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12 母さんの声

          ◆



 同時刻・タレーラン侯爵邸。セラフィーナは、ハンゾ子爵からアルの手紙を受け取った。『今すぐ、読んでください』と子爵が言うので、その場で読んだ。


『…と言うわけで、海賊になって宝物を探そうと思う。大金持ちになったら知らせるよ。何年かかるか分からないから、良い男がいたら結婚しな。俺は再婚でも再々婚でも構わないからさ。じゃあ、元気で。追伸、クッキーありがとう。大事に食べるよ。セラの親友より』


 驚いた。アルは家出するらしい。お金も渡せば良かったと思い、子爵に訊いてみた。


「もう出発してしまいましたか?明日なら、幾らか用意できるんですが」


 老人は悲し気に首を振った。そして、昨日の午後に王城で起こった騒動を教えてくれた。


「おそらく、もうマウナ山に着いた頃です。火口の洞窟に閉じ込められ、置き去りにされるでしょう」


「!!」


 セラフィーナは応接室を飛び出した。そして裏庭で庭師を捕まえて尋ねた。


「石ってどうやって割るの?」


「大きさや硬さによりますが、石目に沿って穴を開けて…」


 庭師はニコニコしながら丁寧に教えてくれた。


「必要な道具を全部出してちょうだい」


「どこで使うんです?」


「領地よ。すぐに出るから、馬車に積んで」


「はあ」


 次に自室に行き、旅行鞄の中に価値のありそうな宝石を詰め込むと、動きやすい服に着替えた。


 鞄を持って出ようとしたら、侍女が立ちはだかった。


「お嬢様!何をするおつもりです?!まさかマウナ山に行く気じゃないでしょうね?」


「あなたは来なくていいわ。クビになっちゃうから」


「お嬢様に何かあったら、本当に首を落とされます。ダメです。絶対にダメ!」


「じゃあ一緒に来て!アルを見捨てたら、私、死ぬわよ!あなたの責任よ!なら、どのみち同じじゃない!」


「え?そうなんですか?」


 侍女を言いくるめ、セラフィーナは馬車に向かった。すると玄関に見慣れぬ黒ずくめの御者が待っていた。


「領地に向かうと見せかけて、マウナ山に行ってちょうだい。目立たないように。かつ、できるだけ早く。でも、褒美は出せないかもしれないの。ごめんなさいね」


「承知いたしました!」


 令嬢の滅茶苦茶な注文を、彼は快く引き受けてくれた。使用人達が誰もいないとか、門番に止められなかったとか、不自然な事がいっぱいあったが、セラフィーナは全く気づかなかった。


(早く。早くアルを助けなきゃ)


 侯爵令嬢の頭の中はそれしかなかったのだ。



          ◆



 一方、王城では、王妃の不例が噂されていた。朝から全ての公務を休んでいるからだ。


「やはり、あの件がご心痛で…」


「そう見せかけているだけでは?遠ざけていたんだろう?」


「陛下やカイエン王子のお見舞いも断っているらしい」


 実際は、密かに出立の準備をしていた。王妃宮には、影武者の一件でアルベールを評価する者が多い。そのおかげで秘密が保たれた。


 用意が整うと、王妃は実家の馬車で王城を出た。伏したその日のうちに里下がりなど前代未聞、しかし正式な書類を見せられたので、門番は疑わずに通した。


 王都を出た後、ヴァンドーム侯爵領を目指すと見せかけ、途中で進路を変える計画だ。王妃は父親に礼を言った。


「ありがとうございます。陛下の勘気を被るかもしれませんのに」


「その時は引退すれば良い。アルベールを我が家で匿う。ダメなら外国に逃そう」


 頼もしい言葉に涙が滲む。父は優しい目で娘を見た。


「よく決心したな。本当に行くとは思わなかったぞ。正直、驚いた」


 自分でも驚いている。あの絵を見たら、突然思ったのだ。


(謝らなくては。それから頼もう。やり直したいと)


 馬の交換とほんの少しの休憩を挟みつつ、王妃一行はマウナ山を目指した。



          ◆



 セラフィーナの旅は順調だった。黒づくめの御者が、うんと近道をしてくれたのだ。そのおかげで翌日の夕方前にマウナ山に着いた。しかし麓に検問所ができていた。


 手前の曲がり角に馬車を止め、令嬢と御者は相談した。


「まさか、父上が?早すぎない?宰相にそんな権限あるの?」


「いいえ。近衛の制服が混じってます。陛下でしょう」


「なぜ?」


「分かりません。様子を見てくるので、少しお待ちください」


 彼は顔に黒い布を巻くと、どこかに行ってしまった。侍女は御者台との小窓を閉めた。そして不安そうな顔で言った。


「あの人、何者なんでしょう?ただの御者じゃないですよね?」


「味方なら何でもいいわ」


「近衛…抵抗したら、謀反になりませんか?」


「大丈夫よ。その為に宝石とか持ってきたんだから。まずは買収して、ダメなら泣き落とす。あとは出たとこ勝負よ」


「だんだん、アルベール殿下に似てきましたね…」


「うふふ。褒め言葉よ、それ」


 だがセラフィーナは内心、焦っていた。アルが捕えられてから、もう2日が経つ。一滴の水も飲んでいなければ、あと数日が限界である。こんなところで足止めされるわけにはいかないのに。


