アルカナと侵入者
「あのマレキフィムという存在に対してのみ、私たちは向かい風となる。天敵、対立概念、カウンター、呼び方は何でも構わないさ。彼女の存在があって、この世界に生まれたものこそがマレキフィム…私は」
彼女は彼に言った。
「その魂を受け継ぐ者だ」
かつて、神の存在証明、神性、善性を強硬なものとするために。悪魔や魔女の存在は不可欠であった。
「魔女という言葉が、人の歴史上に誕生するずっと以前から、人間はその存在に気づいていた」
そう彼女は言う。
「垣根の上の女たち」
「垣根とは」
「あの世とこの世、その境界線という意味だよ」
「魔女とは…性別に関係なく、魔女であると聞きました」
「性別に関係なく、魂自体が魔女である…という意味に於いて、それは概ね正しいと思うよ」
それでも魔女という呼び方。
違和感を感じると彼女は言う。
「そもそもロンドンという街は、壁一枚隔てた場所で、薔薇十字や黄金の夜明け、魔女宗といった連中が根城にしている、サバトの街だ」
「異端審問もとうに廃止され、最近は思想の自由を訴え、彼らの活動を擁護する知識人もいるとか…」
「私から言わせれば、彼らは熱心なカソリック教徒と何ら変わらない。聖書に記された、悪魔や魔術を熱心に信仰しているのだから。私たちは、自然界に存在するものを、神や魔法と見なしている。真のアンチクライストとはそういうものだ」
「アンチクライストが、魔女を殺すとは!なんと皮肉な…」
そう言いかけて、男の口は淀む。
「では、貴女に魔女という呼び名は…適切ではないのですね」
知らずに、彼女にも無礼な呼び方をしていたかも知れない。男は思った。
「構わないさ、異能であり、怪異であり。怪物である事に違いはない」
「ノ-ラの中の魔女は、貴女が来なければ目覚めていた」
「15になったノ-ラは…目覚めの時を迎えていた」
「年齢が関係してると?」
「単純に、あれの特性として子供の存在を好まないのさ。か細い肉体も、予測不能で儘ならない精神も苦手…ただ苦手というだけで、それを倒す切り札には成り得ないがね」
「子供のうちは、ずっとノ-ラの中で眠っていたと」
「肉体も精神も成熟に向かう、15を境に孵化が始まる。特にあいつの場合はそうだ」
「やがて、もう一つの魂に導かれるままに、両親や、兄弟等の近親者を殺す。最初の生け贄だ。その時点でノ-ラの魂は健在だから。正気を取り戻したノ-ラの精神は、その時に崩壊するだろう」
「ノ-ラは両親を殺す寸前だったと…もし貴女の到着が遅れていたら」
「ヤドリギは、寄生した宿主の魂を喰らいつくして表に出る。悲しみや絶望が糧になり。最後に孵化する力を与えるのさ」
「ノ-ラは魂を喰われて魔女に…いや!今貴女は確か表に出ると…」
「ヤドリギの契約者は、やつの苟の衣に過ぎない。そこから、自分に相応しいと思う肉体に乗り移る」
「まさか」
「そう…それが私だ。私はマレキフィキウムに、現世での新しい応身にと、御指名を受けたのさ!」
彼女の話では、ヤドリギの契約者として寄生された人間は、幼年期より異能であり。不可視のものが見えたり。音を聞いたりするのだという。
「もしも、自分の子供が社会生活も儘ならない状況で、医者からも見放されたら、どうするね?」
「貴女のような方に…お願いする他に手はありません」
「そうして、何人かの霊媒師が家に呼ばれた。ノ-ラの両親は、子供のためなら、どんな努力も出費も厭わない。そんな人たちさ。そういう家を、わざわざ選んで生まれた。やつは、私がこの時代に生まれ。この街に住む事も知っていた。やつが好む最上の衣装は私たち、向かい風の女の体に他ならない。…まったく天敵同士とはよく言ったものだ」
「天敵である貴女の肉体を奪って」
「魔力の源である魂を喰らって。さらに力を増す。もう、そうなったら誰も止められない」
「ヤドリギの契約者であるノ-ラや、貴女たち…肉体を奪われた後はどうなるのでしょう…死んだ訳ではないのでしょう?」
「全員行方不明だ」
記録も残っていないし、それまで生きて来た歴史の舞台から、霞のように消えてしまうのだ。暴風や高波に呑まれて消えた人々のように。
「貴女はノ-ラ・オブライエンという気の毒な女の子を救うために」
「まんまと邪悪な魂に導かれた」
「ノ-ラ・オブライエンは…貴女を信頼し姉のように慕った」
「あの子が、私の事を慕うには理由があって。邪悪な魂が私の肉体を求めるからだ」
「過酷な運命の中にあっても、前向きで、笑顔を絶やさない女の子だったのでは?」
「-は絶望や悲しみを喰って育つから。悲しみは長く続かない…ヤドリギに寄生された者は皆そうなるんだ」
そんな、自問自答と葛藤を繰り返しながら、彼女は、ロンドンの街をノ-ラを連れ歩いた。
「私の師は書物が好きでね。ルナティックと言っていいほど、本ばかり読んでいた」
「聞きました」
