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婚約破棄した王子は、「なんてことをしてくれたんだ」と死ぬまで責められる

掲載日:2026/08/11

「――お前との婚約を破棄する!」


 高揚する心、興奮しきってずきずきと痛む頭。それでも声は震えていなかったし、高らかにホールに響き渡って私は安心する。振り下ろした指先はまっすぐに私の――『元婚約者』に向いていた。


「ハル・カスミ公爵令嬢。お前のやったことは全て承知している。――私のアイリスにしたこと、全て、な」


 私が彼女の名前を口にすると、どよりと会場がざわめいた。まさか卒業式という、同世代、そしてその親世代が一同に会する日に告発されるとは、ハルも思っていなかったろう。こんな晴れの日をお前の為に使ってやったこと、感謝するがいい。

 私は一言一言、ハルがやった所業を上げながら階段から降りていく。もちろん腕には愛しい愛しいアイリスがそっと寄り添ったまま。そんな仲睦まじい私たちの様子を、ハルは呆然と見上げていた。


「アイリスの持ち物を取り上げ、隠し、破棄していたようだな。ご丁寧に破壊までした上に……」

「ひどいですわ、ハル様……わたくしが何をしたと言うのでしょうか」

「もちろんそれだけではない。アイリスの根も葉もない嘘を噂としてばら巻き、彼女を孤立させた。おかげで彼女は私と生徒会メンバー以外、頼る者がいなくなってしまった」

「ああ、その通りだ。彼女は男爵令嬢で地位も低い……貴方のような公爵令嬢にそんな噂を流されれば、誰も彼女に手を差し伸べられないでしょう。……我々を除いて、ですが」


 ずれた眼鏡をクイと上げながら、宰相の息子であるムスカリが冷ややかに言い放った。その横に立っていた騎士団長の息子であるネモも声を張り上げる。


「ああそうだ! なにより、アイリスを階段から突き落とそうとした! 目撃者もいる!」

「あぁ、怖かった……!」

「もう大丈夫だアイリス。私たちがついている」


 ぎゅ、とアイリスの細い肩を抱きしめる。彼女の肩を覆う薄いシルクの感触が心地よい。私はうっすらと笑いながら階段からハルを見下ろした。


 ハル・カスミ。

 このスプリング王国を建国時から支える公爵家の一人娘。幼い頃からの私の婚約者。

 確かにカスミ家は由緒正しく、私の周りには彼女以外の公爵家の娘はいない。

 だが『それだけ』だ。『それだけ』の理由で、王よりも目立とうとする、こんな頓珍漢な女を娶らなければならないだなんて、そんなこと――そんなことあってたまるか!


 アイリスと出会って私は全て手に入れたんだ。人を愛すること、愛されることの尊さ、美しさ。

 彼女のことを思うだけで胸がいっぱいになり、会えない日は胸を掻きむしるほどの不快感に襲われる。苛々し何もかも上手くいかない。それなのに、彼女に会えただけで胸が晴れ世界全てが輝き始める。

 これを恋と呼ばずして、なんと呼ぼう?


 私は恋に、運命に出会ったのだ。だからもうお前なぞいらない。

 国王陛下である父上は、私の訴えを一切聞く気はなかった。けれどこんな衆目の前でハルを断罪すれば、認めざるを得ないだろう。今日こそこの女との婚約を破棄し、私は運命を、自分の人生を手に入れるのだ!


「……どうした、ハル公爵令嬢。何か言うことはないのか」

「え……」


 呆けたように、ハルは私たちを見上げている。格好だけを見ても十分、敗者と勝者が分かれてしまっている。周りの観衆も何かを察したようにハルの周りから引き、彼女だけが孤立している。最後までかわいそうな女だ。

 私は心の底から憐れみながら、一歩階段を下りてやる。アイリスも一緒に下りようとしたが、彼女がまたハルに傷つけられてはたまったものではない。押しとどめ、一人で私はハルの前に立つ。


 アイリスと出会うまで、ハルはそこそこに美しい少女だと思っていた。

 珍しい黒髪も薄い茶の瞳も、すらりと伸びた手足も、この年にしてはそこそこに豊満な体も、まあ、悪くはない。

 けれど普段は、髪の毛をひとつにまとめ上げ、走り回ったり埃だらけになっているような女だ。目も大きすぎるばかりでぎょろぎょろと忙しないし、ああ、アイリスとは本当に違う!