(お願い。女神様。行かせてください)


 少女の祈りが通じたのか。馬車がグラグラ揺れ始めた。長い地震だった。そこへ御者が帰ってきた。


「急ぎましょう。噴火の兆候があるそうです。場合によっては力づくで突破します!」



          ◆



 伝書鳩で知らせが届き、帰還中だったサムソン達は、またマウナ山に戻った。検問所を作れとの王命だった。アルベール殿下を救出する動きがあるらしい。


「王妃殿下とヴァンドーム侯爵が?本当か?」


 指揮官の近衛騎士は、伝令に確認した。


「間違いございません。侯爵領に行くと見せかけて、こちらに向かっています」


「どう思う?サムソン」


「止めましょう。王命が優先です」


 と答えたものの、気が重い。氷の王妃にも情があったのか。味方同士で斬り合うのは避けたい。そこへ報告が来た。


「貴族の馬車が1台来ます!所属不明!」


「止めろ」


 指揮官が命じると、無紋の馬車は検問所の前で止まった。ドアが開き、中から少女が降りてくる。なんとタレーラン侯爵令嬢だった。


「お勤めご苦労様です。あらサムソン卿。ご機嫌よう。通していただける?」


 令嬢はにこやかに言った。侍女を1人連れている。何となく見覚えがあると思ったら、庭園で助けた女性だった。侍女は緊張した顔で会釈をした。


 サムソンは令嬢に尋ねた。


「何の御用で?」


「物見遊山よ。火山が好きなの」


「…」


 明らかに嘘だ。黙っていたら、タレーラン嬢は侍女から鞄を受け取り、差し出してきた。


「通行料よ。さあ、通って良い?」


「サムソン。どうする?」


 若い指揮官は小声で訊いてきた。迷う気持ちも分かる。賄賂を差し出す小さな手が微かに震えているのだ。サムソンは進言した。


「王命に他の者は含まれていません。供は侍女だけですし」


「そうか。通ってよし。…鞄はお仕舞いください」


 令嬢は優雅に一礼してから馬車に乗った。それを見送りながら、指揮官がつぶやいた。


「哀れだな…」


 洞窟は塞がれている。女子供の細腕ではどうもできまい。岩に縋りついて嘆く令嬢の姿が見えるようだった。



          ◆



 アルは暗闇の中、洞窟の奥を探検していた。首輪の鍵はとっくに外している。兵士に化けた隠密が、道具と食料を渡してくれたのだ。


「凄く長い。どこまで続いてるんだろう?」


 少しづつ下る道を進みながら、彼は『隠密メシ』を食べていた。丸薬みたいに小さいのに、1粒食べれば1日保つという優れものだ。


「チップはこっちを食べな」


「ありがとう」


 隠密は、部屋に置いてきたセラのクッキーも差し入れてくれた。それを相棒に渡して壁づたいに進むと、やがて行き止まりになった。右側には分かれ道は無かったので、戻りながら反対側を手で探った。


「無いな…」


 抜け道が見つからないまま、入り口に戻ってきた。アルは壁にもたれて座り込んだ。そのまま眠ってしまったが、突然、グラグラと地面が揺れて目が覚めた。異様な地鳴りも聞こえる。


「噴火するとか?まさかね」


 アルが恐々言うと、チップは彼のポケットに飛び込んだ。


「まずいよ。僕の本能が言ってる。今すぐ逃げろって」


「脅すなって。やっぱ地味に壊すか。岩」


 渡された道具にはタガネとハンマーもあった。しかし小さい。彫刻用じゃないのか。アルは早速、嫌になった。


「なあ。モグラ呼んでくれよ」


「いないよ。火山じゃないか」


 諦めて岩を削る作業を数時間は続けた。やがて、カンカンと響く音に気づいた。まさか。


「チップ!誰かが外にいる!」


「本当だ!」


 耳の良い相棒は興奮して叫んだ。不意に、暗闇に光が差し込んだ。小さな穴が空いたのだ!


