第一話 報酬
青々とした深い木々に太陽の光が遮られた森の中で背の高い少年は息を殺していた。
いや少年というより、青年と言うべきだろうか、顔には幼さと精悍さの両方がうかがえる。
そして、その手には長さ一メートルを超えるであろう長剣を握りしめ、ただ一点だけを鋭く見つめている。
その視線の先には一匹の大柄なレッドワイルドボアが鼻息を荒くして地面を掘り返していた。
青年はレッドワイルドボアに気付かれぬようにジリジリと草に隠れながら足を進める。
その距離がおよそ十歩ほどまで近づいた時に覚悟を決める。
レッドワイルドボアはまだ地面を掘り返すのに夢中でこちらに気づく様子はない。
──ならば先制攻撃を叩きこんでやる!
「ダァ!!」
青年はアッという間にその距離を詰めると、手に持ったロングソードを両手に持ち替えワイルドボアに向かって振り下ろす。
ロングソードは日本刀のような切る事を目的にした物でなく、むしろ叩き潰す事を念頭に作られている。
鉄の塊と化したロングソードがワイルドボアの鼻先へと叩きこまれる。
『ギィイイイイイイイイイ』
レッドワイルドボアが叫び声をあげる。
見事に青年の先制攻撃は成功したものの、一撃で葬るには至らなかったようだ。
レッドワイルドボアは怒りを目に滲ませ、青年の方を向きその二本の大きく鋭い牙を震わせる。
青年は油断なくワイルドボアに向かって長剣を向け直す。
ボンッ! と空気が弾ける音と同時にレッドワイルドボアが突進を繰り出す。
とっさにロングソードで防いだものの、青年は数メートル弾き飛ばされ地面にしたたか叩きつけられた。
──スキルか!?
青年は顔をしかめながら立ち上がる。
もし長剣で防げずにまともに受けていたら大怪我をしていただろうことに恐怖と同時に安堵を浮かべ、気を取り直す。
「このイノシシが! これでも食らえ!」
青年はロングソードを地面と水平に構えると先ほどのレッドワイルドボアと同様に爆発的な勢いで突き進む。
加速度を得た青年がさらに己の腕を伸ばしロングソードに勢いをつける。
凶器と化した物理エネルギーがレッドワイルドボアにぶつかると、ドゴォ!!! という爆発音と共に辺りに土埃が舞った。
──やったのか? 手ごたえは確かに感じた。
青年は振り向きレッドワイルドボアが横たえている事を信じ土煙が収まるのを待つ。
土煙が収まるとそこには大きな躰を横たえたワイルドボアの姿があった。
──よし!
とガッツポーズをとろうとすると体が悲鳴を上げる。
先ほどのレッドワイルドボアの突進のダメージが残っているようだ。
少し顔をしかめた後、何事もなかったかのようにレッドワイルドボアの元に近づく。
青年はレッドワイルドボアがすでに息絶えた事を確認すると、プレイヤーカードを掲げドロップアイテムを回収する。
・レッドワイルドボアの大牙
・レッドワイルドボアの大皮
・レッドワイルドボアの肉
追加されたアイテムを見て思わず笑顔になる。
──まさかレッドワイルドボアを狩れるなんてな。
ポーンラビット狩りの最中に思わぬ大物を仕留めた青年は颯爽と街に戻っていった。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか」
業務用の笑顔を浮かべた若い女が定型句を紡ぐ。
「ドロップアイテムの買い取りをお願いしたいんですけど……」
青年はそう答える。
「かしこまりました。プレイヤーカードをよろしいでしょうか?」
プレイヤーカードを取り出すと若い女に手渡す。
女は慣れた手つきでカードを機械に差し込むと、手元のパネルを操作する。
「買い取り品はどちらのアイテムでしょうか」
「素材をすべてお願いします」
「かしこまりました、少々お待ちください」
そう言われると青年は受付から離れ、近くにあった椅子に腰を下ろす。
アイテムの鑑定には少し時間がかかる。
今日はレッドワイルドボアの素材があるのだ。
青年にとっては鑑定の時間すら楽しみだった。
『ユウト様、買い取りでお待ちのユウト様、受付までお越しください』
先ほどの受付嬢の声が響く。
思ったより短かったなと思いつつもカウンターへと向かう。
「お待たせいたしました。こちらが買い取り金額の明細になります。」
受付嬢から一枚の紙を渡される。
買い取り総額千二百六十ゴールド。
思わず紙を持つ手に力が入る。
「すべて買い取りでよろしいでしょうか?」
もし買い取り金額に不満があったら断ってもいい。
しかしユウトと呼ばれた青年は興奮気味に答えた。
「は、はい! お願いします!」
受付嬢は手短にプレイヤーカードを操作し終えると、受付の上に乗せ、
「ありがとうございました、またのご利用をお願いします」
と頭を下げたのだった。
「よっ! ユート!」
男が背中からユウトの肩を叩いた。
一瞬びくりとしたユウトだったが、男の顔を見ると肩の力を抜く。
「なんだヒロカズか、驚かせるなよ」
「悪い、悪い、そんなつもりはなかったんだけどな。ユートは今から帰りか? ん、なんだか嬉しそうな顔してどうしたんだ?」
