表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/26

09 カイエンの苦悩

          ◆



 王妃は緊張の連続だった。偽のカイエンが視界に入る度に冷や冷やした。しかし第二王子の演技は本物以上であった。父には通用しなかったようだが、『ぜひアルベール殿下にお目通りしたい』と手紙が来たので、相当気に入ったらしい。


 そのアルベールが、褒美に王妃のスケッチをしたいと言う。気が進まなかったが、見事な働きだったので、許可した。すると、接待が終わった翌日、彼はやってきた。


「ご機嫌よう。母上。そのまま座っていて結構です」


 立ったまま、スケッチブックに鉛筆を走らせる。時々、移動をして何枚も描いていた。


「お時間です」


 侍女が告げると、アルベールはスケッチブックを閉じて一礼した。


「ありがとうございました。では」


 あっという間の15分だった。不思議と緊張しなかった。最初の頃の粗雑さが取れ、礼儀正しい子になった。王妃は仲良くなれそうな気がしてきた。だがまだ少し躊躇がある。


(カイエンが先に仲良くなってくれないかしら…)


 男同士なんだから。そう言えば、そろそろおたふくも治った頃だ。お見舞いに行こうーーそう思っていたが、溜まっていた仕事に時間を取られ、行けずじまいだった。



          ◆



 弟が自分の影武者をしたと聞いて、カイエンは驚愕した。誰も気づかなかったという。ならば、アルベールは兄に匹敵する教養を身につけたのだ。


 自分が何年も努力してきた事を、わずか数ヶ月で。悔しさと妬ましさで夜も眠れない。家族の夕食が再開すると、傷はますます広がった。母が軟化していたのである。


「俺も5歳の時にやりましたよ。おたふく。両頬が腫れて痛くて飯が食えなかったなぁ。他の連中は、取り分が増えて大喜び!悔しいから、全員にキスしてうつしてやりました。院長にはえらく怒られましたけどね」


 アルベールがおどけて話すと、母は口を押さえた。


「では、ご馳走様でした。お休みなさい」


 弟が出て行った後、母はカイエンに言った。


「面白い子ね。仲良くしたら?」


「…」


「絵が趣味らしいわ。正式に習わせてあげましょうか」


 ずっと無視していたくせに、優しい笑みを浮かべている。見舞いにも来てくれなかった。カイエンは胃がムカムカして、


「申し訳ありません。やはりまだ本調子ではないので、失礼します」


 と、席を立った。これ以上は一口も食べられそうになかった。



          ◆



 第一王子は人生初の絶不調であった。側近達に会う気も起きない。勉強にも手がつかず、気分転換に一人で散歩をしていたら、王子宮の裏庭でタレーラン嬢を見かけた。アルベールと一緒だった。


「俺と結婚?おいおい、王妃の座はどうなったんだい?」


 ドキッとして立ち止まる。カイエンは咄嗟に木の後ろに隠れた。


「母上がうるさいから頑張ってただけ。アルと一緒なら、人生楽しい気がするから」


「否定はしないけどさ。ちぇ。王妃の腰巾着になるつもりだったのに。貧乏は辛いんだ。侯爵令嬢なんか、半日で逃げ出すぞ」


「大丈夫。今から料理の修行をしてるから。このクッキーも美味しいでしょ?」


「菓子以外も作れよ…大人になって、超絶美人になったらな」


「約束よ!」


 彼女は花のように笑った。カイエンは凍りついた。いつの間に。つい最近まで茶会に来てたじゃないか。弟は、そのついでだったんじゃないのか?


(このままでは、全部、盗られてしまう)


 母も、タレーラン嬢も。王太子の座も何もかも。彼は走ってその場から逃げた。自分の部屋に飛び込み、執事達が騒ぐのも無視してベッドに潜り込んだ。その日から、不調を理由に夕食を休んだが、父も母も手紙を寄越すだけで来ない。カイエンの心は限界に近づいていた。



         ◆



「最近、お兄さんがまた伏せってるんだって?」


 パンを齧りながら、チップが尋ねた。アルはランプの近くで絵を描いている。油は隠密に頼んで買ってもらった。


「ああ。おたふくの後遺症じゃないか?もうすぐ誕生日だから、それまでには元気になるよ。山ほど贈り物がもらえんだし」


「アルの誕生日でもあるよ?お祝いするのかな?」


「地震の被害が大きかったから、今年は盛大なパーティーは無しだってさ。でも、ヴァンドームの爺さんが馬をくれるって言ってた。楽しみだなぁ!セラはどうせクッキーだろ。父さんと母さんは…まあ、期待しないでおこう」 


