表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偉大なる夜の下で  作者: 小雨川蛙
【第七章】
35/36

夜。焚火の下で

 

 その子供は過去の事をよく覚えていなかった。

 覚えているのは本当に僅かなものだけだ。


 例えばそれは微笑み。


『歯の奥に仕込んで。そして何かあったら噛み砕きなさい』


 最早誰かも分からない女性の焦燥しつつも浮かべる優しい笑み。



 例えばそれは声。


『飲め。これを』


 無理矢理飲まされた黒く、苦い液体。



 例えばそれは。

 痛み。


 刃の。

 毒の。

 火の。


 そして今も残る傷跡。



 だけど、それももうどうでもいい。

 そう理解しながらその子供は倒れた。

 自分が何者であったかさえも思い出せないまま。

 否、思い出すことさえしないまま、その子供は死を迎えるはずだった。



 音がした。

 何かが燃える音。


 微かな感触があった。

 頭の上で。


 そして声がした。


「どう? 目覚めそう?」

「さあな。わからない」

「そ? 傷は治したし息はしていると思うんだけど」


 若い男女の声だ。

 聞いたこともない声。


 そう分かっていたのに子供は目を閉じたままだった。


(誰も信用しちゃいけない)


 昔、誰かに言われた事を子供は必死に反復して死んだふりをする。


「あっ、まって」

「どうした?」

「今、明らかに目を強く瞑ったよ、この子」


 思わず息を止め、身体を硬くする。

 全身から熱が消えることを願い、自分の中を行き交う血が全て凍ることを望んだ。

 つまり、死を望んだ。

 しかし、望めば望むほどに死は遠のく。

 まるで誰かが阻止しているように。


「おーい。起きてる?」


 ぐらぐらと揺らされる体。


「ちょ、カミラ……もう少し優しく……」

「いや、だって。この子寝たふりしているよ?」


 汗が出る。

 止まれと思っても止まらない。


「ほら。もう起きな。大丈夫だよ。殺したりしないから」

「カミラ、言い方……」


 子供は唾を飲みこむ。

 もう生きているのはバレている。

 そう理解して、震えながら目をあける。


 まず目に映ったのは夜空だった。

 瞬く星が綺麗だと思った。

 綺麗だと思えた。


 それが少しだけ不思議だった。


「おっ、起きてくれたね」


 声がした方に目が動く。

 そこには穏やかに微笑む女性が居た。


「ごめんな。もっと寝ていたかったよな?」


 真上から声がした。

 女性と同じように笑う男性が居た。


 ようやく理解する。

 自分は男性の腕の中で眠っていたのだと。


「おはよう」

「おはようって時間でもないけどな」


 二人の会話を聞きながら子供は辺りを見回す。


 森の中だった。

 二人の男女だった。

 そして、そんな二人が作った焚火が燃えていた。


 静かな音を響かせながら夜を照らしていた。


「火、怖くない? このままでも平気?」

「あぁ。怖かったら言ってくれ。すぐに消す」


 二人の問いかけに子供はどうにか首を振る。

 その反応に二人は共に穏やかに笑った。


「君、お菓子は好き?」


 そう言いながら女性は小さなお菓子を子供の口の前に差し出す。


(出されたものは食べちゃダメ。毒が入っているから)


 朧気な記憶が声を出す。

 身が固まり子供は口を固く結ぶ。


「ありゃ」


 女性は苦笑いをしながら行き場を失くしたお菓子を男性の口に無理矢理入れる。


「まぁ、予想通りって感じかな。いきなり食べられないよね。知らない人からの食べ物なんて」

「おい、カミラ……僕、甘いものダメなんだけど」


 カミラと呼ばれた女性は子供の目の前で瓶を取り出す。

 未開封の瓶の中には先ほど子供に見せたお菓子が入っていた。


「これ、今から開けるね」


 カミラはそう言うと丁寧に瓶を開ける。

 中から甘い香りが漂ってきて子供は思わず喉を鳴らす。

 もう随分と何も食べていないことを今になり思い出したのだ。


「はい。どうぞ」


 そう言って未開封だった瓶が差し出される。

 しかし、子供はまだ手を出せない。


(絶対に口にしちゃだめ)


