温泉
――シシリ入浴ガイド。
1.まずは、広場の蒸し風呂に行きましょう。
入り口で蒸した布を配っていますので、それで体を拭いてから入って下さい。
2.適度に温まったら、蒸し風呂を出て、氷蜜を買う事をオススメします。
蜜のみ、塩蜜など色々な味を楽しめます。スパイスの風味を移した氷蜜は珍味!
ぜひ、この機会にお召し上がり下さい。
3.湯に浸かるのでしたら、少し上がった場所の大浴場まで足をお運び下さい。
男湯、女湯それぞれ、時間になると山頂から石の道を通って湯が降りてまいりますので、雪で好きな温度まで冷ましてお入り下さい。
他人と入るのはちょっと……という方には、分岐した石の道の先にある個人浴場をお勧めします。
4.料亭は、入浴エリアから東方に移動した場所にございます。
サッパリしたフキノトウの和え物、風味豊かな羊肉の燻製、後味爽やかな乳酒などを、心ゆくまでお楽しみ下さい。
5.お土産は西方にございます。木を組み合わせただけなのに遠くまで飛ぶ「タケトンボ」、手で底を叩いていると自然に膨らむ「カミフウセン」、自衛に使える大きな音が出る「カミデッポウ」、汚れてもさっと拭けば汚れが落ちる艶入りの陶器など、他では見られないものが多数ございます。
また、天空の雲を再現した「わたがし」も販売しております。
6.北方には温室がございます。緑豊かな空間の中で、常春の気分をお楽しみ下さい。
「って感じでどうかなあ、昨日の案を練り直してみたんだけど」
膝から下を湯に浸しつつ、ロイがラタとレリウスに問い掛ける。
それに同じく足を湯に浸した二人が、順番にうなずいた。
ちなみに居場所は山頂の小屋だ。
「いい感じだと思うよ。後は、近づいては行けない場所についての説明を付け加える事かな。父上みたいな人をもう出したくないし」
「うむ。それと、宿泊所の増設も。先日、ナティマの職人が、シシリの技術を学びたいと来たので、そうした技術を解放する場所も作りましょう」
「ナティマに技術を解放すんの?」
「ええ。タエ殿が、その方が良いと」
そうレリウスに言われたロイが眉をひそめる。
なんとなく面白くないのだ。自分が頑張って考えた技術を、のうのうと暮らして来たナティマの民が持って行くという事が。
「あいつらに教えたら、調子に乗って攻めて来たりしない? タエさんは優しいからそうは思わないかも知れないけどさあ」
ぱしゃん、と湯を蹴って苦笑する。
その途端に、のそりとタエが上から顔を出した。
「大丈夫ですよ。人はね、足りなくなると、その不満をぶつける先をどうしても求めてしまうのです。お恥ずかしい話ですけれど、わたくしにも、そんな時期がありましたわ」
「タエさまにも?」
「ええ。食べるものにも着るものにも困りましてねえ、持っている方が羨ましくて羨ましくて。その方が、それを持つためにどれだけ苦労したか考えもせずに、ずるい、欲しいって思ってしまいましたの。でも、状況が変わって足りて来たら、そんなめんどくさい事、したいとも思わなくなってしまいましたわ。足りる方法を教えてくれた方がいらしたので」
のんびりと目を細め、過去を懐かしむ。
令嬢だったタエに、針子の仕事を教えたのは、彼女より身分の低い少女だった。
彼女は資金を持っていなかったが、タエに生き方を教えてくれた。
その場で物資をくれるのではなく、長く使える技術を教えてくれたのだ。
「あのことがなければ、わたくしも何をしていたか判りません。だから、ナティマの方に、技術を教えてあげて欲しいのです。誰だって、自分が足りていたら、わざわざ命の危険をおかしてまで他に手は伸ばさないもの。その……いつでも蜜が手に入るようになったら、わざわざ蜂の巣をつつきに行く人は減るでしょう? それとおんなじ事だと思うのです」
「そうそう、タエ殿の言う通りですぞ」
レリウスが同意する。
「人を侵略に駆り立てるのは、主に不足と脅威の二つ。攻められると思えば、先に攻めて安全を確保しようとする。足りないと思えば、足りるために侵略しようとする。まさに蜂と我々のようなものでな」
そこで言葉を切ってお茶を一杯。
ふう、とほっこりした息を吐いて、レリウスはまた言葉を続けた。
「刺されると思うから駆除しようとするし、巣を壊さないと蜜が手に入らないと思っているから、刺されるのを覚悟で巣を壊す。でも、他で蜜が手に入るようになれば、蜂の巣を欲する人は段々と減って行く。刺されないとわかっていれば、駆除しようとはしない。わかるかの?」
「うん。まあ、それは判るけど……」
「なあに、タエ殿という立派な存在がいるんだから小僧は心配するでない。それに考えてみるといい。シシリでの生き方の知恵は、いつだってシシリが先を行っている。誰かが真似したところで、そうそう上手くは行かんよ」
楽しげにレリウスが笑い上げる。
ロイは確かに技術者としては一級だが、経済に関してはやや疎い。
だがこの機会だ。
ラタに教える意味でも、基礎を復習しておいて損はない。
「侵略に意味があるのは、支配下に置いた場所から採れるものに対して、ちゃんと買い手がいる時だけだ。例えば、誰かが羊小屋を襲って羊を奪ったとする。だが、それをいざ売ろうとした時に『お前のようなひどい奴の羊なんて買えるか!』と言われたら、それで終わりだ。羊は商品としての価値を失う」
「うん」
「羊にしても、宝石にしても、それを買う人がいなければ、それは金にならない品物だ。金になるかどうかは、買い手がそれに資金を払うかどうかにかかっておる。その事を忘れて無茶をすると、結局、多大な犠牲をはらって、売れもしないものを手に入れることになる。ゼレ様はそこを判っていて、貴族達を押し留めておられた。仮にナティマを支配下において、そこの資源を奪った所で、一体誰がそれを買うんだ、とね」
ナティマの民は、おそらく買いたがらないだろう。せいぜい暴動に発展して終わりだ。
それを理解しているゼレは、少なくとも愚かな王ではなかった。
「あのう」
と、不意に割り込んだのはタエの声。
「ちょっと、よろしいでしょうか」
「ええ。何でございますかな?」
「そろそろ、みなさまをご案内したいのですけれど」
「どこへ?」
不思議そうに首を傾げたラタに、タエがそわそわと翼を動かす。
そして、タエはゆっくりと首を伸ばし、山の中腹辺りを翼で示した。
「その、夜明け頃、地面を掘っていたらお湯が沸きましてね。あふれてはまずいと近くに穴を掘って来たのですけれど、そろそろ限界――」
「ええ!?」
早く言ってよ! とロイが慌てふためいて立ち上がる。
続けて立ち上がったレリウスとラタがロイを追って駆け出すと、広場からだいぶ外れた斜面に、なみなみと湯をたたえた湖が空を映しながら、もくもくと湯気を立てている光景が見えた。