 今もその憎たらしい目でこっちを見つめやがって。なぜかこの瞳を見ていると、胸の中がむかむかしてしようがない。ぎりりと奥歯を噛み締めながら、私はもう一度婚約破棄を言い渡そうと握り拳を作った。

 

 けれど、先に言葉を発したのは、ハルの方だった。


「いやぁ……あまりにもテンプレ通りの婚約破棄で……マジ? ってなっちゃった」

「は?」

「えーと……いやもう王妃になんないんだから言葉遣いもいっかぁ。婚約破棄ね! はいはい、りょ! んじゃあわたくし……ううん、うち、帰るけぇ!」

「は??」

「一応最後に言っとくけどさぁ、多分アイリスのなくなったものって自作自演だし、王子以外の男にも手ぇ出してるって噂話はガチのマジ話だし、階段から落ちそうになったのは、自分でわざとこけたのをうちが手を伸ばして助けようとした……ってもうこれだけで悪役令嬢の十冊分くらいでお腹いっぱい……」

「は???」


 さっきから、こいつがなに言ってるかが全く、わからん。

 第一なんだ、「まじ」とか「がち」とか、「うち」とか。


「サクラ殿下。いつ婚約破棄すっかなーって思ってたけど、うちの準備が出来上がるこの時までちんたらしてくれてマジでありがとうございました」


 言葉遣いとは打って変わった、美しい美しいカーテシーだった。流石王妃教育を叩きこまれていただけはある。流れるような所作に一瞬見惚れていたが、はっ、と気づきもう一度彼女を叱責しようと口を開ける。その瞬間、ハルが顔を上げた。


 おおきくて、大きすぎる茶色の瞳。

 薄いその瞳は透き通り、いつでもどこでも輝いている。

 そんな宝石を縁取るのは長いビロードのようなまつ毛。ふさふさとしたそれは自前のもので、まるで宝石を守る檻のようだった。

 ツンと上を向いた鼻、小さな唇。化粧は薄いくせに、彼女のはっきりとした顔立ちを引き立てるには十分すぎるものだった。

 体つきは小さい。それなのに手足はすらりと長く小鹿のようだ。しなやかなそれは女性らしいくびれのある体つきとよく均等が取れている。

 腰は細く胸は大きい。尻は大きすぎるように思うが、それが妖艶な気配も醸し出している。

 顔を上げた時に、しゃらりと長い黒髪が肩から落ちる。長いのに一本たりとも痛んでいない黒の輝き。くるくると毛先にいけばいくほどゆるくカーブをしていて、まるで絵画を縁取る装飾のようだ。


 目を、奪われる。

 急にどうして彼女の美しさがこんなにも刺さるのか、わからなかった。

 

 そして彼女は――ハルは、大きな目で私を見つめると、にかっ! と笑った。

 まるで淑女らしくない、ただただ嬉しくてたまらない、といった歯を見せた笑い方。


 ドッ、と心臓が音を立てる。

 ばくばくばくばくばくと音を立て、気づけばごくりと唾を飲んでいた。

 ぞくりと背筋に這うものはなんだろう。震えるほどの衝撃で、彼女から目が離せない。

 体が熱い、心臓がうるさい、ずっとあったはずの頭痛が止み、代わりにこの女のことでいっぱいになる。



「男ってほんっと馬鹿! でもまあ、うちも好きにさせてもらうけぇ、殿下も好きな人とたくさん幸せになりんさい」



 そして、微笑んだまま彼女は、別れの言葉を言う。

 まるで異国語のように私には響いた。待て、おい、違うだろ。お前はもっと泣きわめいて、殿下、離れないで下さい、側妃でもいいから側にいさせてくださいと追いすがらないといけないだろう。だって、こんな、こんな『美しい』女が私の元から離れるなんて――



