第二話 芦部
古代ギリシアに一人の男が生まれた。
男の名前はアリストテレス(前三八四~前三二二)。
そう、哲学者プラトン(前四二七~前三四七)の弟子であり、かの有名なアレクサンドロス大王の家庭教師をつとめた男である。
多くの学問の礎を築いた天才は人間という生命体に対して一つの結論を出した。
『人間の体は神が作りたもうモノであり、ソレを動かしているエネルギーこそがエンテレキー(魂)である』
また『コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)』という言葉を残したフランスの哲学者ルネ・デカルト(一五九六~一六五〇)も、次のように説明している。
『人間はモノを考える事が出来る。そうであるならば人間の体の中には魂が存在する場所があるはずだ。それは松果腺の中である』
デカルトもまたアリストテレスと同様に魂という存在こそが人間を人間たらしめる物であると考えた。
一方、ドイツの哲学者アンドレアス・フォイエルバッハ(一八〇四~一八七二)はこれらの考えを批判する。
魂が人間を支えているのではなく、人間が魂を成り立たせているのであると主張したのである。
いわゆる唯物論的主張である。
”魂”とは何なのか。
そもそも存在しているのだろうか。
人類は長きにわたって答えを出せずにいた。
人間という生命体について研究が進まない原因のひとつにキリスト教の普及がある。
キリスト教における創造神の存在がヒト・生命・魂の存在に多くのタブーの領域を作りだしていたのである。
そんな中、一八五九年にタブーの領域に一つの書物によって一石が投じられることになる。
書物の名は『種の起源』。
チャールス・ダーウィン(一八〇九~一八八二)は自著の中で進化論を発表した。
『あらゆる生物は、生存競争の末に優れた遺伝子を残していく。子から子へと何代にも繰り返されていく内に生物は徐々に進化していくのだ』
ダーウィンの進化論は暗にこう述べていた。
人間を創ったものは神ではない、人間はサルから進化したものである、と。
当時の人々はダーウィンの進化論について否定的であった。
人間は特別な存在であって、決して類人猿の子孫であるとは受け入れられなかったからである。
しかし、これ以降の学者達は徐々に人間を特別なものと捉える事をやめ、他の動植物と同じく単なる物質であるとの考えを強めていくのである。
二〇〇九年二月のイギリスはロンドンでの出来事である。
チャ―ルーズ・ダーウィン生誕二百周年を記念した『生命の根源に関する問題』と題された学会で一人の日本人による発表が行われた。
日本人の名前は芦部 耕作。
『人間に魂がある事を確認した』
彼の発表を聞く会場の人々は興味深そうな視線を向ける者、苦笑いを浮かべる者など様々であった。
しかし、続く彼の言葉に会場は大きくざわめく事になる。
『そして魂を分離することに成功した』
多くの人々は彼が何を言っているか理解できなかった。
今日では魂の存在というのは一種の宗教上の問題であって、科学者の扱うべき分野ではないとされていたからだ。
それを正面切って、魂の存在を認め、かつ分離したとは一体どういうことなのか?
『そう遠くない未来に、皆さんにも理解して頂けるだろう』
そう言い残して彼の発表は終わった。
会場にいた人々は戸惑いを隠せなかった。
しかし、多くの者はとんでも理論の一種であろうとか、彼なりのジョークだったのではと推測した。
一部の人間は、酔狂で知られる科学者やオカルト雑誌の記者は彼にコンタクトを取ろうと躍起になった。
だが彼は多くを語らず会場を後にしたのだった。
その後、日本に帰った芦部は約束通りあるシステムの発表をする。
仮想現実システム、通称VRシステムである。
今までにも多くの仮想現実と言われる物は作られてきたが、その多くはコンピューターを利用した視覚的、聴覚的なものであった。
しかし芦部の発表したVRシステムはそれまでのものとは一線を画すものである。
彼曰く、VRシステムとは魂を肉体から分離させ電子世界に付着させるものとされた。
その後世界は、芦部の動向から目を離せなくなった。
芦部は世間からの注目を傍目にいっそう研究に熱を入れていく。
VRシステムはめまぐるしく進化を遂げる事になるのであった。
多くの可能性を秘めたVRシステムであったが、芦部はその技術の核心部分については決して話そうとはしなかった。
これにはアメリカをはじめとした多くの国々で不満が湧き出てくる。
日本は芦部の持つ技術を独占しようとしている、VRシステムは人類の進歩に必要なものであるから世界に公開すべきであるとの論調である。
だが芦部は技術公開をせまる世界に対して、頑なに拒んだ。
芦部は軍事利用される事を恐れていたのである。
もちろんあらゆる革新的技術は軍事利用される事を知っていた。
それでも、彼はこの技術を軍事的な物ではなく世界に広める事を望んだのだった。
芦部が目を付けたのはエンターテイメントである。
