08 影武者
◆
「洗礼?」
ある日の午後、父の使いがアルの部屋に来た。この国は大地の女神を信奉する。その神殿で第二王子の洗礼を行うらしい。彼は昼番の護衛を連れて馬車に乗り、王都の大神殿に向かった。
城を出るのは久しぶりだ。窓から賑わう街を楽しんでいたら、すぐに白亜の大神殿に着いた。そのまま巨大な女神像が祀られた聖堂に案内され、そこで大神官という老人に会った。
「ようこそ。アルベール殿下」
白髪の優しそうなお爺さんだ。
「こんちは。洗礼って何?」
「大地の女神ペレに、王族を紹介する儀式です。普通は生まれてすぐに行いますが、殿下はまだですから。その魔法陣の中央にお立ちください」
「異世界に行っちゃったりしない?」
「行きません」
「つまんないの」
アルは言われた通りにした。お爺さんは、表紙に宝石が埋め込まれたゴツい本を広げた。
「それ何?」
「様々な秘儀が記されている“大地の書”です。では始めますよ。『イ・ケ・アクア・ワヒネ・ペレ…』」
呪文を唱えると、アルの足元に描かれた幾何学模様が青く光った。
「えっ?!」
なぜか大神官が驚いている。後ろに並んだ神官達もざわめいていた。不思議な光はアルが模様の外に出るまで消えなかった。
「…こんな事は初めてだ。あなたは大地に愛されています」
お爺さんのシワ深い手がアルの頭を撫でたが、彼は全然違うことを考えていた。
(大地…モグラかな?連中、まだ感謝してんのか。義理堅いねぇ)
それから別室でお茶を振舞われた。大神官は菓子の残りを土産に持たせてくれたうえ、馬車を見送ってくれた。
「良い人だったね。親戚のお爺さんみたいだ」
馬車の中で、チップが菓子を齧りながら言った。
「そだな。やっぱ、俺は選ばれし者だぜ。そのうち勇者の紋章が浮かぶな」
「で、魔王討伐に行くんだろ?」
二人は設定を考えた。サムソン卿が後衛の盾騎士で、師匠が偵察役の隠密。チップは実は人間に変身できる獣人の格闘家。大神官が魔法使いで、みんなのケガを治すんだ。
「最悪!野郎ばっかだ!」
「本当だね!ハハハハハ!」
城に戻ると、セラフィーナが来ていた。最近はちゃんと申請しているので、問題ない。師匠が留守で自習の予定だったから、裏庭で遊んだ。さっきの続きで勇者ごっこだ。
「セラは魔王に攫われた姫ね。冠が要るな」
アルは庭の草花で花冠を編んだ。それを彼女の頭に乗せてやると、たいそう喜んだ。神殿でもらった菓子を食べつつ、花の編み方を教えたりした。
「はい。アルも被って。…わあ!王子様みたい!」
「王子だよ」
「そうだった。失礼いたしました。殿下」
「良いさ。なんちゃって王子だから」
「うふふふ。次は“愛と欲望の後宮”ごっこがいいわ。私、主人公の令嬢ね。アルは幼馴染の王子にする?皇帝が良い?」
「俺はあの、顔に火傷のある将軍が好きなんだ。不器用で愛を伝えられないまま、最後はヒロインのために死んじゃう奴」
「分かる~!」
などと遊んでいるうちに日が暮れた。セラフィーナと別れて、アルも部屋に帰ろうとしたら、ふと視線を感じた。見上げると、兄が窓から庭を見ていたが、アルが会釈をしたのに引っ込んでしまった。
(やれやれ。今度は誘ってやるか。絶対断ると思うけど)
兄と仲良くなりたいと思ってはいる。しかし、その方法がさっぱり分からなかった。
◆
「え?カイエンがおたふく風邪に?」
驚いた王妃は腰を上げた。すぐさま宮廷医が止める。
「いけません。王妃様はかかったことがありません。うつってしまいます」
「そんな…」
「幸い、頬の腫れが酷い以外、熱もそれほど出ていません。1週間も安静にしていれば治るでしょう」
仕方ない。見舞いは控えるとしよう。問題は、もうすぐ到着するアリタイ王室の接待だ。王女がカイエンと同い年なので、会わせたいと言われているのだ。見合いに近い。
「どうしましょう…。とうにお国を出てるのに」
悩んでいると、侍女長が提案した。
「アルベール様を出しましょう。遠目には分かりません」
「カイエンのフリをさせるの?偽物だと知れたら、国際問題になるわ」
「ハンゾ子爵が、もうマナーは完璧だと太鼓判を押してました。大丈夫です。絶対に成功します」
侍女長は自信満々だ。王妃はこういった不測の事態が本当に苦手だった。嘘をついて騙すなんて。考えただけで胸が苦しい。しかし他に良い案も浮かばず、そのまま流されてしまった。
◆
アルは初めて王妃宮に足を踏み入れた。全体的に柔らかな色彩の壁や床。ほんのり良い香りが漂っている。ここが母さんの住まいかぁ、と鼻をひくつかせていたら、いきなり、吊り目の侍女長が書類の束を差し出してきた。
「カイエン殿下の侍従日誌です。会った方、いただいた贈り物、出席したパーティーなど、過去5年分が詳細に記されています。覚えてください」
