聖ペルトニック 11-2:孤独の観察
この物語は、生命、虚無、孤独を司る物語である。
この物語は、観察者であり、実行者でもある。
この物語は、嘆いている。
「..おお我らの主よ、この聖なる神殿に来て参りその美しき声をお聞かせください..」
..しかし、この400平方メートルには静寂と彼、神官アモルしか存在しなかった。また神からのお告げがなかった..というより、アモルにとっては別に神などどうでもよかったのだ。神とその部下が5000年、6000年前に建てたなんて、まるっきりの嘘だ。アモル自身が数十年前に作った創作であった。
174段もある虚構から神殿への階段には、それぞれの世界がその石の段に刻みこまれている。この神殿から、人々のさまざまな声が脳を通じて聞こえてくる。階段を操作できるのはアモルだけであり、この階段こそアモルにとっての「存在」の証明であった。
「儀式」もそうだ。アモル自身が神の使い、神の部下であることを自己に宿らせ、「存在」しているための通過儀礼であった。
「儀式」が終わった後、すぐ後ろにある階段を下っていくのが、アモルにとっての「行動」であった。一つ一つの世界が宿されているその石の感触を味わう。その世界の過去、現在、未来。その全てをアモルは理解し、それも深く味わっていた。誰にも決してできはしないが、自分だけはその感触、別の次元の感触を理解できていた。
天井の光が揺れ、遠くなっていく。階段がふわっと少し揺れていくうちに、174段目となった。目の前には虚空が広がっている。しかし、一個は存在していた。「欠片」だ。
「欠片」がアモルとつながった姿が階段の一段一段だ。どうやってできたかは、アモル自身ですら理解できていない。何もかもが不確定で、逆にアモルの存在を一層「存在している」ということであった。
「..この虚空は神によって創造しているのだろうか..それとも、私自身がこの虚空を操作できるとでもいっているのだろうか?」
アモルがその虚空へと手を伸ばす。欠片付近には光が不規則に光っており、この虚空で唯一観測できるような光だ。
しかし、その「欠片」は掴むことができなかった。とても速く、掴むことはできなかった。「欠片」はその黒一面の空間に歪みをもたらした。虚空のはずなのに「奥」が見えるような気がした。
何かが浮かんだが、一旦階段へと戻り、数段上ったところで座りこんだ。目の前の虚空を飛び回っている欠片を見ながら、アモルは思考をした。今、観察をすることに価値はないというのは確信できるが、明日、明後日に価値が誕生するかもしれない。わからないが。
そして、いるかいないかわからない神、生物、概念にこう問いかけた。
「私はこの世界の神なのだろうか?それともただの奇人なのか?それとも..
・・・私は、私自身を孤独へと呪っているのだろうか?」
「私はこの世界の神なのだろうか?それともただの奇人なのか?それとも私は、私自身を孤独へと呪っているのだろうか?」