 名前さえ思い出せない大切な女性の声が子供の行動を縛る。

 縛り続ける。


 するとカミラは笑った。


「分かっているよ。確かにこの状態でも毒を入れようと思えば入れられるし。だけど……」

「ちょ、カミラ。僕それ苦手だって……」


 そう言いながらカミラはお菓子を一つ取ると男性の口に放り込む。

 見上げた男性は苦虫を噛み潰したような顔になりながらお菓子を飲み込む。


「ほら。毒は入っていないでしょ?」

「砂糖は山ほど入っているけどな」

「うっさい、ローレン」


 ローレンと呼ばれた男性は肩を竦めながら子供を見下ろし笑う。


「まぁ、そういうことだよ。安心しな。毒は入っていないよ」

「そうそう。それに殺すつもりなら毒なんて使わないよ。この状況で」

「カミラ!」


 ローレンの声にカミラはけたけた笑う。

 元も子もない話だ。

 だが、それ故に子供は素直に受け入れられた。


 そうだ。

 どうせ、自分は命を握られているんだ。

 そんな開き直りが子供を諦めさせた。


 お菓子を一つ取り口に入れる。


「あっ、美味しかった? 私も好きなの、このお菓子」


 そう言ってカミラもまた瓶に手を入れてお菓子を食べる。


「美味しいよね、これ。もっと食べる? はい。どうぞ」

「君はもうそれくらいにしとけ。もう二瓶も開けちゃってるだろう?」

「え? 別にいいじゃん。最近、ようやく味も分かるようになったんだし……」


 頭上でカミラとローレンの会話が続く中、子供はもう一つお菓子を口にする。

 口の中に味が広がる。

 甘い味。


 それが。


「ありゃ?」

「ん? どした?」


 どうしようもなく、悲しかった。

 理由もわからない。

 もしかしたら、理由なんてないかもしれない。


「ありゃりゃ。どうしたの? 泣いちゃった」


 二人の優しい声を聞きながら子供は泣き出した。


「大丈夫だよ。ゆっくりで」


 カミラが頭を撫でた。

 ローレンが背中を撫でた。

 そして、二人が共に泣き止むのを待ち続けた。


 夜の下で。


 涙が涸れた。

 乾いた。


 ほっとした。

 少しだけ。


 するとカミラが言った。


「分かるよ。辛い目にあったんだよね。ごめんね。体の傷は魔力で治してあげたんだけど」


 その言葉を聞いて今更になり子供は目を擦りながら自分の身体を見る。

 そして、気づく。

 火傷も、切り傷も、打撲も、折られた指も、全てが元通りになっていることに。


「だけど、心の傷までは癒してあげられない」

「あぁ。残念だが、そればかりは自分で乗り越えるしかない」


 二人の声は優しく温かった。

 そして同時に重かった。


 けれど、その重みが不思議と心地良かった。


「ね。君、話せる?」


 カミラが問う。

 子供は頷き、声を出そうとした。

 しかし、出てきたのは音だった。


「……ぁ」


 そのことに自分でも驚き呆然とする。

 声が出ない。

 その事に子供はまた悲しくなり泣きそうになる。


「だめか。声が出ないか」

「みたいだな」


 二人はそう言って微笑んだ。


「辛かったんだね。とっても。でももう大丈夫」

「あぁ。ここに君を殺そうとする人も傷つけようとする人もいない。だから安心して」


 二人はそれ以上を言わなかった。

 そして、それ以上を問うたりもしなかった。


 だからこそ、子供は安心出来た。


 何となしに彼らは自分が普通の子供ではないことを察しているのだろうと思った。

 だけど、それを決して気にしないのだろうという確信があった。




 夜の下で焚火の音が心地良く響く。

 そんな中でカミラがぽつりと言った。


「私達ね。旅をしているの。ずっと。旅って分かる?」


 子供は頷く。


「良かった。それでね。私達さ。特に行く当てもないの。本当に適当にふらふらしているだけ」

「その通りだけどもっと良い言い方ないかな……」

「でも事実じゃん」

「いや、そうなんだけど……こう、ほら例えるなら、その渡り鳥のように……みたいな」

「渡り鳥には帰る場所はあるけど、私達にはないよ?」


 ローレンは閉口する。

 不満げな顔のまま。

 どうやら、彼はいつもカミラに言い負かされているようだ。


「ま、とにかくね。つまり、私達、特に目的なくふらついているのよ。何が言いたいか分かる?」


 子供は首を振った。

 それを見てローレンが言う。


「つまり、君は僕らに付いてきても良いってことだ。どうせ、僕らに目的地なんてないんだから」


 子供はぽかんと口をあける。


 何か裏があるのではないか。

 そう疑ってしまう。


 もっと辛い思いをするのではないか。

 そう考えてしまう。


 それを理解しているようにカミラは言った。

 静かに響く声だった。


「ごめんね。不安だよね。あんな酷い傷を受けて生きてきたのに」


 頭を撫でられる。


「だけどね。放っておけないの。多分だけどね。私達、昔あなたと同じような立場にあって。そしてあなた程じゃないけど、とても苦しんだの」


 背中を優しく撫でられる。

 ローレンだ。


「勿論、強制じゃない。ついてこなくてもいい。とはいえ、この場所で別れるのは流石に出来ないから、次の街までは一緒に行こう。それくらいは許してほしい」


 二人は優しかった。

 生きていても良いのだと無条件に信じられるほどに。


「すぐに答えなんて出さなくていい。君はまだ起きたばかりだし」

「そうそう。ゆっくり考えてね。ローレンが言ったようにどうせ次の街までは一緒に行くんだから」


 子供はどうにか頷いた。

 それを見て二人はまた笑った。


「一つだけね。教えておくけれど。辛い時間って必ず終わるもんだよ」

「そうだな。僕達もそれなりに辛かったけど、今はこうして暢気に旅をしているんだ。だから」


 ローレンの腕からカミラは子供を受け取り静かに抱きしめた。


「のんびり考えてね」


 子供は頷く。

 そして、ふと気づく。


「ぁ……」

「ん?」

「どうした?」


 子供はカミラの目の前に人差し指を突き出す。


「あっ」

「なるほど……文字を書けるのか」


 カミラの腕を離れた子供は震える指で地面に文字を書く。

 感謝の言葉を。


 いくつも。


 言葉をかえ、形をかえ、何度も。


 それを二人は穏やかな顔で見守っていたが、やがて痺れを切らしたようにして言った。


「ありがとう。こんなに感謝してくれて。だけど……」

「そう。私達さ。それよりも君の名前を知りたいな」

「あ、いや。待てカミラ。多分、僕らまだこの子に名前伝えてない」

「うそ? そうだっけ?」


 カミラの問いに子供は微笑み頷き、そして地面に文字を書く。


『カミラ ローレン ですよね』


「会話の中で分かっちゃったか」

「僕ら結構無礼なことしてたな。名乗る前に名前を聞くなんて」


 子供は笑顔で首を振る。

 その様を見て二人も笑い、そして口を開く。


「よし。それじゃあ」

「そうだな。本題だ」


「君の名前は何て言うんだい?」

お読みいただきありがとうございました。

これにて七章は終わりとなります。


次回、終章となります。

永遠に続く二人の旅に一つの結末が訪れます。

どうか、見守ってくだされば幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