行商
そして、今日。
ラタとネーヴェは揃って、窯全体が見える丘の上まで視察に来ていた。
ここからは窯が一望できる。
その周囲に集まっている人も、表情も、全てがまとめて見渡せる。
「すごいなあ」
「ええ。やはり、タエ様に相談して正解でした。ご覧下さいませ、民が笑っておりますよ」
ほら、とラタの両肩に手を置いたネーヴェが、笑顔の人々を指し示す。
その途端、小柄な影が、坂道を全力で駆け上ってきた。
「ラタ!」
快活な声が、空に跳ねる。
かと思えば雪を蹴散らし、鮮やかな色の衣をひるがえして駆けて来た少女が、弾む子犬のようにラタにだきついた。
「アニア!」
ラタがぱっと顔を輝かせる。
その声に、アニアと呼ばれた少女が満面の笑みを見せた。
アニアの髪は夜のように黒く、肌は雪のように白い。
その中でも一際目立つ瑠璃色――深い紺と紫色を混ぜ込んだような大きな瞳が、ラタの顔をのぞき込んだ。
「ひっさしぶりだなあ、ラタ! 元気だったか?」
「あ、うん。いつ帰って来たんだ?」
「昨日さ! 爺の梟から竜が呼ばれたって手紙受け取って!」
にかっと少年じみた笑顔を見せたアニアが胸を張る。
その足が、ぱっと雪面から離れて浮き上がった。自分から浮いたのではない。
「おい」
アニアを片手で持ち上げた男が、渋い顔でアニアを睨む。
「ラタ様に失礼だぞ」
「親父……」
アニアが、軽く舌を出して首をすくめた。
「お久しぶりです、ラタ様、ネーヴェ様」
男が二人に頭を下げる。膝をつかない礼だったが、二人がそれを怒る事はない。
ラタもネーヴェも、懐かしそうな顔をしているだけだ。
先に口を開いたのは、ラタだった。
「久しぶりだね、ディラノ」
「ええ、お久しぶりです」
「もう、二年になりますかしら」
「そうなりますな。年月が経つのは早いものです」
言って、ディラノが笑みを浮かべる。
灰色の衣に包まれた大きな体。しっかりと背負った大きな剣。頬骨の張ったいかつい顔は、それだけで見る者に威圧感を与える。
目や髪の色がアニアと同じなのは、アニアが父親に似ている証拠だ。
その風体だけだと傭兵にも見えるディラノだったが、彼は、一人前の行商人だった。
「良い品は手に入りました?」
「ええ、ええ。そいつあもう。こいつがなんにでも興味示すもんだから、珍品も増えちまいましたがね」
こいつ、とはアニアの事だ。
そのアニアの衣――鮮やかな色をしたそれが、雪原を吹く風にひらひらと揺れていた。
「まったく、お守り通りの子に育っちまいやがって」
「あら、元気で良いじゃありませんか」
ネーヴェが微笑む。
シシリの子供達が着る衣の模様は、ただの飾りではない。
シシリに住む動物たちの加護を願う、れっきとしたお守りだ。
兎は、危機からの逃走を。
猿は、賢さを。
梟や鷹は予知や予見を。
狼は、強さを。
ゆえに衣を見れば、その子の性格が判るとさえ言われている。
そしてアニアの衣は、旅とか自由とか、それらを象徴する動物ばかりだった。
へらりとラタに笑いかけるアニアに、反省の色なんて見られない。
ディラノの怒鳴り声を気にしてもいないのが、まるわかりな笑顔だった。
「結構売れたんだぜー、毛皮とか。おかげでラタへの土産がいっぱい買えた!」
「ほんとか?」
「おうよ! 後で見せてやるからな! ネーヴェにも!」
「それは素敵ですね。そうそう、近々シシリにも『お土産』ができるかも知れませんよ?」
そっと、秘密を打ち明けるような調子で、ネーヴェがささやく。
タエの言う陶器が出来上がれば、きっと、他国にも売れるだろう。
そんな計画を知りもしないアニアは不思議そうな顔をしたが、伝説の竜が奇跡的な力で何かを作ってしまうのだろうと、そんな感じで自分を納得させたようだった。
「他にも色々あったんだぜ。なあ、聞きたいか? ラタ」
「おいアニア!」
「さま! ラタさま!」
急いで言い直すアニアに、ネーヴェがそっと笑いを噛み締める。
このままでは、アニアがずっと喋り続けそうだ。
ラタもラタで、色々と話がしたいように見える。
それなら、とネーヴェは軽く護衛に目配せをした。
客人を迎える支度をするように、と。
言葉のない指示をしっかりと受け取った護衛の一人が、城の方へと去って行く。
それを見送り、ネーヴェはディラノに向き直った。
「旅の話も聞かせて頂きたいですし、どうです、晩餐を共にするというのは。羊乳酒も飲み頃です。今年のものは出来が良いですよ」
「おお、かたじけない。ぜひ、喜んで」
「だってさ。久々に一緒の食事だなー、ラタ」
「アニア!」
「ラタさま!」
ぷくっと頬を膨らまして訂正したアニアが、ディラノの手から落とされる。
「わきゃっ!?」
ぼすっと雪に埋まり、ぶんぶんと頭を振って雪を払い落とすアニア。
それを見て、ついに声を立てて笑い出したラタに、ネーヴェが穏やかな笑みを浮かべた。




