表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/41

夜明け

 朝日が、夜の色を薄れさせてゆく。

 地平線から太陽が顔を出しても、淡い青にしか染まらないシシリの空。

 その寒々とした色とは対照的に、広場は大いに賑わっていた。

 蒸し風呂に集まる人の声。商いをする人の声。

 それらの物音は山頂まで届き、ついに、穏やかな夢に沈んでいたタエの目を覚まさせる事となった。


「あら。もう朝なの……?」


 寝坊したかしら、なんて苦笑して、軽くあくびをしてから体を起こす。

 その声に気付いたイタチが顔を出した。猿も、狐も顔を出した。


 動物達は、この赤い竜が、誰よりも優しい事を知っている。

 地鳴りのような寝息を立てられても、朝が平和な事を知っている。

 だからこそ動物達は、不用意にタエには近付かない。

 自分たちを傷つける事を、彼女が恐れると理解しているからだ。


 だから、寝起きのタエに近付く時は、まず一声かけてから!

 誰が言い出したわけでもないが、それが、ここでの暗黙の約束事になっていた。


「きゅうん」

「くぅん」


 冬毛をそよがせた獣達が、思い思いの声で、目覚めたタエに呼びかける。

 それに気付き、タエはそっと両の翼を差しのべた。


「どうぞ?」


 そう言うや否や飛び乗って来た動物たちを持ち上げ、下方がよく見えるように持ち上げる。

 こうして、会場はタエを筆頭に、動物達にも見守られる事になったのである。


「今日はね、窯のお祭りなの」


 首を伸ばし、目を細めたタエが、やさしく動物達に語りかける。

 その声に狐がぴんと耳を立てると、タエが、嬉しそうに牙を見せて笑った。


「みなさまね、それはそれは、昼も夜も頑張ってくださって。夜など、火明かりで、雪の地に琥珀色の星が散ったようでしたのよ。ネーヴェさんとディラノさんも一緒になって駆け回っておられましてね、お二人で露台に出られている姿も、何度かお見かけいたしましたの」