「そんな彼女が、ある日私に言ったんだ」
「詩人は何故詩人になるのか、お前は分かるかい?」
「さあ、分かりません。なりたいから…ではないですか?」
「なりたいからか…確かにそうかも知れないね」
「師よ、貴女はどう思われるのですか?」
「私は、魂と体に流れる血が、人を詩人にするのだと思うよ。絵描きも、音楽家も、魔法使いも、皆がそうさ」
分かっていた事だが、分からないようにしていた。
「ノ-ラの魂と、魔女と呼ばれる者の魂は別なのだと、分からないふりをして。始末するつもりだったのに」
紅も差さぬ桜色の唇を強く噛んだ。
「私はノ-ラの魂が、目を閉じて、口元から美しい詩を謳うのを聞いてしまった。自分や親のためでなく、懐に剣を忍ばせて、彼女を殺そうとしている…この私のためにだ!」
後に彼女はノ-ラから聞いた。学校に通えぬノ-ラに、読み書きを教えたのは両親で。ノ-ラが諳じた詩。母親の大好きな詩であったと。
昔、英国の湖水地帯に療養に訪れた詩人は病を抱え。遂にそこで生涯を終えた。
彼は、水仙が咲き誇る湖水地帯の風景をこよなく愛し。療養所の帰り道。最愛の妹と歩いたその風景。
一編の詩として残した。
「剣が力を発揮し、マレキフィキウムを滅ぼせるのは目覚めまでの間。その期を逃したら。討ち果たせるという保証はない!」
それが別れ際に聞いた師の言葉。
「伝え行くべき魂と、その命を持って生まれた。人として生涯を終える権利がノ-ラにはあると…私は思ったのだ」
「結果…ノ-ラは彼女自身のまま人生を送り。貴女はノ-ラを殺さなかった」
「理由は2つ」
1つは彼女が持つ短剣。
「これが私の守りともなる。これがある限り。やつが目覚めても、私の体を奪えない」
「他の人間では駄目なのですか?」
「強い魔力を持ってはいるが、取り分け傲慢でプライドが高い女だ。自分が気に行った服しか着ないのさ」
異端審問や、魔女狩りが最も盛んに行われた15世紀から近代まで。マレキフィキウムは姿を現さなかった。
ヤドリギの契約者の中で眠る魂は、静かに火の魂の揺り籠の中にあり。
この世界の動向に耳をすませていた。自分の身代わりに、火の中で焼かれる女たちの叫びを夢枕にして。
子守唄として聞きながら。
「子供のうちに怪しまれ、異端審問にかけられ火刑にされたら、堪らないからね」
「多くの女性が捉えられ、火炙りにされた魔女狩りの時代に、真の魔女は眠っていたと」
「真の魔女よばれし者が、人の手で易々と火炙りになど、あり得ない話さ」
「貴女は、魔女は生まれる時代を選ぶ。今がその時だと言うのですか!?」
「私の師は今の英国を見て言った。
「人は時を経る毎に神ではなく、彼女の姿に近づくようだ」
「貴女の師の真意が…浅薄な私には読めません」
「気位の高い魔女様は、自分の気に行った衣装と、観劇の舞台が揃わないと、御出座しにならないのさ」
「舞台とは」
「王公貴族の支配する、厳格な身分制度に貧富の格差…発達して乱熟した文明と、疲弊し汚染した国土、入り乱れた人種と差別、無秩序に崩壊したモラル…軋轢の狭間で軋む人々の悲鳴が聞こえる…そんな場所は何処かにないかね?」
「このロンドンが、魔女に選ばれた街になると!?」
「テムズ川のプールに鼻先を列べる巨大な鉄の戦艦たち、あれはまるで貴族が狩りに使うグレイハウンドや、フォックスハウンドに見えて仕方ないよ、あの船に乗り込んだ男たちは一体何処で何をしてるんだい?」
「それは…」
「まさか、スナ-ク狩りってわけでもないだろうに!」
「英国の東南アジア地区における、遠征と植民地化政策の一端で、私の曾祖父もその功績により。王室の、末端の血筋でしかなかったにもかかわらず。女王陛下から、最初に僕爵の位を賜りました」
「植民地政策とは?具体的に他所の国にまで出向いて何をするんだい?」
「書庫に遺された、曾祖父の回顧録によれば」
最新鋭の蒸気タ-ビンを積んだ、英国の戦艦は、彼らからすれば、未開の地に到着するや否や。挨拶代わりに戦艦の砲門を開き。威嚇攻撃をする。
「しかる後に、本土に上陸し、戦意があるなしに関わらず。殺戮と破壊と略奪行為を繰り返し。異教の寺院があれば焼き払い。王族はすべて殺害。政府関係者は残らず幽閉したと…」
「本当にそんな風に書かれていたのかい?」
「いえ、美辞麗句と雄壮な武勇伝として記されておりました…」
「だろうね」
「英国の植民地支配が、それ以前のスペインや、ポルトガルのそれと違っていたのは…国土の支配を、近隣の俗国に委ねた事です…例えば金融はインド人に、貿易は華僑にと言った具合にです」
単一民族の国家であれば、一部の部族に兵器を与え。国民と国土の警護という名目で。植民地を監視させた。部族間の対立を煽り。国民の反抗や結束を削ぎ。少数民族に対する差別意識を植えつけた。
「自国の歴史を、そこまで冷徹に見ている貴族様は中々いないよ。大したもんだ」!
