転生
「強い……竜だと。そして……寂しい竜だと。彼女は、私に、契約の方法を教えてくれました……。私の……未来を読んだのでしょう……」
女が、竜へとその事を告げる。
老竜と女が出会ったのは、女がまだ幼い頃。
ナティマが、女の故郷であるラーザンミンと交流を持っていた時代の、砂漠洞窟での事である。
「彼女は……契約の欠点も……教えてくれたの、です……」
魂を共にした者達は、片方が死ぬともう片方も死ぬ。
だが、それは竜の間で口伝で伝えられる内容だ。
読心の秘術と同様、誰かに教えてもらわなければ、知りようのない竜族の秘密なのである。
それを老いた竜は女に教えた。「いつか、あの子にあったら、機会を見て教えてあげておくれ」という言葉と共に。
「それで、我が牙を受けたというのか……」
「……はい」
うっすらと女が微笑む。
「あなたには……酷い事をしてしまいました。峰を譲ってもらったのに、こんな事……」
けれど、これ以外に竜を止める方法がなかったのだ。
力でも、言葉でも、決して止められないほどの強さだったから。
もう少し、話し合える時間があったら、結果は今とは違ったのかも知れない。
けれど、そんなのは夢物語だ。
「……ごめんなさい」
女が詫びる。その瞬間、竜の胸に鋭い痛みが走った。
物理的な痛みではない。だが、息苦しくて仕方ない。
なぜだろう、全てが悲しくて仕方がないのだ。
彼女の意図を読み損ねたのが悔しいのだろうか。
彼女だと気付かず、噛んでしまったのが悔しいのだろうか。
――いや、違う。
全力で好意を向けてくれた彼女を、結果として悲しませてしまったのが悲しいのだ。
「……逝くな、契約者」
気付けば、涙が止まらない。
伝説では、竜と人の逝く場所は違うという。
人は竜と違って、神の居る天に召されるのだと――
「逝くな、逝かないでくれ! 我との契約はどうなる、逝くな、死ぬな! 許さんぞ!」
「……大丈夫」
ぼろぼろと泣き崩れる竜の頬に、女が手を伸ばし、微笑んでみせる。
ああ、本当に。本当にこの竜には、かわいそうな事をしてしまった。
最強の生物で、これほどの犠牲を出す破壊者であっても、それは、ひとえに学ぶ機会がなかったからだけなのに。
もしも環境が違ったら、もしも自分の伝え方がもう少し上手だったら、こんな事にはならなかっただろうに。
「……大丈夫、よ。魂を結んだのだから、また……あなたと共に……」
老いた竜は言っていた。ある日、卵のひとつが巣から消えたと。
盗まれたのか、他の生物に持って行かれたのかは知れないけれど。
もし見かけたら、あの子をどうかよろしくね? と。
そう言われたからには、約束を守らないといけない。
「……ね。次の生も、また、一緒に……」
「本当だな。その言葉に偽りはないな? ならば我は体の時を止め、必ずやお前の元に戻って来ると約束するぞ?」
「ええ……必ず。今度は、一緒に平和を……」
そう言って女は息絶え、ほどなくして、見守っていた竜の心臓も鼓動を止めた。
※ ※ ※
あれから、どれぐらいの年月が経ったのか竜には判らない。
だが、気付けば、真っ暗な場所にいた。
全身を四方八方から抑えつけるような圧迫感に、喉から不満の唸りを漏らす。
少し前に聞こえた、奇妙な音がまた、壁の向こうから聞こえて来ている。
いったいなんなんだ、と眉間にしわが寄る。
変わった音が聞こえたかと思えば、妙な振動があって。
今度はまた、あの音がする。しかも近い。
(……そうか)
彼女が、また会いに来てくれたのかも知れない。
――それならば、ここから出なければ!
