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秘密

「あったあった、これだ!」

「なるほど、確かにそう書いてありますな」


 うずたかく積まれた書類の山。その中から目的の一枚を見つけたラタに、レリウスがしみじみと視線を走らせる。

 今、薄暗い地下書庫にいるのは、レリウスとラタの二人きりだ。

 他に人がいないのは、レリウスの頼みを聞いた給仕が、上手く、他の関係者の目を欺いてくれたおかげである。

 書架は地下に円筒状に広がり、複数の本棚で仕切られている構造をしている。

 仮に誰かが迷い込んだとしても、すぐには、一番奥にいるレリウス達を見つけられないだろう。


「レリウス、何で隠れる必要があるの?」

「しっ。竜の加護のある場所、と聞いたら誰かが足を運びかねません。民が巻き添えになったらどうするのです」


 怪訝そうな顔のラタに対し、レリウスが口の前に指を立てる。


「でも、この書類は皆が知ってるよ」

「今、調べているという事を知られてはいけないのです。王の目についた情報とあらば、真実味も増しましょう。暗くて申し訳ないですが、今しばし、この老いぼれにお付き合いくだされ」

「わかった、秘密ね」

「ええ、秘密です」


 レリウスが笑う。けれど、その目だけは笑っていなかった。

 レリウスとて、城の者全員を警戒しているわけではない。だが、「来るな」と言ってなお、何かと理由をつけて付いて来るような者は、やや忠義心が行き過ぎているか、何か企んでいるかのどちらかでしかない。

 忠義心も過ぎれば暴走となるし、企んでいる者は油断ならない。数少ない特権階級が利を得すぎないよう、影ながら目を光らせているレリウスが、権力に目が眩んだ者にとって邪魔でしかないのは、レリウス自身が自覚済だ。


「レリウス、この場所なんだけどさ」


 ラタの指が紙面をなぞる。そこに蝋燭を近付け、レリウスは眉間に皺を寄せた。


「ここでしたか。……ううむ」


 やけに短い燭台の明かりに、照らされた文字をひたすら睨む。

 報告によると、発見位置は山の中腹。言わずと知れた、雪崩が頻発している地域だ。

 報告者の名前はクルジ。レリウスの記憶に間違いがなければ、貴族ダトイーンに雇われた執事の名である。

 それが、レリウスの胸をざわつかせた。何に対してかは判らなかったが。


「レリウス?」

「失礼。この報告はどなたから?」

「衛兵が、貴族の召使から受け取ったって。特に言伝もなかったけどなあ」

「そうですか。それなら、考え過ぎかも知れませんの」


 ふう、と大きく息を吐いてレリウスが苦笑する。どうにも、すっかり疑い深い爺になってしまったらしい。

 だが、ダトイーンの噂は明るくない。決定的な証拠を掴んでいないゆえに投獄も出来ないが、何かしら不穏な動きがあるという事は、既にあちこちで噂になっている。

 ましてや報告者のクルジは隣国ナティマの出身。彼が祖国の為にシシリに危害を加えないとは限らないし、主たるダトイーンも噂が事実なら、王族関係者や竜の存在が疎ましいとも考えられる。

