傷跡
両家の城は遠く離れているのに僕と君は王宮に登城し頻繁に顔を合わせていた。
それはあの日、僕らが共に公の場に顔を見せた事に起因する。
後継者が表に出ることを控えること、それは即ち相手の力に怯えていると周りに捉えられかねない。
そして王家を含め多くの家々がどちらに着くべきかを常に探っているのだ。
僕と君の家がひた隠しにする武力が王家に匹敵あるいはそれ以上であることは既に察せられていることだ。
ただそれでも直接的な方法で行動を起こせば相手には勿論、平和を乱したとして静観する他の権力者たちに大義名分を与えることになる。
だからこそ両家は手出しをしない。
その一方で双方が相手より強大であると誇示するために最も大切な後継者を危険に晒す。
僕の父は君が王に見初められることを恐れていた。
だからこそ、君が売女のようにはしたなく振る舞い王の寵愛を受けようとするだろうと予測していた。
しかし、君はそのような姿を見せることはなかった。
まるで男であるかのように腰に剣を携え、王城に滞在する際には暇さえあれば訓練場で剣を振るう。
君のドレス姿など僕はあの日以来一度たりとも見ていない。
「父に男子が生まれるまでは私が男として過ごします」
王に何故そのような振る舞いをするのかを問われた君は凛とした表情でそう告げてみせた。
感嘆する王に君は騎士として完璧な礼をしてみせる。
たった一点、女であることを主張する亜麻色の髪の毛を一つに束ねながら。
王が君に向ける視線の意味を十二歳になったばかりの僕は知っていた。
いや、それを狙って君は滑稽極まりない事をしていたのだ。
女が男になれるはずなどないのに、それでも君は王へ凛々しく宣言をする。
「私は民を守るのではなく、主を守る一振りの剣でありたいのです」
吟遊詩人の語る物語のような言葉を。
君が凛々しければ凛々しいほど後に訪れる滑稽さが愉快になる。
君が男らしく振る舞い続けるほど後に相対する本物の男の劣情を煽る。
それでも君はその道を歩むと決めた。
故に君は痛々しいほどに男として振る舞った。
「ローレン様」
ある日、訓練場に差し掛かった僕を君が呼んだ。
「ご一緒にいかがですか?」
汗にまみれながらも穏やかな顔と表情。
そして固く握られた剣をこちらに君は向けていた。
考えるまでもなく、これは君からの挑発だった。
「喜んで。カミラ様」
断れば僕は女から逃げた臆病者として笑われる。
しかし、挑んで負けたなら女にも劣る軟弱者と笑われる。
勝ったところで女に勝って当然なのだからと得るものは何一つない。
つまり君からすれば失うもののない試合だ。
その認識が腹立たしかった。
「剣を」
僕は剣を構えて君と向かい合う。
訓練のため軽装でいる君は僕と比べて明らかに丸みを帯びていた。
それでも僕と君はまだ十二歳。
男女としての力の差はまだ明確なものではない。
いや、それどころか現時点での身長は君の方が上だったし、あるいは力も君の方が上だったかもしれない。
故に僕と君の最初の戦いで鍔迫り合いは成立した。
「情けないと思わないの?」
自分以外では僕だけが知る仮面の下を君は晒した。
「女と互角だなんて」
互角ではない。
僕の方が少しだけ劣勢だった。
「君は男として生きるんだろ?」
「だから負けても恥ではないとでも言うつもり?」
「君が本当にそのつもりならな」
君の苛立つ表情が愉快だ。
汚されるためだけに高潔さを纏う道を選んだ君が哀れだった。
「精々、男の真似事でもしていろ」
「あんたっ……!」
くだらない挑発に乗った君は力の加減を誤った。
その隙だけで十分だった。
僕は鍔迫り合いを制し君を突き飛ばす。
君が腰をつけばそれで決着だった。
しかし、君はどうにか態勢を立て直し僕を睨みつける。
故に僕は一歩踏み込み剣で思い切り君の腹を突いた。
自分でも後悔するほどの力を込めて。
訓練場で使われる剣の刃は丸いために切り裂くことは出来ない。
しかし、それは殺傷能力がないという訳ではない。
突かれた君の腹から血が流れる。
剣が落ちる音がした。
君は剣を握ったままだった。
落としたのは僕の握っていた剣だ。
早鐘のようになる心臓は一体、僕に何を伝えようとしているのだろうか。
勝利の余韻か。
あるいは後先も考えずに怪我をさせた浅はかさを苛むものか。
それとも……。
「お見事です。ローレン様」
君は仮面を既に被り直していた。
遅れて僕も仮面を被る。
「カミラ様……」
君のお付きの兵士達が駆けてくる足音と怒声が響く。
そんな彼らを君は微笑み制止する。
「何を慌てているの? これは試合。怪我をするのなんて当然でしょう?」
歯ぎしりをする君のお付きに対し、僕のお付きは煽るように君の言葉に同調した。
「それに。私は嬉しいのです」
そう言って僕を君は見つめた。
「ローレン様が私を男として扱ってくれて。女であるにも関わらず手加減をせずに戦ってくれて」
「そう思っていただけて光栄です。カミラ様」
何てことのない挑発をあっさりとかわした僕に対し君は言った。
「将来、臥所を共にする殿方に何て言い訳をすれば良いのでしょう」
僕のお付き達は言葉に詰まる。
君が誰に嫁ぐかなんて分かり切ったことだから。
「これは奇妙なことを」
僕は君の目を真っ直ぐと見つめて告げた。
「カミラ様は男として生きるのでは?」
「ええ。そのつもりです。ですが」
「ですが?」
君は笑う。
「万が一、私が誰かに嫁ぐ時はローレン様にも是非私と共に言い訳をしていただきたいものですね」
僕が次の句を言えない内に君は兵士達に連れられて訓練場を後にした。
ぽたり、ぽたりと足音のように落ちた血雫を僕は無言のまま見つめるばかりだった。