 当の二人が聞いたら赤面しそうな目撃談だが、タエには見えてしまうのだから仕方ない。

 むしろ赤面していたのはタエの方だ。それぐらい、人目を偲んだ二人は、仲良く会話していたのだから。

 もっとも、親しげなのはディラノの方で、ネーヴェの方の反応はかなり事務的。

 その辺りまで気付いた時点で、まるで覗きのようだと、あわててタエはそっぽを向いた。

 そうすればそうしたで、働く他の民が目に入ってしまう。

 そんな状況で、働き者だったタエが、何もせず暇を潰していられるはずもなかった。


「わたくしも、なにかお役に立たなければ……」


 そわそわと、見ようによっては油断なく睨みを利かせるような目で国中を眺め回して、あれこれと考えを巡らせる。

 けれど人の側には近付けない。人は動物ほど、運動神経が良くないからだ。

 一人二人ならまだ平気だが、大人数となると目が届かない。

 最悪、軽く尾を振った拍子に吹き飛ばしてしまう可能性もある。


「お怪我させてしまうのは嫌ですし……」


 シシリの為になり、ついでに人に迷惑をかけず、今の自分にできる事──


「そうだわ、雪!」


 タエはひらめいた。雪崩の元凶を減らせば良いじゃない、と。

 雪崩はシシリの驚異のひとつだ。それを減らせば、民も安心して暮らす事ができる。


「ふふ、ありましたわね。今の私でも出来る事」


 うきうきと声を弾ませる。ほどなくして、タエは作業に取り掛かった。

 雪崩がおきそうな場所の雪を集め、ごろごろと蹴り転がして踏み固め、早朝、人のいない場所に捨てて来るのだ。

 もちろん、タエとしては地味にやったつもりだ。

 だが、祭りの準備と平行で行われたそれは、否応なしにも、人目を引く事となった。


 暁の空を、大きな雪玉を持って悠々と舞う竜。

 その巨大な翼が風を叩く度に、赤い鱗が炎のような輝きを散らす。

 すっと前を向いて飛翔する姿から、滲み出すのは野蛮さではなく気品。

 それを見た職人が、彫刻の題材にそれを選んだのは言う間でもない。


 大竜と宝玉。やがて行商人の手で売られて行ったその像は、竜珠の構図を他国に広め、いつしか、竜のイメージの定番となって行った。

 こちらは、タエにとって予想外の出来事だ。

 ただ、それをタエが知る事になるのは、ずいぶんと後になってからである。


 ちなみに、雪玉に反応したのは彫刻家ばかりではない。

 彫刻家が良い題材としてそれを選んだとするなら、悪い知らせとして青ざめたのが野心家の貴族達である。

 ある日突然、雪玉による天誅が屋敷の上から降って来るのではないかと、気が気でならなかったのだろう。

 竜が空を舞う度に、邸宅が潰されるのではないかと恐れ、早寝早起きの習慣がついてしまった者もいた。


 そして今日もまた、懺悔を終えた貴族の一人が屋敷に戻る。

 名をダトイーン。信心深かった父母をあざけるかのように、闇取引に手を染めていた青年だ。

 優しげな弧を描く目元に、どこか甘さを宿す顔立ち。両親から継いだ見目はたおやかで、虫すら殺せないようにも見えるが、その実態は真逆である。

 もっとも、我が身第一の性格ゆえに、火吹竜が現れてからは悪事からきっぱりと足を洗っている。

 本意ではなかったが。


「旦那様、おかえりなさいませ。今日も早いお戻りで何よりです」


 執事が頭を下げる。だが、ダトイーンの表情はさえない。

 執事が怪訝そうな顔をすると、わなわなとダトイーンが震え出した。

 寒さからではない。恐怖からの震えだ。


 彼は見てしまったのだ。森の守護を司る獣を、その巨体にはべらせる赤い竜を。


「あのドラゴン……獣を従えていやがった。人の言葉だけでなく、獣の言葉すら操るとは恐ろしい。もしも森で獣に何か目撃されてみろ、俺の未来は丸コゲだ!」

「ええ、そうですな。この国で竜の目から逃れられる場所はありません」


 執事が重々しく頷く。

 その態度に、ダトイーンがいくらか気を良くしていると、執事が涼やかな口調で切り出した。


「時に、旦那様の留守中に、メラシュ家、ネバ様より連絡がございまして」

「……密会へのお招きか」


 ダトイーンの表情が曇る。

 以前なら、大喜びで飛びついた誘いだが、今となってはそんな気になれない。

 なにしろ、何とか火吹竜を退けようと、竜に恨みを抱く一団のパトロンになってみたのに、上手く行かなかったのだ。

 皮肉にも、そこの主力であったディラノとかいう大男が、竜に魔術をかけられて魅了されてしまったと聞いている。何と恐ろしい話だろう。

 もはや打つ手なしだ。知と力をその身に携えるドラゴンを相手にしようと考えたのが、そもそもの間違いだったと今では思う。


「とりあえず断ると言っておけ。俺は不参加だ、竜に焼かれる気は全くない」


 苦々しくダトイーンが吐き捨てた。


「後は貴様らで勝手にやれ、と言っておけ。もう二度と私に関わるなとも」

「そうですか。いや、もしも顔を出して下さるのなら、ナティマに土地を用意するとの事だったのですが……」


 ダトイーンから受け取った上着を、片腕にかけながら執事が声を落とす。


「ですが、断るなら早い方が良いでしょうな。今すぐにでも伝書を飛ばします」

「待て!」


 ダトイーンが血相を変える。


「い、今のは無しだ。会には参加すると伝えろ!」

「……よろしいので?」

「当然だ! だいたい、ナティマと上手くやるためにナティマで売られていたお前を買ったのだぞ!」


 そこまで叫んでから、慌てて声をひそめる。

 火吹竜に聞こえたかと恐ろしくなったのだ。


「……きっちりやれよ、クルジ。竜の手の届かない国まで逃げられたら、お前にも相応の褒美をやるからな」

「かしこまりました」


 そう言って頭を下げたクルジが、ちらりと塔の方を見る。

 その口元がいびつな笑みを浮かべた事を、ダトイーンが気づく事はない。

 だが、クルジは内心でほくそ笑んでいた。これでようやく、「褒美」にありつけると。

 なにしろメラシュ家は、三本指に入るほどの富豪なのだ。単に、先代から財産があるとも言うが。

 ともあれ、ナティマでその名を知らない者はいない。その強欲さを知らない者もいない。


「ところで、今晩の夕食に氷蜜はお付けしますか?」


 クルジがダトイーンに問い掛ける。


「当然だ。あれがなくては、食事が終わった気がせん」


 重々しくダトイーンがうなずいた。


 何かにつけて、火吹竜を恐れるダトイーンだったが、その産物はまた別だ。

 それもこれも、氷蜜が旨いのが悪いのだ。

 暖炉に薪を入れ、これでもかと贅沢に火を焚いた部屋で食べる氷蜜の、何と素晴らしい事か!


「薪は潤沢にな」


 汗をかくほど部屋を暖めろ、と暗に含めてダトイーンが笑う。


「かしこまりました」


 一礼し、クルジが静かに場から下がった。

※露台=ベランダ・バルコニーの事

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