晴天
「まあ、よい天気ですこと」
大きく伸びをして、タエは嬉しそうに朝の空をあおいだ。
シシリにでは珍しいほどの快晴だ。空には、雲のひとつもない。
さらに、澄み通った空気のおかげで、家の輪郭もくっきりと見渡せる。
そこに目を向け、タエは軽く喉を鳴らした。
雷鳴でも轟くかと言わんばかりの音色が響き、シシリの朝を祝福する。
最初は、この声に怯えて逃げ出していた客も、今となってはのんきなものだ。
「上々ですな」
「だね」
「まあね」
レリウス、ラタ、ロイが順に小屋から顔を出し、それぞれが晴天に目を細める。
その手にある桶やら布やらを見て、タエはのそりと体を起こした。
権力者が手桶や手ぬぐいを持って一同に揃う……なんて、国民が見たらあぜんとしそうな光景だが、タエは全く気にしない。
ちなみに、最近は小屋の住人と化したロイに、ラタとレリウスが会いに来るという形になっている。
「昨日も遅くまでお仕事でしたの?」
「ええ。張り切り時ですから」
「レリウスだけに任せておけないしね」
「僕は昔から夜型だから」
「あら、あら。それじゃあ、今からお湯を作りますから。少々お待ちになって下さいませ?」
嬉しそうに鋭い牙を見せ、タエがお辞儀をして風呂場に向かう。
それからすぐに、激しい炎の音と、雪原の雪が溶ける音が響いてきた。
まさに瞬間湯沸し竜だ。
湯の温度は、少し高めにして、入る人が雪を入れて冷ます方式になっている。
それが終わると、今度は朝食の支度。
とは言っても、直接食材を熱したのでは黒こげにしてしまうから、石を熱するだけに留めている。
「どうぞ、お風呂の支度ができましたわ」
「かたじけない」
「ありがとう」
「どーも」
三人の背が、風呂場の方に去って行く。
それを見送り、タエは顔を広場の方に向けた。
「ずいぶん出来ましたわねえ」
広場の窯を中心として、放射状に広がる宿場町。
陶器用の窯でレンガを作れる事もあってか、その一帯に、かなりの勢いで建物が増えた。
それらの間を繋ぐのは、湯を通すための石造りの溝だ。
タエが湯を供給している間は湯の道として、供給しない間は水や氷の道として、運搬にも一役買っている。
それらの整備を行う集団の中に、今日は、ネバの姿もあった。
ナティマでの悪事はお見通しだ、竜に呪われたくなければ働け、とレリウスに脅されたからである。
「く、くそ……何でワシがこんな事を!」
寒さと荷物の重さで涙目になりながら、それでも、タエの姿に怯えつつ働く。
その見た目は下膨れのたぬき顔。いわゆる悪代官の顔である。
そしてネバは生まれてこのかた、労働なんてものはした事がない。
全て、部下に任せておけばよかったからだ。
「お、覚えてろ……っ。ふんぬ!」
あくまでも小声で文句を言い、石を敷き詰めなおすための荷台を引く。
朝の寒さに驚いて着込んだ毛皮のせいで、今は暖かいを通して熱いぐらいだ。
だが、毛皮は意地でも脱がない。自分の財産を他人に渡すのが鼻持ちならないのだ。
そうして、いい加減へとへとに疲れた頃、休憩の合図が入り、氷蜜が配られた。
同じように竜に文句を言っていた少年少女に続き、お椀一杯程度のそれを受け取る。
「ふん、貧民の食い物か」
やはり小声で文句を言い、態度だけは偉そうに氷蜜を受け取る。
そして、添えられた匙でそれをすくい、口に運び――
(旨い……ッ!)
思い切り目を剥いて、ネバは心の中で喝采を叫んだ。
すっきりとした氷に、ほどよく混じった蜜の風味。
かすかに焦げた部分の苦さが、これまた不思議と後をひく。
一気に食べてしまいたいところだが、それは惜しい。
「奴の言っていたものはこれか……」
奴とはダトイーンの事だ。
いわく、竜の考えた食べ物だから、シシリの民にしか食べられないのだと言っていたが。
「あいつ、自分だけ美味しい思いする気だったんだな……」
これが竜の作った物なら、うまく竜に取り入れば他にもありつけるかも知れない。
それに竜は、伝説では財宝を溜め込んでいるとも聞く。
「ふ、ふふっ、ふはははは! 勝機は我にあり!」
ぐっと拳を握る。よし、竜に取り入ろう。
なにせ、美味しい思いをしたいから、国の目を盗んであれこれとやっていたのだ。
命がけで国に逆らう勇気なんてないが、自分の得になる話は逃したくない。
「そうと決まれば、竜に気に入られるように工夫せんとなあ」
にやにやと笑い、氷蜜の器を返却する。
その日から、ネバのアピールが始まった。
竜に良い所を見せてやろう。取り入ろう。
そんな目論見の元、人一倍働くネバの姿が広場で見られ、いつしか、ネバはシシリの民からあれこれ差し入れされるほどの「働き者」として、その名を知られるようになって行ったのである。




