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再会

 日が暮れ、闇が落ちる時間帯。

 王城の一室で、コツ、と燭台の底がテーブルと触れ合った。


「そろいましたね」


 青みがかった大理石の机に、蝋燭を置いたネーヴェが、席の一つを引いて腰を下ろす。

 晩餐の席についているのは五人だ。ラタ、ネーヴェ、ディラノにアニア。


 ──そして、十年近く姿を隠していた宰相のレリウスが、この日は同じ机についていた。


「まさか、こうしてお目にかかれるとは……」


 嬉しそうに、レリウスがしわだらけの顔をほころばせる。その淡い灰色の目に、優しく見つめられたラタが、居心地悪そうに首をすくめた。


 もっとも、レリウスとしては感慨ひとしおだ。話でしか知らなかったゼレの息子が目の前にいるのだから。

 当のラタはと言えば、レリウスの視線を避けるためか、もこもこと頬が膨らむぐらい、パンを口に詰め込んでいる。


「ラタ様」

「ん?」

「喉につかえますよ、水を」

「んっ」


 微妙な発音の違いによる会話が、ラタとネーヴェの間で成立した。

 それを見守っていたレリウスが口を開く。


「ネーヴェ様に全て任せて、それで終わりだと思っておりましたのに」

「またそんな事を……。うその病に伏せっておきながら、何を仰いますか」


 ネーヴェが苦笑する。

 実質、ラタに代わって国政を仕切っているのはネーヴェだが、全てがネーヴェの才能によるものではない。

 梟によって届けられるレリウスの助言に従ったものも多かったのだが、レリウス自身はそれをネーヴェの手柄とする事を望んでいた。


「長々と、老いぼれが出しゃばるものではありませんからな」

「レリウス様、そのようなお言葉を頂戴すると反論に困ります」

「困ってくだされ。あれは助けではなく、ただの暇潰しでしたので」


 笑顔のまま、レリウスがやんわりとネーヴェの言葉を巻き取って行く。

 ネーヴェが、困ったようにはにかんだ。


「……そう、言うと思ってました」


 別れた時と、何も変わっていないと思った。


 レリウスはネーヴェにとっては祖父同然だ。

 何かにつけ、相談にも乗ってもらった。

 だから事情によりレリウスが姿を隠してから、ネーヴェはその安否を気遣った。

 手紙が届くたびに安堵し、願った。大変な思いをしていないといい、と。


 その時は、再びこうして会えるとは思っていなかったのだ。

 レリウスの帰還は、予想外の吉報だった。


「戻るなら、そう言って下されば迎えを出しましたのに」

「およしくだされ、貴族達に邪推されるのは勘弁です」


 レリウスが苦笑する。

 シシリの階級は、周辺国に比べると単純だ。国を名乗り、国境も存在しているが、元は大国に追われた小国の生き残りと、逃亡中に意気投合した少数民族達の寄せ集めに過ぎない。

 ゆえに邸宅の設計などは亡国の末裔が担い、実際の労働は少数民族の末裔が担う。

 最初は単なる得意分野による役割分担だったのだが、いつしか、それが身分や階級になった。


 年月が経てば不満も増える。

 建国の竜伝説も一部では作り話とされ、表立ってそれを口にする者はいなかったものの、現行制度に対する反感が静かに水面下に広がりつつあった。

 ──このままでは国がほどける。

 それを憂いたレリウスはラタの父、ゼレと相談し、仮病で隠居する事を決めた。


 そして、ネーヴェに白羽の矢が立った。ネーヴェは庶民の出だ。

 庶民ごときにまつりごと()のいろはなど判るまいと息巻いている貴族を黙らせるにも、そして庶民の不満を鎮めるにも、ネーヴェをレリウスの代わりとするのが無難だろうという結論に至った。

 もちろん、レリウスが影からネーヴェを支える形で、だ。


 シシリの民は忍耐強い。男も、女も、我慢強い。

 不満があっても口には出さない。だからこそ、色々なものを抱え込む。

 見えぬ場所で亀裂が入っては元も子もない。その事をレリウスが告げた時、ネーヴェは無理やり笑顔を作っていた。

 やはり、不安だったのだろう。それでも泣くまいと笑っていた。


 そして──年明けを目前に控えた夜。


「レリウス」

「何でございましょうか、ゼレ様」

「近いうちにな、子が産まれるんだ」

「おお、それは……」


 おめでとうございます、と喜びを声に載せたレリウスに、ゼレが心からの笑みを返す。


「すまんな、大変な役目を頼んでしまって」

「いえいえ。いたずら盛りのゼレ様のお守りをするのは、爺のつとめでしたから」

「……忘れてくれ、昔の事だ」

「忘れられるものですか、あなたにはずいぶん困らせられました。今さら面倒事が一つ増えても何も変わりませぬ」

 

 お任せを、と茶目っ気を交えるレリウスに、ゼレが観念したように笑った。


「はは、狸じじいめ。相変わらず意地の悪いことだ」

「そこは策士と呼ぶところですぞ。それでは、そろそろ隠れます。どうか……この国に良き未来がありますよう──」


 深く頭を下げ、ローブを纏って部屋を出る。

 レリウスがゼレの顔を見たのは、その夜が最後だった。


※ ※ ※


「ゼレ様は最後まで、レリウス様の事を誇っておられましたよ」

「それはこちらとて。近々、墓に挨拶してまいります」


 ネーヴェに応じ、レリウスが立ち上がる。飄々とした口調に深刻さはない。

 いつか後を追う老躯だ、思い出話など、あちら側に行ってからいくらでもできる。


 かつこつと杖を鳴らしながら窓辺に寄り、塔に寄り添うタエを見る。

 幻獣にふさわしい凶暴な姿。それなのに、なぜか恐怖を感じなかった。


「……まさか、生きているうちに伝説を見るとは思いませんでしたがの」

「私もです」


 ネーヴェが同意する。

 思った以上に竜が人心を集めてくれたおかげで、小細工の必要がなくなった。もう、貴族と平民の間の不満をそらす為にレリウスが隠居する事も、ネーヴェがレリウスの代わりをする事もないのだ。

