竜鳴
「でさ、こいつが砂の花だろ? それでな、こいつがクジャク石ってんだ」
「クジャク?」
「葉っぱ色の鳥。オレも見た事ないんだけどさ、なんかすっげえらしいよ」
得意げに、次々と土産を見せながらアニアが笑う。
食事が終わり、すっかり片付けられた机の上。そこに、今はアニアの土産が散らばっていた。
緑と黒の縞模様が美しい玉石や、細やかなステッチの入った飾り布。
少し刺激の強い甘い香りのするスパイスの隣には、七色の虫の甲羅を散りばめた小物入れもある。
どれもこれも、行商先で、同じように他国から行商に来た商人から買い上げたものだ。
大国ナティマを抜けたさらに向こう、寒くもないのに布を被る風習があると言う砂の国の土産は、何かと色鮮やかな物が多かった。
「次は、と」
説明の終わったものを横によけたアニアが、また別の土産を袋から出す。
次の土産は、子供の手よりもずっと大きな卵の殻に、細やかな彫刻が入れられたランプシェードだった。
「こいつは鳥の卵。飛ばないで走る鳥なんだってさ、信じられるか?」
「これが…鳥の?」
「おうよ、でっかいだろ? マゴリの羊毛と交換でもらったんだ。まあ、オレ達が着く前にアジャルが羊毛売りに行ってたから、名が知れてたってのもあるけどな。相変わらず、マゴリは人気高えや」
「そっか。じゃあ、次の旅までにまた支度しておかなきゃね」
覚えておく、とラタが声を弾ませる。
綿毛のように柔らかく、軽く、肌触りが良いのが、シシリの毛糸や毛皮の特徴だ。
量より質を求める他国の貴族の間で、その風合いは高く評価されている。
アニア達を始めとする行商人は、そうした品を持ってシシリを出て、代わりに様々な雑貨や香辛料を買い込んで来るのだ。
もっとも、貴族以外にシシリの品を望む者は少なく、それがシシリの平和に繋がっている。
シシリを攻め落として、雪と氷で苦労する場所に管理や見張りの兵士を向かわせるぐらいなら、行商人がシシリから出て来るのを待ったほうが早い。
貴族達に言わせるなら、そういう理由だった。
「ん、土産はこれで全部だな。しっかし、ラタも立派になったなあ! ついに王様かよ、誇らしいぜ!」
「ありがとう、アニア。次にアニアと会う時には、父上に少しでも近づけているように頑張るよ」
「おう。ゼレさまは立派だったもんな。オレも尊敬してる」
懐かしそうにアニアが笑う。アニアの母もまた、ネーヴェと同じ乳母だった。
違うのは、ネーヴェが教育を担い、アニアの母がラタの食事を担っていたと言う事だけだ。
だからラタにとってアニアは家族同然。
その母が生きていた頃はまだ、アニアの口調も穏やかだったのだが、
「どうにも、俺の口調が移ってしまいまして…。口の悪い娘で申し訳ない」
少し離れた席で、濃厚な羊乳酒を飲み下したディラノが、渋い顔で眉間に指を当てた。
「好かれているのですよ」
酒の入った器を机の端に寄せ、ネーヴェが笑う。
ディラノが大きく息を吐いた。
「そうだと良いんですがな。ときに、火吹竜を召喚されたのはラタ様しょうか?」
「ええ。私が立会いました」
「そうですか…」
手にした器に視線を落とし、ディラノが眉間の皺を深める。
「何も、起こらないと良いのですが」
「起こりませんよ、火吹竜殿は、大変心の優しい御方です」
「知ってます。その噂は聞いておりますから」
実際は知りませんがね、と苦くつぶやいた声が地に落ちる。
ネーヴェの語る竜の話は、ディラノが聞いた他国の噂とはだいぶ違う。
他国の噂はもっと物騒なものだ。死と破壊と、呪いの噂。
「……飲みすぎました、かな」
器を置き、席を立ったディラノが外に続く扉の方を向く。
後ろでは、アニアの楽しそうな話がまだ続いていた。
久々に同年代と話せたせいか、アニアの声は、ここ最近の中で一番明るい。
だけど今は、その明るい声が、非常に心苦しかった。
「少々、風に当たってまいります。……竜鳴が、聞こえますな」
竜鳴、とは地鳴りの事だ。
雪崩の前に良く聞こえるそれは、シシリでは、竜の怒りとされている──。
「ディラノ?」
「すみません、すぐに戻ります。それまで、アニアを頼みます」
失礼、と頭を下げてから扉に手をかけ、大股に外へと歩き出す。
その体を、凍えるような空気と雪景色が、無感動に出迎えた。
※ ※ ※
雪を踏み固める音が、ぎしぎしと森に響く。
冷たい白一色の景色の中、歩むディラノを呼び止める声があった。
「ディラノ様」
「お前か」
足を止めたディラノの目が、木陰の方へと向けられる。
そこに、黒ずくめの男が立っていた。
顔まで布で覆ったその表情こそ見えなかったが、声は少年のものに近い。
まだ声代わりに届かない年代だ。
「他国を、見て来られたので?」
「ああ」
「行かれるのですか」
「確かめて来る」
剣の柄に手を触れたディラノが、はるか高みに見える塔の方を振り仰ぐ。
そこに見えるのは赤い巨体。竜の姿。
木々の茂るこの森からならば、接近を竜に気取られる事もあるまい。
辺りには相変わらずの地鳴りが響いていたが、ディラノの決意は変わらなかった。
「竜鳴は、竜の呪いだったな」
「そう伝わっております。竜が王族以外の接近を許さぬために、山にかけた呪いだと」
「そうだな」
ディラノが口を閉ざす。
表情が、一段と険しさを増した。
「俺に何かあったら、アニアを頼む」
「かしこまりました」
王は、竜を平和主義だと言った。
だがディラノには、それを信じる理由がない。
他国に伝わっている竜の話は、どれもこれも破壊と死に満ちたものばかりだ。
竜は魔物だ。
ここを冬に閉ざし、雪崩を引き起こす魔物だ。
その心が優しいなどありえない。
「見ていろ、魔物め」
歯をくいしばり、山頂の塔を目指してまた歩き出す。
元より竜に不審をつのらせていたディラノにとっては、自国での竜の伝説より、他国での竜の恐ろしい話の方がよほど真実味があったのだ。
だから行商をしながら、剣の腕を磨いた。
竜の鱗をも切り裂けるよう、鍛錬も積んだ。
「春を見せてやるぞ、アニア」
竜を倒して。
雪の呪いを解いて。
冬に困らない国を取り戻せるなら、竜殺しにでも何にでもなってやる!
「ぬけぬけと姿を見せた事、後悔するがいい!」
お前を倒して冬の呪いを解いてやる、と。
決意もあらたに山を昇るディラノの行く手に、鈍い音が鳴り響いていた。




