石鍋
「よっし、これで完成…っと!」
出来上がった小屋を見て、ロイが額の汗をぬぐう。
簡素な木を組んだ自作小屋。その隣には、石組みの風呂が作られている。
ここに来た後、ロイはディラノに「竜に見張られているという事にしておいて」と伝えてここに残ったのだ。理由は「そうすれば、少なくとも国と反竜の間で膠着状態が保てるから」だ。
「うーん、圧巻」
外を見れば、相変わらずの大きさの竜が、のんびりと眠っている様子が見える。無防備だなあ、と正直な感想が口をついた。けれど、今ではそれがほほえましい。
「さーて、どこから片付けるかな」
扉を押し開けて中に入り、疲れた肩を揉みほぐす。ここ数日の悶々とした気持ちを思えば、この上なく良い気分だ。
「ははっ、僕も竜に呪われたかなあ」
できれば組合の仲間も助けたいなんて、ちょっと甘くなりすぎたのかも知れない。けど、復讐に全力を傾けていた頃より、ずっと気楽だ。
いつだったか、ディラノに言われた事がある。「喧嘩をするのは簡単だが、仲直りはその何十倍も難しい」と。
「あの時は、何言ってんだろうと思ってたけどさ」
今ならわかる気がするよ、と笑う。
その途端に扉がノックされ、ロイはひょこりと顔を出した。
「あ……」
ロイの表情に笑顔が浮かぶ。
「やあ、ラーニアさん! お元気?」
「そりゃあねえ。長いこと城の階段を歩いているぐらいだし?」
「それは良かった。ラーニアさんが選ばれたんだね」
「ええ、もちろん。ところで、入ってもいいのかい?」
「いいよ。そのつもりで呼んだんだから」
出来たばかりだけどね! とロイが笑う。
それにつられてラーニアが微笑むと、ロイがふと、しんみりとつぶやいた。
「本当に、来てくれるとは思わなったけどね……」
「ロイ……」
ラーニアをロイが名指ししたわけではない。ただ、宰相宛に伝聞を送っただけだ。「城から定期的に、僕が変な事をしていないか見張りをよこせ。できれば立場のない奴の方がいい。老い先短い独り身なら城としても損害が少ないはずだ」と。
「我ながらひどい言い方だと思うけど、そう言えばラーニアさんが選ばれるだろうと思ってたんだよ」
騙すようでごめん、とロイが眉尻を下げる。それを見て、ラーニアが目元の皺をなごませて笑った。
「いいよ、あたしも一度でいいからここに来てみたかったしね。ところで、パンは好きかい?この前の祭りでマルカ麦が手に入ってね、練りこんで焼いて来たんだ」
「ああ、それ大好きだ!」
嬉しい偶然だなあ、とにこにこ笑うロイに、ラーニアが包みを差し出す。マルカ麦のパンは娘の好物だった。
もう疑いようはない。ロイはラーニアの孫だ。それを言葉で確かめる事はないけれど、ここまで色々な証拠がそろえば充分だ。
──けど、
「ねえ、ロイ。これからどうするんだい? いつまでもここにはいられないだろ?」
「大丈夫さ、火吹竜様と昨日話し合ってね──っと、おはようタエさん! 良く眠れた?」
「ええ、ええ。夜じゅうお話に付き合わせてしまってごめんなさいね。あら、お客様ですの?」
「うん。ラーニアさんって言うんだ。パン持って来てくれたんだよ。タエさんも食べる?」
火吹竜の大きさを思えば、パン一個はゴマ粒より小さい。それでも、嬉しそうに顔を近づけて来たタエに、ロイは袋のパンを一つ差し出した。
口を開けたタエの舌の上に、そっと、それを乗せてやる。タエもタエで、ロイが腕を引くのを待って、ぱくりとその口を閉じた。
タエが目を丸くする。
「……美味しい。シシリのみなさまは、こんな物も得意でいらっしゃるの?」
「うん。でも味わかるの? あんなにちっちゃかったのに」
「ええ、そりゃあもちろん、わかりますとも! あの時は砂糖の一粒だって嬉しかったんですから。それより、お疲れでないかしら? その、はるばる来て下さったお客さまの方は」