 だから、レリウスとネーヴェが再び出会えたのもタエのおかげといえるだろう。

 感謝は尽きない。祖父と孫のような間柄の二人が、こうして再び共に在れるのだから。


「時に、ラタ様が何か言いかけておられましたな」


 タエから視線を反らしたレリウスが、振り返って首を傾げる。

 ここに集まった時にラタが軽く口を開いて閉じたのを、レリウスは見ていたのだ。


 いきなり話題を振られたラタが、あわてて口の中のパンを飲み込む。

 王の名を冠していても、そのあたりはまだまだ子供だ。


「何を言わんとされていたのです?」

「あ、いや、その……祭りを開こうと思ってさ」

「冬に……ですか?」


 問い返したのはネーヴェ。

 ラタが、こくりとうなずいた。


「春しか、お祭りしちゃいけないって事はないと思うんだ。竜が来た後、みんな本当に嬉しそうだった。窯の回りも今、そうだよね。だから感謝とか、願いとか、そう言うお祭りがあってもいいと思うんだよ」


 春の祭りは十年に一回。それまで、国民はひっそりと耐え忍ぶ日々を送り続ける。

 それが慣習だったし、誰も、その事に疑問を持たなかったのだが。


「あの塔みたいなのとか、竜の雪像を立ててさ。その前に火を炊くんだ。そうすれば、火吹竜のお祭りらしいでしょ」

「それは……そうですが」

「じゃあ、布を飾ろうぜラタ。春の花には負けるかも知れないけどさ、いっぱい飾ったら楽しいじゃん」

「アニア。あなたまで、勝手に話を進めないでくれませんか」


 ネーヴェの眉間にしわがよる。

 果たして、こんな思いつきに民が賛同するのかと。


 祭事は、本来神聖なものだ。おふざけ半分でやるものではない。

 ましてや祭事には資源を使う。無駄遣いをするなと、民に眉をひそめられる可能性だってある。


「ラタ様、祭事は遊びではないのですよ。大人が、それに賛成してくれるかどうか」

「俺は賛成ですよ」


 岩のように黙っていたディラノが、低い声を響かせた。


「いいじゃないですか、祭りの一つや二つ。たまには気晴らしぐらいした方がいい」

「ディラノ。あなたまで一緒になって何を言うんです」

「そう怖い顔をしないで下さいよ、美人が台無しだ」


 美人、の辺りを強調してディラノが片目を軽くつむる。


「考えてもみて下さい。春には感謝するのに、竜には感謝しないなんて変じゃないですか。確かに、タエ殿は火吹竜だし、冬の作り手。建国記念日でもなけりゃ、別に祝うものでもないかも知れませんけどね」


 そこで言葉を切ったディラノが、白く曇る窓の外を見る。

 遠い塔の上で羽ばたくタエを見る目が、楽しそうな笑みの弧を描いた。


「聞けば、窯も、蒸気部屋も、タエ殿の案だって言うじゃないですか。実りに感謝するように、そう言う事に感謝したっていいでしょう。窯の記念日、蒸気部屋の記念日。窯の記念日には感謝として薪を、蒸気部屋の記念日には感謝としてレンガを奉納すればいい。外の国じゃ、そんな祭りもありますよ。薪とレンガの収集にも役立ちますし、一石二鳥だと思いますがね」


 どうです? とディラノがネーヴェに視線を戻す。

 それを見返したネーヴェが、ふう、と小さく息をついた。


「ディラノ、あなたって人は……行商をしに行ったのではないですか?」


 あきれ気味の笑顔でネーヴェが言う。


「まるで、他国の祭りを楽しんで来たような口ぶりですよ」

「ええ、楽しんで来ましたから。アニアが好きなんですよ、祭り」


 な? とアニアを担ぎ上げてディラノが笑う。それに嬉しそうな顔をしたアニアとラタを見て、ネーヴェは片手で顔を覆って天を仰いだ。

 この親馬鹿は、まったく、一体どこまで馬鹿なのだろう。

 アニアに弱いディラノも、ラタに弱い自分も、本当に心底困ったものだ。


「分かりました、まずは窯の記念日といたしましょう。雪かレンガで小さな窯を作って、中で火を炊いて感謝の証とする。それで良いですね?」

「ネーヴェ、ありがとう!」

「一日だけですよラタ様! 毎日浮かれられたら、労働が止まってしまいます!」


 あわてて早口でまくしたてたネーヴェが、きっと眉を吊り上げる。

 そして、くるりと背を向けて歩き出したネーヴェに、ラタがきょとんと目を丸くした。


「ネーヴェ、どこ行くの?」

「決まった以上は、タエ様に伝えて来なければなりません。朝食の時間には呼びに参ります。ディラノ。それまで、ラタ様を」

「はいはい」

「外に連れて行ったら承知しませんからね」

「……おう」


 二度目の返事は間が空いた後。

 それを背で聞き、カツカツと場から遠ざかって、ネーヴェは今度こそ表情を和らげた。


「せっかくですから、楽しくやりたいものですね……」


 ちょっとは忙しくなるかしら、と。

 人知れずつぶやいた声は、誰よりも期待に満ちていた。

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