「いやいやぁ。ほんっと馬鹿な王子で助かりましたわぁ。それじゃあハルはもう誰の婚約者でもないから、俺が口説かせてもらっても大丈夫ですね?」

「え!? いやいやいやいや、うちはもう王妃とかそういうのめんどいっんで!」

「いやいやいや~そんなこと言わないでさぁ。ほら、セゾン王国の隠された遺跡見たいって言ってなかった?」

「う゛っ! そりゃ王家にだけ秘匿された場所って、もうRPGっぽくてそそられるし最高に見たいけど……でもうちはもう自由に!」

「大丈夫、俺第五王子だからそこそこフリーだし王位放棄する予定だし」

「んじゃあまあ……うーん……百歩譲って……まあ仕方ないかぁ……」


 私のことを放置し、なぜかハルはうんうんと唸りながら急に現れた男の手を取る。

 セゾン王国の第五王子、ジン・ファスル。そいつはハルが自分の手を取った瞬間、これ以上ないほど顔中くしゃくしゃにして微笑み、思いっきり彼女を抱き上げる。周りから悲鳴が上がったが、それは非難の声というより驚きと喜色が混じった声だった。


「はー……嬉しい……ハル、好きだ……」

「うちは別にジンのこと好きって言ってないけど……」

「いい……好きにさせる……」


 見ているだけで、この男がハルに完全にやられているのが分かってしまう。どういうことだ? まさか私という婚約者がありながら浮気をしていたのか? それならこの婚約破棄も私の一方的な断罪ではなく、こいつらにも非があったと言える。

 もう少し責め立てようと詰め寄った瞬間、ぐるりとジン王子がこちらを向く。微笑む姿は確かに生ける絵画と言われるほど美しい。けれども、目の奥が全く笑っておらず、冷え冷えとした瞳でこちらを射るように見つめてきた。


「ハルのこと傷つけまくってきた王子たちには、いやいやほんとに、頭が上がりませんよ。俺たちはこれから俺の国に行きますが、こうしてハルを連れ去ることはきちんとそちらの国王や公爵様に話をつけていますし、何の問題もありませんのでご安心を」

「!?」

「本当に『聖女』を手放すとは思っていなかったけどな。ああ、皆さん! この国を守る結界はハルの力で張られていますし、彼女の代わりにこれを張るには聖人が百人いります! まあ、腐った教会で何の仕事もしてなかった奴らを宛がえば問題ないっしょ」

「うーん……やっぱうち、行っちゃっていいのかなぁ」

「いいのいいの。ハルは俺の国で好きなことしてゆっくりしてね。まあ、多分ハルがいなくなって後悔するのは、すぐですよ」


 言葉がまっすぐに私を刺してくる。足元がぐらぐらと揺れるようだった。

 こいつは何を言っている? 私は、何を聞かされている?



