計画
湯気の暖かさが、刺々しい寒さを和らげて行く。
それをたっぷりと吸い込んで、レリウスは思い切り手足を伸ばした。
ほどよい温度の湯と、冷えた空気がこの上なく心地良い。
場所は塔の側。もちろん、景色は最高だ。
「全く、年よりをこんな場所まで呼び出しよってからに。お影で足腰が鍛えられてしまうわい」
「え、いいじゃん。運動後のお風呂って最高でしょ?」
レリウスの隣で、ロイが笑う。
「口の減らない奴じゃのう……どこかの誰かを思い出すわい」
「誰かって、お父上?」
「うむ。まあ、そうとも言う」
しっとりとした髭を撫でて、レリウスがさらに隣のラタに苦笑した。
今、湯に漬かっているのは、レリウスと、ロイとラタと、その他大勢──もとい、動物だ。
水を嫌うとされる山猫でさえ、風呂の端で幸せそうに、その毛並みをしんなりさせている。
「みんなで入るのも、悪くないよね」
ね? とラタが一同を見渡して笑う。城でこんな事をやったら注目を浴びてしまうが、ここならば、心おきなくくつろげる。
「皆には秘密ですぞ」
レリウスがラタに念を押した。
ラーニアが戻って来てすぐ、レリウスはラタを呼んで塔に向かった。もちろん、塔に通じる道をしっかり封鎖するように命じた上でだ。
ロイの身元についても確認してから、ラタを呼んで連れて来た。そして、小屋に着いてからちゃっかりと石鍋を堪能して現在に至る。
一方のタエはと言えば、レリウスが持ち込んだ図面を見て、「あら!」とか「まあ!」とか嬉しそうに声を上げている。
ちなみに図面は、シシリと建物を描いたものだ。
「タエ様、面白い?」
「ええ、ええ、とっても! みなさま、これをシシリに作る予定ですの?」
「そうなりますな。この生意気小僧の案ですが」
「生意気は余計だってば」
べ、と舌を出してロイがむすくれる。それを見て、ラタがくすくすと小声で笑った。
「でも、いい方法だね。ここで色々考えるってのは」
「だろ? この頑固な爺さんに言ってやってくれよ、僕が小屋作ったから、そう言う事ができるんだって。雪ざらしじゃ作戦会議も立てられなかったでしょ」
「作ったのはタエ殿では」
「設計は僕!」
ロイが湯を叩いて抗議する。
「ま、本当はどうやって竜と戦うかって、あれこれ考えていた頃の名残なんだけどね」
ぐっと伸びをして、ロイが片目をつむった。
竜という巨大な力に打ち勝つには、拠点や人が必要になる。それには倉庫の役目を持つ建物を、人目につかない場所に建てなければならない。
大体において、そう言う土地は不安定なのだが、ロイは、それを見越した上で、あれこれと設計案を練っていた。
ディラノが武力の筆頭なら、一番弟子であるロイは知識の筆頭。その知識を、まさか、あれほど憎んだ竜のために使う事になるとは、ロイ自身も思っていなかったけれど。
「意外な所で役立ったよなあ。まあ、大きなものを作るには国の協力が必要だけどさ」
「タエさまの力もね」
「まあね」
それにはロイも異論なしだ。
これからやろうとする事に、タエの協力は欠かせない。タエは承諾してくれている。
ちなみに小屋を作るとき、「ちょっと木を集めて」と頼んだだけで、いそいそと大木をへし折って来たタエを見て、腰を抜かしそうになった事はロイだけの秘密である。
「ねえ、ロイさん」
不意に、タエから声がかかる。
「この、細長い印は何ですの?」
「ああ、それタエさんが前に作った音の塔だよ」
とん、と風呂の底を蹴って体を滑らせ、ロイがタエの側へと泳ぎ寄った。
「建てる場所によって、音の高さを変えようと思ってるんだ。そうすれば夜道でも、何となく自分の居場所がわかるでしょ。ほら、雪があると、崖に気付かなかったりするじゃない。僕達は大丈夫だけど、風呂に来るお客さんはそうじゃないから、霧の日でも危ない場所がわかるようにって。──そこの爺さんの案だけどね」
「本当に、口の減らん奴だのう」
「えー、暗い顔してるよりいいじゃん」
ね、王様? とロイがラタに向けて同意を求める。それにラタが笑い返すと、ロイが楽しそうに肩を揺らした。
「まあ、でも、これがいい案だってのは認めるよ。よく思いついたなあって思うもん」
「なあに、あの日、街じゅうに音があふれたからのう。長い事住んでおったのでな、誰がどの楽器を好むかは、もう充分に知っておる」
もっとも、それがまとめて鳴ったのは初めてだし、その音で家の位置が判ると思ったのも初めてだ。
「音の道は、素焼きを組み合わせて造るとして、湯の流れてくる風呂は、ロイの案の通りに。できれば、さきほどの鍋もやりたいものですが、釜は焼き物用ですし、蒸し風呂にも熱を使っておりますからの。また、いずれという事で」
「あら、まあ。では、わたくしにも何かお手伝いができますかしら?」
「タエ殿には、塔の側から広場まで引く湯の道、それを作るのにご協力願いますよ。塔の付近はご存知の通り、雪崩が多いですから。我々では危険が大きいのです」
「ふふ、それでしたら、よろこんで。降りる時には、お怪我をさせないよう、一声かけさせていただきますね。──あら?」
「なにか?」
「ああ、いえ、ちょっとね。ディラノさん達が見えたものでして」
「どこ?」
「国の出口です。大丈夫、仲良くやっておられるようですよ」
塔からは点にしか見えない距離だが、竜の目を持つタエには見えるのだ。共に手を繋いで歩くディラノとアニア。そして、なぜかそこから距離を置いて、こそこそと隠れるようにして二人を追いかけて行くネーヴェが。
「……すげえ」
ぽつりと、ロイがつぶやいた。
屋根の上の自分は、あの点と同じぐらいだっただろうに、それでもタエには区別がついていたのだ。
あらためて、自分が挑もうとしていた者の力を思い知る。そこまでの力がありつつ、とことん争いを避けようとするとは本当に、竜の心は人智の及ばない領域にあるらしい。
「さーて、温まったら小屋に戻ろう。氷蜜でも食べて計画の続きだ。夕方には王様と宰相様に戻ってもらわないと、大騒ぎになっちゃうからね」
「そうですな」
「うん」
レリウスに続いてラタがうなずく。
それに楽しそうな笑顔を向けて、ロイは一足先に、湯船の淵に足をかけた。




