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伝説の竜

 火吹竜の出現は、今まさに野望を抱こうとしていた者達をひるませた。

 なにしろ見た目からして恐ろしく、その赤い鱗が、雪中で炎のように輝いていたからだ。

 火吹竜を連れて、塔から出て来たラタとネーヴェ。それを遠くから見ていた手下達が急いでその事を伝えるや否や、悪事を企んでいた者達はいっせいに青ざめた。

 横領を企んでいた者、下克上を狙っていた者、全てが片っ端から震え上がったのだ。

 中には、煩悩(ぼんのう)を吹き飛ばすべく懺悔(ざんげ)に明け暮れた者もいた。


「旦那様、もしやお祈りに行かれるので?」

「当然だ! 私はまだ死にたくない!」


 そう叫んだ貴族の一人が、雪の中に飛び出して行く。直後に顔を上げると、ギラギラと瞳を光らせて自分を睨みつける火吹竜が見えた。

 それだけで、どっと嫌な汗が背中を伝う。

 もっとも、タエに監視の意図はない。


「ここには、信心深い方が多いのですね…」


 だって、こんな夜更けに、遠くまでお祈りに出かけるんですもの!

 そう思って感激しているだけだ。

 もちろん、貴族にはそう見えない。ただただ、竜の迫力に恐れおののくばかりである。


「お怪我なさらないように、見守ってさしあげなければ」


 タエとしては、そんな気持ちである。だが、貴族には「貴様の悪事は判っているぞ、この私から逃げられると思うな」と考えているようにしか見えない。なにせ相手は神だ。

 伝説上の火吹竜は、炎を吐くだけではなく、高い知性を持ち、人の心を読み、企みすら見抜くとされている。

 もちろん後半は代々の吟遊詩人による創作だったが、今のシシリに生きている者の中で竜と対面した者はいない。


 伝説通りの竜ならば、逆らったら最後、消し炭にされるのが容易に想像出来る。

 そんな状況で、なおも野心を抱けるような者はいなかった。

 だから炎による粛清が行われずとも、火吹竜は抑止力として充分に役立った。

 当人、いや、当の竜の全く預かり知らない所で、その日、不穏の種火がひっそりと消えて行ったのである。

 ──ごく一部の、消え残りを除いて。


※ ※ ※


「火吹竜殿、寒くないですか?」


 ネーヴェが、塔の前でタエに声をかける。

 雪と氷の大地を踏みしめ、青々とした雲に覆われた空の下にそびえる火吹竜は、塔の中で見た時以上に力強かった。

 半ば凍った雪に鋭い足爪を食い込ませ、巨体を支えるにふさわしい翼を背負った姿。

 長く伸びるしなやかな尾は、一打ちで建物を薙ぎ払ってしまえそうにも見える。


 塔から出た翌朝、ぐっと首を上に伸ばし、両翼を思い切り広げたタエ。

 人で言えば伸びをするに近い動作だったが、遠方から視認できるほどの威容に、塔から距離のある城下の市場は一時騒然となり――やがて、大騒ぎへともつれ込んで行った。

 今もなお、城下がなんとなく騒がしい。


「もし何か必要でしたら、言って下さいね。できるものなら準備しますので」


 つま先立ちながらネーヴェが言う。

 ちなみにネーヴェは、ケープを羽織って、首元から入り込む寒さを防いでいる格好だ。

 ケープは、この地方に生息するマゴリ羊の毛で編んだ、たっぷりの空気を含むやわらかな毛糸でできている。

 そんなネーヴェを、タエが爬虫類独特の大きな瞳で見下ろした。


「大丈夫よ、やさしいネーヴェさん。それとわたくし、タエと言う名前がありますの」

「では、タエ様。何かありましたら、呼んで下されば参りますので」

「そうね、そうするわ。ささ、もう寒いでしょうから、わたくしの事は気にせずお戻りになって? ラタさまも、お風邪を召されませんように。こんな雪の日ですもの、部屋を温かくされた方がよろしいでしょう?」