 竜の出現の兆候というものは、過去、幾度となく囁かれて来たのだ。そして、それを調べに行った王族が命を落とした事も、一度や二度ではない。

 偶然か必然かは知れずとも、そう言う事が何度もあった。ゼレが雪崩に巻き込まれたその日も、各地の状況を報告しに来た者の一人として、ダトイーンの姿があった。

 その時の感想は、野心に満ちた若造という印象だった。向こうには、レリウスが鬱陶しい爺に見えていた事だろう。

 レリウスが二度目のため息をつく。表情に、諦めの意が滲んでいた。


「残念ですが、調査は諦めた方が良いやも知れません。雪崩相手に人間は無力です。お父上の事を忘れたわけではありますまい?」

「それは……そりゃあ、忘れてないけど」


 ラタが唇を噛み締める。

 そう言われて諦められるなら、最初から「探そう」なんて言い出したりしていない。


「忘れてないけどさ。だからって、何もしない事が最善とも限らないじゃん」

「それはラタ様がお若いから、そう思われるだけでございましょう。私も若い頃はそうでした」

「なら、タエ様に頼もうよ。タエ様なら、雪崩なんかに負けたりしないはずだから」

「まあ……あの方なら何とかして下さると思いますが……」


 タエの姿を思い描き、しばり悩んだ後にゆっくりと頷く。まあ妥当な所だろう。いざとなれば彼女は飛べる。


「判りました。それなら内密で事を進めましょう。あの方を慕う民が下手に近付いて来て巻き込まれたとあっては、タエ様が悲しまれます」

「うん、そうだね」


 ラタが即座に同意した。レリウスの言う通り、好意が悪い結果になったのでは、本末転倒でしかない。

 深夜、叶うなら人の出歩かない時間に、急いで調査して急いで引き上げればいいだろう。タエの体の大きさを思えば、隠れるのはどのみち無理だ。


「じゃあ、タエ様に連絡を」

「かしこまりました。では、参りましょう」

「うん。今、出て大丈夫かな?」

「大丈夫です。そのために蝋燭を短くしました。時間はまだあります」


 爪の先ほどまで縮んだ蝋燭を掲げて、レリウスが楽しそうに目を細める。

 その、今にも消えそうな灯りを見て、ラタが目を丸くした。


「それ、時計代わりだったんだ…」

「はい。暗い場所で時間を測るために切ってまいりました」


 長いロウソクがなかったわけではないですよ、と一言残して歩き出す。

 それを見ていた梟が、意気揚々と、書架の上からレリウスの肩に舞い降りてきた。


※ ※ ※


 一方の祭りは、昼を過ぎてますます賑わっていた。


「ねえ、店長さん。それ半分売って下さる?」


 そう言いながら、今にもかけだしそうな子供の手を掴んだ母親が、棚に並んだ燻製を指して首を傾げる。

 燻製は羊の肉。香ばしさの中に微かに混じる甘さは、白斑樹の蜜を焦がした時の匂いだ。

 本来なら、冠婚葬祭で振舞われるそれは、言うなれば高級品。


「半分じゃだめかしら?」


 そう聞かれ、燻製を売っていた男が、意外そうに女を見上げた。


「構わないが。半分でいいのかい?こんなに安いのに」

「ええ、今日は他にも買うものがあるのよ。この子が氷蜜買いたいって昨日から騒いでて」

「そうか。今年初めて作った地下室の奴だから、上手く出来ているといいんだがねえ」

「大丈夫よ。必要なら、次の春に募集を出してちょうだい。板張りに駆けつけるから」


 任せて、と女が笑う。その頼もしさに、男が面白そうに片目をすがめた。

 シシリの民家には地下室が多い。その用途は、物の保管や熟成だ。

 春の間に土を掘り、板を差し込み、土の重みに耐えられるよう、柱を何本も立てて行く。

 そうして作った部屋を、冬に土が凍った時、貯蔵庫として役立てるのだ。

 寒いシシリならではの知恵である。凍った土は、下手な石より硬くて強い。


「火吹竜様の冬のおかげだわ、頑丈な地下室が出来るのも」

「全くだ。しかもお姿を現してくれたのだから、俺としては一生の宝物さ。ところで、持ち歩き用の袋はいるかい?」

「ありがとう、でも包んでもらえれば充分。私の家、ここからすぐなの」

「そうかい。それならすぐ包むよ」


 じゃないと、坊っちゃんが泣き出しちまいそうだしな、と店番が笑う。

