舞台
僕は君を追うようにして訓練場に入り浸るようになった。
剣を振るうのが心地良かった。
こうしている間は自分自身の役目を忘れることも出来たし、くだらない陰口も嘲笑も聞く余裕がなかったし、何より……。
一年前。
君の腹を突いた時の感触を思い出す。
訓練用の剣は殺傷能力を完全に失ったわけではない。
僕に勇気さえあれば君を殺すことも、あるいは僕自身を殺すことも可能であることを理解していた。
試合における僕の成績は泥臭いもので基本的には勝ち越しているものの負けも相応にある。
本来であればそれが当然なのだ。
僕らと共に剣を振るうのは僕らとそう変わらない少年達だったのだから。
しかし、僕と君はやはり事情が違う。
互いに大領主の力を背景に持っている僕らは他の少年達に比べればずっと分かりやすく『配慮』されていた。
きっと僕らと相対する少年達は苛立ちながら負けを譲った試合も数あることだろう。
だが、それでも王の寵愛を受ける君の傷は不自然なほどに少なく試合における勝ち星も多い。
少年達は大人に比べればずっと物事を単純に捉え考えもなしに口にする。
つまり僕は放蕩息子で君は売女だ。
隠れて口にしているつもりでも僕の耳にはあっさりと入ってくる。
きっと君の耳にも。
その気になれば僕は下品な冗談と知識をひけらかし彼らの中に混じっていけた。
そして彼らはきっとそんな僕を多少の嫉妬はあれど受け入れてくれただろう。
対してただでさえ皆と違い女であるのに加え、同時にそれを道具として王に取り入ろうとする君は彼らの中に混じることは決して出来はしない。
君は多くの庇護や目に見守られているにも関わらず常に一人きりだった。
あの夜のことを僕は時々思い出す。
乱れた衣服を正しもせずに空を見つめてた姿を。
その道を選んだにも関わらず、まるで殺されても良いとばかりに無防備を晒していた君の姿を。
「ローレン様?」
君の声に僕は意識を取り戻す。
相対する君はあの日の姿など微塵にも感じさせない立ち姿で僕を見つめていた。
僕らは共に試合場の前に立っていた。
「随分とお疲れのようですね。あまり眠れていないのですか?」
挑発的な君の言葉を僕は無視する。
試合が始まっているならばともかく、試合前の静けさの中では僕らの声は誰かに拾われかねない。
普段の試合であれば別にそれでも構わない。
しかし今日は王さえもが目にする御前試合。
いや、正確に言えば御前試合の前の余興。
僕と君の試合の後に国を守る屈強な騎士達の戦いが始まる。
つまり余興と言えど退屈な試合をするわけにはいかない。
僕は可能な限り君と拮抗した様子を見せつけてから敗北をしないといけない。
この余興で君の相手をするのはいつだって僕だ。
それは僕と君の間には分かりやすい『因縁』があるからに他ならない。
そして王が少なくとも今は僕の家よりも君の家に寄っているという意味でもある。
僕と君は試合場の中心で礼をする。
歓声が上がった。
この騒音の中では僕と君の声はもう互いにしか聞こえない。
「種馬は大変ね」
「あぁ。醜悪な男一人の相手で済む売女の方がよほど楽だ」
「なら、今すぐそれを千切ってしまいなさい。きっとあんたも寵愛を受けられると思うから」
聞かれたら僕は勿論、君でさえも首が刎ねられそうな会話。
しかし、気にする必要はない。
舞台に立っているのは僕と君だけだ。
観客たちは決まりきった展開しか起きないこの光景を見てはいても聞いてはいない。
互いに剣を向ける。
君の切っ先に僕が居て、僕の切っ先に君が居る。
「そろそろ腹に子供は宿ったか? 売女」
「種もないのに宿るとでも? 王はあんたと違って節操なく女を抱いたりはしないの」
「なら精々喘ぎ方の練習でもしていろ。本番に備えて」
剣と剣がぶつかり合う。
僕らが初めて戦ったあの日から一年。
僕の背はいつの間にか君を抜いていた。
力だってもう君よりも強い。
「痛っ……」
それなのに君は僕の全力の一撃を受け止めていた。
君は痛みで痺れ落としてしまいそうになる剣を必死に両手の指に力を入れて耐える。
もう一撃、力を込めて剣を振るえば僕は君に勝つことが出来る。
けれど、僕は君の苦し紛れの攻撃を避けることで時間を稼ぐ。
払いのけるでも受け止めるでもなく、避ける。
そして牽制の体を取りながら君が体制を整えるを待つ。
数度の短い呼吸の後、今度は君が思い切り踏み込み全力で剣を振るった。
今度は避けるのではなく受け止める。
女と言えど全力の一撃。
僕もまた必死に衝撃に耐える。
「っ!」
息を飲みながら、痛みに耐えながら、僕は君の方を窺う。
君は笑っていた。
汗にまみれながら。
まるで僕が君を覗き見るのを分かっていたかのように。
僕は知っていた。
君がこの時間を好いていることを。
そして僕もまたこの時間を好いていると君が察していることを。
わざわざ受けずに避ければ良いはずの全力をあえて受ける。
どちらかが指し示したわけじゃないのに、いつの間にか自然と出来ていた暗黙の了解。
君が受け止めるので僕もまた君を受け止める。
反対に君もまた僕が受け止めるから君も受け止める。
これは慣れ合いだ。
家も立場も性別も……何もかもが違う僕らの唯一の共通点。
理不尽な束縛を分かち合える相手との傷の舐め合い。
僕も君も決して認めないだろう。
認める日なんて来るはずもない。
「今回も私の勝ちですね。ローレン様」
腰をついた僕に君が手を差し出す。
「次は必ず勝ってみせましょう。カミラ様」
歓声が上がる。
繋がれていた手は一瞬にして離された。
君の勝ちが確定している退屈な試合は終わりだ。
そして僕と君だけの舞台も。
無言のまま試合場を降りる。
僕が向かう先はお付きの騎士の下。
君が向かう先は笑顔で手招きをしている王の下。
歩を進める度に固くなる君の表情から目を逸らし僕は歩き続けた。