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07 雪嵐

          ◆



 近頃、兄のご学友たちがやたらと絡んでくる。この上なく鬱陶しいが、アルが部屋の外に出るのは午後の数時間だけ。そこさえ気をつければ良かった。


 しかし、今日は運悪く、乗馬の練習が兄と被ってしまった。アルは早々に諦めて鞍を外した。


「お先に失礼します。兄上」


 馬を返して出て行こうとしたら、令息達に捕まった。


「おやおや。来たばかりじゃないか。遠慮せずに練習していけよ」


 と、男女の仲にうるさいオルレアンが、アルの肩を押さえる。


「いえいえ。皆様方の見事な乗馬の横でなんか。馬にも笑われますよ」


「気にするなよ。乗馬服も持ってないのに。既に笑い者だ」


 規則にやかましいバイエルンは、そう言ってアルを突き飛ばした。ご学友達は一斉に笑った。兄は無言で愛馬に跨り、走らせ始める。


「いっその事、その貧相な2本足で走れよ。平民」


 少年達は空いていたもう一つの馬場に、アルを押し込んだ。馬丁に金を握らせて何事か命じると、すぐに荒馬が引き出されてきた。素晴らしい白馬だが、鼻にシワを寄せて歯を剥いている。


「国一番の名馬“雪嵐”だ。陛下以外、絶対に乗せない。今日は特に機嫌が悪いな。蹴られるなよ」


 白馬が襲いかかってきたので、アルは仕方なく逃げた。それを見て、ご学友達はますます笑う。柵にぶつからないように、広い馬場をグルグルと走った。十数分も駆け比べ、さすがに人間には追いつけない速さになった。


「いや、負けたよ。凄いな、お前」


 歩きながら荒い息で褒めると、白馬は『当たり前だ』と嘶いた。


「へえ。父さんが来ないんで寂しかったのか。乙女かよ。痛てて。噛むなって」


 髪をムシャムシャと喰われ、アルは笑って馬の首を撫でた。気づくと、馬場はしんと静まり返っている。大人しくなった“雪嵐”を馬丁に返し、


「じゃ、お先に失礼」


 何事もなかったように外に出た。兄が馬上から見ていたので、会釈をしたが、プイッと行ってしまった。



          ◆



「アルベール」


 その夜の夕食で、珍しく父がアルを呼んだ。


「何でしょう?」


「“雪嵐”と走ったそうだな」


「はい。父さんのお渡りがなくて、ご機嫌斜めでしたよ」


「…」


 次の日からテーブルは半分の長さになり、衝立も無くなっていた。母と兄は相変わらず無言だが、父だけは一言ぐらい話しかけてくるようになった。大きな進歩であった。



          ◆



 王妃は変化が苦手だ。ようやく前菜までの沈黙に慣れてきたのに。そんな中、王妃の誕生日が来た。盛大な夜会が開かれる。今年は色々訊かれるに違いない…そう思うと頭痛がしてきた。