彼はVRシステムを娯楽のために活用する事を選んだのである。
笑顔を生み出す技術として、生まれたのならばVRシステムも幸せであろうとの子を想う親の心境であった。
それから間もなくするとVRランドが世に発表された。
人類が夢見た仮想現実世界の誕生である。
VRランドとは、電子空間に作られた遊園地である。
もちろんただの遊園地ではない。
現実世界ではできないようなアトラクションですら仮想世界では可能となるのだ。
そこは正しい意味での夢の国となるはずだった。
順調に進んでるかのように思えたVRシステムであるが、一つの問題が解決できないでいた。
その問題とは”魂”の問題である。
魂とは一体何なのか完全には解明できないでいたのである。
そして、その事が原因で起こされる問題の一つに仮想空間で起こった怪我における現実世界での影響がある。
仮想空間で怪我をした場合、現実世界でも怪我をした事になっているのだ。
この事は魂が人間の本質で、肉体は魂の影響下にあるという証明をする事になるのだがエンターテイメントとしてVRシステムを利用する上では欠点でもあった。
もし、仮想現実に何らかのトラブルが発生した場合、魂の消滅も起こりうるのだ。
そして魂の消滅が肉体の死を意味する事は分かりきっていた。
慎重に慎重を重ねて開発を行ってきたVRランドであるが、ついにひとつの事故が起きてしまう。
一般公開を目前に控えたテスト中に死亡事故が起きてしまったのだ。
今までにも多少の怪我をするスタッフは出ていたが、死亡事故となると重みが違う。
一部のマスコミによってVRシステムの危険性が取りざたされるようになる。
それでもVRシステムの将来性は誰の目にも明らかであったし、騒ぎはすぐに収まり開発はすぐに再開されるものと思われた。
しかし、そんな折に日本中に、いや世界中に驚きが走る。
開発者である芦部耕作の逮捕。
今や世界中で有名な稀代の天才科学者の逮捕に世界中が驚き返った。
逮捕容疑は業務上過失致死である。
かの死亡事故の責任を芦部に求められたのであった。
世間は呆然とした。
新しい技術が生まれるときは事故が起きる事は当然であって、それを恐れていては技術の革新など出来はしない。
警察の勇み足であり、すぐに解放されるだろうというのが世間の大勢であった。
しかしそういった世間の論調もどこ吹く風か、芦部はとんとん拍子に逮捕から起訴、そして公判を迎える事になる。
第一審での判決は、検察の主張が全面的に認められ、執行猶予無しの懲役四年の実刑判決。
異例とも思える重い判決に騒然となったのは言うまでもない。
実はこの背景にはある噂が存在する。
事故に遭った被害者が、ある有力政治家の一人息子だからではないか。
政治が、行政や司法に圧力を掛けるなんてことはあってはならないことだが、ありえないという事もできないのが日本の現実である。
とはいえ、弁護側がそんな事情を受け入れるはずもなく即日控訴するであろうというのが大半の見方であった。
しかし、その後に芦部耕作を見かけたものはいなくなる。
在宅起訴されていた芦部は判決の後に控訴せず第一審の判決が確定。
収監要請を行った際にはその姿はどこにもいなかった。
世間の大半は芦部に同情的であり、日本政府に対して批判的であった。
そして不傑出の天才を失った日本に、世界は失笑を隠さなかった。
芦部のいなくなった後、VRシステムはその開発を進める事ができなくなった。
彼はシステムの核心部分についての一切を秘密にしていたし、彼一人が開発の大部分を担っていた事が原因である。
こうして、人類の夢であった仮想現実世界はその姿を消すかと思われた。
しかし、芦部が姿を消してから数年後、アメリカであるゲームが発表されることになる。
VRシステムを基軸に据えた、ヴァーチャルリアリティ・マッシブリィ・マルチプレイヤー・オンライン。
通称VRMMOである。
魂を電子世界に付着させることにより、仮想世界でも現実世界同様に行動することが可能であるとされるゲームの発表に世界中が沸いた。
そして誰もが思ったであろう、芦部に違いないと。
しかしアメリカ政府は、芦部の存在を否定。
開発者については完全に黙秘を貫いた。
その理由にいたっては、開発者が匿名を望んでいるためらしい。
そしてさらに、開発者はアメリカ国民であり、この偉大なる天才科学者をアメリカ政府は全力を持って支持すると発表したのであった。
どうみても日本に対する皮肉であるが、日本政府もアメリカ政府に対して意見を述べれるわけでもなく、以降このVRMMOの開発者は謎のままになるのであった。
こうして発表されたVRMMOゲーム、『アルカディア』は世界中で人気を博す事になる。
当初、日本政府は『アルカディア』についての許可を出さずに、日本での利用は大幅に遅れる事になるが、アメリカ政府の強い圧力に耐え切れずついに許可を出す事になる。
多くのVRMMOを待ち望んでいた日本の人々はこの決定に喜びの声を挙げるが、一部の政治評論家からは弱腰外交だと日本政府を非難したのであった。