「あたしゃ大丈夫ですよ。はじめまして火吹竜様、城に勤めておりますラーニアと申します」
裾をつまんで足を引き、ラーニアがゆったりと頭を下げる。それにタエが牙を見せて笑うと、ロイが部屋の中を指さした。
「とりあえず、立ち話も何だから中へどうぞ。大丈夫、タエさんとは窓ごしに話すから。見せたいものがあるんだ」
先にロイが入り、ラーニアが後から続く。その外で、スキップするような軽やかな足取りで──その重さゆえ、どすどすと地響きを鳴らしつつ、タエが窓の方へと回り込んだ。
小屋の中では、暖炉に火がくべられている。
ちなみに火打ち石はない。炎はタエからのもらいものだ。
机の上には何やら道具が乗っていて、乱雑に散らかっている。そこにある、紙を折り曲げたような不思議な道具にラーニアが首をかしげると、窓の外からタエが語りかけて来た。
「それ、風車と言いますの」
「かざぐるま?」
「ええ。息を吹きかけたり、風の通り道に置いたりして、くるくる回して楽しむのです。ロイさんが作って欲しいと仰ったので、作り方を説明したのですよ。こんなに風が吹くのだから、どこかに、一つぐらいあるかと思っておりましたのに、今までなかったのですね」
「はあ……」
ラーニアが不思議そうな顔をする。シシリで風と言えば、吹雪をもたらす危険な存在だ。
それで遊ぶ事を考えるとは、さすがは伝説の竜である。あの突風で「遊ぶ」事を考えるなんて、人間ではありえない。
「これを、シシリにもお作りに?」
「ええ。わたくしは、暇潰しになればいいと思ってお伝えしたのですけれど。ロイさんが、面白い使い方を考えてくださいまして」
わくわくと、期待に胸を躍らせる娘のように、タエがその瞳を輝かせる。
その間にも、何やら奥の方で色々な道具を組み立てていたロイが、よし、と一言挟んでラーニアを呼んだ。
「ラーニアさん、見て」
そう言われて近寄ったラーニアが、きょとんと目を丸くする。
「見せたいものって……これかい?」
「うん。何に見える?」
「器と石…だよね」
「うん、大当たり」
ロイが笑う。あったのは小さな陶器の器と、その中に入れられた石だった。
器には水が入っている。雪解けの、すっと綺麗に澄み渡った水だ。
「昨日、タエさんと話してて思いついたんだよ。ねえ、どうやって使うと思う?」
「どうって……砥石に使うために濡らしているのかい?」
「違うよ、こうするんだ」
にっこりと笑って器に手を突っ込んだロイが、石を出し、庭に持って行く。
そしてタエの前に石を置き、ロイは笑顔でタエを振り仰いだ。
「タエさま、よろしくね」
「ええ、わかりましたわ。すこし、離れていて下さいませね」
そう言われ、ロイが再び小屋へと戻る。それを横目で確認して、タエは息を吸い、軽く力を込めて火を吐いた。
ぶわっと燃え上がった灼熱の炎が、置かれた石に降り注ぐ。それを見て、ラーニアが腰を抜かしそうになっているのに気付いて、ロイはあわててラーニアに椅子を差し出した。
炎にあぶられている石が、熱で真っ赤になって行く。それを確かめて、タエがゆっくりと首を引いた。
「できましたわ、お気をつけて」
「うん、大丈夫」
そう答えたロイが、ちょん、と火ばしで焼け石をつかむ。それを持って家に戻り、器に入れると、じゅっと音を立てた石が、器の水を温め始めた。
「これは……何だい?」
「考えてたんだ、ずっと」
湯を見ながら、ロイが得意げに鼻を鳴らす。
「タエさんは人里に降りて来れない。僕は降りてもいいと思うんだけど、人が近づいて来たら危ない。でも、石を温める事はできるし、坂道を作る事もできる」
「うんうん。それで?」
「だから、こう、塔の付近から広場まで岩の道を敷いて──」
ロイの指が、ゆっくりと机をなぞる。