「了解」
「こちらはアリタイ王室の情報です。特にエヴァンジェリン王女の項を重点的に」
「はいはい」
「返事は1回」
「はい」
吊り目美人は何度も念を押した。
「この事は、両陛下とごく少数の者しか知りません。我が国の貴族も騙さねばなりません。特に、王妃殿下のお父上にあたる、ヴァンドーム侯爵は鋭い方なので、くれぐれも気を抜かないように」
「頑張るよ。成功したら、ご褒美くれる?」
暗にタダ働きはしないと伝えると、侍女長の目がますます吊り上がった。
「お金ですか?」
「俺は絵を描くのが好きでね。母さんにモデルになってほしい。15分でいいから」
「…伺ってみます」
それから風呂に入れられた。髪に良い匂いの油を塗り、兄と同じ髪型にセットする。最近は日を浴びないので、肌も白い。借りた服もピッタリで、鏡に映る姿はカイエン王子そのものだった。
「へえ。まるで兄貴だ。大したもんだ。もう夕飯だな。…食堂に行こう。トマス卿」
兄の口調で第一王子の護衛に声をかけると、黒髪のイケメン騎士はビクッとした。
「は、はい」
サムソン卿は影武者が終わるまで休暇だそうだ。アルは歩く早さまで真似して食堂に向かう。両親は既に着席していた。
「お待たせしました。父上、母上」
空いた第二王子の椅子に視線をやり、給仕君を見る。何も知らない給仕君は慌てて、
「アルベール殿下はご体調が優れず、との事です」
と言った。アルは頷いて席に着いた。いつもより格段にゆっくりと食べつつ、黙っているのも変だよなぁと考えていると、父が話しかけてきた。
「今日は何をしていた?」
何と。父は兄にも同じ事を訊いていたのか。偽第一王子は澄まして答えた。
「アリタイ語の復習をしていました。もうすぐお迎えしますから。…お聞きしてもよろしいですか?」
「何だ?」
「王女との婚約は決定事項ですか?」
「決まってはいない。縁を結んで損はないが、必要という程でもない」
「承知いたしました。では、そのように」
母は最後まで沈黙していた。明日からは国賓との会食だから、偽の水入らずも今日だけだ。父子家庭のように、アルと父だけが会話をして、夕食を終えた。
◆
翌日、アリタイ国王夫妻とエヴァンジェリン姫が到着した。
「初めまして、カイエンです」
「エヴァンジェリンです。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ。美しい姫君。お手を取っても?」
フワフワの金の髪に澄んだ青い目。お世辞抜きに美少女だった。うっかり口説いてしまいそうだ。アルは気を引き締めて、上品な王子を演じた。歓迎の儀、晩餐会、次の日は盛大なお茶会と、姫のエスコート役を完璧にこなす。初対面同士なので、騙すのは簡単だった。
だが三日目に試練が来た。祖父に見つかってしまったのだ。
「殿下。少しよろしいか?」
野外音楽会の幕間、姫がお花摘みに行っている時に、初老の貴族に呼び止められた。カフスボタンの紋章からヴァンドーム侯爵だと分かる。
「お久しぶりです。お爺様」
アルは兄の情報を頭の中に展開した。最後に会ったのは半年前のはず。
「アルベール王子と対立していると聞きましたが。本当ですか?」
侯爵は心配そうに訊いた。驚いた。そんな噂が流れてるのか。
(どう答える?こき下ろした方が自然か?自分を悪く言うの、嫌だなぁ)
「いえ。まだ慣れないだけです。彼も努力していますから、今は静かに見守ってください」
とりあえず、当たり障りのない答えを返すと、祖父は大きく頷いた。そして急に話題を変えた。
「もうすぐお誕生日ですな。以前、希望をお聞きしたのですが、忘れてしまいました。もう一度お伺いしても?」
(え?そんなの侍従日誌に書いてなかったぞ。何だ?)
母に似た紫の目は笑っていない。バレたか。だが分からんものは、どうしようもないので、
「私も忘れてしまいました。半年もお会いしてないんですよ?もっと頻繁に顔を見せてください。次までに思い出しておきますから」
開き直った。祖父はニヤリと歯を見せた。完全にバレてる。
「では、アルベール殿下には何が良いと思いますか?」
「乗馬服と、鞍が良いと思います。持っていないようなので」
しれっとねだると、祖父は大笑いをした。
「承知いたしました。馬もつけましょう。我が領は軍馬の産地ですからな。では、失礼」
と言って、去っていく。アルは祖父の財力に感嘆した。
(プレゼントが馬?すげぇな。貴族)
それ以外は特に何事もなく、無事、アリタイ王御一行様を見送って終わった。後々、兄が復帰した時に齟齬が生じないように、アルは全ての会話を記録しておいた。それと引き換えに、侍女長から母をモデルにスケッチをする権利を得た。