05 侯爵令嬢との出会い
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昼間はぐうぐう寝て、夜は修行をする。そんな暮らしが1ヶ月ほど続いたが、ある日突然、部屋に師匠が来た。
「ご機嫌よう。アルベール殿下」
まだ寝ていたアルはびっくりして飛び起きた。
「しーー」
「ハンゾ子爵と申します。殿下の教育係となりました。以後、お見知り置きを」
弟子が口を開く前に、貴族っぽい格好をした師匠は一礼して挨拶した。後ろに昼番の護衛がいるからか。アルはベッドを下りて調子を合わせた。
「こちらこそ。よろしくお願いします。ハンゾ先生」
「では、さっそく授業を始めましょう。着替えてください」
護衛が出ていったので、『どうゆうこと?』と小さな声で説明を求めた。
「私も一応、爵位を持ってますから。第二王子の教育係を募っていたので、立候補しました。ちょうど良い。座学をいたしましょう」
師匠はニヤリと笑って分厚い本を差し出した。アルはパラパラと一読した。歴史の本だった。
「はい。覚えたよ」
読み終わったので返すと、師匠は怪訝な顔をした。
「まさか」
「確かめる?王国歴593年ショウ・トック王子が憲法を制定、654年ナカ・トーミ氏によってソーガ氏滅亡。674年ジン・シーンの乱…」
これもアルの特技だ。近代までを暗唱したら、師匠も納得した。
「結構です。外国語とマナー、馬術を教えます。後は本を読んでおいてください。しかし驚きましたな。とんでもない記憶力だ」
「良い隠密になれそうだろ?」
「それはもう。百年に一人の逸材と存じます」
師匠は毎日、昼過ぎにやってきた。夕方までの数時間、みっちりと勉強をする。時には馬場や図書室に行ったりするのが、そういう時は護衛が張り付いていた。
ある日、馬屋の前で師匠と別れて王子宮に帰る途中、地震があった。大きな揺れが長く続き、庭園に置かれた石像が次々に倒れた。
「キャーッ!」
甲高い悲鳴が聞こえたので、アルは声の方に走った。侍女らしき女性が石像の下敷きになっている。そばに7、8歳の貴族の女の子がへたり込んでいた。
「サムソン卿。像をどけて。君、大丈夫?」
後半は女の子に言ったのだが、青い顔をして固まっていた。サムソン卿が軽々と女神像を横にどけた。侍女は転んだ時に頭をぶつけたようで、気を失っている。
「君、名前は?どこのうちの子?」
「セ…セラフィーナ・タレーラン」
少女はようやく喋った。あちこちで騒ぐ声がする。救援を呼んでも来なさそうだとみて、王子は護衛に頼んだ。
「悪いけど、医務室に運んでやって。終わったら、宰相閣下に知らせを。俺たちはここで待ってる」
「かしこまりました」
騎士は侍女を抱き上げて走っていった。アルは少女を助け起こし、近くのベンチに座らせると、自分も横に座って喋り始めた。
「大きかったなぁ。震度6はいってたよ。侍女は君を庇ったんだな。偉い。幾らか報奨金を出したら?休みもたっぷりあげな。あ、俺、アル。カイエン兄貴じゃないよ。よく似てるけど」
「…」
「サムソン卿、カッコ良くねぇ?成人女性をお姫様抱っこして走ってたぜ。すげぇ。尊敬に値するよ。とか言って、実はやせ我慢だったりしてな。アハハハ!」
「ぷっ!」
セラフィーナはようやく笑顔を見せた。金の縦ロール髪に緑の瞳の美少女だ。ピンクのドレスが花の妖精めいて、ロリコンでなくとも眼福だ。
「良いね!もっと笑って!あ、荷物が落ちてた。はい」
アルは地面に転がっていたカゴを拾い、彼女に渡した。少女は悲しそうな顔で受け取った。
「どうしたの?どっか痛い?」
「違うの。これ…カイエン殿下への贈り物だったの」
籠の中には綺麗な箱が入っている。弟王子は親切心で申し出た。
「俺、渡しとこうか?一緒に住んでるし」
少女は首を振った。
「先ほど、お渡しして返されたの。美味しくないって」
「へえ。…クッキーか。どれどれ」
アルは箱を取り出した。蓋を取り、1枚つまんで口に放り込んだが、普通に美味い。更にもう1枚を食べて、閃いた。
「…あ。分かった!甘味が足りないんだ。王宮のデザート、めっちゃ甘いよ。この倍ぐらい砂糖入れないと。兄貴も父さんも、夜中まで働いてるから、脳が糖分を欲するんじゃないの。これ、要らないんなら、もらって良い?」
「良いけど…甘い方が良いんでしょ?」
「俺は深夜まで残業しないもん。でも、何で兄貴に?ファンなの?」
「婚約者候補だから。母上が、手作りのお菓子を持って行きなさいって」
緑の瞳が潤んだ。王子に貢物を拒まれ、少女のプライドは傷ついた。親の圧力も強い。令嬢は辛いね。アルはガツガツと食べながら助言した。
「まあ、砂糖多めで再挑戦してみなよ。何なら、パティシエ買収してさ。配合聞きだしな。王妃の座を狙おうってんだ。それぐらいのガッツで行けよ」
「他人事みたいに…」
他人事だもの。そこに宰相とサムソン卿が走ってきた。
「セラフィーナ!」
「父上!」
タレーラン侯爵は娘を抱き上げ、ぎゅうっと抱きしめた。
「無事で良かった…。ありがとうございます、アルベール殿下」
「良いってことよ。侯爵。口開けて」
「は?」
暗器の投擲のように、クッキーを宰相の口に投げ入れた。
「美味いだろ?」
「はあ」
「サムソン卿も。はい、食べて」
騎士は滅多に隙を見せない。1枚手渡したら、顔を顰めながら食べてくれた。
「美味いよな?」
「はい」
「彼女の手作りだ。才能あるぜ。ご馳走様!またな!」
クッキーの箱を傍に抱え、手を振り振り、アルはその場を離れた。地震の被害は思ったより大きく、国中で建物の崩落や地滑りがあったらしい。その対応に追われているのか、夕食に父は現れなかった。