「それでは、次期王と次期王妃に祝福を」



 まるで呪いをかけるように、男は笑った。

 ハルを抱きかかえ、魔法を使いその姿が掻き消える。ダンスホールは水を打ったように静寂に包まれた。誰も、私でさえも動けない。


「ふ、ふ、ふは、あはっ! だ、だ、大丈夫、ですわ! だって、本当の聖女の、わたくしが、います、ものっ!」


 静寂を破ったのはアイリスだった。愛しい愛しいアイリス。

 そうだ、本物の聖女はアイリスだ。結界だってアイリスが本当は張っているのだと教えてくれた。だから、なんの憂いもない。


「そ、そう、だ、何の問題もない! あいつは偽物の聖女で――悪だったのだ!」


 声を張り上げ叫ぶ。それなのに、どうしてだか声が震えていた。

 震える声が会場中に響いた瞬間、ひ、と誰かが声を漏らす音が聞こえた。それはさざ波のように会場全体に伝染し、やがて誰ともなくすすり泣きが聞こえ始めた。

 着飾った令嬢たちが泣きはじめ、それを泣き止ませようとする男たちの声も震えていた。

 「この国はどうなる」「もうおしまいだ」「ああハル様……ハル様になんてことを……」

 やがて声は視線へと変わり、中央にいる私たちを刺してくる。



『なんてことをしてくれた』



 それは、これから何十年も、私たちが――私が死ぬまで、言われ続ける言葉だった。



***



 順調なのは、一年にも満たなかった。


 ハルと婚約破棄をしてからすぐに、私はアイリスと結婚した。

 父上は――国王はハルとの婚約破棄を聞いて、それはそれは怒り狂っていた。王位を剥奪されかねん勢いでの怒りだったが、公爵――ハルの父親の言でそうならずに済んだ。公爵としては、私は憎い憎い相手だろうに、なぜ? と聞けば公爵はため息を吐くだけだった。


 今のこのスプリング王国に、王子は一人しかいないのも決定打だったのかもしれない。

 だから私が王を継ぐしか、この血脈を繋ぐ方法はない。父上は言った。


『王になることで、お前の目が覚めることを願う』


 ハルの件の責任を受け、父上は退位し、そしてそのまま遠く離れたウィンター王国――亡き母上の故郷へ隠居していった。


 結婚と国王就任が同時に重なって目も回るような忙しさだった。アイリスは王妃教育を詰め込まれたが、どうも成果が芳しくない。当たり前だ。ハルが生まれてからすぐに教わって吸収していたことを、たった数か月でできるはずがない。それでもアイリスは天才だ。天才で稀代の聖女と言われていた。だから結界の張り直しだって――


「は?」


 目を疑う光景が広がっていた。アイリスの手から出る光はじんわりとした微かな光で、壊れた結界の十分の一――いや百分の一も覆えていない。


「どういう、ことだ」

「……ッ! わたくしのせいではありません! あの女! ハルがきっと、わたくしが結界を張りなおせないようになにか呪いを……っ!」

「報告します! カスミ公爵所属の聖人たちがA-5地点の結界の張り直しを終了致しました。まだ魔力に余力があるとのことですが、いかがなさいますか、陛下」

「……この地点に回せ」

「はっ!」

「アイリス」


 私は呆然としながらアイリスを見る。

 あれだけ愛しい愛しいと縋っていた彼女は、この数か月で変わってしまっていた。愛しさに変わりはないはずだ。だが激務のせいで会えない時間が減ったせいか――前ほど、彼女に心を砕けなくなっていた。

 一言で言えば、「こんな女だったか?」と思う時が、増えた。


「そ、そうですわ! 魔力を増強するポーションを! あれを飲めばなんとかなりますわ!」

「あれには中毒性があるからと販売を停止しただろう」

「いえわたくしの実家にはまだ在庫が……あっ」

「!? 国で禁止された危険薬剤を!? どういうことだ!?!?」

「だ、だって、だって、だってだって!! 努力なんて嫌に決まってるじゃない! わたくしはチートを知ってるのに、そんなくだらないこと……っ!!」

「は」


 くだらない。

 くだらないこと、と言ったか、この女は。


 この結界が破れれば魔物が溢れ、国中食い荒らされる。そうならない為に聖女たちは力を磨く。そのための学校だ、そのための学びだ。そのための、王妃教育だ。


「……っ、なによその目……っ! ああ、くそっ! どうしてアイテム屋が潰れたのよ!! あそこには魔力増強剤も媚薬も花の石も全部、全部売ってたのにっ!!」


 地団駄を踏むこれは、誰だ?

 美しかったはずのピンクゴールドの髪の毛を振り乱し、目を剥き、蕁麻疹だらけの肌を隠す薄いシルクの服を着て叫ぶこの女は、誰だ?