「――っ」
ガツッと爪を立てる。だが、強力な呪いでも刻まれているのか、壁はびくともしない。
それでも、ガツッ、ガツッ、と繰り返すと、ようやく、ぴし、と小さな音色が響いた。
よし、行ける。
どんなに強力な呪いでも、打ち壊せないなどという事があってはならない。
なにしろ自分は、最強の竜と歌われた存在なのだから。
ガツン。
ガツッ――
ガッ! ガッガッガッガツンッ――!
渾身の力を振り絞って、爪を叩き付け、尾を打ち付けて牙を立てる。
その瞬間、メリ、と巨大な爪がヒビから入り込んで来て、軽々と外壁を壊してしまった。
い、一体何が!? 我より巨大な生物などいたか!?
そんな動揺を押し隠し、吠えてやろうと息を吸い込み、思い切り声を張り上げる。
「ぴきゃーーーー!」
「まあ、元気なお子様ですこと」
降って来たのは、穏やかな声。
「みなさーん。わたくしが洞窟で拾った卵、やっと産まれましたよー」
のんびりとしたタエの呼びかけ。
それに気付いて、ぞろぞろと小屋から出て来たラタ達が目にしたのは、まるっこい手足をぺたんと雪原につけて、ぽかんと呆気に取られている子竜の姿だった。
※ ※ ※
(わ、わ、我の体! 我の姿ーっ!)
タエを見た途端、竜は内心で叫んでいた。
もちろん、自分にも赤い鱗はあるが、タエの巨体に比べると情けないほどに小さい。
(……まさか)
その、まさかが本当である事を、嫌でも納得しなければならなかった。
おそらく、何らかのハプニングで、石として保存していた自分の体が欠けてしまったのだろう。
そして、その一部が魔力ゆえに卵となり、その卵に自分が入ってしまったのだ。
(こ、こら! 貴様! その体は、我が後で使う予定だったのだぞ!)
ぺしぺしぺしっと、両手でタエの爪を叩いて抗議しても、タエは全く動じない。
「あら、お腹が空いているのかしら。ねえ、みなさま、子竜って何を食べるかご存知?」
「さあ……。それより、名前がないと不便じゃない?」
(おいこら、我の意思を無視して勝手に決めるな!)
そう叫んだつもりでも、口から出るのは、きゅー、とか、くるる、とかいう情けない声だけだ。
そのせいで、周囲の会話は、竜を置き去りにして進んで行く。
「そうねえ。それじゃあ、綺麗な綺麗な珊瑚色ですから、珊瑚ってどうかしら」
「サンゴ?」
ロイが聞き返す。
「ええ。海の真っ赤な宝石ですの。とてもとても美しいものですから、この子に合うと思って」
「なるほど、それいいね。ラタさまもそれでいい?」
「うん。レリウスとラーニアさんは?」
「ラタ様が良いなら、異論はございません」
「あたしも良いと思いますよ」
「じゃあ、決まりだね。よろしくね? 珊瑚」
ロイがにっこりと笑いかける。
それに珊瑚が目を白黒させていると、藍色の服を着たラタが、とことこと珊瑚の元に歩いて来た。
思わず、珊瑚が後ずさる。
だが、差し出されたラタの手の匂いを嗅いだ途端、ぶわっと珊瑚の目に涙がにじんだ。
(お、お前……あの時の……)
そうだ、覚えている。間違いない。
これはあの時、彼女が抱えていた赤子と同じ匂いだ。
忘れもしない、彼女の匂いだ。
(あの時の……そうか。こやつは、その血統か……)
この少年は、周囲がラタと呼ぶこの子は、あの時の赤子の子孫で間違いない。
あの赤子は、死んでしまったりはしなかったのだ。
「わ、ご、ごめん。急に近付いたから驚かせちゃった?」
あわててラタが後ずさる。
それを見て、珊瑚は急いで首を横に振った。
(ち、違う。そんなので驚くほど幼くはない! 断じて無事で良かったなどと思っておらんわ!)
そう思っても、出るのはやはり、幼い声。
その事に珊瑚が右往左往していると、レリウスが、良い匂いのする焼肉を持って近付いて来た。




