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偉大なる夜の下で  作者: 小雨川蛙
【第七章】
34/36

女優の追った影

 

 辛うじて村ではないと言えそうな町の細やかな劇場。

 そこで行われていた劇が今、まさにクライマックスを迎えていた。


 過剰な程に仰々しい豪奢な衣装に身を包み闇の王子を演じる座長の青年。

 それに相対する若い女優は反対に神聖ささえ抱いてしまうほど質素なローブを着て光の女王を演じている。


『馬鹿ね。あなた』


 その言葉を合図として二人は剣を持って近づく。

 光の女王と闇の王子の殺陣(たて)

 戦いは終始、光の女王が圧倒し闇の王子は一切の抵抗さえも出来ない。


 これは劇だ。

 故に王子に見せ場は与えられない。

 この場面で必要なのは光の女王が完全に勝利するという分かりやすい結末のみ。


 事実、王子はあっさりと血に伏す。

 最中、座長は小声で女優に告げる。


「いいぞ。このまま劇は幕だ」


 そう。

 劇はこのまま長い戦いに勝利した女王が天を仰いで終わる。

 その触れ難き静謐さに人々は拍手し劇を完結させる。


 そのはずなのに。

 女優は今日もその台本を無視して身を屈めて闇の王子の方へと寄り添う。


「ばっ……! お前……」


 体を伏せた座長は怒りの形相で女優を睨んだ。

 しかし、女優は気にもせずに口にする。


『馬鹿ね。私達……』


 台本に存在しない台詞は見事なまでに劇に響いた。

 きっと、それは弱々しく震えながら泣く『光の女王』の姿があまりにも絵となっているからだろう。


 しかし、これは絵ではない。

 劇だ。


 完璧な終幕が意図せぬ蛇足を経て観客たちは拍手のタイミングを失う。

 絵の美しさにより誤魔化されかけた観客の頭上に疑問が浮かぶ。


「え? これでおわり?」

「なんで光の女王はこんなことをするの?」


 そう。

 彼らが知っている物語では悪の権化たる闇の王子を光の女王が下して終わるはずだ。

 そんな物語のラストに突如挟まれた光景に観客はブーイングさえも出せずに困惑するばかりだ。


「馬鹿はお前だ」


 座長が女優を睨みつけたが女優は見事な程に腹立たしく自分の世界に浸り続けていた。




 深い夜。

 女優は街中を一人歩いていた。

 今日もこっぴどく叱られたものだ。


『何故お前は毎回あんな余計なことをするんだ!』


 座長は怒鳴り散らしていた。

 当然だろう。

 ラスト以外はあんなにも完璧に演じていたのだから。

 そして、自分以上に『光の女王』を完璧に演じられるものなんていない。

 だからこその座長の怒りとも言えるが。


 とはいえ、彼女にだって言い分はある。

 あれだけのアドリブを毎回行う理由はあるのだ。

 しかし、それは座長に言わせれば文字通り『誰も求めていない』展開らしい。


『分からないのか!? 俺らは真実を伝えるのではなく虚実で観客を楽しませるんだ! それが出来ないあるいは理解しない以上はお前は素人よりも遥かにダメな役者だ!』


 事実だろう。

 女優はため息をついて橋の欄干にもたれ掛かる。


(確かに私は女優失格だよね)


 もしかしたら首になるかもしれない。

 あるいは『光の女王』役を下ろされるかもしれない。

 それは出来れば避けたい。

 何故なら、自分は光の女王を演じたくて女優となったのだから。

 それなのに、今の自分はあんなアドリブを入れながら自らの役目を危ういものにしている。

 行動と願いが矛盾している奇妙な状態。


(女王陛下……)


 彼女は脳裏に一つの光景を思い出す。

 二十年近く前の幼い記憶。

 最早、薄れて微かにしか見えない世界。


「びっくりするぐらい悪役だったなぁ……」

「そりゃそうでしょ。あなたのお父さん、毎日のように人を殺していたじゃん」


 それが不意に鮮明になり女性は反射的に振り返った。

 背後にはまだ年若い二人の男女が雑談をしながら橋を歩いている。


「いや、そうだけど……でも僕は何にもしてなくない?」

「あんたねぇ……それじゃ絵として生えないでしょ? 美しく高潔な光の女王に相対するのが中年の男じゃ」

「だからって全部僕のせいになるってのも……」

「劇は劇でしょ? 気にしたら負け」

「うーん……」


 劇を見てくれた客達だろうか?

