだよ自分自身の意思でね」
ヒロカズは真剣な目でユウトの話を聞き終わると、
「ったく、わかったよ。お前が本気だってことがな。まあ大学だってその気になりゃいつ通ったっていいんだしな」
と二人で笑い合った。
閑静な住宅街の大通りに面した一軒の建物がある。
建築されてから幾分か時が過ぎてはいるものの、よく手入れされていることを窺い知ることができる。
ユウトはその住宅の玄関の前で考え事をしていた。
というのも、ユウトは目の前の扉に合う鍵を持っているものの、恐らくチェーンが掛けられているために扉を完全に開く事はできないだろうからだ。
ならばインターフォンを押すべきなのだが、やや夜も更けてしまっているため躊躇っているのであった。
しかしいつまでも扉の前に佇んでいてはご近所様に不審者と間違われてしまうかもしれない。
覚悟を決めて黒いボタンに手を伸ばす。
ピンポーン
静けさの中にやたら響き渡るように思えたのも束の間、家の中からトタトタと慌ただしい足音が聞こえる。
続いて、カチャカチャとチェーンを外す音が聞こえると、カチッと鍵の外れる音、同時にガチャッと扉の開く音が聞こえた。
「おかえり、ユウちゃん」
家の中からは、平均よりやや背が高いであろう女性が笑顔で迎え入れた。
肩まで伸ばしたよく手入れをされた髪に、儚さを宿した少女の様な顔、その割には母性を感じさせる膨らんだ胸。
輝かしい光を纏った笑顔はどんな暗い世界すらも明るく照らすに違いない。
「もう、こんな遅い時間にインターフォン押したからってすぐに鍵開けちゃ駄目だよ。誰が訪ねて来たか確認するためのものだろうに。」
ユウトは呆れた口調で言った。
「でもこんな時間に呼び鈴鳴らすのユウちゃんしかいないし……」
「それでもだよ、もし僕以外だった時の事を考えてよ」
「何よ、こんな時間になるまで帰ってこないユウちゃんが悪いんじゃないの」
ツンと表情をすますが、怒った顔がここまで似合わない人もいないだろう。
「だいたいね、ユウちゃん。お姉ちゃんと約束したでしょ、毎日帰ってくるって。今何時だと思ってるの!」
ユウトは居心地の悪そうな顔をして、携帯の時間を確認する。
「じゅ、十二時半です……」
「いい? 十二時を過ぎたら一日はお終いなの。わかる?」
「ハイ……」
「これからは気をつけるのよ?」
「わかったよ、これからは気をつける……」
ユウトがシュンとしていると、その頭に手を乗せ
「いい子、いい子」
と頭を撫でるのであった。
「愛ちゃん、やめてよ。子供じゃないんだから!」
「大人だったらちゃんときちんとした時間に帰ってこれます!」
「もう無茶苦茶だよ……」
言葉では嫌がってるユウトであったがその顔を見れば嫌がってない事は誰の目から見ても明らかであった。
仲の良い姉弟は二人幸せそうな顔で家の中へと入っていく。
ユウトは自室に入るとパソコンの電源を付ける事が習慣になっていた。
目的はインターネットを利用した情報収集である。
とはいってもインターネット上に『アルカディア』についての有用な情報が転がっているわけではなかった。
ただでさえ情報が優位を決するのが、オンラインゲームであるのに『アルカディア』は現実のお金が大きく関わってくる。
なので、有用な情報は狭い仲間内のコミュニティでしか共有される事はなく、ネット上に転がっている情報はデタラメなものや役に立たないものばかりであった。
しかし掲示板を利用したプレイヤー達のちょっとした雑談などから稼ぎに繋がる事もあるので、ネットを使った情報収集も捨てたものではないとユウトは考えていた。
例えば今日倒したレッドワイルドボア。
ワイルドボアよりやや大柄で全身に赤い縞模様があるのが特徴だ。
このレッドワイルドボア、俗に言うレアモンスターとして知られている。
レアモンスターとは通常モンスターに比べ、生息数が少なく、例外はあるがその素材は高価に取引される事が多いのが特徴である。
もしその情報を知らなかったら、ワイルドボアは怪我をするリスクが大きいため──下手したら命に関わることもある──万全の状態でないときは見逃していたかもしれないのだ。
ユウトは一時間ほどのネットサーフィンを終えると眠りにつくのであった。