 聖女は、本当に、ハルの方だったのだ。


 『皆』が言うように。



***


「なんだこの輸出額の低下は……っ!」

「この十年、我が国の輸出の五十%は自国の花を使った産業でした。ところが、数か月前からこの国よりも安価で質のいいものを売り出す国がありまして……」

「……セゾン王国か」

「ええ、そうです。王妃となったハルさまが色々されているんでしょうなぁ……」


 宰相はどこか遠くを、誇らしいようなものを見る目つきで呟いた。ダンッ! と机を叩いても動じない。それどころか「早く首にして下さいよ。私だってあなたのお父上のように隠居して逃げてしまいたい」と返事をする。


「お前は首にしない……お前の息子だけではこの国は潰れる……」

「我が息子ながら、あれはねぇ……」

「……それと軍事費が跳ね上がっているがこれは……」

「それはそうでしょう。魔物が前年度より十二%も増えているんですから」

「騎士団長に新兵の募集をかけるよう伝えろ」

「もうとっくに。それよりこちらご覧下さい。国民の離国率です」

「!?」

「このペースで半年いけば……国として立ち行かなくなるかもしれませんねぇ」


 出された数字は、全て、全て絶望的なものだった。

 元々スプリング王国は土地が小さく人口が少ない――たった十万人ほどの国家だ。しかし、温暖な気候、花や作物が育ちやすい土地柄を生かし、魔物に狙われながらも国を存続させていた。


「それが……私の代で壊れるのか……」

「まあ魔物に殺される前に逃げたいですからね。わかりみ」

「は?」

「ああすいません……ハルさまの口癖がうつりました」


 ハル、ハル、ハル。

 どこでもかしこでも名前を聞く。この一年ずっとだ。


 王妃にはならないと、あいつは王にはならないと言ったくせにしれっと王になったジン元第五王子の隣には、当たり前のようにしてハルの姿があった。

 美しい黒髪を靡かせる隣国の少女――しかも婚約破棄をされた――を、なぜか国民たちは広く受け入れた。彼らが結婚した次の日、セゾン王国には二重の超強力な結界が張られた。歴代で最高の、あと千年は持つだろうと言われるほどの結界だった。ハルだ。


 我が国でメインの産業だった花の香りのする石鹸……よりももっと良い、液状の石鹸がセゾン王国を中心に爆発的に流行り始めた。石鹸だけではない、オイルに香草、紙、インク、衣類、果ては住居。衣食住全てを支えるものが、爆発的にセゾン王国で発展を遂げていた。


 他にも法改正、魔物退治、医療技術の躍進、国民の生活の向上……数え上げればキリがない。たった一年で、たった一人の少女が起こした奇跡。


「…………」


 頭を抱える。

 じわりと宰相の冷たい視線が刺さる。それはこう言っている。「おまえは、なんてことをしてくれたんだ」。


 ああそうだ。わかっている。私が一番分かっている。



 ハルと結婚していれば、それが手に入るのは我が国だったのだ。

 でも私はしなかった。だから――私の国は、亡びるのだ。



***


「ハル様がアイリス様をいじめてたなんて、そんなのあるわけないのにね」

「噂話だってあれでしょ? アイリス様が殿下……まあ今の陛下だけど……にべたべたしてたのを注意したってやつでしょ?」

「事実じゃん……あとアイリス様が色んな男に色目使ってたのも事実だし」


「元々この国の産業を大きくしたのもハル様なんだよ。ただ素材そのものを出荷することをメインにしていた我が国で、自国で商品を作れるように奔走した」

「まだ六歳くらいだったのになぁ。でもそっから、みるみる我が国は裕福になった」


「癒しの力、ほんっとすごかったんですって! 教会の奴らが一切仕事しなくて税金で食っちゃ寝してたんで、その代わりにハルさまが全部なんか……ぱぁーって」

「でもその後『魔法ばっかりに頼ってたらやばいって! ほら医療技術上げな!』って怒ってくれてなぁ……そっからは魔法の癒しと医術の両方を併せ持った治療法を確立させてな」