「お母さんの声は聞けたの?」


 アルは鉛筆を止めた。スケッチもお近づきになる口実だったが、まだ警戒されている。


「母さんは気難しい猫なのさ。慣れるまでに時間がかかる。気長にいくよ」


「聞けたら出て行くの?」


「うーむ。父さん次第だな。領地も爵位もくれないなら、他の道を探すしかあるめぇ。初心に帰って飛脚をやるか。外国語も覚えたから、国際飛脚問屋だ」


「その場合、セラはどうするの?」


「いつまで持つかね。女心と秋の空っていうだろ。第一、親が許さねぇよ。行ってくる。先に寝てていいぞ」


「うん。頑張ってね」


 ランプの灯を消し、アルは隠密の修行に向かった。今は学問や武芸を磨くことに集中しよう。その気になれば、いつでも出ていける…この時のアルは、そう思っていた。



          ◆



 夕食の席で兄を見なくなってから1週間。突然、当人から呼び出された。使いの男は、外堀に面した高い塔にアルを連れて行った。毎度お馴染みのサムソン卿が供をする。


「護衛の方は外でお待ちください」


 と言われ、サムソン卿は塔を見上げた。出入り口は1つ。逃げる心配はないと思ったらしく、素直に頷いた。全く護衛するつもりが無いな。畜生め。アルは心の中で毒づいた。


 長い長い階段を登らされる。アルは前を行く男に尋ねた。


「こんな所で、何の用だ?」


「夕陽をお見せしたいそうです」


(へえ。どういう風の吹きまわしかな)


 屋上では、少しやつれた兄が待っていた。弟は周囲を見た。戦時は物見の塔だったらしく、しっかりとした柵もある。真下は水をたたえた堀である。


「ご招待、ありがとうございます。やあ、本当に綺麗な夕焼けですね。こんな場所があったなんて、全然知りませんでしたよ」


「…」


 兄は黙ってアルを睨んでいる。後ろには屈強な兵士が1人。使いの男は消えていた。嫌な予感がした。


「じゃあ、失礼します」


 回れ右して、階段に続くドアへ行こうとした時、アルは兵士に腕を掴まれた。次の瞬間、ポイっと堀に投げ落とされた。


(やっぱりな)


 落下する僅かの間、何とも言えない寂しさを感じた。


(怖いね。殺意に満ちた俺の顔って)


 クルクルと回転し、うまいこと足から着水したが、衝撃で下半身が動かせない。もがいていたら、隠密の誰かが泳いできて、


『大丈夫ですかー?』


 と、手話で話しかけてきた。


『足裏が痛い。ちょっと助けて』


『お上手でしたよ。どこに上がります?』


『サムソン卿から見える辺りで』


『了解です』


 彼はアルに肩を貸してくれた。おかげで楽に水面に出られた。


『助かった。ありがとう』


『どういたしまして』


 隠密は手を振って泳ぎ去った。だが、護衛は助けにこなかった。アルは仕方なく、石垣をよじ登った。あと少しという所で、ようやくサムソン卿が手を差し出してきた。


「助けろよ。死ぬとこだったじゃねぇか」


 アルは文句を言った。


「隠密がいたので」


「俺の護衛だろ?まだ9時じゃないぞ。給料分は働けよ」


「申し訳ありません」


 無情な騎士はハンカチも貸さない。塔の入り口では、使いの男が、幽霊でも見たかのように震えていた。


「あーあ。一張羅がずぶ濡れだ。サムソン卿、今日の夕食は休むって伝えてくれ。そんで弁当作ってもらって。部屋で食うから。夜食のパンも忘れんなよ」


「かしこまりました」


 ブツブツ言いながら、アルは濡れた衣服と靴を脱ぎ、ほぼ裸で王子宮に帰った。井戸で身体と服を洗って部屋に戻ったら、チップがびっくりして出迎えた。その夜、サムソン卿が持ってきた夕食を食べながら、相棒と今後のことを相談した。


「そろそろ潮時かな。父さん、黙殺しそうだし。あーあ。美味い飯ともお別れか」


「いつ出る?」


「誕生日が終わってからでいいよ。馬もらってからで。師匠達には、いつ挨拶をしよう?セラは…手紙で良いか。泣きそうだし」


「路銀はあるの?そもそも、どこへ行くつもり?」


「この間、隠密に薬草を売ってもらったから、金貨2枚はある。あては無い。でも、港なら仕事がありそうだ。贅沢言わないで荷運びでも何でもするよ。船乗りの見習いも良いな。いっそ海賊になろう!大昔の大海賊が隠した宝を探すんだ!」


 チップは呆れながらも賛成してくれた。何事も引き摺らないのがアルの美点だ。ここがダメなら次がある。彼は王子の暮らしに見切りをつけた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