 その声に気付いてか、今まさに癇癪で泣き出そうとしていた子供が、急に変な顔になって涙を飲み込んだ。

 男が、がさがさと紙に肉を包む。


「ほいよ。あんたに、竜のご加護がありますように!」

「ありがとう。あなたにも、竜のご加護がありますように」

「ああ。そんじゃ、祭りを楽しんで来ておくれ!」


 そう言いって品を渡し、手を振って彼女達を見送る。それから、男はうきうきと席を立った。

 売り物は充分にさばけた。となれば、後は自分が楽しむ番だ。


「いやはや、思ったより早く売れて良かったよ」


 布を手に取り、片手で肩をほぐし、売れ残りをまとめて一息に背負う。

 朝から決めていたのだ。売り終わったら、ここの蒸し風呂に行こうと。

 話によると今日は行商が買ってきた香草が入れられ、大層、良い香りの湯気だという。

 そんな珍しい風呂を逃すほど、もったい無いことはない。


「よしっ」


 意気揚々と店を出て、雪を踏みしめて歩き出す。

 目的とする場所の温かさを思うと、自然と笑みがこぼれた。


「あ、ラーニアの婆さんも来てんのか……」


 行く途中、数メートル先に老婆を認め、意外だと言わんばかりに目を細める。

 知人の話だと城に奉公に出ていたはずだから、思うに、城から休みをもらったのだろう。

 フードを頭から被っていても、雰囲気を見れば一目瞭然だ。

 それをしばらく眺めて再び歩き出し、男は蒸し風呂へと改めて向かった。


※ ※ ※


「さて、何を買うかねえ……」


 辺りを眺めてラーニアがつぶやく。春の祭りは何度も経験したが、冬の祭りは初めてだ。

 石の彫刻皿、小さな絵、楽器などなど、店にはそれぞれ自慢の品が並んでいる。それを横目に、城からもらった給金をそっと確かめる。

 金はある。この分なら色々と買えそうだ。そう思って、顔を上げた時だった。


「ラーニア!」


 年の似た声が、ラーニアを後ろから呼び止めた。反射的に振り返り、見えた顔に目を丸くする。


「シャンザ……」


 息を飲む。いたのは、数ヶ月前、孫娘に子が出来たと言って暇を貰った給仕仲間だった。

 今にも転びそうな足取りで走って来るシャンザに、思わずラーニアの方も小走りに駆け寄る。

 その表情が、不安と期待の混じったものになった。

 こくりと小さく喉を鳴らして、そっと、シャンザに声をかける。


「シャンザ。ま、孫はどうだったんだい?」


 問う声までもが、思わず震えた。この国で、子供が無事に授かる率はさほど高くない。

 そんな不安を胸に、ラーニアがじっと答えを待っていると、ようやく息を落ち着けたシャンザが、晴れやかな笑顔を花咲かせた。


「聞いてちょうだいよ、玉のような女の子! もー、嬉しくて嬉しくて……」


 その言葉で、ラーニアの顔にも明るさが戻った。


「そ…そうかい! そりゃあ良かった! 良かったねえ」


 シャンザの手を握り締め、ラーニアが身を乗り出す。自分の事でもないのに、じんと胸が温かくなった。


「本当によかった…みんなでお守り布編んだ甲斐もあったってもんだよう」

「ありがとう、ラーニア。初産に怯えてたあの子も、火吹竜様の声で勇気もらったみたいでねえ」

「ふふ、そりゃあ縁起がいい。ところで、これから少し暇かい?」

「そりゃあ。孫祝いを買おうと思って出て来たぐらいだから?」

「じゃあ、ちょいと付き合っておくれ。土産を買いたい人がいるんだ」

「…誰?」

「レリウス様さ」


 にか、と少し隙間の開いた歯を見せて笑い、ラーニアが片目を瞑る。途端に、今度はシャンザが呆気にとられたような表情になった。

 レリウスはかつての、給仕達の人気の的だ。最初、新米として入って来た十代後半のレリウスを、まだ二十代だった給仕達があれこれと世話をやいて、王のお気に入りになるまで応援したぐらいである。


「まあ、帰って来られたのかい! ねえ、元気でいらっしゃった?」

「そりゃあもう。もう戻られないかと思っていたってのに、元気なお顔を見せて下すって!」

「あら、まあ。じゃあ、あたしも戻ったら気合入れて働かなきゃ」

「そうしておくれよ。ささ、何を買うか決めに行こう? 燻製じゃあ料理長に叶わないし、茶葉は行商の仕入れたのがあるし。だから、糸を買って刺繍にしようと思うんだけども如何だい?」