「おかげでカスミ公爵家は、この国で一番の聖人の育て手だし……ハルさまがお生まれになってすげぇ儲けてるし、今や王家より金持ってんじゃねぇか? あそこ」


「あと……喋り方とか言動とかそこそこやばかったけど……すげぇ美人だったよな……」

「うん…………正直この国の男たちはみんな憧れてたな……絵姿の売れ行きのヤバさよ」

「あとこの『ヤバイ』って言葉、なんかうつっちまうよなー。ヤバイ」

「わかりみ。ハル様の言葉ってなんかこう……馴染むんだよな。ああ、本当にいい娘だったなぁ」


***


 カツ。ブーツの音が響く。

 どこもかしこもぴかぴかに磨かれ、首が痛くなるほど高い天井。もちろん我が城も豪華だが、正直比べ物にはならないほど、この――セゾン王国の王宮は美しかった。


「陛下、こちらにいらしたのですね」


 アイリスが近寄りするりと腕を組もうとするが、早歩きになることで回避した。

 一瞬立ち止まるが、そのまま無言で付いてきた。アイリスの顔には薄いヴェールがかかっている。


 年を取ればとるほど、アイリスの顔は『崩れて』いった。

 元々、つけまつ毛や化粧で誤魔化していた部分が多かったのだろう。結婚から二十年経った今、彼女はほとんど顔を見せることはない。あの美しかった瞳は、顔立ちは、一体なんだったのかと思う。

 さっき伸ばした手にさえ黒い手袋をつけていた。せめて痩せようとでも思うのか、痩せすぎてぎしぎしと骨が出たみっともない鶏ガラのような女。手袋を外せば血管の浮いたシミだらけの掌があるだろう。


「……」


 それでも、二十年で衰えたのは私もそうだった。

 ハルがいた頃は食べていた野菜や果物を取らなくなり、ただ腹を満たすためだけの食事をしていたせいで太った体は戻らない。髪の毛も薄くなり、額が出てしまっている。


 二十年。

 国はなんとか、持ちこたえていた。


 国民の流出は、セゾン王国から触れが出たおかげで止まった。きちんとした理由・手段がないと移住はできない。それどころか、セゾン王国から人材の派遣があったおかげで結界を張り直すことができた。魔物に怯えていた人たちも戻り――一応の国としての体裁は、保たれていた。


 それも、今日までだが。



「…………」


 私は階段の上に座る二人を見上げる。


 美しく流れる黒髪、いつまで経っても透きとおっている茶色の瞳。皴やシミはほとんど見受けられないが、微笑むと目尻にだけ皴が寄った。それさえもかわいらしい、と思ってしまう。

 その隣に立つ男も堂々としていて美しかった。彼女の瞳と同じ薄い茶色の髪の毛はふさふさとしており、背を伸ばして立つ体躯は細いが筋肉のしっかりとした体つきを感じた。

 とても同い年とは思えないほど、二人とも若々しく美しかった。そんな二人に委縮されるように膝を曲げ首を垂れる。



「宣誓する――今日より、スプリング王国は『スプリング自治領』となり、我がセゾン王国に属することとなる」



 高らかに、ジン陛下が述べる。私は何も言わない。ただじっと項垂れているだけだ。

 二十年前と全く逆の立場になったのに、心には何の気持ちも浮かばない。


 悲しい、辛い、寂しい、憎らしい。


 そんなもの、ひとつもない。

 あの日、あの婚約破棄の日、階段の上で高らかに声を張り上げた瞬間は、ただただ高揚感に溢れこの世の全てを手に入れた気持ちだったのに。

 思えば、あれが私の人生の絶頂だったのかもしれない。そこからあとは――転がり落ちるところまで、落ちていった。


「顔を上げよ」


 陛下の声で、私は顔を上げる。

 上げればそこには、ハルがいる。もうハルと呼ぶこともない。呼べない。


 相変わらず若く美しい彼女と目が合う。瞳は何も言っていなかった。憐れみも、驚きもなく、ただ私をそこにいるものとして見つめているだけだ。ああ、そうか。さっき思っていたことも、違っている。


 私の人生の絶頂は、ハルと一緒にいる時だったのだ。


 幼い日、婚約者となり、木登りする彼女に付き合わされ沈む夕日を見たり、ボートに一緒に乗って二人で溺れかけたり、新しい石鹸を作る実験をして、何度も失敗して最後には成功したり。



 そんな日々こそが、私の、私の一番の日だったのだ。



「……下がれ」

「はっ」


 陛下の言葉に私は短く答える。すぐに顔を下ろしたので、きっと目に溜まる涙は見えていないだろう。足も肩も震えないように、慎重に一歩ずつ歩く。


 