 演目の後にこのような光景に出くわすのは別に珍しいことではない。

 しかし、どういうわけか女優は二人の会話が気になった。

 特に女性の声が。

 故に女優は偶然を装い二人の後をつけて歩き出す。

 幸いにも演技には非常に自身があった。


「にしても、ラストシーン。あれなんだったんだ?」

「あ、あなたもそう思った?」

「そりゃね。流石におかしいだろ。今までの流れぶった切ってなんであんなシーン入れたんだ?」

「そうだよね。全然伏線ないし……今まで積み上げてきた流れを最後の最後で自分で破壊しちゃった印象ある」

「あんな台本作るなんて相当センスないよな」

「ほんとにね」


 随分とビシバシと批判するものだが世間的な評価として正しいものなのだろうと女優は思った。

 同時に自分がしていることの誤りを指摘されているような気分にもなる。


「でもさ、気にならない?」

「何がだ?」

「なんであんなシーンを入れたのか」


 当然の問いだ。

 女優は名も知らない二人の観客のやり取りに耳を澄ませる。


「確かにな」

「でしょ? 世間的……いや、歴史的? には光の女王は悪に完全勝利した高潔な存在なのに。あれじゃ、まるで……」

「……それは!」


 気づけば女優は声を出していた。

 何故、そんなことをしたのか分からない。

 いや、本当なら二人の話をこっそり聞くだけのつもりだったのに。


「わっ!?」


 背後からの突然の声に女性は驚き相方の男性の後ろに隠れる。

 対して男性の方は落ち着きを払った目で女優を見返している。


「びっくりしたぁ! え、お姉さん誰?」


 男性の背後から顔を覗かせながら女性は問う。


「お二人が見ていた『終の舞台』で光の女王を演じていた者です」

「あぁ、あの劇の……」

「あちゃー、がっつり悪口言っちゃったよ」


 どこか冷めた様子の男性に対し女性の方は過剰なほどに幼い言葉を発しているように女優は感じた。

 いや、感じた、ではない。

 事実、彼女は演じているのだ。

 理由は分からない。

 しかし、自らを非常に幼い女性として『演じている』と女優は気づいていた。


「大丈夫です。気にしていませんから。それに座長にも言われているんです。お二人と同じようなことを」

「そなの? だとしたら、何であんなことするのさ?」


 男性の陰から女性が出てきた。

 月明りに照らされるその姿を見て、女優は奇妙な程の既視感を覚えたがそれが何故なのかまでは分からなかった。


「それは……私が光の女王に会ったことがあるからです」

「え? そうなのか?」


 女優の答えに二人が顔を見合わせる。


「はい。もう二十年近く前のことですが」

「ふぅん……」

「驚くことではないですよ。光の女王は誰よりも人々に近い王でしたから」


 女優の答えに男性が問う。

 女優にではなく女性に。


「そうなのか?」

「いや、どうなんだろ?」


 首を傾げる女性に対し女優は告げる。


「とにかく。私はそこで彼女に会ったんです。交わした言葉はほんの僅かですが……それでも私は理解しました」


 何も分からない者達を女優は嫌っていた。

 光の女王に会ったことすらないのに彼女を知った気になっている人々が女優は嫌いだった。

 そう。

 女優にはあの劇を壊すアドリブをするだけの理由があったのだ。


(皆、知らないんだ。光の女王は……あの人は……!)


 そんな気持ちを吐き出してやる。

 何故、目の前の二人にそう思ったのかは分からない。

 しかし、女優は全身を駆ける熱を今まさに言葉にしようとした。


「へえ」


 刹那。

 不意に。

 女優の心の奥が底冷えする。


 過剰なほどまでに幼い振る舞いであった女性が男性の前へと歩み出て、女優の前に立つ。

 まるで対になるような形で。


「あなたは光の女王の何を理解したの?」


 本当に同じ人間だろうか?

