11 生贄
◆
気がつくと、胴体をグルグルに縛り上げられ、暗い場所に転がっていた。
「…チップ。無事か?」
アルはかすれた声で呼びかけた。ポケットの中から相棒が這い出してきた。
「うん。目が回ったけど。アルこそ、大丈夫?」
「動けねぇ。トイレ行きたくなったら、どうすんだ?これ。垂れ流しかよ。もう夜かな?」
「窓が無いね。僕の体内時計は午後5時だよ」
もうすぐ夕食が始まる。父は母になんと説明するのだろう?
(案外、知ってたかもな)
「…ま、どーでも良いか。やっぱサムソン卿は強ぇな。腹が痛ぇ」
なんとか仰向けになり、暗い天井を見上げた。さすがのお調子者も落ち込んだ。
「ごめんな。チップ。お前の言う通りだった。貴族の財布なんか拾わなきゃ良かった。金に目が眩んで失敗したよ」
しょんぼり謝ると、相棒は無言で縄を齧り始めた。
「チップ…」
涙が出そうだった。
◆
親友の頑張りで、何とか縄を抜けられた。アルは牢を手探りで調べてみた。壁も床も硬い石でできており、道具無しには壊せそうにない。チップも偵察に行ってくれたが、三重の扉にそれぞれ見張りがいるそうだ。
途方に暮れていると、急に、天井から声がした。
「殿下」
「師匠?」
「遅くなって申し訳ございません」
「何で師匠が謝るのさ。外の様子はどう?」
「…大神官が登城しました。1時間以内に殿下を連れて出発するそうです」
師匠は苦しげに言った。
「道中、近衛の精鋭、100名が監視します。お助けすることは、難しいかと…」
それでも、厳重な警備を掻い潜って来てくれた。隠密達がとても頑張ってくれたんだろう。アルは心が温まった。
「分かった。ありがとう。俺の部屋にあるセラへの手紙、届けてくれる?金は預かっといて」
ちょっと旅行にでも行くかのように、軽く頼んだ。天井からは嗚咽を堪える気配がする。その時、近づいてくる足音がした。お迎えだ。
「じゃあね。元気で」
返事を聞く前に、目の前の扉が開いた。こんな形で城を出たくはなかった。アルは兵士に向かって言った。
「ご苦労さん。縄は要らないよ。どうせ逃げられないんだから」
◆
翌日の夜。王子の誕生日を祝う晩餐会が開かれた。会場に入った途端、王妃は異様な雰囲気に気づいた。皆がヒソヒソと小声で話しているのだ。
(何かしら?)
それとなく周囲に訊いてみたが、はっきりしない。隣の夫はいつもと変わらないし、息子も普通だ。最後までモヤモヤしたまま晩餐会を終えて、部屋に帰ると、ヴァンドーム侯爵が来た。
「王妃殿下。お人払いを」
厳しい顔で言うので、侍女を下げ、親子二人きりになった。
「どうなさいました?父上。先ほどお会いしたばかりでは…」
父は立ったまま、ぞんざいに尋ねた。
「アルベールは?」
「はい?」
第二王子は風邪気味とかで、昨日から顔を見ていない。そう伝えると、父は激昂した。
「アルベールは捕縛された!」
「な…」
「皆、昨日の騒動を噂している!知らぬのはお前だけだ!」
口を挟む暇もなく、父は一気に『騒動』を語った。生贄?夫からそんな事は聞いていない。混乱する娘に、父は1冊のスケッチブックを押し付けた。
「これは?」
「馬の礼に貰った。お前のスケッチだ」
表紙を捲ると、中には、王妃の素描が何枚も描かれていた。サムソン卿から贈られた絵と同じタッチだ。
「誰なんですか?この画家は」
「アルベールだ!お前の息子の!守ってやれるのは、お前だけだったのに!」
◆
王妃とヴァンドーム侯爵は王子宮に行った。カイエンはまだ帰ってきていない。突然押しかけたので、執事長は慌てていた。
「お待ちください。アルベール殿下は風邪で…」
「下がれ!痴れ者が!」
止めようとするのを、父が押し退けた。いつの間にか側にいた隠密が、第二王子の部屋まで案内する。中は真っ暗だった。隠密が一つだけあったランプを点けた。
(これがあの子の部屋)
ベッドには誰もいない。父が隠密に命じた。
「言え。アルベールはこの部屋でどう暮らしていた」
「勉強と来客時以外は、鍵をかけられていました。食事は日に1回、夕食のみ。油や文房具は我々を通して購入し、衣服の洗濯や水浴びも、全てご自分でなさっていました」
