第1話
始めに知らない男が死んだ。足を滑らせて、滝壺に転落したのを同村の村人が見た。雨の日だった。
次に現れたのは初めの男よりも若くて、父方の弟だと名乗り、やはり死んでしまった。流行病をこじらせたのが原因で、倒れた次の日にこの世を去っていた。朝靄が立ちこめた早朝のことだった。
そして今日は朝靄の日の翌日。今日がどんな天気なのかわからない。忙しさにかまけて、空を見る暇もなかったのだ。
弔問に訪れる人の波やかけられる言葉には今一つ慣れなかった。
村の片隅にひっそりとたたずむ小さな家は、村中の者達が集まり、寝具に横たわる青年に生前の彼の行いやらを涙ながらに語る。
喪主席に座る自分はそんな彼ら一人一人に頭を下げる。葬儀をするのは三度目だった。
一人は母親。一人は知らない男。もう一人は、つい先日亡くなってしまった叔父だった。
「――銀ちゃん」
傍で掛けられた声は、この村に身を寄せてから特に懇意に自分と叔父に接してくれた主婦のものだった。
銀ちゃん。
元々の名は銀花と言う。銀色の銀に、花。
名前の由来は知らない。
知らない男と叔父は二人とも「銀」と呼んでいた。母親は幼少のみぎりに死別していたので、何と呼ばれていたのかは覚えていなかった。
気を落とさないで。これから大変だろうけど、おばさんがついているから平気よ。
やっと十を数える年頃の彼女に降りかかった残酷な現実を、哀れみと心配の両方を多分に含んだ目でのぞきこむ。少女は普段と変わらぬ澄んだ目をしていた。
手を握って訴える主婦に、銀花は小さく笑った。
「だいじょうぶ」
たどたどしい言葉使いでそう言うと、服の襟口からのぞく紐を引っ張る。革紐の先には、銀でできた蔦草模様に包まれた透明な珠が下げられている。
それは亡き母親が残した唯一の形見だった。
「これがあるから、ひとりじゃないよ」
にっこりと微笑む様子を、平静を取り繕う手段なのだと理解した主婦は、なおも言い募ろうとした。
そんなときだった。
銀花は自分に向けられた視線を感じとり、ゆっくりと振り返る。
葬儀のために村人達が忙しなく歩き回り、足音と飛び交う会話でそれは聞き取れるはずがなかった。けれど何故か、聞こえたのだ。その瞬間は本当にそう思ったのだ。
『銀』
その後に続く言葉もすんなりと胸に届く。
『遅くなって悪かった。一人にして悪かった』
受け止めるために広げられる手もないのに、人の波の向こうでたたずむ青年の元に銀花は走っていた。目の前を擦れ違う大人達に何度もぶつかりながら走り寄る。
狭い室内にごったがえす村人の数人は彼女の様子に驚いてその姿を目で追った。そして少女の口にした言葉に、にわかに耳を疑ったのである。
「さぼうっ!」
その名は棺を傍らに横たわる人と同じ響きを持つ名だった。
葬儀の最中など忘れてひっしと抱き合う二人の関係に当惑する者、場の忙しさに二人のことなどまったく気付かぬ者、気付いてもすぐに自分の仕事を思い出してその場を離れる者。各々の思索が交錯する真っ直中で、当人達の会話は独特のものだった。
「今度の『さぼう』はどういう字を書くの?」
「銀が適当に考えておけよ。俺も面倒臭い。――しかし、よく俺が来るとわかったな」
誉められて銀花は照れ笑いを浮かべた。
えへへ、と笑い『さぼう』の胸に顔を埋める。子供の腕で精一杯抱きつき、小さな、小さな声で呟いた。あまりに小さく、そして周囲の喧噪でその声は抱きつく相手の耳に届くことはなかった。
「『さぼう』がわたしを一人にしないの、知ってるもん」
一度は失われるかと疑いがなかったわけではない。けれど『さぼう』が再び現れることは何となく信じられたから、平気なふりをして、どうにか持ちこたえていた。
『さぼう』の名を持つその人は、いつでも銀花を独りぼっちにすることはないと、心が知っていたから。
がしがしと、初対面の挨拶代わりに髪の毛を荒くかき混ぜられ、彼女は少しむくれた。煤けた旅装束は何故か外から来た匂いがしない気がした。
「あら、それじゃあ偶然じゃないのね」
「はい」
さぼうと言う名が、銀花の親戚筋の男子につけられる珍しくない名前なのだと聞いて、少女の先行きを憂いていた主婦はその悩みを解消することができた。
「銀ちゃん、よかったわね。お兄さんと会えて」
突然の兄の登場に、ただでさえ急な葬儀に混乱していた村は、更に輪をかけて混乱した。今も主婦の家にお邪魔をして、主婦が防波堤になって好奇の目を向ける村人達から逃げていた二人だった。
「銀ちゃんのお兄さんは、銀ちゃんと一緒にあの家で暮らすのでしょう?」
つい先日亡くなった村人と同名であるために、『さぼう』さんとは声に出して呼ぶのに複雑な心情もあり、それを避けた主婦だった。
故人とは一回りほど歳が違うと話した青年は、成人したての年齢で、妹の銀花とはあまり似ていなかった。紹介されたすぐでは、本当は赤の他人で、近隣で横行する人買いの類かも知れないと危惧したが、彼が妹である少女に対する接し方に嘘らしいものは何一つ見受けられなかった。何よりも、彼は故人となった銀花の叔父にどことなく面差しが似ていた気がしたのだ。
亡くなった人は父方の血縁だったと言う。銀花の兄は父方の血が濃いのだろう。
「そのことですが、私がここに来たのは妹を引き取るためです」
「えっ」
驚く主婦に、彼は簡単に説明した。青年の横にちょこんと座る銀花は主婦とは対照的に、動揺する素振りはなく当然のように聞いていた。
「手前の仕事が都寄りなもので。そちらからはどうにも動けないものなのです。この度は妹の所在も判明いたしましたので、余暇を得てこちらに参りました。叔父の葬儀が済み次第、そちらに引き取らせていただきます」
有無を言わせぬ雰囲気が青年に周りに漂い、彼女は息をすることさえ困難に覚えた。やっとのことで呼吸し、彼の傍らにちょこんと座る少女を見た。
「……それじゃあ、銀ちゃんともお別れになるのね」
ちょうど同じ年頃の子供を持つ主婦には、寂しい話の席になった。