 そう思うほどに彼女の声は静かで重かった。


 そして。

 女優は確信する。

 鏡映しのように立つこの女性と自分はどこかで会ったことがある。


「おい、カミ……」

「いいから」


 男性の咎めるような声を女性は一顧だにせずに止めた。

 すると彼は小さなため息をつきながら二人の女性から離れて欄干に背を預ける。

 まるで気の済むまで話せとでも言わんばかりに。

 事実そうなのだろう。


 そう解釈して女優は言った。


「光の女王は仮面を被っていました」

「仮面? あり触れた表現ね。誰だって仮面くらい被るでしょう?」


 冷たく返された問いに一瞬怯む。

 女優はそんなことはないと言い返したかった。

 確かに人は他者と関わる時に多少なりとも自らを演じることはあるが、仮面と評する事が出来るほどまでに演じる者なんてほとんど存在しないのだ。

 しかし、目の前の女性はそんな否定の言葉など一笑に付すという確信さえあるほどに揺るがない。


「解釈の違いですね。仮面なんて普通の人は被ったりしません」

「そう? なら、あなた。とても幸福に生きていたのね」

「そうかもしれません」

「それで。あなたは光の女王が仮面を被っていたからどうだと言うの?」


 女性は小さく笑う。

 まるでこちらを試すように。

 だからこそ、女優は遠慮の一つもせずに話せた。

 自分が光の女王に感じた印象を。


「その仮面は非常によく出来たものでした」

「良く出来ていた?」

「はい。あまりにも精巧な故に女王にさえ外せず、そして女王自らさえも仮面に騙されていたのです」


 相対する女性の顔が固まる。

 同時に背後に居た男性が感嘆の息を漏らした。


「……仮面をした光の女王を見てあなたは何を感じたの? 何故、あなたは劇であんな光の女王を演じたの?」


 初めてあのアドリブを入れた日を思い出す。


「人々は彼女を光の女王と一言で語りますが、実際の彼女は常に永遠の生を持つ故に孤独で押しつぶされそうだったのです。それを仮面で器用に隠していた。少なくとも、私はそう思ったのです」


 その言葉を皮切りに女優は女性へと語った。

 自分が知っている光の女王の情報と実際に会ったことがある印象を合わせて形成した彼女の姿を。


 光の女王と同じく不老の存在であった闇の王子。

 もしかしたら二人は永遠の理解者となれたかもしれない。

 しかし、そうなることは出来ずに遂には光の女王は闇の王子を殺した。

 その事実を受け止めた女王。

 その結として出た言葉が……。


「馬鹿ね。あなた」


 口にしようとした女優のアドリブを遮るように女性は口にした。

 本来の劇の結びの言葉を。


「真実がどうであろうとあなたは観客を喜ばせるのが仕事でしょ?」


 言い返そうとした言葉が何故か出てこなかった。

 座長と同じ言葉なのに。

 何故、目の前の女性の言葉はこんなにも重く響くのだろう?


 ……決まっている。


「女王、陛下?」


 馬鹿げた問いだと女優自身も思った。

 あまりにも脈絡もない言葉だと感じた。

 少なくとも、これが劇ならば決して起きない展開だ。

 しかし、これは劇ではなく現実だ。


 故に。

 このような事も起きる。


「何を馬鹿なことを」


 女性は冷めた声で女優の言葉を打ち切る。

 しかし、表情はまるで女優の言葉を肯定するように穏やかだった。


「まっ、あなたがどう思おうと劇の最中に変なアドリブを入れるのは感心しないね。劇ってのは観客を楽しませるためにするんだからさ」


 そう言って女性は踵を返して欄干に背を預けていた男性に抱き着く。


「お待たせ! ローレン!」


 響く、男性の名前。

 聞き覚えがある。

 光の女王の対となっている闇の王子の名前。


「もういいのか?」

「いいよ! さっ、いこ!」


 無邪気な様だ。

 まるで別人だ。

 ……分かりやすい演技だ。


 そして、それ故に。

 女優はあと一度だけ、問いかけを許されているのだと気づいた。


「女王陛下。何故、そのような演技を?」


 すると女性は。

 否、女王は振り返り微笑んだ。


「決まっているじゃない。観客を不快にさせるためよ」

「観客を不快に……?」

「ええ」


 女王は男性から離れて言う。

 彼女の頭上には偉大ささえ覚える程に雄大な夜が広がる。

 