 夜会の前に、贈り物を一つ一つ確認していたら、小さくて薄い箱があった。中には額装した王妃の素描が入っている。月光の下、物憂げな顔が綺麗だ。何というか色気がある。


「これは、どなたから?」


 侍女は一覧表を確認しながら答えた。


「サムソン卿がお持ちになりました」


 意外だった。話したこともないのに。


「そう。とても良い絵。誰が描いたのかしら?見たことないタッチね」


「Aとサインがあります。アンリ、アングル、アンディ…はて?」


 皆も首を捻る。王妃はふと、良いことを思いついた。


「陛下の執務室に飾りたいわ」


「それは良いお考えです」


 侍女に運ばせると、夫は喜んで飾ってくれたそうだ。本物が見たくて、早くお戻りになると良い。王妃は久しぶりに晴れやかな気持ちになった。



          ◆



 夕食の席で、父が弟に尋ねた。


「今日は何をしていた?アルベール」


「ハンゾ先生に『ワニと海賊』というアリタイ語の絵本を読んでもらいました。凄く面白かったです」


 カイエンと母は沈黙を貫いている。どうせすぐに消えるからだ。


「少しは覚えたか?」


 10歳にもなって絵本なんて。勉強を始めるのが遅すぎるのだ。もちろんカイエンと比べるのは酷なのだがーーと思っていたら、


「ええ。確かめますか?『昔々、ある所にワニがいました。ワニは海賊の…』」


「!!」


 弟はアリタイ語で暗唱した。その驚くほど自然な発音に、両親も目を見張っていた。


「あと、同じ話の訳が3ヶ国語あったので、それも読んでもらいました」


「全て覚えたと?」


「はい。簡単な話なので。では私はこれで。ご馳走様でした。お休みなさい」


 弟が夜食の包みを抱えて出ていくと、父は後ろの影に呼びかけた。


「ハンゾ」


「お呼びですか?」


 すぐに隠密が現れた。父は端的に尋ねた。


「アルベールはどれほど学んだ?」


「語学以外、全て終えています」


 第一王子は血が下がるのを感じた。そんなバカな。ここに来てまだ3ヶ月も経っていないのに。ありえない。


「語学もあと数週間でしょう。アルベール様は、天才です」


「…」


 その日の夕食は全く味がしなかった。



          ◆



 ハンゾは第二王子の才を愛していた。素晴らしい身体能力と頭脳。百年どころか千年に1人の逸材だ。今は冷遇されているが、いつかきっと陛下も認めてくださるーーそう確信していた。


「え?隠密って細くないとダメなの?」


「大きいと狭いところに入れません。なるべく細くしなやかな身体が良いんですよ」


 深夜。隠密の訓練場で、アルベール様と若い衆が語らっている。


「父さん、マッチョだからなぁ。似たらどうしよう?」


 王子は自分の細い二の腕を摘んだ。


「陛下はお若い頃、剣術に夢中でしたから。騎士は筋肉が発達している分、素早さはありません。まあ、サムソン卿などは例外ですが」


「やっぱ強いんだ。あの人。ガチで戦ったら負けるよな…」


「護衛と戦ってどうするんです」


「細マッチョがマッチョに勝てたら、カッコいいだろ」


「アッハッハ!」


 訓練場に笑いが満ちた。他者を惹きつける力。これも第二王子の武器だ。令息たちや王子宮の召使い達の嫌がらせも尽きないが、若い衆が密かにお助けしている。これほど隠密たちに愛された王族はいない。


(アルベール様こそ、我らの主人に相応しい)


 ハンゾは、アルベール王子の中に、隠密の未来を見ていたのである。



          ◆



 就寝前。“愛と欲望の後宮”を読み終え、タレーラン侯爵令嬢は決心した。


「私、王太子妃候補、辞めるわ」


「はえっ?!」


 令嬢の髪を梳かしていた侍女の声がひっくり返った。


「あなたは地震の時は気絶していたし、ずっと休んでいたから知らないでしょうけど、私が愛しているのはアルベール様なのよ。やっと気づいたわ」


「愛ですか?!8歳で?!」


「年は関係ない。幼馴染の王子を捨てて、皇帝の妃になった主人公の惨めなこと。他にも山ほど求愛されるけど、私だったら、そのまま王子と結婚して幸せになるわ」


「奥方様のロマンス小説ですか?いくら美しいからって、幾人もの殿方に愛されるなんて、あり得ません」


 侍女はサッと本を取り上げた。セラフィーナは言い返した。


「母上の本棚に戻しておいて。私、知ってるわよ。昔、王妃様を巡って、王太子だった陛下とオルレアン侯爵やバイエルン伯爵、隣国の王子が血みどろの戦いを繰り広げたんでしょ」


「全然違います。多くの貴公子が王妃様(当時はヴァンドーム侯爵令嬢ですね)に結婚を申し込んだのは事実ですが、穏便に剣術大会で決めたんです。恋人だった王太子殿下が優勝して、婚約を勝ち取りました。皆様、正々堂々、立派に戦ったのです」


 子供だった侍女はそう聞いたらしい。どちらにしても、王妃様が魔性の令嬢だったのは変わらない。


「王妃様は愛した人が、たまたま王太子だったのね。私はたまたま第二王子だった。だからこの愛を貫くわ」


 セラフィーナは父の書斎に行った。母に言ったら、大反対されるのは分かりきっている。


「父上。お話が」


「ん?何だい?」


 父はペンを置いて、座ったまま娘を抱き上げた。


「私、アルベール様と結婚いたします。王太子妃候補を辞退させてください」


「…」


 セラフィーナもバカではない。自分が王妃になれば、どれほど侯爵家に恩恵をもたらすか、ちゃんと理解している。父は鋭い口調で尋ねた。


「セラフィーナ。意味を分かっているのか?」


「はい。アル様を大公にします」


 十秒以上、父は考えていたが、小さな声で言った。


「…他家に知られないよう、暫くはカイエン殿下のお茶会にも顔を出しなさい。太公云々の話は、決して漏らさないように。この計画は二人だけの秘密だよ。いいね?」


「はい!ありがとう!父上!」


 娘は喜びのあまり父親の首にしがみついた。彼女は、8歳にして自らの道を決めたのだった。


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