追憶
先代のお話。
赤々と、地面が燃えている。
いや、燃やしたのは自分だ。自分の炎で、そうしたのだ。
二度と、許してやらぬと決めたのだ。
ばさりと翼を振り下ろす度に、激しい風が唸りを上げる。
「き、来たっ! 竜だあ!」
「ば、ばか! 逃げるな! ひるむんじゃない!」
下方から聞こえる奴らの叫びも、憎しみを増やす音でしかない。
飛んで来る矢も、この固い鱗を貫くには弱すぎる。
「グルル……」
ぎちりと牙を食い縛る。
その間から炎が揺れ、口の周りを赤く照らし上げた。
即座に翼を水平に張り、上空から鋭く急降下する。
そのまま、爪を向けて地面を滑ると、あっという間に兵士達が引き裂かれて行った。
それらを足に引っ掛けたまま、大地に悠々と着地する。
そして、ぐるりと反転して奴らに向き直った所で、兵士長らしき男が号令をかけた。
「お、降りたぞ! 今だ!」
「グルアアァ!」
寄って来る剣士めがけて尾を振るう。
それだけで、簡単に十数人が吹き飛んだ。
曇天は今や、炎の色を照り返して赤く色付き、焼け付く匂いと煙を充満させている。
「……よくも」
ふつふつと、怒りが屈強な胸を焦がす。
「よくも、我が契約者をたばかったな!」
そう吠えて、再び口から吐き出した炎で、目の前の軍団を焼き払った。
「フン」
駆けて来るナティマの軍勢を睨みつけ、軽く、鼻でせせら笑う。
思うのは契約者の事ばかりだ。
凛々しく、優しい我が契約者。我が魂の同調者。我が姫。我が運命の伴侶。
その民を殺したなら屠ってやろう。
その誘いを断ったら焼いてやろう。
その肌に傷をつけたら滅してやろう。
この炎と、爪と牙で。
「何人来ようと変わらんぞ。だが、来るがいい! 無残に焼かれに来るがいい!」
奴らより、戯れに殺して回っていた砂虫の方がまだ強い。
根城の、霊峰を脅かせる者など、この世には誰一人としていないのだ。
脅かせば、徹底的な報復が待っているのを知っているからだろう。
そう言う意味で、奴らより虫の方がはるかに賢い。
「さあ、来い!」
高々と笑い上げて、再び上空へと舞い上がる。
そこから、炎を降らせて軍勢を焼き尽くし、ふと、遠くを見ると妙なものが見えた。
小さな赤子を抱えた修道女だ。契約者を泣かせた国の民。
「よかろう、残らず根絶やしにしてくれようぞ!」
竜の眼から逃れられると思うなよ、と。
すぐさま、風を裂くように旋回し、その眼前へと回り込んだ。
着地の風にあおられた修道服が、大きくはためき、赤子が泣き出す。
気絶するかと思われた女は、だが、気丈にも竜を睨み上げて来た。
「竜よ……」
女が震える声を出す。
布で口元を覆っているせいか、声がくぐもって濁っているが、聞き取れない声ではない。
「竜よ。これがあなたの望みなのですか。こんな事を誰が望んだというのですか!」
その問いを、竜は愚かだと思った。
「浅ましい事を問うでない。敵対者は根絶やしにせねばならぬ。根絶せねばならぬ。そうして初めて平穏というものは訪れるのだ。それが真理というものだ」
「ならば、敵対する者は全て殺すというのですか。それが赤子であっても。逆らう意思のない者であっても!」
「なんだそれは、命乞いか? くだらんな。その言葉、後悔するがいい」
笑いながら女を爪にかけ、大空へと引き上げる。
その拍子に女が赤子を手放したが、そんな事はどうでもいい。
すぐさま戦場の真ん中に降り立って、女を置いて軍勢を眺める。
聞けば、人間は魂のつながりもない同族を、なぜか大事にするという。
ならば、その末路を見届けさせてやればいい。
「竜よ。あなたには、仲間というものがいないのですね……」
地に転がされた状態から巨体を見上げ、女が悲しそうな声を出す。
それを受け、竜はかすかに眼をすがめた。彼女の言葉が気に障ったのだ。
「仲間など不要だ。全ては我のみで事足りる。卵から孵った後、自力で生き抜けぬ者になぞ興味はない。我は、誰の庇護も必要とせぬ」
「それは……強者の奢りです」
女がきっぱりと言い切る。
途端、見守る周囲が息を飲んだ。竜に対して、何て命知らずな態度なんだと。
「生意気な!」
竜が口を開き、女の細い体に牙を立てる。
柔らかな体は、あっけなく竜の口におさまった。
それを確かめ、思い切り顎を閉じる。
その瞬間、ばきん、と嫌な音がして、竜の翼に激痛が走った。
「グァ!?」
慌てて牙をゆるめ、翼の方を見ると、根元から派手に折れている。
そこからだくだくと流れ出す血が、砂漠の砂を染めていた。
「おのれ!」
何かの魔術だろうか、と目を剥いてあたりを見渡す。
だが、どこにも魔術師の姿はない。それもそのはずだ。魔術師は竜が残らず滅ぼしたのだから。
「あなたは、一人で生き過ぎた……」
弱々しい声は、口の中から聞こえて来た。
慌てて、牙の間に挟まっていた女を腹いせに岩に吐き捨てる。
途端に、再び激痛が走った。
今度は背からだ。
「き、貴様か!? いったい何をした!」
「なにも……。その昔、石になりかけの老竜に、聞いただけ、です……」
そう言った女の顔からは、布が取れて顔が見えていた。
竜が目を見開く。
なぜ、という声が竜の喉をふるわせた。
「なぜ……だ」
ありえない。
ありえるはずがない。
竜が見下ろす先、血まみれで倒れている女は、竜の――
「なぜお前なんだ! 我が契約者!」
「あ、あなたの話は聞いていました……」
息も絶え絶えに、女が竜に微笑んだ。




