叱責
ばさりと地上に降り立ったタエが、首を下げてディラノを降ろす。
途端に塔の方から、アニアがディラノに駆け寄って来た。
「親父!」
アニアが、泣きそうな顔でディラノに飛びつく。
ディラノがその体を受け止めると、アニアがわあっと泣き出した。
「親父のばか! ばかばかばか! なんで、なんでオレを置いて行っちゃうんだよ!」
「アニア……」
「なんでだよ!」
「……それは」
お前のために春を取り戻したかったから、と言いかけて黙り込む。
アニアには、今、春より自分が必要なのだ。
それを今になって気付くなんて、自分はアニアの何を見ていたのだろう。
春が来ても自分がいなければ、アニアは寂しい思いをするだけなのに。
「すまん、アニア」
大きな手で、アニアの髪をなでながらディラノが謝る。
そしてタエの方を振り仰ぎ、ディラノは深くうなだれた。
「すまん。実は……俺が火吹竜殿に無礼を」
「あら、わたくしに用事があって来られたのですよね」
「タエ殿!?」
驚くディラノに向けて、タエが微笑む。
決して悪気は無いのだろうが、やはりその顔は怖い。
「アニアちゃん、あなたのお父様はね、わたくしに春を返して下さいって言いに来たのよ。でもね、わたくし、冬を作った火吹竜とは違うのです」
「違う……?」
泣き顔のまま、アニアがタエを見上げる。それに気付いたタエが、そっと雪に全身を伏せた。
「ええ。その……」
タエが口ごもる。遠くから見た演劇で、ここに冬が多い理由を知る事はできていたが、自分に冬の呪いを解く力はない。
「わたくしの先代がやった事は、わたくしではどうにもなりませんの。ですから、それ以外で、冬の苦労を減らさせていただきたくて。……よろしいかしら?」
「……う、うん」
アニアがうなずく。まだタエの迫力に慣れてはいない。
けれど、タエの優しい声が、その警戒心を和らげていた。
ディラノが、深々と頭を下げる。
無骨ながら、心の篭った礼だった。
「タエ殿、かたじけない……」
「そう思って下さるなら、次からアニアちゃんを泣かせないでくださいませ。自分のために命を落とした、なんてことを知ったら、残された方は自分を責めて生きなければならないのですから」
そう叱るタエの声は、いつもよりも幾らか厳しい。
そこに、タエ以上に厳しい声が割り込んだ。
「話は終わりました? ディラノ」
「ネーヴェさん……」
「ネーヴェ殿……」
タエの忠告がひやりとしたものなら、ネーヴェの声は氷点下だ。
ようするに、笑顔のまま、ネーヴェが怒りをあらわにしていた。
「まったく、塔は二人しか通れないのですよ、ディラノ。ラタ様を置いて来なければならなかった、私の気持ちも考えて下さいませ。よい大人が、何をしているのです」
「……それは、その」
「言い訳は結構!」
ぴしゃりと言い切られ、ディラノが口ごもる。普段は温和そのもののネーヴェなだけに、怒った時の迫力は半端ない。
たじろぐディラノに、きょとんとするアニア。それを見たタエが、ディラノとネーヴェの間に、大きな顔を割り込ませた。
「ネーヴェさん、もうそのぐらいで。大人だって、知らないことはあるのです。今知ったのですし、次から気をつければ良いではありませんか」
「……そう、ですけど」
「誰も怪我せずに済んだのです。生きていられるのは、とても良い事。ねえ、ラタさまをお城に残しておられるのでしょう? ネーヴェさんはアニアちゃんと戻って下さいませ。わたくしは、この……」
タエがちらりとディラノを見る。
「ディラノです」
「ディラノさんとお話がしたいので。大丈夫ですよ、無理はさせません。少しだけ、時間を頂きたいのです」
※ ※ ※
「で、俺に話と言うのは?」
ネーヴェとアニアが塔に入ってから、ディラノがタエに問いかける。
自分のした事を思うと、叱られる気がしてならなかった。
「何を話せばいいですかね……」
「あら、話があるのはわたくしの方ですよ。ね、ここに乗ってくださいませ」
タエがディラノに翼を差し出す。そこにディラノが乗るのを待って、タエがゆっくりと翼を上げた。
ディラノの視界が高くなる。
「あそこの方々にね、移動するようにと伝えて欲しいのです」
あそこ、とタエに動作で示され、ディラノは思わず目を剥いた。
見えた建物──逆さ吊りの竜を描いた旗を軒先に掲げるそれは、まぎれもなく、自分にタエの殺害を望んだ者達の住まいに他ならない。
ぞっと、背筋が寒くなる。
「やはり、知っておられましたか……」
抑えようとしても、ついつい、声が震えてしまう。伝説の竜は人の心を読むと言う。
ならば、彼らが竜を良く思っていないのは、すでに知られていたというわけだ。
それでも国外追放で済むのなら、焼き殺されるよりはマシだろう。
「了解いたしました。早急に彼らに伝えます」
「ええ、そうして下さいな。ずっと見ておりましたらね、あの周囲がときどき崩れているのですよ。でもね、雪が降り積もってしまうと、その痕跡も分からなくなってしまいますでしょう?」
「……は?」
ディラノが間抜けな声を出す。
「それは、どういう意味で?」
「危ないということですよ。周りが崩れる以上、近々、あそこに雪崩が起きるかも知れないということ。巻き込まれたら死んでしまいます。ですから、早く逃げていただかないと」
「ええと、それは、彼らを助ける……と?」
「ええ」
「なぜです? あれは……もう分かっていらっしゃるでしょうが、竜を良く思わない者達の寄合所だ。竜を倒せば春が来ると信じて、俺に、それを頼んだ連中ですよ」
その企みの罰として、竜に殺されてもおかしくないのに。
「なぜ、助けるのです?」
「わたくしはね……」
タエが微笑む。
「昔ね、わたくしの大切なひとを戦で殺めた国を、それはそれは恨みましたの。子供達にも、気をつけなさいと。あの国と、あの国の子たちは恐ろしい人たちだからと……」
「ああ……」
その気持ちはディラノにも分かる。ディラノとて、先代の火吹竜を憎んでいた。タエが当時の竜と違うと言われても、実際にこうして会わなければ、やはり危険だと考え続けていただろう。
「タエ殿にも、そんな事があったのですね」
「ええ。でもね、恨むのは途中でやめました。子供達がね、知り合った外国の子供達は、本当に普通の子供達で。想像していた恐ろしい子供達ではございませんでしたの。だから……」
タエが懐かしそうに目を細める。
「だから、争いは一代でよいと思っているのです。なにも、子や孫にまで、恨みを引き継がなくても良いじゃありませんか。後の世代で戦が起きるなら、それは、戦を起こす世代がその時の世を見て決めること。憎むも許すも、古い世代が口を挟んでまで、押し付けるものではございませんよ」
「タエ殿……」
ディラノがうつむく。竜の大らかさを、目の当たりにした気がしたのだ。
許すのは恨むよりも難しい。それを、子孫の代の判断に全て任せるというのは、よっぽど子孫を信じていないとできない決断だ。
大抵の老人は、自分の子や孫が未熟だと思い続けて、なにかと口出しをしたくなってしまうものだから。
「タエ殿、このたびは本当にご無礼を……」
「お気になさらず。そんなことより、早く行ってあげてくださいませ。ぐずぐずしていると、間に合わなくなってしまいますから。ね、今度はもっと、明るい話をしましょうね?」
言いながらタエが翼を下げて、早く行くようにと視線でうながす。
それを受け、翼から降りて頭を下げたディラノが、駆け足で塔へと入って行った。