「アル!」


 信じられない。セラの声が聞こえる。


「ちょっと下がって!」


 ガツンとツルハシの先が打ち込まれ、穴は直径5センチほどに広がった。そこから緑の目が見えた。


「生きてるわね?」


「おう!ありがとう、セラ!よく来られたな!」


「当たり前じゃないの。何あの手紙。再婚とか再々婚とか。嫌よ。海賊になるんなら、私も連れていきなさいよ」


 泣きながらツルハシを振るっている。アルは猛烈に感動した。セラは凄い女だった。


(ここを出たら、二人で逃げるか)


 出逢ったものは仕方ない。彼は11歳にして、身を固める覚悟を決めた。だが、立っていられない程の凄まじい揺れに襲われた。


「お嬢様!危ない!」


 侍女殿が叫ぶ。崩れた岩が落ちてきたようだ。


「噴火の前兆です!殿下、お下がりください!」


 聞き覚えのある隠密の声がして、ガンガンとツルハシが叩き込まれる。噴火口から蒸気が大量に吹き出し始めた。強い硫黄臭もする。脱出は時間との戦いになってきた。



          ◆



 検問所では指揮官が撤退するかどうか迷っていた。


「王妃殿下は現れず…どうすれば良い?サムソン」


「地元の者に聞いたところ、もう、いつ噴火してもおかしくないそうです。とりあえず移動しましょう。街道まで下がれば、溶岩流の方向を見て逃げられます」


「そうだな。そうしよう」


「私はタレーラン嬢を迎えに行ってきます」


 その時、前方から騎馬の一団が走ってきた。皆、一様に黒い装束で顔を隠している。20騎ほどの曲者たちは、兵士の上を飛び越えていった。外輪まで駆け上がるつもりだ。


「ど、ど、どうしよう?!サムソン!」


 硫黄の匂いが濃くなってきた。時間がない。


「行ってください!曲者の捕縛は王命ではありません!ここにいては死にます!」


「分かった!」


 サムソンは自分の馬に飛び乗り、曲者の後を追った。奴らは見事な乗馬術で、狭い登山道をものともせずに駆けた。頂上で馬を捨て、洞窟に続く道を徒歩で下りていく。アルベール殿下を助け出すつもりだ。


 しかし、もはや前も見えないほどの蒸気と、有毒ガスが噴出している。死ににいくようなものだ。再び大きな揺れが起こった。落石が掠めたのか、曲者の一人の覆面が取れた。


「王妃殿下?!」


 銀の髪がこぼれ落ち、紫の瞳がこちらを見た。



          ◆



 穴はやっと15センチほどになった。しかし、時間切れだ。今すぐ逃げないと、セラたちも危ない。アルは穴から手を出して言った。


「セラ。手、握って」


「アル!アル!嫌っ!」


 泣いて嫌がるセラの手を、侍女殿が掴んで無理やり握らせた。


「もういい。セラは帰れ。俺は女神に会ってくる。“根の国”に行って、ペレに訊いてくる。生贄なんて要りますかって。そんで、必ず戻ってくるよ。待っててくれ」


「…」


「来てくれてありがとう。この恩は一生忘れないよ。…侍女殿、行って」


 手を離すと、侍女はセラの体を抱えて走り出した。隠密が深く深く頭を下げてから、後を追った。


「アルーっ!!」


 悲痛な叫びが遠ざかる。アルはがっくりと膝をついた。ついに微かな光が消えてしまった。


「この穴、埋めるか。毒ガス入ってきそうだし」


 もう相棒は答えない。小さな体では耐えられなかったか。本当に一人ぼっちになってしまった。ノロノロと立ち上がり、石を穴に詰めようとすると、


「アルベール!」


 ヌッと祖父の顔が現れた。


「わぁっ!びっくりした!」


 心臓が止まるほど驚いた。


「なんでいるの?」


「助けに来た!母も一緒だぞ!」


 ハハ?何のことだ?訝しんでいたら、銀髪の美女が見えた。化粧もしてないし、隠密みたいな服を着てる。でも素晴らしく美しい、アルの母さんだった。


「アルベール…」


 母さんは一言だけ言った。思った通りだ。


「ありがとう。一度、聴いてみたかったんだ」


 その時、ドンっと大きな爆発音がして、洞窟が崩れ始めた。せっかく広げた穴も消えた。外でサムソン卿が怒鳴っている。


「閣下、お逃げください!山腹に新たな火口ができました!今すぐ逃げないと手遅れになります!」


「孫を置いて逃げられるか!」


「王妃殿下も死にますよ!」


「先にお連れしろ!儂は後から行く!」


 祖父とケンカしている。アルは外に向かって大声で言った。


「爺ちゃん、行って!母さんを頼むよ!それと黒龍姫、預かっといて!」


 再び大きな揺れが来て、入り口は完全に崩壊した。仕方なく奥に移動したが、揺れと地鳴りはますます大きくなる。喉や目が痛む。吐き気もしてきた。


 突き当たりにたどり着くと、彼はそこで横たわった。息が苦しい。もう動けない。


(アル。行こう)


 突然、チップの声が聞こえた。


(おう。生きてたか相棒。どこ行くんだ?)


(根の国だよ。良いかい?)


(もちろんだ。女神様に雇ってもらおうぜ。出世して、一番のお気に入りになってやる)


(相変わらず前向きだね)


(母さんの声が聞けたんだ。もう、ここはいいや。次行こ。次)


 アルはまたピクニックの夢を見た。平民みたいな格好の父さんは敷物に座り、前掛けをした母さんが料理を並べている。兄貴とアルはじゃれあいながら蝶を追う。それは、絶対に叶わない、幸せな夢だった。


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