 頭の中で、どうしてこうなったのかを考える。

 魔物が日々強くなってきたからか? 強くなりすぎて、既存の結界では持たなくなった。セゾン王国の聖人も人手が足りなくなってしまい、こちらへの派遣もままならない。

 魔物が人々を襲うせいで、産業どころか、日々の生活が立ち行かなくなった。元々あまり金のない、貧乏な国だった。しかもアイリスの長年に渡る支出も重なり、国は苦しくなる一方。だから、セゾン王国からの申し出に乗るしかなかった。


 「国を捨て、我が国になれ」という――。



***


 あれから、更に五年経った。

 セゾン王国に属してからも日々は苦しかった。その苦しさを補うように、私は色事に溺れていた。元々アイリスと夫婦の営みは、子どもが生まれてから一切なかった。子どももなかなか産まれなくて苦労した。ハルのところには結婚して一年経ってからすぐに授かり、その後も合わせて五人の子を授かるまでになっていたのに。

 アイリスとの子は、どうしてだか知恵が少し足りないようだった。そのことにもイライラし、何人も側室を取って子どもを増やそうとした。子は産まれたが、同時に「元王家の親類」も増え、王宮――今は「自治領邸」だが――には人が溢れ返っていた。


 私の父はとうに亡くなっていた。私たちが結婚した二年後だ。

 宰相、騎士団長も父を追うように続けて亡くなり、あの無能な子どもたちだけが残った。

 私の取り巻きとして、アイリスを崇めることだけに集中していたせいで、ろくな知識も力もなかった。それでもなんとかセゾン王国から派遣された騎士や文官の力を借りて、自治領として残ろうとしていた。


 でも、皮を剥けばわかる。ここはもう駄目だ。


 美しく、花で溢れていた国は、今やもう見る影はない。

 花を育てる余裕はないから花畑は枯れて腐り、醜い茶色の物体になっている。

 温厚だった人々は、怠惰な人になり、働かない者が増えて街には酔っぱらいやクスリ漬けの人間が増えている。

 元王宮の場所は、今や跡継ぎ争いの場所になっている。私が多く子を成しすぎたせいだ。正室の子は知恵が足りず、他の子らは地位が足りない。似たり寄ったりのどんぐりの背比べ……ああこの喩えは、一体誰に教えてもらったんだっけな。


 そして私は、病に伏している。

 長年の不摂生と過労。体の中がぼろぼろだと、セゾン王国から来た医師が言っていた。息がし辛く一日のほとんどを寝て過ごしている。最初のうちは寝る間もないほどに見舞いが来ていたが、半年も経つうちに誰も来なくなってしまった。


 私はもう、死ぬだろう。死ぬ、死ぬ、死ぬ。


 死ぬとは、一体なんだろう。

 私は、どこに行くのだろう。


 私は、私は一体、なんだったのだろう。


 ぼんやりとした思考で、私は何度も、何度も、何度も繰り返す。

 それはあの婚約破棄の場面だ。階段に上って彼女を見下ろした私は、振りかぶった腕を下ろし、アイリスを振りほどき、まっすぐにハルに向かって駆けていく。



『ハル。あなたが好きだ。あなたしかいない。あなたと――』




 かつん。

 床を叩く音。誰かの足音。もうあまり見えない目をなんとか開ければ、ベッドの横に誰かが立っていた。ヴェールを被った痩せぎすな体は、この目でも正体が分かってしまう。



「あ、なたが、わる、いっ、の、ですっ。わたくしを――『ヒロイン』を、こんな目に、遭わせ、て……っ!」



 ヒューヒューと苦しそうな息をしながら、彼女は腕を振り上げる。そこにはナイフが握られていた。一応国宝だ。国宝だがあまり研いでいないので切れ味が悪い。ああ……。





 そして私は、四十三年の生涯を終えた。


 長くはないが――短くもない、人生だった。



***


 で、目が覚めた。


「王子ッッ! サクラ王子ッッッッ!」


 視界いっぱいに広がる眩しい光。これは、ついぞ久しぶりに見る光だ。

 ああそうだ、ハルのつややかな黒髪に陽の光が反射して、ちかりちかりと目に入るそんな光。これを見るのはああ、何十年ぶりだろう。

 涙が滲む。死ぬ前に走馬灯を見るというのは本当だったらしい。しかもこの走馬灯はひどく酷く現実に近い。なぜなら私の首にかじりつき、わあわあと泣くハルの体温や涙まで、感じられるのだから。


