接点
ゆっくりと旋回しながら高度を下げたタエが、湖の近くに舞い降りる。
直後、その背から勢い良く飛び降りたロイが、目の前の光景に息を飲んだ。
「こ、これをタエさんだけで?」
広い、なんてものではない。
まるで、城が入りそうな大きさだ。
さらに、湖は端まできっちりと岩で埋められていて、岸辺にも岩が並べられている。
ただ掘った場所に湯が張られただけの、湖岸が雪に触れるようなものとはつくりが違う。
さながら巨大風呂だ。もはや風呂というレベルではないが。
「ええ。このままではいけないと思って、ちょっと頑張りましたの」
おかげで溢れずに済みましたわ、と。
タエが嬉しそうに目を細めた。
「ふむ」
タエから降りたレリウスが、湖に近寄って手を突っ込む。
湯は適温。
やや熱いが、外気で冷える事を考えたら、最初はこれぐらいが良いだろう。
まさに理想的な湯というやつだ。
だが、
「独特の匂いがしますなあ」
「ええ。害はないのですけども。シシリで何と思われる事か……」
首を下げ、翼をすぼめたタエが、ゆらりと尾を揺らして困惑を示す。
なにしろ、シシリではほとんど空気に匂いらしき匂いがないのだ。
寒いせいで、水分が凍ってしまうせいもあるのだろう。
「警戒されるかも知れませんな」
「うん。でもレリウス、頑張って広めてみようよ。もったいないよ。だから、タエさま。それまであふれないように何とかしておいて?」
「ええ。それでしたら、余った分は近くの洞窟に流しますね」
「それが一番ですな。しかし、いい湯なだけに惜しいですなあ」
「だったら、タエさんが入って見せればいいんじゃないの?」
巨大な湖とタエを見比べて、ロイが首を傾げてみせる。
なるほどその手が! と一同が納得してタエを見ると、タエが、すすす…と器用に尾と足を使って後ろに下がって行った。
「タエさま?」
「タエ殿?」
「タエさん?」
三人の疑問の声が、それを追いかける。
だが、タエは下がれるところまで下がって、とうとう地面に突っ伏してしまった。
「そ、その……仰る事はごもっともなのですが……」
「ん?」
「その……わ、わたくし。わたくしは殿方では御座いませんし……」
恥ずかしさの余り、ばたばたと尾を振ってタエが身悶える。
その背後で、尾の進路にあった木々が、軽やかにぶっとばされて行った。
「た、確かにこの姿ですけど。皆様の前で湯浴みと言うのはちょっと。ああ、いけない。そう言えば、服……!」
ようやくその事に思い至り、タエがおろおろと辺りを見渡す。
しかし隠れられそうな場所はない。
森の木ですら、タエの全身を隠すには少なすぎるのだ。
「だ、だめですわ。そんな、そんな破廉恥なっ……!」
「タ、タエさま、落ち着いて!」
ラタが叫ぶ。
その声ではっと我に返り、タエは、じっと、三人と見つめあった。
何とも言えない空気が、辺りに流れること数秒間。
やがて、すすす……と再び前進して来たタエが、ちゃぷん……と自作の湖に滑り込んだ。
器用に翼と手足をたたみ、首まで水面に潜らせる。
そうして上目使いで三人を見つめ、タエはおそるおそる皆に尋ねた。
「これで……外からは見えませんよね?」
「うん、まあ、そうなんだけどね……」
結局入る事になったね、とラタが苦笑する。
その隣で、同じような顔をしていたロイが、ふと、思い立ったように手を打った。
「タエさん、心配いらないよ。だって、タエさんには立派な鱗があるじゃないか。それに、ここなら誰かを踏む心配もないでしょ」
そう。考えてみれば、湖の中央は安全地帯なのだ。
タエが全身を浸せるほどの湖に、泳いで入る者などいない。
いたとしても、タエが動けば、すぐに岸まで流されてしまうだろう。
「ね、いい案だと思わない? タエさんがみんなに安心して会える場所って事でさ」
「ふうむ。その手がありましたな」
レリウスが納得する。
それに続いて、タエも小さく息を吐いた。
ようやく、鱗の存在を思い出したのだ。
身近過ぎてすっかり忘れていたが。
「そうでしたわ……」
鱗があるんだから、恥ずかしがるのも変よね、と自分自身に言い聞かせる。
まるで、眼鏡をしたまま眼鏡を探してしまった時の気分だ。
「まったくもう。わたくし、皆様に助けていただいてばかりですね」
タエが笑う。本当にそそっかしくていけませんわ、とも。
そうして、場が和んで一同が落ち着いた時、また別の声が場に割り込んだ。
「あなたがシシリの竜神様?」
澄んだ、歌うような音色の声。
その声は、森の方からだった。