「恭悦ですが、しかし手放しでは喜べません…貴女の師の言葉が、今ようやく理解出来ました。英国は世界において、今や魔女そのものだと」
「ロンドンは、今ではすっかり魔都の様相だ…ヴィクトリアとも、エリザベスとも、マレキフィキウムはさぞかし話が合うだろうね」
「目覚めた魔女は、英国議会や王室の中枢にまで、影響を及ぼすと…その様にして、魔物に取り憑かれた国家の命運は…如何なるものとなり果てるのか!?」
「砂の楼閣、瓦礫の柱が僅かに残る荒れ地、人の歴史が証明済みさ」
「貴女の言葉を借りるなら、魔女は英国女王の衣装を求めるでしょうか?」
彼女は男の言葉を静かに否定した。
「エリザベスI世ならば、可能性はあったが…王室の家系というのは、器量はどうなんだい?」
「私の口からは何とも…」
「まあ、昔からやつがヤドリギに選んだのは、その身を捧げた神官や巫、若い未婚の女性と…大体相場が決まっている」
「英国が、他所の国にまで出向いての所業を、ここロンドンの地で」
「あくまでも観劇の余興さ」
「しかし疑問が残ります…貴女に、魔女が手出し出来ないのは、分かりましたが」
「ノ-ラの身に、何も起きなかったのは何故なのか…かい?」
「その懐の短剣が、貴女の守りになったとは先程伺いました。では、ノ-ラの中に眠る魔女が…目覚めなかった理由は何故なのか」
「散々話したつもりだが…分からないかね」
「皆目見当がつきかねます!」
実は魔女とマレキ何とかの違いも、
男にはよくわかってはいなかった。
彼女やノーラのように肉体は無く。
寧ろ魔法そのもの若しくは。
根源的な元素のようなもの。
容易には理解出来なかった
「あんた、やっぱり作家には…」
「作家の夢は捨てました!」
「おや、随分といさぎがいいね」
「しかし、歴史学者の夢は捨てません!フィールドワ-クの末に私は、どうやら金脈を堀当てたようなのです」
「そいつは良かった」
「貴女と出会えたのは!私にとって正に行幸と言えます!」
「私と出会ったノ-ラは…どうだったんだろうね」
森を渡る風がオ-クの梢を揺らす。
「どうやら報せが届いたようだ」
「何のです?」
「ノ-ラ・オブライエンの命が、終わりの時を迎えた…風が報せてくれた」
「では、魔女の魂は」
「ノ-ラの肉体と共に滅んだ」
「他所に渡れず」
宿敵が滅んだにも関わらず。
彼女の顔は晴れなかった。むやつの力を抑えるためさ」
「貴女が橋を嫌うのも」
「それは…通行料をふんだくられるのが嫌だからさ!」
「貴女は、西ロンドンの一角に半世紀近く、魔女の魂を封印された…なんて偉大なお方だ!」
「正確に言うとロンドン全域なのだがね」
彼女は悪びれる様子もなく言った。
「ロンドン…全域…ですか」
森の出口を顧みて男は思う。
「生きて出られぬかも知れぬ」
しかしまたそれも一興と思えば。
口元に自然と静かな笑みが浮かぶ。
とうに夜半を過ぎた時刻。ともなれば、風切り羽を切り落とされたワタリガラスたちも。濠の中に姿を見せない。
イ-スト・エンド、テムズ川の陲。20の塔からなる塔の中心である。
ホワイトタワー。
女王陛下の城壁にして宮殿。
それがこの塔の正式な呼び名だ。
昔も今も王室が所有するロンドン塔。現在は王室の住まいとはなっていない。
彼女は立っている。
塔の天守閣に当たる場所。
現在は天文台として使われていた。
この場所からロンドンの街が一望出来る。
昼間の賑わいも消え失せ。
工場の排煙が街全体を覆っている。新設されたばかりのガス灯の灯り。
胞子のように揺れて見えた。
建物全体に灯りはなく、ブラッドタワーと呼ばれる右側の塔の窓から。
