第二話 森にて
死神にプロポーズされた人間は私くらいなものだろう。
気がついたら森の中で、しかも車椅子は壊れていた。尤も、舗装もされていない森の中を走れるわけもないだろうから、どちらにせよ捨てて来ただろうけど。
そんななかで一人にされては遭難確定だ。自由に歩ける人でもやはり難しいことにはかわりはないだろう。
死神にはレインと名前をつけた。ちょうど雨が降っていたし、彼に晴れは似合わないだろうから。そうそう、彼は驚くほど大きな人だ。小柄な私とはいえ、人を肩に乗せられるほどの巨体とは恐れ入る。ギリシャ彫刻の様な造形に、死神然とした真っ黒なマント、ただし顔色は青ざめ、すこぶる良くない。骸骨でないだけよかった。
私はレインに捨てていかれないか、とても危惧していた。神様が一人の人間に構うことがあるとは思えなかった。だから、彼のプロポーズじみた言葉はとても嬉しかった。しかしそれは生存の可能性の上昇という極めて打算的なもので、自分の小ささを恥じた。
「肉は食べられるか」
「ええ」
レインはそれだけ確認すると、腕をぶんと振った。その時に黒い霧が噴き上がり、何かが飛んで行った。
「何したの?」
「狩だ」
そのまま投げた方向に歩いて行くと、灰色のウサギのような生き物に、例の鎌が突き刺さっていた。
「あまり見ていて楽しくはないぞ」
「確かに」
レインが鎌を引き抜い切り口から毛皮を一気に剥ぎ取るのを見てしまい、少し後悔した。けれど、彼の肩に乗っているせいで目を閉じるくらいしか逃避のしようがなく、生々しい解体の音はどうしても聞こえてしまう。
「いつも肉は食べていたけど、こうやって見てみるとキツイものね」
具合が悪くなるほど感受性が豊かではないが、あまり気持ちのいいものではない。
「火はあるの?」
尋ねるとレインの手がピタリと止まった。どうやら獲った後のことはあまり考えていなかったらしい。
結局、彼は鎌を岩にぶつけて出る火花を火種とするという信じ難い方法で火を起こした。
因みに今日の宿は岩の窪みというアウトドア派もびっくりなところだ。
「うまいか」
小分けにした動物の肉は私がしっかり頂くことになった。死神は食事をしないらしい。ならば何を食べてそんなに大きくなったのかと問いただしたくなった。
「美味しい」
調味料無添加ウサギ様肉は現代の味覚からいうと物足りなさや不満もある。しかし生きるためにそんな贅沢も言ってられないし、わざわざ獲ってくれたレインにそんなことを言えるはずもない。
すっかり暗くなったころに、二人で焚き火を囲んで今後のことを語ることとした。
「これからどうするつもり?」
「君を守る。それだけだ」
「……うん、それは嬉しいんだけど、ずっとこのまま森で暮らすわけにもいかないでしょ」
「しかし森の外に人がいるとも限らない。取り敢えず森を抜けることを目標とするが、君の食料が十分に得られない可能性のある平原を突き進む選択は出来ない」
確かに、と納得してしまう。この森で私はレインと生きていくしかないのだろうか。もともと硝子を通して世界を見ていた私にはお誂向けな余生なのかもしれない。けれど、せっかく世界さえも連れ出して貰えたのに、同じ生き方をしていいのだろうか。
「ねぇ、我儘を聞いて欲しい」
レインは言ってみろ、という雰囲気でこちらを見た。
「私、この世界を見てまわりたい」
「死ぬかもしれないのにか」
「私はもうあの世界で死んだの。いまさら恐れないわ」
レインが言うには私の魂は相当歳を食っているらしい。どうせ消えるのなら、最期くらい派手にいきたいものだ。
「それが、しぐれの望む人生か」
もはや語らず、レインを見る。彼も私の覚悟を試すようにじっと私を見た。心の奥底まで見透かされるような鋭い眼光だ。
短くない間そうしていたが、やがて彼が一つため息をついた。
「仕方あるまい。私が君の脚になろう」
「ありがとう、レイン」
まだ会って一日と経っていないのに、レインは我儘を聞いてくれる。優しい人だと思う。何万年も経た器の大きさが為せることだろうか。私はレインより魂としては年上であっても、転生のごとに未熟者に逆戻りをして、レインに甘えている。
「明日も森を歩く。早めに寝ておけ」
丸まって寝ようとすると、夜は冷えるから、とレインは真っ黒なマントを私にかけてくれた。彼も寒いのでないかと顔をあげると、中に同じマントを着ていたのか、変わらぬ姿。
なんだか腑に落ちなかったが深く考えずに眠ることにした。
三人称がスマートだとは知ってるんです。