事情(2)
「タエさま、タエさまってば!」
「あ……」
声の方に顔を向け、タエは目を丸くした。
どうやら、すっかり回想に没頭していたらしい。
「ごめんなさいね。ちょっと、ぼうっとしてて」
「まったくもー。タエさまこそ、疲れたら疲れたって言ってよね!」
アニアが口を尖らせる。雰囲気的に、ラタにお姉さんらしいところを見せたいのだろう。
その魂胆がわかって、タエは思わず笑ってしまった。
「ふふ、アニアちゃんの言う通りね。はい、今度から気をつけます」
「そうしてくださいっ」
アニアが、得意げに胸を張った。
「ねえ、タエさま」
「はい?」
「タエさまってさ、大事な人との思い出の品を作ろうとしてるんだって?」
「あらやだ、知っていらしたの……」
タエが頬を染める。はたから見て全く変化はなかったが。
それでも、もじもじと恥ずかしそうに視線を泳がせるタエに、アニアがぐっと身を乗り出した。
「タエ様、その人の事好きだったんだね」
アニアの声が弾む。タエが目を丸くすると、アニアが大当たりと言わんばかりの笑顔になった。
「オレ、そう言う話大好きなんだ」
寝物語で、母に聞かせてもらっていた恋物語。父はなぜか、頑として読み聞かせをやってはくれなかったけれど、母に聞かされた甘く切ない話は、今でもアニアの宝物だ。
「だからさ。タエさまに、これ……」
アニアがごそごそと衣を探る。
しばらくして、アニアは取り出した破片をタエの目の前に突き出した。
尖った結晶を持つ白い石だ。最も、その一部は飴のようになっていて、ちょうど、流れた蝋が冷えて固まったような艶を見せている。
「これは何ですの?」
「恋の石。南の方でさ、こんなお話があるんだよ。ええと……」
アニアが姿勢を正す。
それから深く息を吸い、ゆっくりと吐いて、アニアは緊張にやや上がった声でそれを語り出した。
「むかし、むかしの物語。石の世界に竜が来た。
石の娘は恋をした。けれども竜はゆかねばならぬ、あるべき世界にゆかねばならぬ。
石の娘は涙した。ほろりほろろと別れの涙。
涙は悲しき水の色。石より清き、水の色……」
流れるような口調で、アニアが最後の一句までを語り終える。
そしてふと、アニアがラタの方を見ると、呆然とアニアの方を見ているラタと目が合った。
「…ラタ?」
「な、なんでもない」
ふい、と下を向いたラタが、ふらふらと足を揺らして広場の方に顔を向ける。
そのやり取りにタエが笑うと、アニアがタエの方に顔を向けた。
「そのお話の石がこれ。あっちじゃ、石の涙って呼ばれてるんだ」
「石の涙?」
「そう。南の方ではさ、氷の石を焼いて小さなビーズを作るんだよ。恋が叶うお守りを作るために。これはその原石なんだ」
「まあ! それじゃあ大切なものじゃないの。だめです、だめ。アニアちゃんが持っていなきゃ……」
「いいんだよ。氷の石は、シシリでも良く採れるし。タエ様の火なら、きっと、いくらでも作れると思うんだ」
アニアが興奮気味にまくし立てる。
タエはしばらく困った顔をしていたが、はたと思いついたように牙を噛み合わせた。
「その、氷の石というのは、この辺りにもありますの?」
「あるよ。雪を掘ると、たまに白い石が出て来るじゃん。それが氷の石」
「あれが?」
「そう。ほら、溶けない氷の結晶が生えてる事があるじゃん。だから、そう呼ばれるんだ」
「まあ、まあ。それでしたら、わたくし、自分で作れそうですわ」
タエが目を輝かせる。ようやく、氷の石の正体がわかって来たのだ。
おそらく、水晶の事だろう。あの石が火で溶けるとは知らなかった。
「アニアちゃん、ラタさま。お城に戻ったら、その氷の石を持ってきてくれるよう、ネーヴェさんたちにお伝え下さいな」
「うん」
「いいよ」
二人がうなずく。
「それと、そろそろお昼を召し上がらないと。祠の中に温めた石を準備してありますから。火傷には気をつけてくださいませね」
「うん」
「はーい」
下げた翼から飛び降りた二人が、祠の中へと駆けて行く。
それを確かめ、タエは体を伏せて、祠の中を覗き込んだ。顔一つで祠の入口を塞ぎそうな勢いだが、子供たちはそんな事も気にせずに、石の上にいろいろな食材を乗せて温めている。
石は少し冷めていたが、物を温めるだけなら不自由しそうにない。
「ラタ、これも」
「いいよ。あ、この蜜の鍋は次ね」
雪から取り出した様々な物を、石に乗せながら二人がはしゃぐ。
それらの食材は、早朝、ネーヴェが持ってきたものだった。
雪に埋めておけば、食材は滅多な事では腐らない。
それを子供たちが取り出して温められるようにと、ネーヴェが置いていったのである。
「王族だって、子供です。たまには、王族を忘れる場所があっても良いでしょう」
さくさくと食材に雪を被せながら、ネーヴェはタエにそう言っていた。
「どうせ待つなら、楽しい方がいいでしょうし。タエ様、二人をお願いしますね」
「ええ、喜んで」
タエがうなずく。
二人への、ネーヴェの気遣いが嬉しくて、思わず顔がほころんでいた。
「きっと喜びますよ、二人とも。だから、ネーヴェさんも頑張って下さいませね」
「はい」
埋めた所に目印を立てて、ネーヴェが笑顔でタエを見る。
人と竜。全く違う立場のはずなのに、そこに距離は感じなかった。




