窓辺
塔から戻って数十分後。こんこん、とネーヴェの部屋の扉が叩かれる。
その音で暖炉から離れたネーヴェが廊下に通じる扉を開くと、控えていた給仕が頭を下げた。
それなりに年を重ねた、年配の女給仕だ。名をラーニア。ネーヴェが城に入った頃からいる古株である。
「ネーヴェ様、夕食の支度が出来ました」
そう告げる給仕の服から、漂って来るのは食欲をそそる匂い。今日も料理人達が奮闘したのだろう。
元々仕事熱心な料理人達だが、火吹竜が召喚されてからと言うもの、その張り切り具合には目を見張るものがある。
「すぐ行くわ。ラタ様は?」
「まだ、お休みになっておられるようです」
「そう、それなら私が立ち寄るから、皆には料理が冷めないようにと伝えて頂戴」
「わかりました」
「それと、その後の清めの支度も」
「はい」
すぐに伝えます、と笑顔で頭を下げた給仕が、廊下の向こうに消えて行く。
それを見送って、ネーヴェは急いで部屋に駆け戻り、毛皮を羽織って部屋を出た。
やや小走りに向かうのは、今は使われていない一室だ。
この城の中では、竜のいる塔が最もよく見えるとして、すっかり有名になっている部屋である。
「………」
曲がり角で、きょろきょろと辺りを見渡し、大急ぎで階段を駆け上がる。
別にやましい事があるわけではないが、連日、竜を見に行っているなんて、恥ずかしくてなかなか言えたものではない。
行く途中、厨房の前を通ったネーヴェの耳に飛び込んで来たのは、賑やかな音色と笑い声。
先祖である放浪民族の血は、こう言う時に出るのだと、ネーヴェは今さらながらに実感した。
「火吹竜ーの」
「せいやっ!」
「ためならーば」
「そいやっ!」
「薪を割る手にも力が入るぅ!」
「はいようっ!」
料理長以下一同が、調理器具を片付けながら、調子っぱずれな歌と掛け合いに興じている。
火吹竜の存在が嬉しくて仕方ないのだろう。一様に、声が明るい。
それに吹き出しそうになるのをこらえ、ネーヴェは再び上階を目指した。
廊下の冷たさも、こうして動いていれば大した事はない。
階段を登って部屋に飛び込み、月明かりを受ける窓辺に駆け寄る。
使われていないにも関わらず、埃が積もっていないのは給仕達のおかげだ。
窓枠に手を付き、その向こうの景色に視線を投げる。
山頂。そこにある塔とタエの姿を見ると、一気に疲れが吹き飛ぶような気がした。
「よし!」
笑顔で自分に気合を入れる。明日も、時間が出来たら会いに行こう。
やらなければならない事は山積みだけど、タエがいると思えば頑張れる。
心を弾ませながら窓から離れ、再び部屋を出て下を目指す。
その途中、あの部屋の持ち主を不意に思い出して、ネーヴェは一度だけ後ろを振り返った。
時に厳しく、時に優しく、自分を導いてくれた聡明な老人。
タエと、その人の雰囲気が、ふと重なったように思えたのだ。
懐かしいと思った。
同時に、少しだけ寂しいとも思った。
「……様」
つぶやいた声が風に消える。彼にはもう会えない。会ってはいけない。
けれど、もう一度会えたらと願わずにはいられないのだ。
それが決して、叶わない夢だとしても。