「はい。それでは」


 タエの暖かな声に送られて、二人が城へと戻って行く。

 その姿が見えなくなってから、塔をぐるりと取り囲む形で大地に伏せ、タエはゆっくりと目を細めた。


 体の大きさのせいか、竜としての視力ゆえか、塔からはシシリの王国が一望できる。

 けわしい山の合間に、ぽつぽつと建つ家々。雪原をほのかに照らすオレンジ色の光は、それらの温かさを示す色合いだ。

 小高い山の上には岩組みの大きな城が在り、ホールと庭園を持つ事を示す壁の弧が、城の一部から張り出しているのが見える。

 周囲の針葉樹も残らず雪と氷で覆われ、薄青い月光を吸いながら、砂糖細工のような繊細さを風景の一部に添えている。


 深い藍色と、純白の共演。

 どこまでも美しい、壁画のような世界。


「なんてこと…ほんとうに、おとぎ話の国に来てしまったわ!」


 感激に声を上げる。もっとも、出たのは色めいた吐息ではなく、ドラゴンらしい「グルオォ」という迫力のある声だ。

 だが、そんな事もタエには気にならなかった。なにしろ外国には行った事がない。

 それが、気がつけば目の前に、それこそ素晴らしいとしか言えない絶景が広がっているのだ。

 幻獣として恐れられる竜にあるまじき態度さで、タエはその全てに感激していた。


「美しいこと」


 品の良い花を前にした時のよう、腕の代わりになる翼にあごを乗せ、ほう、と物憂げな息をつく。途端にこぼれ出した息が、炎となって雪を溶かした。

 ほかほかと湯気を立てる雪溶け水が、タエの目の前に出現する。


「あら、あら」


 タエは目を丸くした。

 即席で出来たお湯は、周りの雪と混ざり合い、あっと言う間に薄く広がった水溜まりになってしまう。

 その一部始終をつぶさに眺め、タエはふと、思いついた事を試してみるべく顔を上げた。


「そうっとね、そうっと…」


 大きな音を立てたら、国民の眠りを妨げてしまうに違いない。

 だから静かに、静かにと自分に言い聞かせて体を起こし、近くの岩をたぐりよせる。

 足先で持ったり、口にくわえたり。時には、長い尾でかき集めてみたり。

 人であった頃なら、はしたないと眉をひそめただろうが、なにぶん今のタエはドラゴンだ。


「…これでよし、と」


 鋭い爪で雪を掘り、そこに集めた岩を敷き詰めて行く。

 空いてしまった隙間に小さめの石を入れて踏み固めると、強い力のおかげで、まんべんなく隙間を埋める事が出来た。

 作ったのは、人が十人ぐらい入れそうな石の器だ。深さはおよそ1メートル程度。

 そこに雪を蹴り入れ、再び炎を吹きかけると、今度こそ目的のものが完成した。


「…できたわ」


 お目見えしたのは、ゆったりとした湯気をくゆらせる、雪解け水を使った天然の風呂。

 そこからゆらゆらと流れる湯気が、森の方へと揺らいで行くのを見て、タエはもう一度火を吹いた。

 まるで孫の工作を手伝った時のような満足感だ。

 手伝っている自分の方が夢中になっていた…なんて、孫には恥ずかしくて言えなかったけれど。


「あら?」


 首を傾げる。気配がした方に顔を向けると、暖気につられて来た猿達が見えた。

 怖々と木陰から顔を出している猿達は、タエが作った風呂が気になっているらしい。

 それに気付き、そっと大きな体を風呂から離す。

 怖がらせないよう、翼を寝かせて雪に伏せ、タエは猿達に声をかけた。


「どうぞ、わいておりますわよ?」


 怒ったりしないから、ゆっくり温まって下さいませ、と。

 そう言われて顔を見合わせた猿達が、おそるおそる、その「温かい水」へと近づいて行った。

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