 まるで。

 女王は夜を観客に見立てているのではないかとさえ思えた。


「私も彼もね。今、たった一人の観客を嘲笑うためにこんな事をしているの。そいつが見たくて仕方なかった劇。それを私達は絶対に演じてやらない。私達がこんな滑稽な演技をしてるのはそれが理由」


 冷たい言葉だった。

 底冷えのする声だった。

 女王の言う観客が誰かは女優には分からなかった。


 けれど、強い意思は確かに感じた。


「さて。私達はもう行くね」


 女王の言葉に女優は思わず声を出した。

 ずっと知りたかったことを。


「何故、あなたは四年前に王都から姿を消したのですか……?」


 すると女王は。

 女性は。

 これ見よがしに男性へ飛び込みながら答える。


「決まっているじゃない! 恋人と世界中を回るため!」


 女優は思わず口をぽかんと開けてしまう。

 こんなにもあっさりと素顔と仮面、演技と自然体を行き来できる人がいるのか……。


「……流石に過剰過ぎませんか。演技」


 半ば呆れながら女優が呟くと男性が笑いながら答えた。


「君なら分かるだろ? 演技ってのは重ねていく内に楽しくて辞め時が分かんなくなってしまうものだって」

「そりゃそうかもしれませんが……」


 女性は笑う。


「あなたの演技。あの劇には不要だと思うけど、別の劇ならきっととても良い演出になると思う」

「はぁ、その……ありがとうございます」

「だけどね。真実だけを演じたいというのなら、あなたにはそもそも劇は向いていないのかもしれない。ううん、少なくとも光の女王は演じるべきではないと私は思う」


 言葉に詰まる。

 当人からこんなことを言われるなんて思ってもみなかった。


 そんな女優の気持ちを知ってか知らずか女性は小さく笑った。


「それにさ」

「それに?」


 女優の問いかけに女性は皮肉気に答えた。


「光の女王だけしか演じないなんてもったいないよ。劇は一つじゃないんだから」


 どう答えたものか。

 そう迷っている内に二人は短い挨拶をして歩き出してしまった。

 その歩みは決して早くなかったのに、女優は彼らが消え去るまで遂に声をかけることは出来なかった。


「劇は一つではない、か」


 ぽつりと女優は呟く。

 少しだけ、目から鱗が落ちた気分だった。


 確かに自分は光の女王を演じたくて役者となった。

 そして、今になりその理由を悟った。




 記憶にある光の女王の姿。

 彼女が被る、完璧な仮面……演技に自分は焦がれたのだ。

 そんな彼女が突如、王都から消え去ったのはもう四年も前のことだ。


(そっか、私は。知りたかったんだ)


 女優は呟く。


「あなたが姿を消した訳を」


 それを知るために自分の知る真実を演じ続けていたんだ。

 観客さえも巻き添えにして。


 女優は橋の上で目を閉じて僅かな間をおいて目を開き。


「決まっているじゃない! 恋人と世界中を回るため!」


 彼女の真似をした。

 誰もいない世界で彼女を演じた。

 一瞬だけ。


「そんなのあり?」


 そして一人で笑い出した。

 笑い続けた。


 この日。

 女優はようやく光の女王の影を追うのをやめられた。

お読みいただきありがとうございました。

カミラの語った言葉は真実です。

しかしながら、ローレンの「辞め時が分からなくなっている」と言うのもまた真実です。

二人の性格は演技を忘れ、やがてこのような純粋無垢な少年少女のようなものに変わるかもしれません。


しかし、それにはまだまだ時間がかかりそうです。

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