王妃は眉を顰めた。
「何ですって?召使いは?カイエンが世話を命じたはずよ」
「誰もしたがらなかったのです」
隠密の言葉に、後ろの執事長が震えている。王妃はよろめいた。知らなかった。毎晩、パンを持って帰る理由がやっと分かった。
「鞄にこれが」
隠密が、4つに折り畳まれた紙を差し出した。
「!」
それを見て王妃は驚愕した。花咲く野原で遊ぶ兄と弟、それを見守る父と母。幸福な家族の絵だったのだ。
◆
窓もない馬車に閉じ込められたまま、丸1日、運ばれた。ようやく外に出てみれば、そこは平べったい山の麓だった。山頂からは白い煙が立ち登り、変な匂いが漂っている。
「マウナ山です」
後ろから聞き覚えのある声がした。アルは振り返った。
「知ってらぁ。ヴォルカン王国最大の火山だろ。おい、大神官。生贄だの何だのって、あんたが親父に吹き込んだのか?」
大神官は豪華なローブに身を包み、大きな縦長の帽子をかぶっていた。宝石がゴテゴテ付いた本を持っている。アルの問いに首を振り、慈悲深い顔で言った。
「全てこの“大地の書”に記されています。代々の大神官が守り伝えてきた、神との契約なのです。アルベール殿下。あなたは女神の愛子だ。必ず楽園に行けますから」
沸々と怒りが湧いてきた。何が愛子だ。馬車に乗る前に、手枷と鉄の首輪をつけられたうえ、首輪に繋がる鎖を屈強の兵士が握ってるのに。
「…証明できるのかよ」
「はい?」
「あんたが直接、女神から聞いたわけじゃねぇだろ」
大神官は目を見開いた。
「俺が死んで地震が止まりゃ、『生贄が効きましたね』。そうでなかったら、『生贄を捧げたからこの程度で済んだんですよ』とか言う気だろう。まるっきり、詐欺だ。馬鹿馬鹿しい。今時、そんな手口に引っかかる奴がいるのかね?」
「…」
「ああ、いたな。クソ親父とアホ兄貴だ。あんなに頭が良いのに、不思議だよ。良いだろう。生贄になってやる。その代わり、全くのデマだったら責任取ってもらうぞ」
「どうやって?」
「俺が直接、女神に尋ねてくるよ。当然、拝謁できるはずだ。愛子なんだから。違うか?」
揚げ足を取られ、ジジイは悔しそうだ。反論できる訳がない。神の国を否定したら、大神官の存在そのものが否定されるんだから。アルは枷を嵌められた手で、老人を指差した。
「もし、あんたが間違ってたら、引退してもらう。俺は必ず戻ってくるからな。死なずに待ってろ。クソジジイ」
周りで訊いていた兵士や神官がざわめいた。聞き様によっては呪詛だろう。ジジイは怒りの形相で命じた。
「…連れて行け」
鎖が引かれ、いよいよ死の行進が始まった。
◆
王子の前後左右を4人の兵で囲み、その後ろに神官たちが続いた。一行は黒い登り道を延々と歩き、山頂を目指している。サムソンはアルベール殿下の右隣にいた。
殿下はサムソンに気づくと、笑顔を見せた。
「よう。思いっきり蹴りやがって。まだ痛ぇぞ」
「申し訳ございません」
「冗談だよ。あんたは給料分働いただけだ。ハンコは見つけたかい?」
「“雪嵐”の馬房にありました。…騙しましたね」
「まさか本当に馬糞の中を探ったの?アッハッハ!」
重苦しい空気の中、笑い声が響いた。サムソンは改めて元護衛対象を見た。あざだらけの顔にボロボロの衣服。奴隷のように拘束されながらも、昂然と頭を上げる姿は、まるで殉教者だった。
ふいに、
(間違っているのでは?)
と思い始めた。ひどく残忍な事をしている気がした。
(あの時、馬屋で見逃していたら…)
だが、今更どうしようもない。サムソンは命令を遂行するしかなく、王子は死ぬしかないのだ。考えているうちに山頂に着いた。火口に下りる細い道の途中に洞窟がある。大神官が命じた。
「中に杭がある。そこに繋いで、穴を塞げ」
神官たちは来なかった。サムソンたちは洞窟に入り、鎖を外せないように工具を使って杭に固定した。
「では」
「おう。世話になったな」
「…」
何と言って良いのか分からない。出る前に、兵の1人が何かを殿下に渡したが、サムソンは見ないふりをした。短剣か毒薬か。餓死よりはマシだ。
それから大きな溶岩石で入り口を塞いだ。最後に見えたのは、か細い少年の背中だった。