1人の婦人が彼女に手を振って見せた。
右手にぶら下げているのはランタンではなく。自身の首なのだが。
書物にも歴史にも興味がない。
彼女は婦人が誰だか知らない。
膝を少し曲げ婦人に挨拶を返す。
そして彼女は掌に55枚のアルカナをのせて。命じた。
「人より長く、魔女と同じく、永らう石に身を隠せ」
風に命じた。
「彼らを運べ」
石に命じた。
「衛士の褥となるべく」
「彼らを隠せ」
掌から絵札は離れ。騎手や聖杯やワンズは、ロンドンの至る所に身を潜めて。来るべき戦の時を待った。
本来ならば使い方が違う絵札。
絵札に込められた力により。
古の魔女を封じ込め。
懐の短剣で止めをさすものだ。
短剣には、マレキフィムの反抗魔法者の魂たちが込められている。
孵化する前に指し貫けば、その禍々しい魂は元素に還り。二度と再び再生は叶わぬはずだ。
禍の魂が眠り耽る歳月を。
研鑽と研究に費やした、
剣と絵札。
彼女達の叡知の結晶であった。
しかし彼女は、それを教え通りに使わなかった。
その報いは受けるつもりでいた。
彼女は曾て、両親とともに海を渡りこの国に流れ着いた。
どこの国であろうと、何も持たない他国の移民には、差別や迫害は常について回る。
元より、彼女の一族は母国での弾圧や迫害を逃れ。この国に来たのだから。
彼女の第二の故郷であるウェールズ。その地も例外ではなかった。
彼女の両親は、そこを安住の地と決め。必死で地域に溶け込もうと努力した。
子供である自分、幼い妹や弟のためと、彼女は分かっていた。
しかし彼女は、そんな両親や暮らしが嫌だった。
自分が、まだ何も成し得ていない子供だから、不当に扱われるのではなく。ただ差別を受けていると分かっていた。いつも家や土地を出て。
自由に生きてみたいと思っていた。
そんな時に師は彼女の目の前に現れた。
「お前を迎えに来た」
師は彼女に言った。
「迎えに来てなんて頼んでないわ」
彼女は師に向かって舌を出した。
すると師は柔和な笑顔を見せて。
彼女の頭を撫でた。
「お前自身が呼ばなくても、私はお前の魂に呼ばれて来たのだよ」
「魂」
「お前の魂は古くから私たちの仲間」
肌や髪や生まれた国など関係ない。
魂が同じ仲間だと。
彼女は師の後を追い町を出た。
本当は彼女が盗賊であろうと。
何であろうと一向に構わなかった。
師の家に着くまでの間には、彼女が魔女であり、自分は魔女になるために呼ばれたのだと知った。
魔女の家で寝起きを共にし、魔女の家で魔女の食べる食べ物を食べた。
僅か1年の間に、修行らしい事など何もしなかった。
彼女は1年で17歳の娘になった。
マレキフィムのように、人の魂に寄生して生き永らえる事を、彼女の一族はしない。
それでも見えない魔法の庇護を受けた。彼女たちの寿命は人より永い。
その夜。彼女がロンドンの街に仕掛けた術式は魔女の力を減退させ。
この地に封じ込めるものである。
それは彼女とて例外ではない。
その夜。
彼女は自らの力の大半を失った。
市井の人々と同じように年を重ね。
老いて死んで行く。
彼女は魔女ではなくなった。
それが仲間や師に背いた自分に。
自らが課した報いであった。
もはや魔法と名のつくものは、このロンドンの街から出る事も、入り込む事も不可能となった。
こうしてロンドンの街は、若い魔女の手により、古き魔女の魂と、その魂を授かった少女と…
彼女自身さえも閉じ込めた。
禁忌の森となったのである。
しかしその禁忌の森に、苦もなく入り込んだ者がいた。若き魔女はその時には未だ、それを知らずにいた。