「ハル?」

「よ、よかったぁ! ご、ごめんなさいっ!! う、うち、木登りってやったことなくって、やってみたくて、そんで、やったらまさか落ちると思わなかったし、サクラ王子が受け止めてくれるなんて……っ」

「え?」


 そこで、ぱち、と本当に目が覚めた。私は体を起こす。そこには涙と鼻水でぐっちゃぐちゃに泣いている、真っ赤な顔のハルがいた。年のころは、そうだ、まだ学園にも入っていないくらいの幼い頃。


「私はあの時、君を受け止められなくて、代わりに護衛の騎士が受け止めたのでは?」

「なにいってんのぉおおおおおおサクラ王子が下敷きになったんだよぉおおおおお」

「え?」


 二回目の「え?」の後、私は顔を上げた。確かにそこは記憶にある通り、王宮の中庭だった。子どもから見たら大分背の高い、しっかりとした幹の木もある。そこにハルが上って、落ちた。そしてそれを私が受け止めた。


「私が」

「ええええええええん頭とか打っちゃったんかなぁああああああああああああああうぇええええええええええんうちのせいで、サクラ、サクラ王子、がぁああああああ」


 ぼろぼろと、泣く君。

 こんな風に僕の目の前で泣いてくれる君を見るのは、本当に本当に久しぶりだ。そうだ随分と泣き虫で、そのたびに子供の僕は困っていた。困っていたけど悪くなかった。だってハルのどんな顔だって、好きだったんだ。


「ハル」


 久しぶりに、ずいぶんと久しぶりに、僕は彼女の名前を呼ぶ。

 名前を呼ぶだけでつんと鼻奥が痛くなった。ああ、夢か現実かわからない。でも彼女の確かな重みやあたたかさを今こんなにも感じている。


 だから、もう、間違えない。


「よかった、よか、った……ッ」


 僕も彼女を抱きしめ返しながら、それだけを食いしばりながら吐き出す。ぼろぼろと涙が出たのは、ハルと比べて随分と醜い涙だったろう。でもそれでいい。それでいい。



 もう間違えたりなんかしない。今度こそ、今度こそ、僕はハルと一緒に、ずっと一緒に、生きていくんだ。

この世界は、危機に瀕しています。

勇者の血筋(サクラ王子の家系)と、聖女の血筋(ハルの家系)の子どもでないと世界を救うことはできません。

それなのにあーあ、なんで失敗しちゃったかなぁ! まあ一回くらいやり直ししてもいいよね☆ という、女神さまが全部多分、悪い話。


【8/16追記】

読了、ポイント投票、応援、感想、誤字脱字報告など本当にありがとうございます!

読んでくださった皆様に感謝しております。

ランクインも諸々ありがとうございます~!

続きはぼやっとあるのですが、今の時点で後味悪い気持ちいい(気持ちいい?)短編になっているので、ひとまず皆様の頭の中で色々楽しく、自由に想像してくださると嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
こっちが時を戻すお話は初めてかも!? 良いオチですね。 読みやすかったです!
そりゃセゾン王国はでかいじゃろ…と思ったけどそっちの世界は滅ぶというオチに確かにそれはそう!とは思ったりいたしましたよ…確かにかつてのあれやこれやを今は知る人もなく…みたいな(本編関係ない)。 それに…
>勇者の血筋(サクラ王子の家系)と、聖女の血筋(ハルの家系)の子どもでないと世界を救うことはできません。 あれ?ということは、ハルがセゾンの王子と結婚して幸せになった世界線でも結局滅んだんですね。 …
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