「いい案じゃないの、せっかく良くなられたんだから。健康を願うお守りでも縫うとしましょうよ。ね?」


 和気あいあいと、そんな事を話し合いながら隣に並ぶ。その途端、ラーニアが肘でシャンザをつついた。

 それに気付いたシャンザが、歩みの方向を会場から外した。人生の大半を共に過ごした姉妹分のようなラーニアの言わんとする事を、すぐに察したからだ。

 雑談はそのままに、行き着く先は会場の外。少し森に入って人の気配がなくなった辺りで、ラーニアが倒木に腰を降ろし、シャンザもそれに倣った。


「シャンザ、レリウス坊ちゃまが帰って来たって言ったよね」


 ラーニアが切り出す。坊ちゃま、というのは入った時には少年だったレリウスへの呼称だ。


「坊ちゃまから頼まれたんだよ。噂話の収集をさ」

「おや、そうかい。それで?」

「どうにも、色々と厄介な事になっているみたいでねえ」


 ラーニアが苦笑する。


「ちょくちょく国境で横暴を働いていたナティマの民が、火吹竜様が現れてから、ぱったり姿を見せなくなったのは聞いていると思うんだけども」

「うんうん」

「どうも、王の容態が芳しくなかったらしくてねえ。つい先日、亡くなられたそうだ」

「……そりゃまた」


 シャンザが息を飲む。代替わりというのは、国にとっては一大事だ。


「お世継ぎは?」

「ネメン様に決まったと」

「第二王妃のご子息じゃないの!」

「そうなんだよ。理由は、第一王妃に子がいないからだそうで。そんなはずはないのにねえ」


 ラーニア達がそう言い切るには理由がある。第一王妃の子が生まれたのが、このシシリだからだ。

 砂漠虫の駆逐遠征で王が出ている間、何を思ったか身重のまま侍女を連れてシシリに訪れた王妃は、そのまま女の子を産んだ。その後、国境の辺りで療養した後、城に戻ったと聞いている。

 ナティマの世襲制は、男女を問わない。だから、第一王妃の子が生きているなら、彼女こそが正当な後継者のはずなのだ。


「亡くなられてしまったのかい? そんな話は聞いてないけど」

「だから不気味なんだよ。てっきり、ナティマで無事に暮らしておられると思っていたのに」

「まあ、王は子沢山だし、一人二人亡くなってもいちいち知らせないような御方だからねえ」

「だからこそ、王妃様がこちらにいらしたんだけどね」


 他国の事とあって、言葉には何の遠慮もない。

 一夫多妻のナティマでは、王妃達は等しく王の持ち物とされる。

 第一王妃はそれに耐えられない心の持ち主だった。嫉妬に狂うのではなく、王の枷になる事を恐れ、他の王妃との争いに疲れ、逃げるようにシシリに来て子をもうけたのだ。


「現王に信じてもらえなかったんかねえ。誰の子か判ったもんじゃないと」

「それもあるかもね。とりあえず、ご無事ならこちらにいらして欲しいものだよ。そりゃあナティマほど便利じゃないけど、ナティマにいるよりは良いと思うし」

「ナティマを捨てたという事にすれば、シシリの反感も買わないし」

「そうそう」


 今でも、ナティマを毛嫌いするシシリの民は多い。いっそ、ナティマが滅びてしまえばいいのにと言う者さえいる。

 だが、ナティマが滅びたら最後、難民は行き場を求めて、このシシリにも大挙して押し寄せて来る事だろう。

 ナティマの民とシシリの民。その圧倒的な人数差を思えば、対処しきれないのは明らかだ。

 だからこそ、ナティマとはつかず離れずの関係を保って来た。ナティマもナティマで、竜と言う恐ろしい力を持つシシリを、なるべく刺激しないようにやり過ごして来た。

 その辺りを把握しているのは、王族や、それに関わる者達だけである。民からの不満は再三上がるが、国が失せる事の問題を把握している立場としては、その声を上手くやり過ごすしかない。


「ちょいと、王妃様のその後でも調べてみるかねえ」

「そうだねえ。坊ちゃまは坊ちゃまで何かお忙しいようだし……ああ、でも、火吹竜様なら何かご存知かも知れないよ?」

「確かに。じゃあ、坊ちゃまにお願いして、聞いて来て戴くとしようかね」


 そこまで言って、腰を浮かせる。

 ぱち、ぱち、と。

 いきなり、拍手の音がそこに入り込んだ。


「無防備だなあ、婆さん達。『人が来ない場所は、人前に出れない奴が居着く場所』だって知らないの?」


 ひょこりと、木陰から顔を出した少年が、満面の笑顔で二人に告げる。

 その胸に飾られた、逆さ竜の細工物を見て、ぎょっとする二人に少年が笑った。

 逆さ竜は、竜に反する者が好んでつける印だ。平たく言うなら、王族の敵である。


「いい事聞いちゃったなあ。さあて、どうしようか、どうして欲しい?」


 くすくすと、心底楽しそうに少年が笑う。


「衛兵を呼ぶ?遠いよねえ。僕と戦う?でも、僕は強いよ」


 獲物を見つけた獣のような、そんな感じの笑い方。

 それを見て青ざめる二人に向けて、少年が、ゆっくりと距離を詰めて行った。

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