平均よりも少しだけ背が高く、ウェーブのかかった茶色い長髪をしたヒロカズと呼ばれた男が問いかける。
「分かる? ふふっ、実はね……」
ユウトは嬉しそうに顔を寄せると、
「レアイノシシ狩っちゃいました」
「おおお! マジでか!? おめっとうさん。それでいくらになったんだよ!?」
「千二百ちょいかな、まあウサギも合わせた値段だけどイノシシだけで千は越えてるはずだよ」
「千二百ってゴールドでだよな、つーと十二万ちょいか! やったな! 一日の上がりじゃ過去最高じゃないのか!?」
ヒロカズは自分の事のように興奮して、声を大きくする。
「まあね、たまたま森でイノシシに出くわしてね。運がよかったよ」
「レアイノシシってレッドワイルドボアだろ? よく倒せたな!? けっこう危険だって聞くぜ」
心配する響きが声にする。
「ああ、ちょっと危なかったよ。まあ倒せたんだから結果良しってところかな」
ユウトはおちゃらけた感じで肩をすくめる。
「オイオイ気をつけろよ、ここで逝っちまったらリアルでもお陀仏なんだぜ」
「わかってるよ、心配してくれてありがとう」
ユウトはニッコリとヒロカズに笑みを向けると、そんなんじゃねえけどさとヒロカズはどこか照れくさそうに顔を背ける。
「で、ヒロカズはこれからどうするの?」
「これからつっても今日はもうログアウトするとこだぜ? ユートは?」
「僕もだよ、どうせならご飯食いに行かない?」
「いいねえ、でも飯ってどっちでだ。こっちか、あっちか?」
「リアルでだよ、ラーメンくらいなら奢るよ」
ユウトの提案にヒロカズは嬉しそうに、
「十万も稼いだくせにラーメンなんてケチ臭い事いうなよ、寿司とか焼き肉くらい行こうぜ」
と笑いながら答える。
「今日はラーメン食いたい気分なんだよ! 嫌ならこなくてもいいんだけどねっ」
とこちらも笑いながら答える。
「ああ、うそっ、うそだって! ラーメン最高!」
慌てて取り繕うヒロカズに、
「餃子くらいおまけしてやるよ」
と返すユウトであった。
二人は素材の買い取り等を行っている商人ギルドを出ると、ログアウトをするために冒険者ギルドへと向かう。
さすがに冒険者ギルドの周辺は大変賑わっていた。
大半はユウト達と同様にログアウトを目的とする者であると目されるが、中にはログインした直後の者もいるだろう。
ログイン・ログアウトの際には冒険者ギルドを使うことが必須なので、時間帯によっては大変混雑するのだ。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか」
マニュアルでもあるのだろうか、どこかで聞いたような受け答えを女性がする。
「ログアウトでお願いします」
「かしこまりました、こちらの部屋へどうぞ」
「また後でね」
ユウトは後ろに並ぶヒロカズにそう告げると、先導する女性の後をついていく。
小さな個室に案内されると中には人ひとり入りそうなカプセルが鎮座する。
カプセルは日焼けマシーンのような形状をしていて、ユウトがそこに寝転ぶと顔に呼吸器のようなものを付けられ、カプセルの蓋を閉められる。
「目をつぶってリラックスして下さい」
女性のやさしい声が聞こえた頃にはすでにユウトの意識は薄れつつあった。
ピピピピピピピピピ……
ユウトが耳障りな電子音に目を覚ますと、横たえていたカプセル──といってもつい先ほどのものとは厳密にいうと違うのだが──の蓋が開く。
そしてこれまた先ほどとは別の女性が声をかけ、ユウトの口から呼吸器を外す。
「お疲れさまでした。ご気分はいかかですか」
ユウトは軽く頭を振りながら
「問題ないです」
と答える。
「では、足元に気を付けてこちらへどうぞ」
女性は微笑みながら部屋を後にする。
ユウトは少し重い頭を揺らしつつ、やはりログアウトというものは何度やっても気分のいいものではないなと思うのだった。
ログアウトの手続きを終えると、これまた手続きを終えたヒロカズと合流する。
「よし行きますか」
声をかけるヒロカズだが、
「あーちょっと待って、いま換金してくるから」
「ごちになりまーす」
ユウトは笑いながら足早にその場を離れるのであった。
ポケットから携帯電話を取り出し時間を確認する。
夜の十時を過ぎていた。
思ったよりも遅くなってしまったなと思いつつも、窓口が並ぶ一角へと歩を進めた。
ユウトは二人ほど並んだあと、窓口に立つ。
「いらっしゃいませ」
中年の女性が事務的なあいさつをする。
ユウトは『アルカディア』のメンバーズカードを取りだす。
「千ゴールド分を日本通貨にお願いします」
「かしこまりました」
今日の稼ぎ全額ではなく千ゴールドほど換金をする。
もちろん現金は欲しいが、ゴールドも残して置かないと冒険者稼業に支障が出るとの判断からであった。
一万円札を詰め込み少し分厚くなった財布をポケットに押し込む。
──さあこれからだ!
初めての日給十万越えに気を良くしたユウトだった。