「塔の付近の器に水を張って、そこに焼いた石を入れる。そこで出来たお湯を、岩の道を通して下まで流す。下に受け皿を作って、そこをみんなで使う。そうすれば、タエさんは人を踏む心配をしなくていいし、みんな、もうちょっと竜を見直すかも知れないでしょ」
さらに、下に流れた水の一部は、風車を使って汲み上げる。これは、タエに風車の作り方を教わってから、風車の他の使い道を、あれこれ尋ねたロイが思いついたものだ。
「僕は、竜を許せなんて言えないし、タエさんに下に行けとも言えない。それと──今だから言えるけど、ナティマはわりと混乱しているんだよ。南から砂虫が来てて、第二王妃──じゃない、正妃様はものすごく勝手な人で、第一王妃は子供を連れて雲隠れ。で、第一王妃を捕まえたらお金が出るって言うんで、僕の元雇い主も必死になって探してる。祭りにたくさん貴族が来たのもそのせいだよ、みんな、中央の混乱にうんざりしてる。だから、今のナティマは隙だらけなのさ。焼き払おうと思えばすぐできる」
「ロイ……まさか」
「冗談だよ。タエさんにそんな事させる気はないってば。他はどうだか知らないけど、僕はやらない。国のために働く気はさらさらないけど、ラーニアさんが悲しむのは嫌だ。だからやらない。で、代わりに、色々考えてみる事にしたんだ。その結果がこれってわけ」
「ふふ、石を焼くのはお料理用でしたのに、まさか、こんな形で使う事になるとは思いませんでしたわ」
「料理?」
「そう言うものがあるのですよ。薪が足りたら、ぜひ試してみて下さいませ。本当は木の器で作るのですけど、ここはとっても寒いですから。陶器の器に、木の板を敷いて水を張って、そこに石を入れて作るのが良いと思いますの。こう──」
と、声を弾ませて、タエが楽しそうに説明を続ける。それが終わる頃には、すっかり二人とも空腹になっていて、試しにやってみようと言う話になった。
窯で焼いた器に、ロイが持ち込んだ肉を入れる。ラーニアがそこに雪を入れ、タエが軽く火を吹きかけて溶かす。
「野菜があれば良かったねえ」
「あら、それでしたら御心配なく。ラーニアさん、ロイさん、雪のちょっと溶けかかった辺りを掘ってくださいませ。わたくしがやると、爪で潰してしまいそうで、怖くて」
「うん、いいよ。この辺り?」
「ええ、ありがとうございます。私のふるさとではね、それを汁の具にするのですよ」
それ、とタエに翼で示されたものを見て、ロイが不思議そうに首を傾げる。
「……蕾?」
「フキノトウと言いますの。花が咲いてから葉っぱが出ましてね、もちろん葉っぱも食べられますけど、蕾が本当に美味しくて。わたくしが若い頃は、体に良いと祖母に言われて、よく摘みに行ったものですわ。……懐かしいこと」
「タエさんの祖母、かあ」
ロイがラーニアと顔を見合わせる。そんな二人が想像したものは、山を覆わんばかりの巨大な竜(祖母)に見守られ、ぽたぽたと幼い手足を動かして、一生懸命に雪を掘る幼き日のタエ――もとい「子竜」の姿だった。
「タエさんにも、そんな時期があったんだね」
「そりゃあ、ありますとも。わたくしだって、小さかったのですから」
「お祖母様は、さぞや立派な方だったのでしょうな」
「ええ。器の大きい人でしたわ。それでも、厳しいときは厳しくて、近所の悪戯っ子が悪い事をすると、ぴしゃりと叱っておりましたの。ですから、わたくし、その孫である事を本当に嬉しく思っていましたわ」
その瞬間、二人の脳内に浮かんだ「タエの祖母」は、もはや完全な「竜王」だった。
牙の生え揃った若い竜が、面白半分に人を襲うのを、巨大な赤竜が一吠えで止めさせるイメージである。
そんな祖母を持つのだから、タエが強いのもうなずける。
さすが、覇王の血筋だ。
「さあ、せっかくですからお昼にしましょう?」
二人の想像など露知らず、タエがやんわりと調理を促す。
それにうなずき、ロイが台所に立って数分後、一同はそろって鍋を囲んだ。




