赤竜祭(1)
「火吹竜様万歳!」
「シシリに良き未来を!」
「ラタ様万歳!」
「竜の加護がありますよう!」
口々に叫ばれる歓喜の声が、寒さに負けじと響きわたる。
歌う声や楽器の音と共に、雪原を駆け抜けて行く明るい雰囲気。
それを城の一室で感じ取り、ディラノはにんまりと深く笑った。
少しだけ、その肌がつやっとしているのは気のせいではない。
「愛されてるねえ、タエ様は」
窓にもたれながら腕を組む。人目につかない場所だけあって、態度を取りつくろう事もない。
石の壁を通してなお、伝わって来る早朝の冷気はしかし、寒いというより心地良いくらいだ。
朝からすっきりさっぱり、蒸し風呂で汗を流して来たからだろう。
そんなわけで色々と爽快である。気分的にも、身体的にも。
「さーて、今日をめいっぱい楽しみますかね!」
つとめて明るい声を出し、ぐっと腕を伸ばして背を反らす。
本当ならもう少し前に発つ予定だったが、ネーヴェの頼みを聞いているうちに、やけに時間が経ってしまったのだ。
祭りが決まってすぐ、自分を身辺警護に引き入れたネーヴェ。彼女の立場を思えば、安く雇える護衛が欲しかったのだろうとも思えたが、なぜかネーヴェはディラノを他の護衛と同行させなかった。
代わりに命じられたのが単独での見回りだ。だが、それもまた、大きな危険とは縁遠い場所ばかり。
それもあって、最初は剣の腕を信用されていないのかと疑ったが、剣を持たずに見回りに出ようとすると眉を潜められるので、それも読み違いだったらしい。
けれど、出かけると言うと用事があると呼ばれ、暇な時に「用事があるか」と聞くとないと言う。
その身勝手な、ある意味非常に王族らしいワガママに振り回されているうちに、すっかり、気まぐれな山猫でも相手にしているような気分になり、気付けば、彼女の言動に一喜一憂していた。
「結局、何がしたかったんだろうな……ネーヴェ様は」
寂しいのかと思って、会話しようとすると突っぱねられる。なのに異国の話はディラノの手酌を遮ってまで聞きたがる。
外に出たいのかと思い、「たまには城のことを忘れて楽しんで来て下さい」なんて言おうものなら不機嫌になる。
それにも関わらず、外から戻って来ると上機嫌に話をし出したりする。
本当に、どうしたいのか全く想像がつかない。
そう言う意味では、今は亡き妻にも良く似ている。
「王城の女ってのは、何でこう……みんな、気分屋なんだろうなあ」
例えばネーヴェと同じ後宮出身の妻も、まるで猫のような女だった。
その後宮は、平たく言えば王の子を生む為の娘が集まる場所だ。そしてそこには、平民から貴族まで多くの娘が入る事になる。
その候補選びに身分が優先されないのは、寒さ厳しいシシリという地で、王家の血を絶やさない為にはとにかく、頑丈な子供を生む事が優先されるせいだ。
血が薄まる事よりも、絶やさない事を優先する。それがシシリという国である。
そうして城に入ったら入ったで、娘達はその立場に恥じない所作を叩き込まれるが、終われば城から出される事になる。
合理的と言えば合理的なのだが、相手が王とは言え、他の男に手をつけられた娘を喜んで迎える男は少ない。
男が貴族なら、そんな娘しか選べなかったのかと、暗に笑われるのが目に見えている。
男が平民なら、城での暮らしと自分の暮らしを比べられるのではないかと、そんな事を気にして勝手に気後れしてしまう事も多い。
結果、ディラノのような豪胆な者だけが、そうした娘を妻に迎えるのだ。
そして毎晩、ディラノは子守唄のように聞かされていた。
ネーヴェの事と、その幸せについて。妻から何度も。
「あなた。ねえ、あなた……」
「うん?」
「あのね、ネーヴェさまのこと」
くすくすと、秘め事を打ち明けるような調子で、ベッドに滑り込んで来た妻が囁く。
毎晩、決まってディラノを抱えて眠る妻は、その日もまた、ディラノのぬくもりを求めて抱きついて来た。
「あの方は、本当に国のためを思っていらしたの。その……王妃はサニ様で良かったと思ってますけど、あれだけ頑張れるネーヴェさまなら、きっと良い王妃になられたと思って」
「そうかねえ。俺としちゃ、今の王妃様で充分だと思うけど」
「ええ。でも、でもね。ネーヴェさまはもっと広い世界を見れる方だと思うの。王妃にもなれない、宰相と言っても代行、そんな中途半端な位置じゃかわいそうだわ」
「そりゃあお前の思い込みだろ。望んで城に残ったそうじゃないか」
「それは、責任感が強い御方だから。本心では、きっと寂しい思いをしていらっしゃるわ。だって不公平じゃない? ネーヴェさまには、努力に見合う報酬がないのに、外に出た私だけが最高の幸せを手に入れて……」
きゅ、と妻が口元を引き結ぶ。
ディラノが怪訝そうな顔をすると、妻の目が、真っ直ぐにディラノを見た。
「あなたと、アニアよ?」
首を傾げる妻の肩で、蜜色の髪がさらりと揺れる。
蝋燭の光を受け、金色に輝くそれを見て、ディラノは無言で天井を仰いだ。
「知ってる。俺も……ようするに、そうだ」
「ふふ、そう言ってくれて嬉しいわ。でもね、もしも私に何かあったら、ネーヴェさまをお願いね?」
その言葉に対する返事は、結局、彼女が雪崩で死ぬまでできなかった。
縁起でもないと笑い飛ばすには、脅威が身近にあり過ぎたのだ。
「頼む、って言われたけどなあ」
思い出を頭の隅に追いやって窓から離れ、机に置いてあった毛皮を羽織る。
改めて城の面々を思うと、なぜか、苦笑いがこみ上げて来た。
「ここの連中は、自覚がなさすぎるからなあ。どいつもこいつも」
なにしろレリウスは知らない。自分が、どれほどネーヴェの支えになっていたかを。
ネーヴェも知らない。自分が、どれほど神経を張り詰めて来たかを。
ラタも知らない。王族らしくしていなきゃと、ささやかな望みも何もかも、無意識に抑えつけて来た事を。
だが、ディラノだけは気付いていた。
タエの出現で、それら全てが癒されつつある事を。
そのタエですら、理解しているようには見えないのだ。
自分の存在の意味を。自分が、どう他人に見えているのかさえ。
「馬鹿ばっかりだな、この国は」
つぶやく声が明るさを帯びる。一度は憎んだシシリだが、この国の生まれで良かった。
情のある者が上にいるというのは良い事だ。情ばかりでも正直言って困るが。
そう思うと、風呂の暖かさとは別の意味で熱がこもる。風邪ではない。商売熱だ。
「見てて下さいよ?」
不敵に笑い、朝日に広い背を向ける。
思えばいくらでも後ろ髪を引かれる要素があるのだが、やはり自分は行商人でしかない。
もっと大きな何かを! と野望を抱いた時期もあったが、今となっては今の自分を誇る事ができる。
「行くぞ、アニア」
部屋に戻りながら声をかける。
それを待っていたかのように、ひょこりとアニアが顔を出した。




